癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

寿都町探訪

2020年04月13日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ

 島牧村はあまり見るところないので、今日は寿都町を探訪することにして、寿都道の駅で朝を迎えた。

 寿都はニシン漁で栄えた町だが、1669年(寛文9年) の頃、和人が集落を形成し、商場所(寿都場所)で交易が盛んに行われる。(寿都町の開基はこの年である)。1668年の婦女子通行禁止令により、江差追分で「忍路高島市およびもないが、せめて歌棄磯谷まで」 と謡われるように、神威岬から北への婦女子の通行が禁止された。このため寿都地方に土着する者が増えたという。ちなみに、磯谷と歌棄は寿都町である。

 まずは、北へ向かい、蘭越町との境界手前にある磯谷高原からスタートした。

 昔の磯谷牧場跡の磯谷高原から、寿都湾と狩場山塊を望む。

 

 磯谷高原から雷電山~ニセコ連峰~羊蹄山の連なり

 

 昔からあるインパクトの強い日本海食堂

 

 美谷神社~文政6年(1823)5月、場所請負人の柳谷庄兵衛が祀ったことに始まる。

 

 カクジュウ佐藤家~明治初期に建てられた典型的な漁場建築。洋風と和風が折衷されているのが珍しい。この佐藤家は北前船を3艘も持っていたそうだ。

 

 両側に当時の倉などを復元して整備中の「鰊御殿」。

 

 鰊御殿の国道を挟んで向かい側に建つ「江差追分」の碑と小さな神社。
 
 
 2棟の煉瓦造りの倉庫跡の間に移転してきたカキ小屋
 
 
 寿都湾に並ぶ町のカントリーサインにもなっている風力発電群と狩場山塊の連なり(左端は黒松内岳)
 
 
 町営「ゆべつの湯」
 
 
 寿都神社~寛永4年4月、北海道に向かう筑紫国の弁天丸という船が折からの暴風により遭難し漂流の後、寿都湾で座礁大破した際、幸いにも乗組員は神の御加護と地元住民の御陰で無事救助されたことに感謝し、船中に祀っていた弁天神を岩崎村の祠に奉祀、神鏡を納めて海上安全の主神として奉斎したことに始まる。
 
 道の駅でゆっくりしたいので、先に弁慶岬へ
 弁慶岬に建つ弁慶像の弁慶岬灯台。
 
 
 岬近くの岩礁の端に群れをなす釣り人。今はホッケが狙いとのこと。
 
 
 寿都道の駅みなとま~れ。
 
 
 道の駅の裏が寿都漁港。
 
 
 道の駅裏に展示されている昔のニシン漁に使用された船。
 
 
 道の駅で早めの昼食に食べた寿都のNo.1グルメ「ホッケめし」(1280円)~熱い鉄板に盛られたご飯とホッケの蒲焼き。初めて食べたホッケの蒲焼きだが、鰻の蒲焼きのたれよりややしょっぱめのたれと合い、とても美味しかった。町内のいくつかの店でも提供されている。
 
 午後からは、島牧村に移動し、明日のフモンナイ岳への九助林道を偵察。林道を3kmほど入った標高230m地点まで車で入れて、その先は雪も続いていることが分かった。昨日に数人が登っていたようで、スキーのトレースもあった。明日はスキーを使う予定。
 その帰りにギョウジヤニンニク畑のような所を見つけてたくさん採ったが帰宅は明後日なので、それまで持つかな? その後は道の駅で本を読んで過ごした。