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「時間」という壮大な繋がり

2015年02月05日 | 言葉 -

時間の価値を知れ。
あらゆる瞬間をつかまえて 享受せよ。
今日出来る事を 明日まで延ばすことはするな。


< by チェスターフィールド >


 


今年になって、「 時 間 」 の概念を感じることが多い。
日々の積み重ね・・・ という言葉に表される概念だ。

少しだけ微妙に違うのは、
時間が過ぎていくのは当然なのだけれど・・・
過ぎて行っているのは、時間よりも 自分だということ。
常に自律的な考えを基本とすると、そのような構図になる。

365日、24時間の一日の中に、
どれだけ 「 自分らしく 建設的な時間を 過ごすことができたか 」。
そんなことを、おぼろげに感じる。


安易な道はない!

2014年08月13日 | 言葉 -

There's no royal road to learning.

「 学問に王道なし 」


  

「 royal road 」 は、「 容易に手に出来る方法 」 とか、
「 近道 」 とも解釈できるので・・・
やはり、そういうことなのだ。

ぼたもちが 落ちてくる棚は、めったにはない。


生涯を通して、学びの姿勢と、真摯な心根を持って、
社会と関わり続け、繋がり続けることは、たやすいことではない。
だからこそ、 「 価値あることなのだ 」 と、強く感じる。


「思慮ある人々」 の 心情

2013年09月01日 | 言葉 -

Caged birds accept each other but
flight is what they long for.



   籠の中の鳥たちは、お互いを受け容れて 仲良くしているが、
   本当は 飛び立っていきたいのだ。

     < テネシー・ウイリアムズ : 米国 劇作家 >




自分を取り巻く 環境や しがらみから 脱却したい と 考えている人は、
多いのではないか と 思う。
社会の秩序や、常識観念から・・・あるいは、己の仕事の責任から・・・
ぞれぞれの人が ( 日常的に ) 手にしているものは測り知れない。


いつかは、自分のカゴの中に戻らなくてはいけないと解っていても、
拘束や 束縛を 感じる “ 何か ” から 「 解き放たれたい 」 と
強く願うこともある。

しかし、飛び立ったとしても、どこへいけるのだろうか・・・ と、
思慮深い人は 考えてしまうのではないだろうか。
実際、慎重であるということは、自分を守るという観点では長所だ。


          


しかし、たとえ、つかの間の開放であったとしても、 それは・・・
活力や覇気を取り戻す “ きっかけ ” になる。

心情的に 自由を楽しむ “ うしろめたさ ” があったとしても、
決して悪いことではないと考えて、 一歩踏み出す勇気があって
よいのではないかと思う。
それが、私の意見だ。


また、現実では “ 自由のない籠の中 ” でも、
“ 戻る場所がある ” というのは、個々の状況によっては・・・
安心で 幸運なことかもしれない。


「 気骨稜稜 」

2013年07月10日 | 言葉 -

誰にも、「 希望 」 というのには気が引けたとしても・・・
「 やりたいこと 」 や 「 願いたいこと 」 は あるはずだ。



< 願いが叶う待ち受け画面 >



気骨稜稜 ( きこつ りょうりょう )

「 一度、決めたこと 」 は、理由あって、決めたこと!
心に響き、行動に移せる要因があって、決めたこと!

だから、容易に、( 自分の中で ) 軽んじてはいけない と 思う。

自分が信念を守って、それを貫こうと努力していることだ。
勿論、他の何物にも屈しない性格があってのことではあるけれど・・・
それが 個性や 自分自身の一部として ( まるで発酵されるように ) 熟した時に、
やっと 勝負をしたり、希望を行動に移したり、
実なる飛躍を願うことが あるのだ と 思う。


事態対処法 ー 「 中 庸 」

2013年05月28日 | 言葉 -


人の行動において、
過ぎることもなく、不足することもなく、
平常の道をいくこと を 中庸 という。


 四書 ( 「論語」 「孟子」 「大学」 「中庸」 )
 一つである「中庸」 という書物の名前とは、関係はない。




中庸  の徳
どのような物事に臨んでも、どのようにでも変化することができて、
しかも常識に ずれないのが、「中庸の徳」である。

完全無欠でありながら ・・・
決して間違いがない―とわかっていながら ・・・
これを実行する人は、 少ないように感じる。



   世の中は ・・・ 情報 と スピード が ネックになって、
   人々は ・・・ ハイリスク ・ ハイリターン を 求めるようになった。
           ( 厳密に言えば、ローリスク・ハイリターン? )
   それが、現代の人々を支配するスタイルなのだろうか。
   その一方で、「平常でいること」 こそが、何よりも厳しく、難しく、
   そのために 事態の対処ができないことが多いのも事実だと思う。
   普段と変わらず、揺れ動くことのない心理状態 など、
   相当な人間力を備えていなければ、できることではないように感じる。
   だから、実行する人が 少ないのではないだろうか―とも思う。

成功する 「四つの 徳 」

2013年05月24日 | 言葉 -

子、子産を謂う。  君子の道、四つあり。

その己を行うや恭。    その上に事うるや敬。
その民を養うや恵。    その民を使うや義。


                     <公治長>


子産の行いは 君子にかなうものが 四つある。
自分自身の行いは あくまでもつつしみ深くて かたぶらず、
主君に仕えるには 尊敬を旨として 礼を失わず、
人民を養うのには 恩恵をほどこして 無理をせず、
国家の仕事に人民を使用するときには 農閑期をあて、
かつ公平にして 不平不満がでないようにした。



恭 ・ 敬 ・ 恵 ・ 義

子産とは孔子の弟子で、その徳の優れた部分をあげて、
称賛したのである。


「恭」 と 「敬」 は、処世術に欠くことができない。




自分の身を下品にせず、
悪い習慣に染まらず、
私利私欲にとらわれず、
高潔な志をもって世をわたっていくのが、
独立自尊の本当の意義である。



世間とまじわる時の精神態度、他人と交流するときの対処方法、
こういう基本的な姿勢が・・・現在の日本社会と からめて、
あらためて 胸を打つ・・・。
多くの人が 忘れてしまったことのように感じる・・・。

日本の政治家や官僚、有名経済人には、考えてほしいことばかりだ。


世の中の人々が受け入れてくれなければ、事業が成功することは不可能!
事業経営だけではない。
個人や関係性に置き変えたとしても、あらゆることに言えることだろう。
また、人は・・・(たとえどんな人でも)・・・それほど底浅くなく、
腹黒い 魂胆などは 見えてしまうものだと思う。




今の私が、このメッセージを受け取るのだとしたら・・・

とにかく行動が乱れないようにすること。
生活の基軸が放縦にわたらないこと。
言語も粗野にならないようにすること。



  ※隣の住人、若いお母さんの乱暴な言葉使いに辟易している。
   子供に対する影響を考えるにつけ、頭(心) が痛い・・・。

「 禍 福 」

2013年04月11日 | 言葉 -

「 禍福 (かふく) は 糾 (あざな) える 縄のごとし 」

                <史記(南越伝賛)>






人生は良いこともあれば、悪いこともある――という意味である。
まるで縄をより合わせたように、悪いことと良いことが入れ替わって
人生に起こってくる。
吉凶は、常に変転しているのだ。



悪い状況に焦点をあて続けていると、どんどんと悪い感情に支配され、
さらに痛みを自分自身にあたえてしまうことになる。
喜びを感じると、人は身体のいたる機能が働き、脳も活性化される。
そのためには、「自分が喜びを感じる時間を増やせば良い」。

ある意味で・・・・ 欲求不満だらけの人にとっては・・・
「今、自分が手にしているものだけでも、充分幸せである」ーと思うと、
少しは 豊かな精神生活が送れるような気がする。

   

多くの人が求める 「 進化 」

2012年12月18日 | 言葉 -
「 進化する 」 とは・・・・・


   ● 自己実現のために、より良い手段を、
     より容易に、獲得できるようになること。

   ● 生命が、物質の制約から開放されること。

   ● 生命が、より自由になること。

   ● 生命が、より生命的になること。



 


  
    だから、 「 進化 」 とは、

         「 自由を拡大すること 」・・・。

「 晴好雨奇 」

2012年10月28日 | 言葉 -

 
 「 雨 奇 晴 好 」 

  晴れても、雨でも、それなりに趣があるということ。

              <by 蘇軾 (そしょく;中国・宋の政治家&文学者)>


    「飲湖上初晴後雨」の「水光瀲灔(れんえん)として晴れて方(まさ)に好し、
     山色空濛(くうもう)として雨も亦(また)奇なり」 から





  蘇軾は、四川省の人で、唐宋八大家の一人である。
  詩や画や書にも、すぐれた人だったという。
  そういう文化的に素晴しい才能を発揮する人は、“達観している人”が多い。
  自分だけの都合で、物事を判断せず、自然の都合や地球の都合、はたまた、
  周囲の都合を加味して判断できる人だったのではないかと 想像する。

    

  蘇軾の出身地は、眉山(びざん)(四川省)らしいが、くしくも我が故郷・徳島にも
  眉山(びざん)という有名な小高い山がある。


conventional ideas

2012年10月17日 | 言葉 -

Men are not prisoners of fate,
but only prisoners of their own minds.


人は運命に 囚われているのではない。
自分の心に 囚われているのだ。


              < by フランクリン・ルーズベルト >



      



説明はいらない。
みんなに当てはまることで、自分にも言えること!



誰もが、“その身に、背負って 産まれてくるもの”・・・に、
気がついたら、束縛されていることがある。

まるで「呪縛」のように、潜在的意識の中で留まり、
こびりついているかのように・・・
日頃は表面化しなくても、何かが起こったら、前面に出てくるもの。 
そして、振り払っても 頭に もたげてくる「何か」・・・。


やはり、毅然と、しっかり 線引きすることが 重要で、
そのことによって、すべての “要因となっているもの” が
明確になることも・・・。


自分の「心」は、常に、はばたかせているに限る。

職場に必要な「柔軟性」

2012年08月11日 | 言葉 -


  職場でみんなが、持てる力をぶつけていくためには、

  その組織に柔軟性がなければ駄目である



              < by 本田宗一郎 >




人は、必ず「好き」「嫌い」がある。
隣にいる人に対しても、そのような感情が起こるものだ。
それが、人間の特徴であるとも言える。

しかし、そういう自分の感情を封印するのではなく、
一歩違った解釈と、立ち位置に居座って・・・
少しばかり余裕を持って、全体像を見てみると、
また違った景色が見えてくる。


柔軟性とは、「調和」ともイメージがダブる言葉だ。
同調ではなく、バランスの良い全体的な「調和」だ。


相手や、仲間の意見をも、否定から入ることなく、
まずは受け入れることのできる「振り幅のようなもの」。


議論や討論もまた、相手に対する尊重と信頼がなければ、
本当の意見など言えるものではない。
ブレストもまた、周囲や仲間に対する前向きさを真摯に
ストレートに言葉にできなければ、与えられる影響も、
得られる成果も、たかがしれている。

真剣勝負でありながら、楽しく、建設的な時間であれば、
結果は必ず違ったものとなる。



  
 


今日も、仕事だが・・・決して腐らず、元気に出かけよう。


「感動」 Vs 「新しい出会い」

2012年06月10日 | 言葉 -

  創造性は、脳の学習のプロセスと深く関係する。
  最大の創造性は、自分自身が変わることである。
  多くの場合、感動が、新しいものと出会い、
  それを受け入れる脳の働きと連動して生まれる。
  感動できる人は、変化することができる人である。


         <by 茂木健一郎 (脳科学者)>




 変化―「変わること」については、たいへんな困難を極める人がいる。
 元々気がつかない人もいるし、気がついても一歩が踏み出せない人も多い。
 勇気があれば、そして、確固たる自信があれば、どのような壁をも克服して、
 ひらりと飛び越えてしまうこともできるかもしれないが・・・。
 要は、自分に「行動に変換する決断」が芽生えれば、容易に一歩が踏み出せる。
 その「要素(きっかけ)」の一つが、「感動」なのだろう。

 感動は、人の心を、確実に動かすことができる。
 そのことによって、価値観が変わって、新しい世界が見えてくることもあるのだ。

 人は、生きている限り、「柔軟な心」を持ち続けていることが、健康的だと・・・
 つくづく感じる昨今である。
 心が凍り付いている人には、おそらく「感動」が訪れることはないだろうから―。

  

革新と共に歩み続ける人

2012年06月04日 | 言葉 -

 「 人は自分が置かれている立場を、すぐ状況のせいにするけれど、

   この世で成功するのは、立ち上がって自分の望む状況を探しに行く人、

   見つからなかったら創り出す人である 


          < by ジョージ・バーナード・ショー(劇作家)>




この「状況」という言葉は、「環境」や、「状態」という言葉にも、
訳することができる。
要するに、自分の人生の荒波に、分け入って、「問題解決」を、
自発的に出来るか否か・・・ということについての言及だと 理解した。
ある意味では、人生を豊かにする極意であるとも 受け取った。
また、ビジネスの世界に置き換えても、参考になる一つの教訓と
なるのではないだろうか・・・。


今、“安定しない環境” の中で、私たちは生きている。
これからも、この世界で、生きていかなければいけないのであれば、
そろそろ腹をくくり、自覚をした方が賢明である。
うわっつらだけでなく、ちゃんとした「覚悟」を・・・。


 


このバーナード・ショーの言葉を、座右の銘にしているのは、
米バーモント州の山奥で暮らす絵本作家「ターシャ・テューダー」。
彼女は、自然と共存した暮らしぶりで、美しい庭をつくり続けている。

かつてバーナード・ショ―も、ロンドン郊外の50キロぐらい距離がある
アイオット・セント・ローレンスという小さな村にある家に出向いていた。
原稿は、家から少し離れた森(庭)の中の小さな小屋(二畳)を使った。
太陽の動きと共に、小屋の向きを移動させていたようで、全く素晴らしい
知恵を使って、自分の望む環境を手にしていたようだ。
採食主義者だったショ―らしい・・・自然と一体になったような・・・
それでいて、雑音が入らない、心地の良い書斎だと思う。

タ―シャもまた、同様に、美しい庭だけでなく、生き方そのものが、
ありのままで、肩のこらない自立した生き方である。
日本にも、昔ながらのそういう生き方の知恵はあったはずなのだけれど、
どんどんと忘れ去られていく。 寂しいことだ・・・と、感じる。



「 与えられたるもの 」

2012年05月30日 | 言葉 -


 与えられたるものを受けよ、与えられたるものを活かせ。


                   < by エピクテトス (哲学者)>







与えられたるもの」は、人それぞれに違うものだろう。

はたして、自分には 何を与えられたのか。

生まれながらの性質&性格、傾向、現在の環境から手にできる経験&判断能力、
突然に舞い降りてきた出会いもまた、まさに “与えられたもの” だろう。

自分の知恵を使って、それらをどのように活かしていくのか。
思考錯誤しても、思っているだけでは・・・現状は、何ら変わらない。
まずは、一歩踏み出し、行動に転じてみて初めて “自分の世界” は 変わっていく。



「保身」の姿勢が失うもの

2012年05月16日 | 言葉 -

 保身にすぎれば 必ず 信を失う

今の日本社会の隅々まで 「 保 身 」 だらけの現象(人)ばかりだ。

たとえば、孔子は生涯を通し、世の中の乱れを正し、民を救うことを第一として
ただひたすらやっていたので、自分の保身について考えたことなどはない。
しかし、現在の日本には、意識しなくとも、まず口からついてくるのは、
保身の言葉というか、言い訳というか、“自分を守るための姑息な方法” が・・・
まず目を引くことが多い。


自らの「保身」のために、信頼を失ってしまうのは、いかがなものだろう。

昨年の大震災以来、ずっと「人と人との心のつながり」を大切にしようーという
気運があがっているからだろうか。
軽率な発言や、保身が前面にでる対応に関して、幻滅してしまうのは 当然だ。 

素直な気持ちで、心の底から 「やれることが第一」だけれど・・・
もしできないのであれば、そういう価値観を常に意識して、努力するところから
はじめて、優先順位を あらためてもらえると 何よりだと思う。

実際、「昔からのやり方がこうだから」と、自己の都合を掲げても、
社会や一般民衆は、理解してくれないだろうし、共感してくれないだろう。

自分の立場は大切だが、そのことが一番だと思っていることを見透かされてしまうのは、
人としては切なく、貧しく、信頼を欠く行為であると、しみじみ感じる日々である。

どうして、そんなに、自分中心の思考回路になってしまったのだろう・・・と、
単純な疑問が、湧いてくるぐらいだ。
 
(人によれば「バカやろ―」と言いたくなる!)