癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

五稜星の夢(ほしのゆめ)&やきとり大勝

2014年02月21日 | 日常生活・つぶやき

五稜郭タワー展望台から撮影


 「五稜星の夢イルミネーション」は、昨年12月の点灯式のときに見に行ったが、雪がまだなくて、雪に反射する美しさがなかった。そこで、今日から始まった協賛者の五稜郭タワー無料搭乗招待日に再び見に行った。やはり、雪があった方がずっときれいだった。


今日の招待者カードの写真(空中の北側から撮影)


○やきとり大勝

 帰りに妻の希望で、田家町の「やきとり大勝」で夕食。以前、飲み会の帰りに寄って食べた焼き鳥が美味しかったので、妻にお土産に持ち帰ったことがある。「いつか食べに行きたい」と話していたことが実現した。相変わらずとても美味しかった。




第114回箱館歴史散歩の会

2014年02月21日 | イベント鑑賞・参加


 箱館歴史散歩の会は、冬期間は主宰・中尾仁彦氏と医療関係者の講演が月1回開催される。中尾氏の演題は「函館の蔵と殺生釘」だった。中尾氏の講演だけで失礼してきたが、講演のに先立って、中尾氏の「平成25年度北海道地域文化選奨・特別賞」受賞の紹介から始まった。

 これまでの氏の110回を超える例会の開催の実績と今後も継続される取り組みが認められた栄誉である。過去個人では2人目だそうだ。

◆講演「函館の蔵と殺生釘」の内容から、印象に残ったことをいくつか列挙したい。
・蔵は、城建築(鉄砲の弾が通らない厚い壁)の技術が応用されて発展したもの。火事に強い、湿気にも耐える、虫の侵入を防ぐ。
・函館の蔵は、高田屋嘉兵衛が全道から集めた海産物や本州から運んできた貴重品などを保管するために多くの蔵を建てたことから発展した。特に大火の多い函館には必要な建物だった。
しかし、当時の蔵は、まだ火災に弱く、江戸時代末期の大火ですべて焼けてしまっている。
・蔵は、倉庫だけでなく、「見世蔵(店蔵)」、さらには住居にまで発展している。
・蔵は、全国的には白壁のものが多いが、「江戸黒」と呼ばれる黒壁のものもある。川越市の江戸黒の町屋形式は有名。
・現在残っている蔵の多くは、火の侵入を防ぐために、地下の「用心室」に保存した粘土や味噌で隙間からの火の侵入を防いだもの。特に、「ひし伊(入村質店)」の建物は、明治40年、大正10年、昭和9年の3つの大火から残った函館唯一の建物である。
・時代とともに、土蔵、石蔵、煉瓦蔵、漆喰の代わりにモルタルやコンクリートなどと変遷してきている。
・「殺生釘(せっしょうくぎ)」は、蔵の屋根の端の鬼瓦や鬼板の上に、陽炎のような数本の釘状の金属が放射状に付けられているもの。語源は不明だが、地域によっては「陽炎」「からす」とも呼ばれている。京都・奈良以北にしか見られない。
・「殺生釘」の目的ははっきりしないが、①魔除け ②烏が瓦に糞をしたり巣を作ったりすることの防止 ③建築主の財力の誇示などの諸説がある。
・函館には、3軒が現存している。以前は当時の写真や絵から見ると10軒以上はあったらしい。

<函館に現存する蔵の写真~下記で、ほぼすべて見られます>
http://www.okemoto.net/kura/kuraindex.html (函館の蔵VOL.1)
http://www.okemoto.net/kura/kuraindex2.html (函館の蔵VOL.2)


明治40年、大正10年、昭和9年の3つの大火をかいくぐってきた函館唯一の「ひし伊」(函館唯一の江戸黒)
左~大正10年(石造り)、中~明治38年(土蔵造り) 右~明治38年(鉄筋コンクリート)


見世蔵(店蔵)(商家建築の店舗兼住宅)の「旧金森洋物店」


見世蔵(店蔵)の「太刀川家住宅店舗」(明治34年建築・レンガ壁を漆喰で塗りこんだ防火建築)


函館国際ホテル向いの倉庫の殺生釘