錆鉄人と天女の感動人生

幸福度日本一の福井で一番幸せな夫婦の登山や温泉旅行、ガーデニング・Doit等の楽しい日々の記録です。

歌謡プレミアム トアエモア

2021-06-28 20:06:59 | 青春の思い出

青春時代の歌謡曲、フォークソングなどの歌手たち

60代、70代になっても歌番組に出てきますが・・・

音痴の錆鉄人でもがっかりするような歌唱力の低下に驚くばかり!!

 

あの森昌子も何て下手くそになったんだろうと思っていたら引退

再デビューしたときは若干回復していましたが・・・

醜態(醜声)をさらす前に(というか、十分さらしましたが・・・)

再引退して・・・歌がうまかった頃の思い出がかき消されなくて良かったと思っています。

森昌子よりも上手いかもしれないと思っていた岩崎宏美さんも・・・残念です。

 

一般的に女性のほうが歌唱力の低下が激しいように思いますが

石川さゆりさんだけは衰えていないように思う錆鉄人です。

(あくまでの音痴な錆鉄人の主観に基づく判断です)

 

という事ですが、本日のBS4chの歌謡プレミアム

ゲストはトア・エ・モア

 

当時、はっきり言って美人じゃなかった白鳥さんの素晴らしい歌声

やはり全然美人じゃないけれど・・・

(というか、バケモノに近い2人でしたが・・・)

白鳥さんも高音が苦しかったけれど・・・

素敵な歌声に感動しました!

AMAZING GRACE 超最高でした!(錆鉄人的には!)

 

という事で、錆鉄人的には一番すごい歌手だと思っている島津亜矢さんの

I WILL ALWAYS LOVE YOUを聴いてみました。

すっごい!

 

錆鉄人と天女もすっかり衰えましたが・・・

毎日を頑張って生きていこうと思いました!

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四高桜

2020-04-04 22:05:38 | 青春の思い出

錆鉄人は旧四校=金沢大学ボート部出身です。

新入部員歓迎の飲み会ではビールをコップの半分飲んで吐きました。

(まだ19歳でしたが・・・)

次の朝は5時起きで練習開始でしたが、錆鉄人はまだ気持ちが悪くてのたうちまわっていました。

その後も、年に数回は飲み会があり、優勝カップにビールを何本も注いで回し飲みましたが、

錆鉄人は「飲んでいるふり」をするだけで吐き気を堪えているのでありましたが・・・



これではいけないと錆鉄人は考え、

必至で自分を鍛え今に至っているのであります。

ボート部のコンパというと、大抵は対外試合の後、

飲むにつれ歌うのは琵琶湖周航の歌と四校漕艇班追悼歌でした。


  四校漕艇班追悼歌

1.思ひ出づる調べも哀し   春浅く水藻漂ふ志賀のうみ
  かの日風立ち雲たれて   呼び応ふこだまのみ
  たそがれに流れいゆきぬ

2.はろばろと今に帰さむすべもなき 此の愁ひはたこの嘆き
  さゞなみさやぐ志賀のうみ ますらをの青春の日を
  沈めしとうつゝなりや

3.あゝ在りし日のいさをしゆゑに 嘆かひはいよゝはげしく
  たくましきますらを男の子の 思ひ出にめぐり来る春の日の
  新たなる涙つきせず

4.沖の島に春の陽てりて ほのぼのと霞み渡れり
  岸近くさまよひゆきて砂にぎり 砂握りしめ夕なみに
  いまはなき友を偲びぬ

5.さあれ見よ今よみがへりゆく 若き児の夢とのぞみよ
  空青く水青き所再ゆかむ ゆく春の血潮にそみて
  夕陽ちるかの潮路を


今でも歌えます、超音痴ですが・・・

そして、涙がこぼれます。


金沢大学のボート部では「琵琶湖哀歌」は歌う事もなく知らなかったのですが、

この四校漕艇班追討歌や琵琶湖哀歌が出来たのは

その頃、全国的な強さを誇った四校漕艇班が琵琶湖で強化合宿を行っていた時に・・・

春の嵐に襲われて遠漕を行っていた12名が遭難死した哀しい事件の為でした。

最も有名なのは東海林太郎と小笠原美都子の「琵琶湖哀歌」で一世を風靡しました。


   琵琶湖哀歌

遠くかすむは 彦根城
波に暮れゆく 竹生島(ちくぶじま)
三井(みい)の晩鐘(ばんしょう) 音絶えて
なにすすり泣く 浜千鳥

瀬田の唐橋(からはし) 漕(こ)ぎぬけて
夕陽の湖(うみ)に 出で行きし
雄々しき姿よ 今いずこ
ああ青春の 唄のこえ

比良の白雪 溶けるとも
風まだ寒き 志賀の浦
オールそろえて さらばぞと
しぶきに消えし 若人よ

君は湖の子 かねてより
覚悟は胸の 波まくら
小松ケ原の 紅椿(べにつばき)
御霊(みたま)を守れ 湖の上

メロディーは琵琶湖周航の歌とおんなじですが・・・


この四高漕艇班の遭難は世間を騒がし・・・

(高島市HPより 四校桜の説明文)

昭和16年4月6日に大溝沖で遭難した、旧制第四高等学校(現・金沢大学)の学生を追悼する意味で誕生したものです。

四高の漕艇部は、昭和15年に大津の瀬田川で行われた全国大会で優勝をおさめ、

16年の春は連続優勝を目指して湖南で合宿練習をしていました。

そして合宿 の総仕上げとして琵琶湖の縦断をすることになり、大津から今津へ向かい、

2泊した後、大津へ戻るために4月6日の朝、今津を出発したのでした。

通常は波の 穏やかな日が多い琵琶湖ですが、この日は比良連峰から吹き下ろす風が予想外に強く、

漕艇部員11人を乗せたボートは、現在の萩ノ浜の沖合1.5(キロ)メートルの 地点で転覆してしまいました。

この知らせを受けた地元大溝の警察・役人・漁業関係者らは、四高関係者らと協力し、

必死の捜索活動が行われましたが、捜索は難攻し、

最後の遺体が発見されたのは、2カ月あまり後の6月10日であったといいます。

大溝では百ケ日法要のときには供養のために町内の各戸が1個ずつ灯篭流しを行い、

翌17年の1周忌には妙淋寺で法要が営まれました。

また、湖岸に は四高関係者との協力によって千本の桜の苗木が植えられました。

四高桜と呼ばれるこの桜並木は、長い間、関係者らの手によって守り続けられ、

昭和60年に は関西四高会の呼びかけで「琵琶湖四高桜保存会」が結成され、補植等が行われました。

近年には、道路の拡張等で少なくなった桜に代わり、新しい苗木を植え る活動も盛んになりました。

四高桜はこうして今も、多くの人に守られ、育ち続けています。


という事で・・・

四高漕艇班が遭難した4月6日、四校桜を見に行こうと思っています。

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ご来光

2018-08-15 05:07:31 | 青春の思い出
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三日会わざれば刮目して見よ!

2018-03-29 19:41:22 | 青春の思い出
「男子三日会わざれば刮目して見よ」ということわざ通り

ほぼ10か月ぶりに会った優貴君は天女よリ背が高くなっていたばかりか少し大人びていてウルウル


そして、泡の湯に泊まって帰って来ると(4日ぶり)庭の草木もびっくりする程の変化がありました。

一番の喜びはこれ!

3月20日 雪の山



慎重に雪を掘り起こしました。



ここにプランターを置いていたのです。



周辺部が雪の重みで折れ曲がっていますが、下まで割れていないので中の土は大丈夫でした。

上の雪をさらに慎重にさらって・・・



土が雪に着いて来るのでこのまま玄関先の日当たりの良い場所に移動しました。

プランターはもう一つ



あ~あ、これも壊れています。



雪を少し残したままで玄関先へ移動

翌日には雪が消えたのですが、発芽は無し・・・


素人には無理なのかも?と思っていましたが、本日帰って来ると!





ワーイ!芽が出ています!



何度も何度も数を数えましたが・・・

毎回違っていて・・・


でも2つのプランターで30本前後芽が出ている事は間違いないと思われます。

これは「行者ニンニク」!

一つは我が家で花が咲いて出来た種、もう一つはドサンコさんから送って頂いた種ですが、どちらも発芽しました。

行者人ニンニクは成長が遅く、食べられるようになるのは6~7年後らしいのですが、とりあえず第一歩。

もっともっとたくさん芽が出てきて無事に成長してくれますように!
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昔の手紙

2018-02-11 20:33:13 | 青春の思い出
錆鉄人にとって青春の一番の思い出は高校1年生です。

井波先生という素晴らしい先生と、

大学を卒業した1976年以来、未だに4年ごとにクラス会を続けている同級生たちとの思い出です。

錆鉄人は三学期通してクラス会長(級長)だった関係で「万年幹事」を務めていますが、

先生は1995年に享年52歳で亡くなられてしまい、

クラス会は1回中止したのですが、みんなから要請されて復活させました。

先生が亡くなられた時、同僚の先生たちが追悼集を作ろうと立ち上がり、

錆鉄人も編集委員を命じられ、

みんなから想い出を募集して、編集会議に出て、出来上がった本を出来るだけたくさん売って赤字を少なくする役割を務めました。

確か1冊2800円だったと思いますが、

錆鉄人は福井県内の同級生には本を持って直接「押し売り」に出かけ

(他の人たちは定価で買ってもらっていたようでしたが・・・)

「赤字だから1万円出して!」とお願いして、ほとんどの人が1万円出してくれ、28万円程集めました。

県外の人にも同様の事を書き、買ってくれた人は1万円送ってくれたはずです。

(郵便振込で本部に送られたので詳細は不明)


その時にもらった返事や本を送った後にもらった手紙が今日ひょっこりと出てきました。

クラス会の資料や写真、想い出として送ってもらった文章などはまとめて保管しているのですが、

なぜか5~6通の手紙が違う所に紛れ込んでいたようで(錆鉄人は「片付け」が苦手なものですから)

書類の片づけをしていた天女が「こんなものがありましたよ」と言って渡してくれました。


断捨離というのが流行っていますが、錆鉄人は死ぬまで想い出を捨てたくないのでスキャンして保存しました。

という事で、パソコンが壊れてもブログから復活出来るようにアップする事にしました。













なかには死んでしまった人もいて・・・複雑な気持ちです。


胸を張って先生にあの世で出会えるような生き方をしたい、と改めて思いました。


先生のお母さんは40代で亡くなられ、先生は52歳で亡くなられ、

先生の2人の娘さんも先生の亡くなられた年齢に近くなってきたけれど、2人には幸せに長生きして欲しいものです。
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