癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

青柳町建物探訪

2017年10月17日 | レトロ建築・古民家カフェ
 天気予報は悪天候だったので、午前中に昨日の岩部岳のHPへのアップ作業をして、その後はのんびり過ごすつもりだった。ところが、予報が外れて青空が広がっていた。たまたま他人のブログを見ていたら、一昨日?に「函館たてもの探訪」という街歩き企画で「青柳町編」があったらしい。

 普段何気なく見ている記憶の中に、印象的な建物が多くあることを思い出して、午後から自分も出掛けて見た。車を青柳小学校のそばに置いて、カメラ片手に1時間以上あちこち歩き回った。

 青柳町は、確か昭和9年の大火でほぼ全焼したはずだから、現在残っている建物はそれ以降のもののはずである。当時は比較的裕福な地域だったので、いち早く復興建築物が建ったはずである。 

民家以外の建物

函館公民館と事務所~昭和8年建築ということだから、これは大火から逃れたらしい

 昭和8年「篤志家 石館友作」が当時で10万円の浄財および土地等を寄付し、函館市青年會館として建設された。その後の函館大火により焼け出された函館地方裁判所の庁舎として一時使用された他、戦後は占領軍に一時接収されるなどいくつかの変遷を経て、昭和22年5月「函館市公民館」として開館


函館公園正面口近くのレストラン唐草館(昭和9年)

 医院併用住宅として建てられた瀟洒な洋館は、青柳町を代表する建物になっている。洋風のバルコニーを取り付けるなど、徹底的に建物を洋風に見せるような工夫が施されている。しかし地元の人から〔ギロチン窓〕と呼ばれる上げ下げ式の窓や、建物全体のシルエットなど、函館の棟梁作ならではの味が出ているのもこの建物の特徴と言えるらしい。


昭和10年竣工の青柳小学校(当時は住吉小学校)

 函館市は昭和9年の函館大火後、内務省の指導により、この時の大火で焼失した区域に火災発生時の避難場所となる鉄筋コンクリート製の校舎5校の建設を決定した。その中でいちばん最初に竣工したのが、高盛小学校と青柳小学校だった。


青柳小学校の斜め向かい側に建つ天祐寺

 昭和9年の函館大火の時に寺は全焼したが、2年後、東京にあった紀州徳川家の由緒ある建物・庫裡(くり)を移し、建てられた。


青柳小学校の向かい側の青柳町会館
いつ建てられたかは不明だが、町並みに合わせてデザインされた最近の建物のようだ。


民家の建物


2軒並んで建つ蔵付きの邸宅~当時の青柳町住民の富を象徴する建築と言われている。


上掲の2軒の坂上に建つ、煉瓦塀を回した蔵付きの邸宅。
津軽海峡方面に塀が設けられているのも、これまでの大火を教訓にしたものらしい。


函館公園向かい側の和洋折衷のモダンな邸宅と後ろの住宅に改造された蔵が棟続きで繋がっている(昭和12年建築)


函館伝統の洋風下見板張りの蔵付き邸宅。昭和20年代半ばの竣工らしい。
明治以来育まれてきた函館の下見板建築の最終型とのこと(現在は売りに」出されいるようだ)


子供のころから印象のある青柳町電停前の海側に建つ、堂々とした瓦屋根と奥の蔵等、風格ある和風住宅。


青柳小学校向かいの二軒長屋~右側の棟は和食居酒屋の「桜路」


屋根と外壁の曲面がモダンな洋風住宅~いつの時代の建物かは不明だが、意外と新しいのかも知れない


青柳町に残る年代物の石垣や大火後間もない建築と思われる民家が残る小路もこの町の魅力の一つ。


 昨日の岩部岳の縦走記録と、今日の夕刊に掲載された「どうなん・とうほく山楽紀行」の23回目「雄鉾岳」は下記でどうぞ!
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