癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

函館レトロ建築探訪(その3)~銀座通り

2020年04月26日 | レトロ建築・古民家カフェ

 ここ「銀座通り」は、函館山山麓の和風建築や和洋折衷住宅や洋館などが並ぶ華やかな元町や末広町に比べて地味な感じだが、大正~昭和初期にかけては東京以北最大の大歓楽街として栄えたところである。

 ここは、大正10年の大火の後、火事に強い町づくりが進められた。防火帯としての20間幅の広い道路、鉄筋コンクリート製の不燃建築、3階建て以上の高さなどで66棟が建てられた。7割はキャバレーやカフェで一大繁華街だった。東京の銀座に模して柳も植えられた。北洋漁業で栄えた当時の函館の面影を色濃く残すところでもある。

 この都市計画は、行政でなく地元の有力者らにより立案・計画されたものというところに函館の歴史の「民の力」の凄さが伺われる。しかし、昭和9年の大火で半分近く焼け、当時の建物で現在残っているのは10棟程度。

大正10年代の銀座通り

~写真手前のビルは江口眼科の先代の病棟として使われていたもの。右奥に、屋根にパラペットを載せた現存する小野寺住設の建物が見える。

 

昭和初期ごろ?の銀座通り

 

◎はこだて工芸舎(旧梅津商店)<昭和9年(1934年)築>

 函館銀座通りと電車通りの交差点の角地に建つ旧食料品店。北海道を中心に活躍した実業家・梅津福次郎が興した酒類、食料品、雑貨を扱う店舗。

 当時の銀座通りの建物で残っている古いものは大正10年の大火後に建てられたものだが、この建物は昭和9年の大火で前社屋が消失して、建て直されたもの。鉄筋コンクリート造りに見えて、実は木造だそうだ。木造モルタル塗り、2階建て。決して木造には見えないしっかりした造りが見事である。

 2014年から、「はこだて工芸舎」として、再利用されていて、1階だけは内部を見ることができる。

 

◎旧ホテル中央荘(旧小野商店)<大正10(1921)年ころ築>
 

 銀座通りの電車通りから見て左側の入口に立つ、鉄筋コンクリート造り3階建ての建物。洋風建築だが、どことなく和風な感じも漂う。2000年ころまで営業していたホテル以前は、小野商店という呉服問屋と草刈薬局の店舗として使われていたものらしい。

 また昭和9年に起きた函館大火では、銀座通りの建物の大半が当日の猛火により内部を焼失したというが、この建物は奇跡的に火災の被害から免れた建物だという。
 その防火対策だが、当時の家主が四樽ぶんの味噌を防火扉や窓の内側に目塗りした事により、内部延焼を防いだそうである。これは、「ひし伊」も同じ方法で焼け残っている。

 カーブを描いた軒の破風部分はいかにも大正期の建物らしい。また中央の「丸に小」の文字はかっての家主・小野商店の屋号のようだ。その両脇にある植物模様の浮き彫りも美しい。また銀座通りに現存する大正期に建てられたビルディングの多くには、このような植物や果物をモチーフとした浮き彫りが施されている。 

 2000年ころのまだホテルとして営業していたころの写真。自分もこの印象が強い。

 

◎ラッキーピエロ十字街店(旧理容院)・旧梅津商店倉庫(旧函館公証役場)ほか<大正10(1921)年ころ築>

 電車通りと恵比寿通りの間の1角に連なる4棟。左からWOODROW'S(旧金子商店)、左から2軒目はラッキーピエロ十字街店(建築当時は対馬理容院)で、右は旧梅津商店倉庫(旧箕浦公証役場)。

 特に、右の梅津商店倉庫になっている建物は、幾何学的な装飾が特徴である。3階の両側に施されている切れ味鋭い逆三角形の上に三輪の花模様のデザインが印象的である。一時期ギャラリーとして使われていた時もあるらしい。

 

◎宝来パン本店ほか<大正10(1921)年ころ築ほか>

左から、旧喫茶プロスパー、旧マルダイストア、宝来パン本店、前そば処天満店(2019年閉店)、空き地(ここにも最近までは旧カフェースターという3階建ての建物があった)、旧カフェー三の糸。

★「旧喫茶プロスパー・旧マルダイストアー」(昭和9年の大火以降?)~この2軒の場所には昭和9年前の大火前には3階建ての建物があり、それぞれに「開文堂書店」と「レンカ堂・御祝品店」だったという。そのことからしても、この2軒は昭和9年の大火の後の建物と言えそうだ。2軒目のショッキングピンクの塗装が施された建物は、数年前までマルダイストアーという青果店として使われていた。以前はとても美しい浮き彫りが施されていたが、外壁の剥離が激しいため現在の姿へと改修されているという。

★「宝来パン本店」(大正10年ころ)~他の建物と同じように、ビル最上部や壁の装飾がとてもお洒落。

★「前そば処天満つ」~10数年前に新築されたレトロ風建築(都市景観賞受賞)。大正ロマン漂う町並みに調和した非常に優れたデザインだが、昨年9月に閉店してしまった。何度か入ったことがあるが、軒の破風部分に施された飾り同様に大きなエビの天ぷらが印象的だった。

★「旧カフェー三の糸」(大正10年ころ)~無装飾で武骨な建物だが、竣工時の姿がほぼ保たれている感じである。間口の狭い小規模なビルが多いのも銀座通りのレトロビル群の特徴だ。

 軒の破風部分の浮彫の模様~植物模様が多い

 

◎旧美容室あみん(建設当時は銭湯・衛生湯)<大正10(1921)年ころ築>

 個人的には、銀座通りでもっとも印象的ではないかと思われる建物。アーチ型の入り口が二つあるデザインは、なんと大衆浴場「衛生湯」として建てられたもの。2つの入口は男湯と女湯の入口だったのだろう。外見からは分からないが、煉瓦造らしい。中央2本の柱のあいだに搭屋が付いていたそうだが、昭和9年大火後は撤去されてしまったようだ。

 こんなお洒落な建物が銭湯として使用されていた当時の銀座通りは、さぞかし華やかで賑わっていたのであろうと容易に想像できる。現在も利用はされているらしいが、営業内容は不明。

 

◎小野寺住設(旧安全自動車商会)<大正11(1922)年ころ築>

 昭和のはじめは安全自動車商会のビルとして使われていた建物。外壁は若干改修されているが、以前は大正期に流行したセセッションという直線形のデザインが施されていた。
 また少し高めに設けられた屋上のパラペットは、少し離れた場所からでも一目でわかる今も昔も銀座通りのランドマーク的な存在の建物だ。(このページの2番目の画像「大正11年ころの銀座通り」の絵葉書にも写っている)