<赤ワインさんから贈られてきた『北海道の登山史』>
今朝の回診で、ついに退院許可が出た・・・「もう、いつ退院しても良いですよ。都合の良い日をそちらで決めてください」「まだ腹の傷が痛むのですが・・・」「それは家にいても病院にいても同じで、時間か解決しますから・・・」とのこと。どうやら腹の調子が整い、常食が食べられるようになれば、それでOKのようだ・・・妻と相談して明後日21日(木)の午後に退院することに決めた。
しかし、腹の傷が漠然と痛むのかと思っていたが、テープの上から触って調べてみたら、傷の上部の一ヶ所だけであることに気づいた。そこで、看護師さんに診てもらったら、詳しいことは省くが、脂肪融解による炎症を起こして、赤く腫れているとのこと。今騒いでいる原発の炉心融解でなくて良かった・・・その後、手術中だった主治医に代わって別の先生と看護師長が来て、穴を開けて絞ったり、注射器で吸い取ったりして処置してくれた。その後、痛みはだいぶ弱まった。
明朝、主治医がまた診てくれるらしいが、これが原因で、また傷が離開するようにならないことを祈るのみ・・・。
そういえば、まだ抜鉤(抜糸)をしていない・・・前回は、5日目で抜鉤したが、傷口が開いてしまい、退院後再縫合手術までして、閉じるまでにひと月ほど以上も掛かったので、今回は、慎重にしているのかと思っていた。しかし、今日、テープを剥した傷を見たら、前回のような鉤も糸も見当たらない・・・聞いたら、なんとボンドで付けたのだそうだ・・・びっくり。
手術前に、冗談に「前回のような苦労はしたくないので、縫った上からボンドでも塗ってしっかり止めておいてください」と話したのだが、本当にそんなボンドがあるなんて初めて知った。そのせいか、傷は今のところ、塞がっているようだ。しかし、今日判明した脂肪融解による炎症が災いしなければ良いのだが・・・?
赤ワインさんから、このたび北海道新聞社から発刊された『北海道の登山史』(安田治著)<トップ画像>が贈られてきた。退院したら購入予定だったので、感謝・感謝である。
まだ前段の部分しか読んでいないが、上掲の帯にも記載されているが、日本の登山史の流れの中で捉えようとしているところに特徴がある。「日本三百名山」を完登して、本州と北海道の山の歴史の違いを実感していただけにうれしい構成だ。
構成は、第1章 近代登山史以前の山、第2章 近代登山史Ⅰ~黎明期から一般社会人への普及期~、 第3章 近代登山史Ⅱ~戦後から現代までの変遷~、第4章 ~戦後から現代までの変遷~、北海道の登山史年表・・・合計p358。
巻末のp80にわたる年表は圧巻だ。中でも、近代登山以前の松浦武四郎の探検登山や、明治29年に我が道南の古部岳・大千軒岳・八幡岳に始まって以降の主な山の一等三角点選点の詳しい歴史も興味深い・・・。