今回の山陰旅行で、天女は名古屋時代の恩師に逢いに行きましたが、逢えませんでした。
これまでに何度も一緒にご訪問していましたが、
数面前に病気になられ、天女に逢いたい、逢いたいという強烈なラブレターを頂き、
旅行の際にご訪問しました。
その時、先生はは死を決意されていたのか、形見分けのように本を数札頂いて帰りました。
だんだんと先生のご病気が悪くなって、車椅子生活になっている事は知っていたので、
天女は、先生も衰えた姿をみられたくないだろうから・・・と言ってお伺いしないと言っていたのですが、
米子に近付くにつれ、やはりお逢いしたいと言ってお伺いしました。
やはり、先生もそのように思われたみたいで、天女は先生にお逢いできず
奥様と長い間お話しをして帰ってきたとの事でした。
という事でしたが、
一昨日先生からお手紙が届きました。
体調が悪くて寝ていて、老残のわが身を晒す恥ずかしさもあって逢わなかったけれど、
逢えば良かった、逢って天女の手を握れば良かった・・・
とお詫びの手紙でした。
そして、最後は「大好きな○○○○様」と書いてありました。
うまく言えませんが、
2人がいつまでもいい想い出をもって生きていける事って素晴らしいと思います。
これまでに何度も一緒にご訪問していましたが、
数面前に病気になられ、天女に逢いたい、逢いたいという強烈なラブレターを頂き、
旅行の際にご訪問しました。
その時、先生はは死を決意されていたのか、形見分けのように本を数札頂いて帰りました。
だんだんと先生のご病気が悪くなって、車椅子生活になっている事は知っていたので、
天女は、先生も衰えた姿をみられたくないだろうから・・・と言ってお伺いしないと言っていたのですが、
米子に近付くにつれ、やはりお逢いしたいと言ってお伺いしました。
やはり、先生もそのように思われたみたいで、天女は先生にお逢いできず
奥様と長い間お話しをして帰ってきたとの事でした。
という事でしたが、
一昨日先生からお手紙が届きました。
体調が悪くて寝ていて、老残のわが身を晒す恥ずかしさもあって逢わなかったけれど、
逢えば良かった、逢って天女の手を握れば良かった・・・
とお詫びの手紙でした。
そして、最後は「大好きな○○○○様」と書いてありました。
うまく言えませんが、
2人がいつまでもいい想い出をもって生きていける事って素晴らしいと思います。