中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

頭髪の自由化

2009-07-25 11:33:18 | 身辺雑記
 街中で見かける高校生の姿かたちはさまざまで、男子は目や首筋にかかるような長髪、女子は超ミニスカートなどはざらにいる。男子の長髪については学校でどのように決めているのかは分からないが、女子のスカート丈には一定の規定があるのではないか。規定があってもどこ吹く風というようで、特に大阪やその近辺の私学はかなり「乱れて」いるように思える。教師はもはやお手上げなのかも知れない。

 今となっては、こんなこともあったのだなあと昔話になってしまったようなことが、私が経験した「頭髪の自由化」運動だ。

 60年代末から70年代初めにかけて大学では全国的に学生運動の嵐が吹き荒れたが、一部の高校にも波及した。大阪では公立高校で「制服の自由化」要求が出され、多くの学校で認められた。大阪の高校ではなかったが、私が勤務していた高校では「頭髪の自由化」を生徒が問題にし、過激なものではないが、生徒自治会が中心になって学校に対して要求してきた。当時学校は校則で男子は丸刈りであること、女子は頭髪を加工してはならないと定めていたので、それに対して男子の長髪を認めよということだった。どういうわけか生徒の自由化要求は、女子の頭髪加工禁止規定には触れていなかった。アイロンを使ってゆるやかにウエーブをつけるような加工を施す女生徒はいなくもなく、指摘されると天然ですと言い逃れをする者もあったが、当時は高校生がパーマをすることまでは女生徒自身にも考えられなかったのだろう。

 生徒の要求を受けて学校では職員会議をもって議論した。職員会議というものはさまざまな意見が出されて面白いところもあるのだが、このときも盛んに論議され、私は認めてもいいという意見だった。賛成論者の中には、ただし耳にかぶさるような長さはうっとうしいから制限するべきだと言う人もいた。それに対して私は、自由化と言うからにはたとえちょん髷にしてくる生徒がいても容認しなければならない、細かい制限を加えるべきではないと、いささか青臭い意見を述べたことを覚えている。議論も一段落したところで、生徒の要求を受け容れるかどうかということで採決したが反対者が多く、要求は認められないという結果となった。

 次の問題は、この職員会議の決定をどのように生徒に伝えるかということだった。当時の生徒達は「全共闘」というほど過激ではなかったが、それなりに高揚していたから、ただ職員会議の決定を伝えるだけではすまない、必ず議論になることは予想された。今なら学校長がその任に当たるのが当然のようになっているが、当時はやはり教師が決めたことは教師が責任を負うという考えが強かった。そこで教師側の決定を生徒に伝える役目の者を選ぶことになったが、投票の結果、何と賛成論者の私が選ばれてしまった。賛成論の者が、反対意見の代表者になることは矛盾したことで、唖然としたが仕方がないので受けることにした。 (続)