ナチュラルな暮らし

穏やかな日常の一コマ

松本市立博物館へ~常設展と街歩き~

2024-06-05 | ミュージアム

「松本市立博物館」の続きです。企画展(2F)を見た後、常設展(3F)も見ました。常設展では松本市のことについてたくさんの展示がされていました。まず目についたのは大きなジオラマ…お城を中心とした城下町の様子が再現されて解説付きで展示されていました。当時のしっかりしたお堀の様子もうかがえました。太鼓門から入った右には二の丸御殿跡があるのですが、そこには当時建物がたくさんあったのが伺えますし、旧博物館の辺りにも建物が立ち並んでいます。本丸庭園と天守閣は当時のままです。

     

     

 

100年以上前、明治44年に開智学校の先生方が作られたお城の模型も100年の時を経てここにありました。

     

 

ここにも鎧兜など身につけていたものの展示がありましたが、目を引いたのはこの蒔絵の御駕籠(おかご)…豪華絢爛な駕籠は女性が乗ったのだそうです。

     

 

江戸幕府時代での大仕事は街道の整備ですが、松本を中心とした街道地図に注目でした。この地図を見るといかに松本が様々な流通の中心になっていたかが分かります。

     

 

街では商売繁盛を願う「あめ市」が開かれましたが、初市の宝船と七福神が再現されていました。大きな帆のこの船は見ごたえありました。

     

 

松本で注目なのはその手仕事です。「みすず細工」は竹で作ったその繊細な編み目の作品が素晴らしいです。「御神酒の口」は神棚に供える御神酒徳利の口にさす飾りです。「松本てまり」は武家の倹約生活の中から内職として作られたのが始まりとのことです。

     

     

     

 

松本の「七夕飾り」も独特で、さまざまな人形が吊るされます。「押絵雛」も「松本てまり」同様、武家の内職から始まったものだそうです。

     

     

     

 

ここに展示されていた松本の気持ちを表したそれぞれの文…クスッとしながら、なるほどと納得で、松本人の思いが伝わってきました…

     

     

     

 

博物館を出て、近くの「四柱神社」を通り抜けて繩手通りへ向かいました。神社の境内には「シラン」がたくさん咲いていました。白花もありました。

     

     

 

白繫がりで白い「ハト」と白い「ウサギ」です。ウサギはベビーカーに乗って来ていて、境内で遊んでいました。

     

     

 

「繩手通り」を歩いてみました。ここには海外の観光客の方々が大勢おられました。

     

     

 

繩手通りを歩くと「カエル」に出会うことが多いです。脇を流れる女鳥羽川にはカジカガエルがいたそうです。

     

  

     

 

この先のレトロな雰囲気の市営住宅を見ながら歩き、今の時期に花盛りのバラにも出会いました。

     

     

     

     

 

新装なった「松本市立博物館」を見学し街歩きも楽しんだ一日でした。この日の歩数は意外と少なく、6892歩でした。もっと歩いた気がしたのですが…

     

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (おちゃ)
2024-06-05 20:25:35
市立博物館相当な規模ですね。
次回松本に行くことがあればですが、行って
みます。でも昨年松本に行ったのが15年ぶり
くらいだったので、次行くのは2035年あたりか?
その時私は、行けるのか?(笑)

論多くしてまとまらない様子から松本すずめ・・・

面白過ぎます。
義父が松本出身なんですが、そんな人ですよ。
あれやこれやしゃべりまくっています。

縄手通りも市営住宅も昨年来です。
楽しい街ですね。また行ってみたいです。
やはり県庁所在地になりうる街は違います。
国宝のお城もあるし。
返信する
おちゃさんへ (タッジーマッジー)
2024-06-06 00:54:50
こんばんは。
昨年の春でしたか、松本を散策されていましたね。
それが15年ぶりでしたか、その頻度ですと
次回はかなり先になって、
松本はどう変化しているでしょうか、
私はもう5年先くらいまでしか思い描けませんが(笑)
おちゃさんはまだまだ先を見て下さい!

この松本を語る文言、面白いですよね。
長野に対抗意識を燃やし、喧々諤々と意見を言い合い、
悩みつつも前向きに進む松本の人々の姿…
なかなか良いなと思います。
お義父様がこの「松本すずめ」のイメージですか!
「おっしゃる通り」の松本人なのですね。

この繩手通りは小さなお店が軒を連ねていて楽しいです。
古いものと新しいものが上手に同居しているような松本…
歩いてみるといつも発見があって楽しいです。
ここが県庁所在地だったら…
諏訪から近くて何かと便利なのですが(笑)
返信する
松本 (take)
2024-06-06 01:01:10
こんばんは。
常設展!
あれもこれも興味津々・・

ジオラマ…新しく作られたのですねぇ。
すごい!
見ごたえありますね。

明治時代に作られたジオラマもちゃんと展示されているのですね。
旧博物館に行ったときに見事に作られている、と思いながらじっくりと眺めましたっけ。

ん?
「太鼓門から入った右には二の丸御殿跡があるのですが」と・・
私は二の丸御殿は 現在の道路「二の丸」交差点のほうにあるのだとばっかり思っていました。
娘たちの借家はその交差点に面していたものですから(で、50歩足らずで松本城早朝散歩)

あぁ、
「太鼓門を右に・・」
あっちに「二の丸御殿」はあったのですねぇ。
※私が勘違いしていたのは 以前に行った時に見た「古い地図と現代の地図を重ねたもの」
あの地図は・・私が撮ったものは鮮明ではありませんが 「二の丸」の位置が交差点がわに見えるような・・
ここにURLを貼ると拒否されますね。
またtakeのURLに入れておきますので 是非ごらんください、ね。

大きな宝船に驚き、蒔絵の御駕籠をじっと見たり、たくさんのおひな様を見てきたのですが
アップしたものは少ない・・他にも一挙にあれやこれやとアップしていました。
(お堀の白鳥が2羽いた時でした!)


「松本を中心とした街道地図」
これはわかりやすくていいですね。

ほんとに「松本」は「流通の中心」だ。
ほほほ
「松本の気持ちを表したそれぞれの文」
はい、クスっと笑いました。
「松本あるある」「自虐コピー」?
楽しいですね。
「長野市への一方的なライバル意識と松本プライド」

「繩手通り」
海外からの観光客の方々が大勢いらっしゃたのですね。
最近のニュースで「東京から近い、国宝松本城がある」平城で行きやすいので 「一番人気」と。
それはうれしいことですが
ここでは「富士山撮影」人気の「弊害(?)」なんか起こりませんように・・
「電線が張り巡らされたレトロな街からの富士山」
「コンビニの上にのっているような富士山」・・などなど「海外で有名」になった場所。
・・・「富士山・五重塔・桜」のあそこは長い行列ができるだけ、かな?

他にもいろいろ反応していたのですが

「長い!」とPCが怒ってフリーズしてしまいました。
あれれ マウスも動かないこういう時は・・

こんな時間になってしまいましたけれど 送信!
返信する
Unknown (みさと64)
2024-06-06 20:23:11
こんばんは。
タッジーマッジーさんは、歴史にも興味がおありだったのですね。
武士の時代・・・ちょっと意外でした(笑)
石川数正は知っていますが、戸田家は知らなかったです。
美術館や博物館には縁のないわたしですが、
ここでは友人の娘さんが働いているので、
一度は行ってみたいと思っています。
繩手通りも最近歩いてません・・・
返信する
takeさんへ (タッジーマッジー)
2024-06-06 22:57:14
こんばんは。
常設展は旧博物館から引き続きのものもありますが、
新たに工夫されて展示したものもあって
どれも興味深く見学出来ました。

大きなジオラマは見ごたえありました。
お城と城下町の様子がリアルに再現されていますし、
解説も丁寧でわかり易かったです。
今のお城周辺の様子も思い浮かべながら見てきました。
開智学校の先生方が作られたジオラマもちゃんと展示されていて、
100年前のそれもまた立派なものですよね。

「二の丸」交差点と「二の丸御殿跡」は少し離れていますね。
と言ってもさほどの距離ではないかと思いますが…
その交差点の所に娘さんはお住まいだったのですね。
良いですね、お城に50歩足らず!
たくさんお城の散歩が出来たことでしょう。
お城(本丸)の周囲…お堀を挟んで二の丸があったので、
西側の交差点に二の丸の名前が残っていたのですね。
二の丸御殿は二の丸の東側にあったのだと思います。

2015年の記事も再度読ませていただきました。
素晴らしい松本城を撮られていましたね。
そして地図に書かれた二の丸の文字…
その場所が交差点の辺りなのですね。
お堀の周囲にぐるりと(北側以外)二の丸だったのかと思います。
その外側にまたお堀があって三の丸の位置づけでしょうか…
しっかりできた松本城ですね。
以前のブログ記事…Y君の姿が可愛らしくって、
じっくり見せていただきました!

街道地図を見るといかに松本が信州の中心だったか!
長野に県庁が行ってしまった後の松本人の思い…
100年の時を経ても変わらないのですね。
本当にクスッとしてしまいますよね。

繩手通には海外からの観光の方々が多くいらしていて、
きっと人気の松本城からの流れかと思いました。
そういえば富士山人気はすごいですね。
写真を撮るために大変なことになって目隠しをする事態にまで!
松本はそれほどにはなっていないようで、
中町通りも静かなものでした…
返信する
みさと64さんへ (タッジーマッジー)
2024-06-06 22:59:53
こんばんは。
歴史好きという訳ではないのですが、
松本の街には興味があって、
戸田家の時代がどんな様子だったのか覗いてみたくなりました…
今まで特に武士の時代(時代劇も時代小説も)敬遠していたのですが(笑)
こうして見てみると武士の時代もなかなか興味深いことでした。

皆さん、さすが松本城の最初の城主、石川数正はよくご存じですね。
でも私もそうでしたが、松本城で一番長く城主を務めた戸田家…
この方々については意外と知られていなくて、
こうして展示されたものたちを見ることで、
その時代や生活が浮かび上がって来て注目でした。

ここにはご友人の娘さんがお勤めなのですか、
学芸員さんでしょうか…
ここの学芸員さんの作られた説明文はとっても興味深かったです!
いいお仕事をされていると感じました…
返信する

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