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「 悠久の森 」

2013年06月13日 | 環境 -

一般的に、健康的な木は、コケでおおわれている。

ブナに代表されるように、水分をたくわえた 木や 土壌は、
数百年・数千年という時を経て、美しい造形をつくりだす。

そこには、“ 人間が よごしていない風景 ” が ある。





悠久の森

  この写真の場所は、 街の中心部から、遠く離れている。
  原生林の中に残る 「 数百年前に人間が住んでいた住居跡 」。
  300年以上ぐらい前には、人々が自然と共に暮らしていた場所だ。

  人の気配がなくなって、長い時間が経ってくると、
  豊かな生命力を持つコケやツタ、様々な植物が、 遺跡を
  違った景色に いざなっていく。
   手前のこんもりした部分は、石を盛り上げた 塀 か 要塞 のような部分だ。



果てしなく長く続いてきた時間が、 “ 自然の造形美 ” を
つくりあげているのだ。



食品についている 「防ばい剤」

2013年05月25日 | 環境 -

私の “毎朝の日課”、 空腹時の フルーツによる ビタミン摂取!


最近、やっと 「 防かび剤 」 や 「 防ばい剤 」 の成分表記が
されるようになってきた。

店頭でバラ売りをする食品については、食品衛生法上における
表示の義務がないけれど、「 防かび剤 」 については、表記する
義務があるからだ。

「 防ばい剤 」 として表記するのは、イメージの問題だろうが・・・
「 防かび剤 」 と全く変わらないものである。



外国産のレモン・オレンジなどのかんきつ類や バナナなどは、
長時間の輸送貯蔵中に カビが発生する。
その発生を防止するために、 収穫後に使用される薬品・農薬を、
日本では 「 添加物 」 として規制しているからだ。




今朝は、レモンをメインに、皮ごとフルーツ ジュースにした。
シンプルに、レモンの “ 美味しい香り ” を 楽しむためだ。

いつものように、レモンを磨くために、( 台所洗剤は使わず )
メラミンスポンジ を 細かく切って、水を出しながら、丁寧に
レモンの周りを磨いていった。
すると・・・ 何も嗅げなかったレモンの皮から、独特の香りが
漂ってきたのだ。
「まさに、檸檬じゃん!」
さらに、丁寧に、磨いてから、皮ごとジュースにして頂いた。


非常に怖いのは、“ 有毒な 「 防かび剤 」 ” を、知らないうちに
体内に入れることだから、とにかくそれだけは気をつけている。


外国産の食品は、とても安価だけれど・・・ 
輸送時間をかけても 問題ない食品を選んで 買うことが大事なのだ。
そして、何よりも重要なのは・・・
それらに使用されている薬品や農薬に、気をつけることが必須だ。

石垣島と西表島の間で

2013年05月20日 | 環境 -

今朝も、5時に目覚めて、空気交換をして、
今日のスケジュールを確認しているところだが・・・

こういう少し肌寒く、そぞろ雨が降っている日は、
外出意欲が そがれゆく自分を感じる。




明るい気分を盛り上げるかのように・・・
仕事で毎週のように通った 「ある夏の出来事」 を思い出す。

輝かしい太陽に照らされた 美しい海の色と、
雄大に泳ぐ 「マンタ」。

 「皆さんは運がいいですねぇ。
  毎日、通っても見られなくて、
  あきらめて、帰る人もいるのに・・・」


メンバーの一人が、ボートから私服のまま、海に飛び込んで、
マンタと一緒に泳ぎ出した興奮のひと時!
すると、次々と、私服のまま、飛び込む “やから” が・・・。
マンタと一緒に泳いでいるコバンザメも悪さをしないので、
彼らの爽快感は すごいものだったようだ。


自然は、奥が深い・・・というのは知っているけれど・・・
マンタが、同じ環境で、ずっとずっと生きながらえることを
祈らずにはいられない。
あの美しい海の透明度と、我先にと 雄大に泳ぐ マンタは、
あの海を魅了していた・・・。

中国の 「 深刻な大気汚染 」

2013年03月05日 | 環境 -

お隣の国のことだ。
もし万一 何かがあったら、余波を受けてしまう地理関係ゆえ、
最悪の事態がおきれば、日本は即座に対応措置ができない。

隣人を敬い、仲良くするというのが当然のことだと理解していても、
過去の歴史問題や、領土問題等の 「課題となっている政治交渉」 が
双方の間には、たくさんある。

現在、中国で、大きな健康弊害としての大気汚染問題が深刻化してきた。
これは、美しい草原で、深呼吸をしていると、真隣で煙草をぷかぷか~と
吸われているような状態――を、私は イメージしてしまった。
煙草なら、数分で終わってしまうけれど・・・
中国の大気汚染は、そういうわけにはいかない。
先のケースでは、煙草を吸う人が、ひっきりなしに(絶えず)火をつけて、
自分の周囲360度を囲んでいるようなものだ。
近隣諸国ということは、そういうことだと思う。



1ヶ月前に、日本の国立環境研究所では、全国の観測地点155ヶ所のうちで、
「48ヶ所で基準値を超えるPM2.5(微小粒子状物質)を観測 」 と発表!
特に、中国に近い西日本地域において 高い数値を確認したようで、これは・・・
中国本土からの 「 越境汚染が原因だ 」 との見解らしい。
しかし、実際には、西日本のPM2.5数値は、前年の同時期と大差はなく、
しかも“過去のデータを超えていない” ということのようでもある。
詳しくは、私もわからない・・・。


    実際、東京都と愛知県名古屋市は、PM2.5濃度値が
    数年間連続で基準を超えている。
    1990年代、東京都の喘息患者と慢性気管支炎患者は、
    東京都と自動車メーカー7社を相手取って訴訟を起こし、
    2007年にようやく和解した。
    環境省は、以前に、日本国内のPM2.5について、
    発生原因は不明だと釈明している。


過去に国内で発生した原因を不明だとしながら、最近になって、その責任を
すべて中国に押しつけることは、中国の対応と同等レベルになってしまう。
根拠のない事実だと言われかねない。

もちろん、隣国ゆえに、影響がないとは断言できない・・・と、強く思う。
今後、日本各地で、大きな影響を伴ってくるだろう。
測定数値も、明らかに違ってくるに違いない。
そんな確固たる想像も容易だ。

すでに、中国の余波を受けて、充分なる注意をしている地域もあるし、
隣国からの濁った大気の流れに、確実に弊害を被っている地域もある。
黄砂などもそうだが、本当に 心が痛い現実だ。
だからこそ、慎重なる現状把握が必要だと思う・・・。



  


日本の学者は 「東京都内でPM2.5が発生する原因は2つ」と分析している。
1つは「関東6県の自動車排ガス量の多さ」である。
そして、もう1つは「工場の大気汚染」だ。

中国ほど酷くはないが、東京の大気は、明らかに汚れている。
事実、地方から帰った時の空気の匂いや曇り具合・・・「清々しい」とか
「空気が美味しいか」 ということを考えれば、結果は歴然としている。

東京の空は、濁っているように見える。


 


日本のメディアは大騒ぎのようだが、中国の大気汚染だけを理由として、
隣国を非難するだけにとどまらず、原因を究明し、問題を解決するべく、
もっと取材をして、具体的に報道をしてもらいたい と 思うばかりだ。
現実は現実として 事実だとしても、そのニュアンスと、厳密な現状は、
全ての国民が知っておきたい情報だ。


近い将来、隣国では、「水」のシリアスな問題もでてくるだろうし、
環境汚染は歯止めをかけるのが、大変難しい。


地球は、繋がっているから、・・・空も海も、境界線などない。
たとえ、あったとしても、無意味なものとして存在する。
国連が環境会議を開催しても、全ての国が賛同してくれるわけでもなく、
経済成長が第一だと判断する国にとっては、目先のことしか問題にしない。


地球は、ひとつ!
大気、海水(水蒸気)、微生物や放射線も、常に循環して、流れていく・・・。
全ての国が繋がっているということを、改めてイメージしてほしいものだ。

「冬至」 からはじまる 「寒さ」

2012年12月21日 | 環境 -

12月21日は、「冬至」。
1年で昼の長さがもっとも短い 「冬至の日」。
東京では、日の出が朝の6時46分頃、
日の入りが16時33分頃で、
昼の長さは、9時間47分頃―。

昼が短いだけではなくて、
昼間の太陽の高さも、1年でもっとも低い。
だから、日ざしが弱くなる。

これらが、寒くなる理由の一つでもあるそうで・・・・。
とにかく、昨日も、今日も寒い。
明日は、雪マークだらけ。 ちょっと心配!


北海道の十勝かな?
突然、雪の中の露天風呂を思い出した・・・。

熱い時に、雪の中に飛び込むサウナ式露天風呂。
すごい醍醐味だったなぁ。

小さな、小さな 「 紅葉風景 」

2012年11月11日 | 環境 -

2012年、秋・・・
我が家のベランダから見える風景です。

もちろん、色づいているけれど、本当はあまり綺麗じゃない。
不安定な気候からくる温度差が、原因だろうか・・・。

昨日も、散歩していて、まじまじと眺めてみると、
色づく前に、先の方から枯れていってしまっている・・・。

でも、この風景には、いつも助けられているから、有り難い。
昨日、撮影すべきだったなぁ・・・青空だったのに。

色づく 「紅葉」 の美しさ

2012年11月03日 | 環境 -

紅葉は、たまらない。

季節を感じると同時に、環境にもすばらしい効果を与える。

まっすぐに伸びた、成長の早い杉ばかりの国有林を見ると、
何故か「経済効率優先主義」の日本の浅はかさを感じる。

重商主義は、いつか限界点が見えるだろう・・・。

国土の67%が森林であり、そこではあらゆる営みが行なわれ、
人々にたくさんの恵みを与えてくれている。
そういう基本的なことを無視していく決定事項は、この国に
暮らす人々のQOLを下げていることになるからだ。




日光は、両親を招いて、20代の頃に旅をした場所であるが、
友人とも何度も足を運んだ場所だ。

近しい友人と車で旅をしたところでもあり、
スイスから来た外国人を連れて行った場所でもある。


「思い出がつまった場所だなぁ~」 と、
今年も美しく色づいた光景に、密かに感動して・・・
自然の偉大さを感じる。

また、行ってみたいけれど、混雑しているかな?!


いろは坂のつづら折りは、上空から見ると、すごく面白い。
車に乗っていると、ジェットコースターみたいなんだけれど(笑)。
こんな風になっていたんだぁ~と、改めて感じた。

和名 「 さるすべり 」

2012年10月18日 | 環境 -

雨の公園を、少しだけ歩いた。

用が終わってからの散歩は、清々しい・・・とも言える。

頭にひっかかっていたことを片づけた後だけに、
少しだけ心が開いた感じがした。


今日、特に 目を引いた樹木。
熱帯や亜熱帯地方の出身なのに、
日本庭園に落ち着いて映える 「サルスベリ」。

幹の成長によって、古い樹皮が剥がれ落ち、
新しいすべすべした感触の樹皮が表面に現れてるので、
とても独特な雰囲気を持っている。
猿が登ろうとしても、滑ってしまうということが、
和名の語源らしい。
実際、猿は滑ることなく簡単に登ってしまうらしいが、
なんとも面白い。
風情もあった。

今日の好感度一番・・・雨に濡れた「さるすべり」の樹。

アレルギー人間の増殖

2012年10月10日 | 環境 -

理由が「環境問題」だけでは片づけられない。
遺伝的な要素や、突発的な要因もあるから・・・。

けれど、過去の日本には、アレルギー体質の人はいたが、
これほどまで多くの人がアレルギー反応をしてはいなかった。
現在、全人口の48%の人が、何らかのアレルギーを持って、
日々、この国で、生活をしている。
それが、あと20年経ると、98%近くに跳ね上がると
言われている。
花粉症だけではなく、食物アレルギー、科学アレルギー等
すべてを含んだ予想数字だそうだ。



かつての死因の原因が、結核病だったのが・・・
現在は生活習慣病が上位三位を占めている。
昔は 名前さえもなかった「がん」という病気は、まさに
一時代は(結核と同じように) 「死の病」と言われた。
現在は、結核も癌も、“治せる病気” として定着したが、
こうして、日進月歩しながら、時間は過ぎていく・・・。
摂取食物や生活環境の変異で、かかる病気も変わるのだ。

 

一般的に、アレルギー反応は、思っているよりもシリアスで・・・
食物アレルギーは酷くなれば「死」を意識するぐらいの状態を
引き起こすことがある。
蕎麦、卵、小麦粉、などなど、たくさんの食物に見受けられる。
怖ろしいことだ。
昨年は、小麦粉を食することが多いパン主食の国で、多くの人が
小麦粉アレルギーだったことを知り、とても吃驚した。
それと同じように、日本で大昔から食べられている蕎麦も、また
同様に、(人によったら)大変厳しい反応をもたらしてしまう。



私は、今年・・・アレルギー性の咳喘息という病気を経験し、
医師に言われたことが、とても気になっている。
「喘息患者は、線香とかを嗅いで、息ができなくなります。
 そういうこともありますから、とにかく気をつけて下さい。
 線香の香りには、近づかない方がよいかもしれませんねぇ」
大げさに脅かして、請求書の点数を加える医師だったので、
心から信頼はしていないが、もらった情報は嘘ではないと思うと、
自宅にある線香も、火をつけることが少なくなった。
体力低下が原因としても、とにかく、綺麗な空気を求めて、
且つ、ストレスをためず、生活することが何よりだろうと感じる。
でなければ、抵抗力がなくなり、病気をまた受け入れてしまう。


ただ、心しておかなければならないのは、私がアレルギーを
持っている人間だと、はっきりと自覚しておくこと―。
ほこりや、カビ菌を、咄嗟に判別できるようになったのは、
そのためである。
不快だし、酷くなるとミズバナが でるようになる・・・。
そんな自分の傾向を知りつつ、危なげなところでは警戒心を!
とか思いながら、過日はしっかりと善光寺で、線香の煙を
あびてしまったし、・・・(笑)。
・・・それも「自分から浴びに行った」わけですがぁ・・・。


まだ、軽い状態だということを有り難く思いながら、綺麗な空気、
綺麗な日本を探し求めていくぞ・・・という意識が強い。
反応するものは止められないが、さらに軽くすることはできる。
それを心していれば良いのだと思う。

長野駅に クマ出没事件

2012年10月06日 | 環境 -

過日、私が行った善光寺の辺りに クマが出没して、
長野駅の在来線ホームにも 出没したらしい。
ほんの少しの「すれ違い」だった。

各所で発見されたクマは、射殺されてしまい・・・
今朝の新聞に、無残な姿で新聞に掲載されていた。



長野の住民は、彼らのエリアに、まるでフツーのように
クマが出没したことで、「不安を感じている」という。

今までにない状況に、誰もが戸惑っている。
何が原因なのだろう。
今年の山には、餌が少ないらしい。
どんぐりなどを求めて、冬眠の準備に入る頃には、
クマは食べ物を求めて、活発な活動を繰り返す。

人間の食物の味を(一度でも)覚えたクマは、山に餌がなければ、
山里に降りてくるようになるが、まさか長野駅のホームとは・・・。

クマも、経験に基づいた判断ができなくなったのだろうか。



人間もそうだけれど、親に教わり、「おかしくない」と
思っているクマには、善光寺の参道辺りに出ていくことは、
何も違和感がないのかもしれない。
そこには、残飯になるような、手軽な餌があふれている。
匂いをたどっていけば、それは明確にわかることだ。

しかし、「しかし」である・・・。 それにしても・・・

とにかく、昔では考えられない事態になってきたようだ。



私は、新聞を読んで、ニアミスのようなタイミングに
とても驚いたが、さして恐怖や不安は感じなかった。
自然界に、犬がいるのと同じように、クマもいて当然!
しかし、クマは人を恐れているはずで、人もクマとは
会いたくないのが当然だったはずなのに・・・
なぜ、このようなことになってしまうのだろうか。
そこが、とても疑問である。

完全に善悪の判断がつかないクマの世界に、必要以上に
人間が介入してはいけない。
そうすると、熊たちも「わからなくなってしまう」からだ。
昔は、ちゃんとクマのエリアと、人間のエリアでは、
線引きがなされていて、餌も生活も、ある距離感を保ち、
問題が起こることはなかったのに・・・・。

実際、森が少なくなって、餌になるコナラやブナなどが
伐採されているのは、昔とは違う変化ではある。



このようなニアミスは、私の身によくあることで・・・
「またか」的な感想を持つことが多い。
ロンドン時代も、ビクトリア駅から発車するバスの一つ違いで
大きなテロ(大爆破事件)が起こって、新聞の一面を飾ったが・・・
あの時も、この命を拾っている。
こういうことは、今まで何度もあって、不可思議なニアミスは
よくあることのように感じている。

私の命が、この世に産まれてきたこと事体、何らかの “力” に
押されてのことだとしか思えないがために、そういうことには
驚かなくなった。 それが、私である。

思い起こせば、出会うべくして、出会う人がいたりして・・・
私はそんな偶然に、いつも恵まれているし、心から感謝もしている。




山によく行く私には、クマと出会うことも、いつか必然として
起こることのように思うし、不可思議なことだとも思わない。

ただ、今回の長野駅・善光寺への出没は、フツーではない事態だ。

フツーではないからこそ、クマの言葉も聞いてあげたくなってくる。
「君たちの世界では、どのような問題が起こっているのか?」
「私たち人間と共存していくうえで、何が必要なのか?」・・・・・と。

台風と共存する日本の空

2012年10月04日 | 環境 -

今週は、台風18号と、台風19号の間で、生きている。

雨に降られ、風に吹かれ、その間をかいくぐるように
日本を旅してきた。

今朝の空は、とても空気が綺麗で、素敵な青空。

旅の途中にも、あまりにも美しい「ブルースカイ」を観て、
心が和んだことがあった。


人間の生活は、湿度や温度、環境に影響をされる。
そして、目の前にいる人にも・・・・。

そんなことを感じた旅になった。


GW中の記録的 「大雨」

2012年05月03日 | 環境 -

今日は、GWに水をさすように、観測史上最高の「大雨」が
降った一日となった。

特に関東地方は、ものすごい大雨が、未明から降り続き、
とんでもない雨量になったようだ。

去年、今年と・・・どんどん「予想できないこと」が、
あるいは記録が塗り替えられるような出来事が発生している。

地球のどこかに、大きな変化が、微妙な状態で存在して、
人類である私たちは、まだ気がついていないだけ・・・
そんな空想をしたりするぐらい・・・日々のニュースは、
驚くことが多い。
また、不慮の事故が、重ねて起こっている。
心がすさむ現実が続いているのだ。
一時、落ち着いていた人身事故も、少しずつ増えてきている。


今日は、避難勧告を受けて、土砂崩れがひどかったりして、
ある地域の人々は、まるで貴重な連休にもかかわらず、
遊びや休みの喜びとはかけ離れた「洗礼」を受けている。
宮城・福島などの東北地方には、土砂災害の警報も出て、
これから注意を呼び掛けられている。


今年は、「浮かれてはいけないよ」「少しは考えて!」と
言われているような印象がする。
連休の後半は、「ちゃんと考えてくれた?」「じゃあ、ね、
お天気も回復してあげようね」・・・って!


この夏も、何か、信じられないようなことが起こりそうだが、
それ相当のことがあっても、キモがすわってきたのが都会人。
首都直下地震の情報や、東電の問題、東北の復興問題から、
政治の世界のトラブルまで・・・・
日々の“あらゆるニュース”に、驚きは隠せない。


昨年と、今年・・・・
いろいろなことが、私の周囲でもありすぎて・・・、地球からの
メッセージも、少しは受け取れる状況にある。
そんな精神状態に、なりつつあるということだ。



でも、本当に、いろいろな人が存在するこの国には・・・
共有できることは限られてくる。
そういう時の私自身の気持ちのコントロールの仕方を覚えないと、
ストレスがたまる一方だ。

賢明な生き方を模索して、自分らしい選択をしたい。
そんな気分と、向き合いながら、今日一日の振り返りをしている。



都内からセシウム検出!

2012年01月21日 | 環境 -

昨日は、福島第一原発の四号機に異変があるという・・・
そんな情報があって、密かに“ざわざわ感”が ただよっていた。

また、その一方、東京都下にて「セシウム」が検出されていて、
その理由としては ガレキの焼却などもあげられている。
その量は、日常では考えられない数値だと言っておこう。

最近の「雪」や「雨」を、そのまま身体に受けることは、
かなりのリスクを 知らず知らずに 受けているのかもしれない。


ガレキを焼却するときに、空中に放射能を噴出していけば、
除染を繰り返したとしても意味がない。

福島だけではなく、これは全国での問題になってしまった。



日本が「放射能汚染」と「被ばく被害」に侵されている時、
何が安全で、何が危険なのかの線引きが 難しくなった。

もちろん、福島第一原発の四号機の不穏な情報などは、
まだマスコミは取り上げてはいないし、確証がない状態ではある。
しかし、「何かが起きた後では、遅いのだ」ということを、
私たちは覚悟して、現実を受け取っていかなくてはならない。


特に、若い世代の人々や、子供たちには、
被ばく量を少しでも減らしてあげたいと、心から思う。




   いつも時々出かけていくお蕎麦屋のご主人が、
   「明日も雨? 雪かぁ? まいったなぁ~~」と
   頭を抱えていた。嘆息の声が、店内に響いた。
   お天気によって、売り上げが かなり違うようだ。
   私は、全く同じことを感じたが・・・
   理由は完全に違う観点(理由)からだった。
   そこの天ざるは、定期的に食べたくなる。
   大きなエビも二尾、野菜もふんだんで、
   てんぷらの油配分がちょうどよい。
   蕎麦も、なかなかのものだ。
   今日は、久しぶりに食べられてよかったと
   気持ちよく素直に思って堪能した。
   食べられる内に、こうして食べておこうと・・・
   マジで感じる自分がいた。



タイの洪水被害

2011年10月18日 | 環境 -

豪雨や、異常気象・・・。

昔のように驚かなくなったとはいえ、やはり・・・
今年もどんどん続く・・・突然の「自然災害」ニュース。

タイの洪水が、ひどい被害状況のようで、
ワニなどが逃げ出し、大きな問題になっているようだ。
また、経済効率の観点から、日本企業の工場も多く、
そういう部分でも被害は多い。


洪水は、バンコクにもおよび、まだまだ予断を許さない
状況らしい。

昨日、ある記事を読んだ。
切実な水害にも関わらず、笑顔を絶やさないタイの
人々についてのものだ。
さらっと「ひどいねぇ」と現実を受け止めているらしく、
これも国民性かと・・・感じ入ったところだった。


タイには、チェンマイの奥地から首都バンコクまで、
多くの都市を訪ね、長期滞在したことがあるので、私自身は
なんとなく身近に感じている。

当時、有名ホテルだったオリエンタルホテルに出向いて、
「三島由紀夫さんの常宿だったんだって!」なんて話しながら、
川沿いのレストランで、時間を忘れて、ぼ~っとしていた。
そのことを思い出す。
あの場所は非常に快適だったが、
すぐそばに川があって、あの堤防を濁流が越えてきたら・・・
そう思うと、タイのいたるところの風景が思い出されてきた。
とにかく、運河や水路が多い都市構造の国だから・・・。



歴史や仏教文化と共に、人々のおおらかさが育まれた国。

美味しいタイ料理に舌鼓を打ち、初めてゾウの背に乗って、
楽しい経験をしたのも、この国だった。

タイ全土の雰囲気が観光資源のような印象を持たせるため、
いろいろな素晴らしい特徴を無くしてほしくないと思う。


それにしても・・・
このような世界的な異常気象は、様々な弊害をもたらす。
それにも屈することなく、頑張れる国―タイの人々。



我が実家を襲った70年に一度の堤防決壊を思い起こしながら、
水害にやられた部屋の中を想像する。
床上浸水は、とにかく「水がひくのを待つ」のがスタートだ。

地面のみえない風景を見ては、「天」がもたらす自然現象を
ただ受け止めるしかないが・・・
暴動が続いた最近の情勢の中で、久しぶりに「暴動がない国」を
あらためて知り、共感を感じずにはいられなかった。

祈りの気持ちを、タイに向けておくりたい。



自然に対する畏敬の念

2011年04月15日 | 環境 -

最近・・・
打合せ前の会話は、現在、世の中を不安に陥れている「原発」関連か、
あるいは「東日本大震災」がらみの話題が多い。

そこで、相手からよく聞かれる言葉(表現)は・・・
「結局、人間は、自然を打ち負かすことができなかった、ということだよね」
ということだ。
何気ない言葉だが、私はこれを聴くたびに、哀しくなる。
そもそも、「自然」というものは、人類が競えるものでもないし、また同様に、
「打ち負かすなどという考えそのものが、傲慢である」と思っている私には、
そんな思考回路そのものに、違和感を強く感じてしまうのだ。



自然によって活かされていて、自然によって数多くの恩恵を与えられていながら、
全く“その事実”に対して敬意と感謝を感じていないというのは、横柄だと思う。
最大限に、自然から頂けるものを奪い取っておきながら、人類は容赦なく、
欲を膨らませていき、科学という文明によって、自分たちの都合の良い世界を
どんどんと つくりだしてきた・・・。
これが、現在までに至る軌跡(現実)である。

今、多種多様な“小さな疲弊した害”が現出してきているが、それには目もくれず、
さらに拍車をかけて、「便利で、都合の良い環境」を構築するために、一部の人は
世界的なネットワークをもって、密かに(秘密裏に)計画を進めている・・・。
それを批判しているのではないが、疑問を感じてしまうケースが存在するのは事実だ。



人間は、本来、自然や宇宙に対して「畏怖の念」を抱いてきた。
原始的ではあっても、そのような気持ちは、傲慢になりかけたときに、人類にとって
ストッパーの役目を果たしてくれる重要なものだったとも感じる。
人間の力は、自然の力に比べれば、とても微量であり、はかないものなのだ。
そんな昔から解りきった摂理を乗り越え、変えていこうとか、操作しようとか・・・
そういう意識になること自体、非常に危機的な状況ではないかと、私は思う。

自然の中に生き、自然と共に暮らし、自然のモノを食べ、日々を共存・共栄しようと
努力してきた古来の人々と違って、現在はあまりにも生活環境が変わりすぎた。
もう歯止めはきかないし、後戻りもできないだろう。
しかし、だからこそ「今なのではないか」と感じる自分がいる。

今こそ、いろいろな意味で、人間が地球に生を受けて、無理のない暮らしをしていた
時代の「考え方」を見直して、そこから参考となるべきものを学ぶべきだと思うのだ。
当然、同じような考え方はできないだろうけれど、また同じような生活はできずとも、
私たちが「大いなる自然」を“打ち負かすという意識”にとらわれている限り・・・
シアワセな暮らしぶりを維持していくことはできない印象がしている。

地球の片隅に住まわしてもらっている人類の命もまた、あまりにも短く、はかない。
だからこそ、ひと夏の蝉のように、ひとしきり泣き続けてこそ・・・全うできるものが
あるのではないかとも思う。



私は、一生懸命にがんばっている人には、「がんばりましょう」とは言えない。
しかし、後悔を残さず、物事を過剰にマイナスに考えず、皆で一緒に「前を向いて、
すすむことのお手伝いはできるのではないか」と確信する。

自然を敬い、自然の驚異にさらされてきた日本列島に生きる民族だからこそ、何度も、
立ち上がってくることができた歴史がある。
それは、素晴らしいものだ。
今回の「東日本大震災」に関しても、ただ単に「天災」として自然に矛先を向けず、
“被害をこうむることなく、生きながらえた人々の問題”として捉え、そして、
よく考えて対処していくことではないだろうか・・・と強く感じる。
なぜなら、その背景には、あらゆる複雑化した社会構造が隠れ、それと同時に、
現代の人々の価値観がひそんでいて、被災地の人々の暮らしに影響しているからだ。
だから、「日本全土の問題として捉えなければ、未来はない」ような気がする。



何度も言うが・・・自然が悪いわけではない。
しかし、自然は、時として驚異的な力を見せつけることがある。
太陽、空気、海、風、雨、雷、山、川、湖・・・あらゆる自然の意図は何もない。
自然は、常に無関心に、人類に襲いかかってくるだけだ。
というよりも、その自然現象が、人間側にとって不都合だっただけのことだと思う。
それが、災害という枠の中に、押し込められてきただけのことだ。
従来の地球の循環システムを考慮に入れず、ただ“人間中心”に物事を判断すれば、
都合の悪い自然現象は「災害」ということになる。
私たちは、だからこそ、自然に対して理解のできない何かを感じることがあるのだし、
太古の昔から「畏怖心」や「畏敬の念」を抱き続けてきたのだと思う。
そんな気持ちや姿勢を忘れた時や、時間の経過とともに傲慢な意識にとらわれた際に、
自然は圧倒的な力を見せつけるもののようだ。

自然に対する認識や、人間社会と自然界の関係については、個々の人々が、改めて
考えを深めて、今後の生活に反映させて、より良き人生観をもつための「起点」と
なってほしいと思っている。
私もまた、今・・・、一つ一つの現象と向き合いながら、自分の中で、認識を深めて
いるところである。
いつか、素敵な精神世界に到達できることを願いながら・・・・。