美香は1983年、燐光群旗揚げ公演『黄色犬』から参加している。
その後『トーキョー裁判』『危険な話』『さすらい』『光文63年の表具師幸吉』等、八十年代の代表的な作品に出演した。
初めて東京以外の都市にツアーした『デッドゾーン』にも出ていたが、あの時代は弁当屋で弁当を買うということなどまったくなくて、完全に自炊だった。助成金というものがなかった時代だ。あの劇はやたら血糊が飛び交っていた。アングラなのかと言われればアングラであろう。
当時、美香は、よく美加里と比べられ、雑誌などの媒体で「小劇場の美少女」というと、必ず取り上げられていた。
その後、ロシアというかソビエトについて考察した全国ツアーの『汚名』、オウム真理教について初めて考察した『甘い生活』、シアタートラムに初めて出演した『小泉八雲劇場 皮革製造所殺人事件製造所』等、九十年代もいろいろとやっている。
映画『きらいじゃないよ』のヒロインを演じたのもこの頃だ。
そして、圧倒的な舞台美術が伝説となった『トーキョー裁判1999 ACT1<解体> ACT2<航海>』で、これは『トーキョー裁判』の再演でもあるのだが、初演以来の「少女」を演じた。
以降、東京を離れたり、いろいろ新しい事業を始めたりして、演劇の世界からも離れていて、ずいぶんの間ご無沙汰だったが、今回久しぶりに出演することになった。
私と美香のスズナリの初舞台は、別な劇団だったが、この劇場がオープンした1981年であり、33年のつきあいということになる。考えてみれば、十代からなのだ。
久しぶりで新鮮だし、美香の中には過去のいろいろなことが刻印されて残っているし、まったく違う何かを露出させているし、「現在」を見つめる糸口も、幾つもある。
この人にしかない、声と、まなざし。
貴重な仲間であることを再認識している。これから初日に向けて、本当に楽しみである。
写真は、『現代能楽集 初めてなのに知っていた』稽古場にて。左が美香である。(新人・秋定史枝と)
その後『トーキョー裁判』『危険な話』『さすらい』『光文63年の表具師幸吉』等、八十年代の代表的な作品に出演した。
初めて東京以外の都市にツアーした『デッドゾーン』にも出ていたが、あの時代は弁当屋で弁当を買うということなどまったくなくて、完全に自炊だった。助成金というものがなかった時代だ。あの劇はやたら血糊が飛び交っていた。アングラなのかと言われればアングラであろう。
当時、美香は、よく美加里と比べられ、雑誌などの媒体で「小劇場の美少女」というと、必ず取り上げられていた。
その後、ロシアというかソビエトについて考察した全国ツアーの『汚名』、オウム真理教について初めて考察した『甘い生活』、シアタートラムに初めて出演した『小泉八雲劇場 皮革製造所殺人事件製造所』等、九十年代もいろいろとやっている。
映画『きらいじゃないよ』のヒロインを演じたのもこの頃だ。
そして、圧倒的な舞台美術が伝説となった『トーキョー裁判1999 ACT1<解体> ACT2<航海>』で、これは『トーキョー裁判』の再演でもあるのだが、初演以来の「少女」を演じた。
以降、東京を離れたり、いろいろ新しい事業を始めたりして、演劇の世界からも離れていて、ずいぶんの間ご無沙汰だったが、今回久しぶりに出演することになった。
私と美香のスズナリの初舞台は、別な劇団だったが、この劇場がオープンした1981年であり、33年のつきあいということになる。考えてみれば、十代からなのだ。
久しぶりで新鮮だし、美香の中には過去のいろいろなことが刻印されて残っているし、まったく違う何かを露出させているし、「現在」を見つめる糸口も、幾つもある。
この人にしかない、声と、まなざし。
貴重な仲間であることを再認識している。これから初日に向けて、本当に楽しみである。
写真は、『現代能楽集 初めてなのに知っていた』稽古場にて。左が美香である。(新人・秋定史枝と)