先週はフィリピンだった。
多くの人に会った。取材が目的である。演劇人にも多く再会した。彼らの一部に紹介されたのも含めて、『ブーツ・オン・ジ・アンダーグラウンド』に続く清水弥生新作企画のための取材を重ねた。今は清水が動けないので本人は行けなかったのだが、まあ劇団なのでチームプレイなのである。後輩のためにがんばるときもある。というか、何にしても、自分も現場に携わることになるのだが。
取材のテーマはまだ公表できないが、9月2日夜に下北沢ザ・スズナリで清水弥生新作企画ワーク・イン・プログレス発表を行う。本公演は来年1月予定である。
羽田空港深夜発国際便に乗るのは二度目だろうか。着いてから海外携帯用シムカードという物を手に入れる必要があって時間を食ったりしたが、初日からさっそく濃厚なインタビューであった。話してくれた人はトップバッターなのにそのままひとり語りの芝居になりそうだというくらいの感じだった。
翌日はマニラからクルマで遠出だったが、特殊な交通事情のためものすごく時間がかかる。マニラはジャカルタなど他のアジアの大都市同様にクルマが飽和状態なので、曜日とナンバー記号の組み合わせで入域規制があり、一定の時間まである地域に入れたり入れなかったりするのである。
パンパンガというところに着いて、ここは撤退した米軍基地のあったスービックに近いところだが、清水の知り合いの家で歓待を受け、遅くまでインタビューを行う。あろうことかその夜はインタビュー先の家でホームステイさせてもらうことになる。
マニラに戻り、各種の団体、事務所への取材。紹介された人たちへの取材。国際交流基金マニラ支部やPETA(フィリピン・エデュケーショナル・シアター・アソシエーション)のクリスにもお世話になる。感謝である。
フィリピン国立劇場で開催中の短篇演劇祭「ヴァージンラボ・フェスティバル」に顔を出す。主催するフィリピンの劇作家団体「ライターズ・ブロック」の代表にして燐光群とも縁の深いロディ・ヴェラと久々の再会。上演作品は一つのグループで一時間以内の作品を三本、まあデラックス版「劇王」というべきなのだが、たいてい全篇タガログ語なので、ロディに事前にどういう話か聞いておく。ロディは最近俳優はやっていないようだが驚異の表現力で劇場の階段の所で三本全てを語るというか実演してくれる。英語だがだいたい内容がわかる。ロディがやって見せてくれた方が面白かったらどーするんだ、と突っ込む。ロディは年末にITIの恒例「紛争地帯の演劇」に作者として参加、来日する。フェスティバル中のマッチョ・ゲイが多数登場する作品に、燐光群に一度出てくれたパオロが出ていてびっくり。
このフェスティバルももう11年目。開催期間が二週間だったのが三週間になっている。もはやこの時期のマニラの人気シリーズとなっているのだ。ちなみに「ライターズ・ブロック」というのは、作家がかたまる、つまり、書けなくなる、というブラックユーモアである。この話を井上ひさしさんにした気がするのだが。人形やオブジェを使ったファンタジー作品もあって、それはかなり年齢の低い若者たちが作っている。平均年齢二十三歳のこの国は、じっさい、どこに行っても若い人だらけだ。この地の演劇界にも確実に世代交代の波が来ている。
マイレス・カナピの出演作品も観る。彼女はこの前の週に身内に不幸があったばかりだ。しかし健気に演じており、断トツに存在感がある。燐光群最多出場のフィリピンの女優が彼女なのだ。拙作短篇『雪を知らない』のヒロインでもある。演出は今は亡き山元清多さんだった。元さんと最初に話し込んだのはマニラのこの界隈だった。マイレスは来年も久々に清水新作企画で燐光群に出演する。お互いに楽しみにしていたことだ。
燐光群最多出演のフィリピン男優ノル・ドミンゴが出演中のアメリカ戯曲のやや商業的な上演『ノーマル・ハート』も観て、終演後ヌードルハウスというかチェーン中華屋で飯を食う(写真)。ノルは『トーキョー裁判 1999 ACT1<SCRAP A SHIP> ACT2<VOYAGE>』『南洋くじら部隊』といった、所謂「フィリピンもの」ではない燐光群作品にも出ているのだ。
イメルダが建てたというこの地の国立劇場で燐光群が公演をしたのはもう8年前である。冷房が効きすぎる劇場だ。というか、劇場は総じて寒い。外の暑さと屋内の冷房の寒さの落差で身体がおかしくなる土地柄である。
とにかく宿に戻ってなんとかメール確認したらバタンと寝るのみの日々、強行スケジュールだった。しかし実りの多い取材だった。涙なしのインタビューは一つもなかった。インタビューをまとめたものを今しがたやっと最後の一人ぶんまで清水に送り終えたところだ。「非戦を選ぶ演劇人の会」の来週のリーディングのテキストへの協力のこともあって、休む間もなく時間が過ぎる。まもなく朝には岡山に移動だ。今日もすべきことができなかったり予定をキャンセルさせていただいたりで多方面にご迷惑をお掛けしたが、ご容赦いただきたい。
いろんなことを思い出したし、新鮮でもあった。初めてマニラに行ってから二十年になる。再会のありがたさ。出会い直しが、始まった。もっとこの国と繋がりたい。
多くの人に会った。取材が目的である。演劇人にも多く再会した。彼らの一部に紹介されたのも含めて、『ブーツ・オン・ジ・アンダーグラウンド』に続く清水弥生新作企画のための取材を重ねた。今は清水が動けないので本人は行けなかったのだが、まあ劇団なのでチームプレイなのである。後輩のためにがんばるときもある。というか、何にしても、自分も現場に携わることになるのだが。
取材のテーマはまだ公表できないが、9月2日夜に下北沢ザ・スズナリで清水弥生新作企画ワーク・イン・プログレス発表を行う。本公演は来年1月予定である。
羽田空港深夜発国際便に乗るのは二度目だろうか。着いてから海外携帯用シムカードという物を手に入れる必要があって時間を食ったりしたが、初日からさっそく濃厚なインタビューであった。話してくれた人はトップバッターなのにそのままひとり語りの芝居になりそうだというくらいの感じだった。
翌日はマニラからクルマで遠出だったが、特殊な交通事情のためものすごく時間がかかる。マニラはジャカルタなど他のアジアの大都市同様にクルマが飽和状態なので、曜日とナンバー記号の組み合わせで入域規制があり、一定の時間まである地域に入れたり入れなかったりするのである。
パンパンガというところに着いて、ここは撤退した米軍基地のあったスービックに近いところだが、清水の知り合いの家で歓待を受け、遅くまでインタビューを行う。あろうことかその夜はインタビュー先の家でホームステイさせてもらうことになる。
マニラに戻り、各種の団体、事務所への取材。紹介された人たちへの取材。国際交流基金マニラ支部やPETA(フィリピン・エデュケーショナル・シアター・アソシエーション)のクリスにもお世話になる。感謝である。
フィリピン国立劇場で開催中の短篇演劇祭「ヴァージンラボ・フェスティバル」に顔を出す。主催するフィリピンの劇作家団体「ライターズ・ブロック」の代表にして燐光群とも縁の深いロディ・ヴェラと久々の再会。上演作品は一つのグループで一時間以内の作品を三本、まあデラックス版「劇王」というべきなのだが、たいてい全篇タガログ語なので、ロディに事前にどういう話か聞いておく。ロディは最近俳優はやっていないようだが驚異の表現力で劇場の階段の所で三本全てを語るというか実演してくれる。英語だがだいたい内容がわかる。ロディがやって見せてくれた方が面白かったらどーするんだ、と突っ込む。ロディは年末にITIの恒例「紛争地帯の演劇」に作者として参加、来日する。フェスティバル中のマッチョ・ゲイが多数登場する作品に、燐光群に一度出てくれたパオロが出ていてびっくり。
このフェスティバルももう11年目。開催期間が二週間だったのが三週間になっている。もはやこの時期のマニラの人気シリーズとなっているのだ。ちなみに「ライターズ・ブロック」というのは、作家がかたまる、つまり、書けなくなる、というブラックユーモアである。この話を井上ひさしさんにした気がするのだが。人形やオブジェを使ったファンタジー作品もあって、それはかなり年齢の低い若者たちが作っている。平均年齢二十三歳のこの国は、じっさい、どこに行っても若い人だらけだ。この地の演劇界にも確実に世代交代の波が来ている。
マイレス・カナピの出演作品も観る。彼女はこの前の週に身内に不幸があったばかりだ。しかし健気に演じており、断トツに存在感がある。燐光群最多出場のフィリピンの女優が彼女なのだ。拙作短篇『雪を知らない』のヒロインでもある。演出は今は亡き山元清多さんだった。元さんと最初に話し込んだのはマニラのこの界隈だった。マイレスは来年も久々に清水新作企画で燐光群に出演する。お互いに楽しみにしていたことだ。
燐光群最多出演のフィリピン男優ノル・ドミンゴが出演中のアメリカ戯曲のやや商業的な上演『ノーマル・ハート』も観て、終演後ヌードルハウスというかチェーン中華屋で飯を食う(写真)。ノルは『トーキョー裁判 1999 ACT1<SCRAP A SHIP> ACT2<VOYAGE>』『南洋くじら部隊』といった、所謂「フィリピンもの」ではない燐光群作品にも出ているのだ。
イメルダが建てたというこの地の国立劇場で燐光群が公演をしたのはもう8年前である。冷房が効きすぎる劇場だ。というか、劇場は総じて寒い。外の暑さと屋内の冷房の寒さの落差で身体がおかしくなる土地柄である。
とにかく宿に戻ってなんとかメール確認したらバタンと寝るのみの日々、強行スケジュールだった。しかし実りの多い取材だった。涙なしのインタビューは一つもなかった。インタビューをまとめたものを今しがたやっと最後の一人ぶんまで清水に送り終えたところだ。「非戦を選ぶ演劇人の会」の来週のリーディングのテキストへの協力のこともあって、休む間もなく時間が過ぎる。まもなく朝には岡山に移動だ。今日もすべきことができなかったり予定をキャンセルさせていただいたりで多方面にご迷惑をお掛けしたが、ご容赦いただきたい。
いろんなことを思い出したし、新鮮でもあった。初めてマニラに行ってから二十年になる。再会のありがたさ。出会い直しが、始まった。もっとこの国と繋がりたい。