Wattan バグダッドを出てすぐ、米軍の戦車が並ぶチェックポイントがありました。前を走っていた車両は次々とUターンしてきます。
安田 こりゃ正攻法じゃダメだ。
クルマはUターンし、あらためて横道に入る様子。
Wattan 農道に出ました。やはりそこも米兵が装甲車を並べて阻止線を張っています。何しろ私たちは日帰り予定で取材に来ているのです。なるべく午後三時頃までには取材を開始しなくてはなりません。時計は既に二時近くを指しています。
通訳 アブ・グレイブまで来ました。
安田 突き当たった大通りを右へ進む。すると左手に長い壁が続いて、所々に土嚢を積んだ見張り台がある。
Wattan 大きさは小菅くらいだね。
安田 これが噂のアブグレイブ刑務所か。サダム政権の恐怖政治の象徴といわれていたこの場所に、今は米軍が掃討作戦で拘束したアラブ人が収容されています。
Wattan すれ違う車に道を聞いてみました。
対向車が止まって運転手が顔を出す。
対向車の運転手 この先はアリババがいるから戻った方がいい。
後ろから追い越しざまに普通車のドライバーが声を掛けてくる。
ドライバー どこまで行く。
通訳 じつはですね……。
ドライバー (あっというまに訳を聞き)近くに俺の家があるから寄っていけ。
通訳 いえいえ。……(Wattanと安田に)この先、もし誰かに国籍を尋ねられたら中国人であると答えてください。
安田 パスポートを見せたらばれますよ。
Wattan イラク人に嘘をつくのは良くないと思う。
通訳 それがベター。大丈夫。
安田・Wattan ……。
ドライバー 案内しよう。
しばらく走る二台。
Wattanはパスポートを前のシートの背に隠す。
突然、さらに違う車が追い越しざまに前に出てくる。
停止するよう促し、三、四人の男たちが降りてくる。
男A どこから来た。IDを見せろ。
Wattan 中国人だ。
安田 ジャーナリストだ。(運転免許証とかを見せる)
男A それでは、この近くに墜落した米軍のヘリコプターがあるので、我々が案内しよう。
安田 すごい。地元の住民から取材許可が取れた。
通訳 マジデ!
Wattan いやー良かった! やっぱり現地取材には来てみるものだなあ。
クルマ、進んでいく。
安田 でもちょっと変わってますね。
Wattan ああ。ふつうだったら米軍にやられたところを取材しくれって言うはずだ。
安田 墜落したヘリコプター、わざわざメディアに見せてメリットありますか。
Wattan おかしいなあ。
安田 ですよね。
突然、前方で停車している車から自動小銃を持った男たちが4人ほど降り、銃口を向けて何か叫ぶ。
男B 外に出ろ。出ないと撃つぞ!
ドライバーと通訳が両手を上げながら車から出て何か説明しようとする。
Wattanと安田は後部座席に動かずじっとしている。
後部ドアを男たちが開け、銃口を向けながら外に引っ張り出す。
Wattan (引っ張り出されながら)イラクの子どもたちの遊びに「チェックポイントごっこ」があります。たいていはアメリカ兵役の子が「止まれ!」。他の子は従います。
安田 やってしまった。……家族がたいへんなことになるな。拉致、拘束、処刑。最悪の場面が目に浮かんだ。
男たち、あっという間に荷物を検査し、車の中を隈なく検索すると、隠しておいたパスポートを見つけ出す。
Wattan 私たちは日本人です。
男B (やっぱりね!という感じ)日本人! ふーん。
男C (カラシニコフを手に)ノー・プロブレム。ごめんなさい。心配要りません。
男たち、一通り手荷物を回収すると銃口で促し、目隠しをさせてから自分たちの車の後部座席に押し込んで発進させる。
見送る運転手と通訳。
Wattan 対抗車線を通過する車両の途切れたわずかの時間を利用した素早い動きは、とても素人とは思えません。さすがプロは仕事の手際がいいなあ。
男B (運転しつつ)ジャパン・プロブレム!
Wattan 目隠しをされて車に揺られること三十分。
安田 何度か方角を変えられたので正確にはつかみきれなかったが、まだアブグレイブの市内だろう。
男C シット・ダウン。
Wattanと安田、その場に腰を下ろす。
安田 目隠しをとると、赤い絨毯を敷き詰めた十畳ほどの部屋だった。
Wattan アラブ民家の一般的な大広間のようでした。
アラブ式の「ハッタ」という布をすっぽりと顔に巻きつけて目だけが見えるようにした「ミイラ男」みたいな覆面の男たち。
自動小銃を持ち、見張りについている。
覆面の男に所持品検査をされる。
他の男たちも入ってくる。
Wattan 手帳もパスポートも押収されてしまいました。
男A (電子辞書を示しWattanに)これは何?何に使うの?
安田 (男Bに指さされたものについて)カメラ。……レンズ。
男B ジャーナリスト?
安田 二人ともそうだ。
老人 イラクに来た目的は?
安田 米軍によるファルージャ攻撃の実態を確かめるために来た。連日の攻撃で罪もない女性や子供たちが殺されている実態を日本の人々に知らせたい。
老人 (ただ頷く)
Wattan 先に拘束されている日本人三人のことを知っているか。
覆面の男 (制し)待て、今は我々が質問している。
Wattan ……。
別な覆面の男は安田のビデオカメラを手に指示する。
「動かしてみせろ」という身振り。
「撮った映像を見せろ」という身振り。
安田 ここを、こうするんだ。
男B 「アル・ジャジーラ」(カメラを構える)
Wattan どうやら彼らは私たちを拘束した証拠画像を撮るつもりのようです。しかしカメラを持つ手がぎこちなさそうで録画ボタンの使い方も知らないようでした。
覆面たちはカメラに向かってアラビア語で何か喋っていたが、その場で思いついたような数秒程度の短い言葉である。
彼らはWattanと安田の姿を撮る。
座らされた二人の後ろに銃を構えた三人の覆面の男たちが立つ。
安田 名前を言わせてもらうふりをして日本語で「まったく問題ありません」って言えば、人質映像にならずにすむんじゃない?
Wattan 笑わないように。
男B これで日本は大騒ぎだな。
小さな子供がWattanと安田に紅茶を持ってくる。
男たちは押収物(撮影機材、ノート、手帳、財布、パスポート、上着等)をバッグごと持ってゆく。
覆面の男 あとで必ず返却する。
安田 (お茶をもらい)女性や子供のいる生活の場で乱暴なことはしないだろう。
男A (『パレスチナ・ストール』を鷲掴みに引ったくり、広げ)何だこれは?(そこに書かれているアラビア語の言葉を指差して読み上げてから)知ってるか(英語)?
Wattan 「血と大地」だ。
男A (黙って頷き)日本人がこんなもの持ちやがって!(ストールを両手で丸めて投げ返す)
Wattan (ムカッときて相手の眼を睨み返す)
男A なんだお前、こうしたいのか?(自分の頬をこぶしで叩くしぐさで挑発)
Wattan ノー。
男A (呆れたように笑い、寝転がる)
安田 覆面もせず顔をさらしているところを見ると、地域ぐるみの行動だろう。住民による検問か、自警団か。
Wattan、男Aに歩み寄って静かに話し掛ける。
Wattan あなた、あのストールは私がパレスチナの友達からもらった物だ。私の大切な物。私の友達だ。
男A (すまなそうな顔をして大きく頷く)あんたムスリムか?
Wattan コミュニスト(共産主義者)だ。
男A ……。
安田 夕方からは、この家の人たちばかりでした。
家主、「くつろげ」と身振りで示す。
安田、家の人たちと打ち解けようと、身振り手振りでコミュニケションを図る。
自分で持ってきたハッタを使って覆面男たちに真似をして顔をぐるぐると隠してふざける。
それを見た家の若者の一人が「いや、そうじゃないこうやるんだ」と巻き付け方を教える。
また別の一人が「そうじゃなくて、こういうのもある」という具合に巻きなおして別の方法を教える。
何度も巻き付け方を練習する。
Wattan 安田さんのコミュニケーション術がなかったらこの先も私たちは生き残れたかどうか危ういところでした。
子供 ジュンペイ、やってやって!
安田、ささっとハッタを顔に巻きつけて覆面姿になり、みんな喜んで見ている。
やってきた男Aがそれを直してやったりする。
一同、食事を囲む様子。
男A ソーリー。我々はあなた方をあくまでも客人として招いている。食事を同席するのがその証拠だ。
Wattan ライスを山盛りにしてその上に鳥の丸焼きをのせたものとトマトとレタスのサラダ、トマトの煮込みスープ、そしてホブスという平べったいパンという典型的なイラクの家庭料理。遠慮なくいただきましたが特にトマトの煮込みスープは美味しくて、
安田 これうまいね。
Wattan 美味い、美味い。
家主 (喜ぶ)こいつら、うちのトマトスープが美味いって言っているぞ!
Wattan・安田 ……。(食べる)
家主 実を言うとな、うちのクルマはトヨタだ。
一同、食後に外にでる様子。
Wattan ……夜、外には満天の星が輝いています。
家主 これまでイラクと日本が争ったことはなかった。だがアメリカに従って軍隊を送った以上は敵だ。
安田 言いたいことはわかります。でも人質にされた女性はイラクの子どもたちを助けていました。
家主 民間人を傷つけることはしないよ。今に解放される。あんたたちも明日か明後日か、十年後には解放されるよ。
安田 十年後……。なら嫁を見つけてくれ。
一同、笑う。
皆、寝ころぶ。
Wattan 夜は大広間に家族の男たち全員と寝ることになりました。十五人くらいいるでしょうか。二人づつ交代で不寝番を立てています。やっぱり見張られていることには変わりありませんでした。
遠くで爆撃の音。
G、出てくる。
G バグダッド郊外アブグレイブでまた日本人二人が拉致されたんだって。「ヤスダジャンベ」さんと「ワタナベ」さん。先に誘拐された三人は解放されたの。「サラヤ・ムジャヒディン」の声明は日本の市民が行ったデモを評価していた。イラク駐留自衛隊の撤退を求める日本人がいたから解放された。「イラクの人を嫌いになれない」って泣いてた高遠菜穂子さん。この人たちがいなかったら日本人全員がアメリカと一緒にイラクを占領したがってるみたいに思われてたのね。……けど政府・与党内からは相変わらず三人の自己責任を問う声が相次いで、公明党冬柴幹事長なんか「損害賠償請求するかどうかは別として、政府は事件への対応にかかった費用を国民に明らかにすべき」だって。安倍幹事長曰く「山の遭難では救助費用は遭難者・家族に請求することもあるとの意見もあった」。北海道出身の中川経産相は「人質の家族が東京での拠点に使った北海道東京事務所の費用負担をどうするか、知事は頭を痛めている」。なんだそれ。
人々、集まってテレビを見ている。
Wattan 翌日、テレビ放送を観ました。先に拘束されていた三人が解放されたニュースに一安心しました。
家主 あんたたちも明日には解放だ。
Wattan ……いよいよ私たちのニュースです。しかし撮影されたはずの証拠のビデオ画像はなくて、日本メディアが配信したと思われる安田さんの画像のみが映されています。
男A 使われなかったんだなあ……。
安田 ほんとに「アル・ジャジーラ」に送った?
Wattan やはり私たちは「誘拐」されたのではなくチェックポイントに引っかかった「不審人物」でしかなかったのです。
安田 荷物を返してくれるという話はどうなった。
男A 荷物はない。
安田 えー?
男A 解放は明後日になると思う。
安田 ……こいつらただのアリババじゃないのかな。
人々、引き上げてゆく。
子供が走ってきてWattanに英語の教科書を渡す。
Wattan 私のアラビア語は片言でもレバノン訛りで、いまひとつ通じません。子供に英語の教科書を持って来てもらい、基本的な疑問詞や単語を読んでもらって、それを覚えるようにしました。
家主 こらっ、お前ら何やってる。(手に持った短い棒で子供たちの尻を叩いて追い払う)英語じゃなくてアラビア語を勉強なさい。
Wattan そのつもりです。
家主 本当はどこまで喋れるんだ?
Wattan ……じつは私のレバノン訛りこそ、疑惑の対象だったのです。
男たちが入ってきて、Wattan・安田は目隠しをされ、連れてゆかれる。
Wattan 夕方近く。また移動することになりました。もう何回目でしょうか。行く先々で周りの雰囲気が変わるので、まるで「不思議の国のアリス」です。
Wattan・安田、また座らされる。
目隠しを取ってみる。
覆面の男と農民、子供たち。
覆面の男 君たちは明日の朝、解放される。
安田 じゃあ取材できるね。
安田 どうせ明日解放してくれるなら、カメラも返却してもらって後でファルージャ市内を取材する許可をもらいたい。
覆面の男 (一瞬驚くが、相手の顔色が曇ってくる)取材には応じられないだろう。
安田 バグダッドに戻る前、病院と爆撃跡に寄れると言ってたぞ。
覆面の男 ……。
安田 カメラだけでも返して欲しい。
覆面の男 明日だ。心配するな!
安田 あなたたちは日本政府に何も要求を出しませんでしたね。なぜ私たちを拘束したのですか?
覆面の男 ん~と、日本人だから。
Wattan えっ、日本人だから?それだけ!(大笑い)
安田 俺はイラクに住みたい。バグダッドは高いからアブグレイブがいいな。
覆面の男 いい部屋を紹介してやるよ。いつ来る。
安田 二ヶ月か三ヶ月後。
覆面の男 ……その頃じゃ、もうこの辺りはイラク人はいなくなってるだろうな。
安田 え?
覆面の男 アメリカに殺されて、イラク人はすっかりいなくなってるってことさ。
覆面の男、去る。
また男たちが入ってきて、Wattan・安田は目隠しをされ、連れてゆかれる。
外では車が近づいてくる音。
Wattan 翌朝、私と安田さんは多少浮かれた気持ちでいました。「さあ、お迎えが来た。いよいよ帰れるぞ」!
男A 頭を下げろ。
Wattan・安田、後部座席に横になる。
クルマが走り出すが、揺れが激しい。
運転の男 大丈夫か。
Wattan 一時間後。
クルマが止まる。
Wattan・安田、車酔いで気持ちが悪くなったかんじでようやく体を起こす。
五、六人の覆面の男たちが近づいてくる。
突然、ガタッとドアが開けられ、銃口を二人の胸に押しつける。
覆面の男 (流暢な英語で乱暴に)外に出ろ。お前はアメリカと一緒に働いているのか?ファック・ユー・アメリカ!
びっくりしているWattan・安田、そのまま胸元を鷲掴みにされ引っ張り出される。
そのままズンズンと引き回されて歩く。
覆面の男 ストップ。
立ち止まると目隠しを外される。
安田 目隠しを外されると、目の前に黒板があった。どこかの小学校のようだった。
覆面の男 端っこに座れ。
安田 解放じゃないのか……。
覆面の男、銃のセフティー・レバーを外し、ボルトをスライドさせてから銃口を向け構える。
Wattan・安田、黙って指示に従い席に着く。
遠くに、飛行機の飛んでいる音……。
覆面の男 アー、ユー、(低く)FBI? CIA?
安田 アー、ユー……?
覆面の男 (怒り叫ぶ)FBI?
安田 (低く)違う。
覆面の男 (怒り叫ぶ)CIA?
安田 (低く)違う。
Wattan 我々は刑務所の近くにいたから、米軍の工作員と思われたのかもしれません。
覆面の男 役者だなあ! たいしたもんだ。おまえたちは全てを知っている。アラビア語を理解していることもわかってる。(トーンを上げ)農民や子供は騙せても我々には通用せん!
Wattan そういうことか。我々の動向は全てこの査問のため報告されていたのです。
別な覆面の男 一人ずつ質問に答えろ。何時間かしたら解放する。
覆面の男 (激しく)逃げようとしたら撃ち殺す。
安田、別室に連れ出されてゆく。
Wattan、数人の覆面男に囲まれて取調べを受ける。
若い別の覆面男、鉄パイプを触って「カラカランッ」と、わざと音をさせてプレッシャーをかける。
覆面の男 パスポートにレバノンのビザがたくさん押してある。
Wattan 友人に会いに行っただけだ。
年配の覆面 あっそう。
Wattan 私はコミュニストだ。
年配の覆面 コミュニスト。
Wattan イラクでもコミュニストといえばサダム時代からずっと反体制派の代名詞のはずでした。
覆面の男 どんな活動をしてる?
Wattan 本の出版とWebサイトだけ!
覆面の男 それだけか!
年配の覆面 日本政府は君が拉致されたと知ったらどんな対応をすると思う?
Wattan 殺そうと思っているなら、どうぞ殺してください。しかしそれは日本政府を喜ばせるだけでしょう。なぜなら私は反政府・反体制派だからです。
年配の覆面 ……サマワには行ったか。
Wattan 私はサマワでの活動内容を教えました。
別な覆面の男 アメリカのために働いてるんじゃないんだな。
Wattan (頷く)
覆面の男 俺はあいつらに捕まったことがある。チェックポイントで車を停められた。「お前たちは不審者だから逮捕する」。理由なんて言いやしない。
別な覆面の男 (怒りに満ち)やつらは俺たちをコンクリートの狭い部屋に閉じ込め、何日もかけて拷問する。番号で呼ばれ、毎日毎日、殴る蹴る。トイレに行かせない。
覆面の男 家族に連絡は行かない。みんな眠れず心配したさ。俺たちも眠らせてもらえない。七時間立たされ七時間しゃがむの繰り返し。糞も小便も垂れ流し。
別な覆面の男 ある時、個室に入れられて、服を脱がされた……。
覆面の男 裸に剥かれて水をぶっ掛けられた。獣みたいに。(無表情のままで)いいか。やつら尻の穴にホースで水を突っ込みやがった……。
別な覆面の男 何をされたか想像してみろ。俺の人生は終わった。復讐するしかない。
Wattan ……そうだ。彼らはアメリカ兵にやられたことのごく一部を我々にも味わさせようとしたのだ。幾つかの「アブグレイブ流」が行なわれた。目隠し。罵倒。「明日解放する」と言って期待させ、失望させる。アメリカの手口だ。
安田、他の覆面の男に押されて戻ってくる。
安田 あなた方は米軍がイラク市民を殺しているという。ならばなぜその事実を知らせようとしない。アメリカは兵士しか殺してないと言い張ってる。それを覆す事実を俺たち外国のメディアに公開してくれ。
別な覆面の男 上の連中に言ってくれ。
Wattan (安田に)そういう交渉をするからスパイ容疑が晴れないんじゃないですか。
安田 (別な覆面の男に)これは交渉じゃない。あなたの意見を聞きたいのだ。
覆面の男たちがマットレスと毛布を持ってくる。
年配の覆面 くつろぎたければ好きにしろ。
Wattan 食事も含め、待遇は丁重なものだった。
覆面の男 状況が変わった。荷物は帰ってこない。最初におまえたちを捕まえた連中が、実はアリババだったんだ。やつらが持って行ってしまった。
安田 道具がないと商売あがったりだ。俺だって貧乏なんだぞ……。
年配の覆面 (Wattanに向けて声を荒げ)俺の前でまばたきするな! 今度やったら撃ち殺す。(拳を握りしめ、ポキポキ鳴らす)
安田 そいつは「ムジャヒニン」の中堅リーダーだ。
Wattan ……ひょっとしたらここから出られないのではないかという恐れが湧いてきました。
夕闇に包まれている。
覆面の男たち、いったん出て行く。
Wattan・安田、敷かれたマットの上に転がっている。
Wattan まいったなあ……。
覆面の男たちがぞろぞろとやって来る。
年配の覆面 とてもシンプルな問題だ。我々の中の何人かは、お前たちをスパイだと思っている。
別な覆面の男 おまえは空手ができるそうだな。
安田 ……できる。
別な覆面の男 やはりおまえはデンジャラスだ。
Wattan 正直言って落胆しました。死にたくなるような気持ちです。あれほど説明したにもかかわらず、真意が伝わらなかったのでしょうか。いくら敵意がないと言っても、それを証明する情報が外から伝わってこなかったら、まったく意味を成さないのでしょう。テレビを観て確認できたのは安田さんの映像だけだったので、このとき私は、日本では安田さんの救援しか動いていないのだと思っていました。
若い覆面 ムスリムは死ぬと天国に行くが、仏教はどこに行く。
Wattan ……まるで死刑執行を待つ囚人のようです。
年配の覆面たちは廊下に出て他の連中とボソボソと話し合っている。
Wattan・安田、黙って頭を垂れながらマットに座って待つ。
再度、覆面たちが何人か部屋に入ってくる。
若い覆面 あんた空手マンなんだって。ブルース・リー? ジャッキー・チェン?
安田 技を教えよう。
安田、Eに少林寺拳法の急所を教えようとにじり寄り、肘間接内側近くの急所を押素組み技をしかけたが効かず、跳ね返される。
隣りにいたもう一人の覆面が「何ごとか!」と思ってとっさに銃口を向ける。
すぐに冗談だということが互いに判り、顔にも笑みが浮かぶ。
若い覆面 俺はストロングなのだ。
安田 最近からだがなまってる。次に会ったとき勝負だ。
若い覆面 なんでおまえはムスリムにならないのだ。
安田 ビールが好きだからだ。
若い覆面 ビールなんか飲んでも、酔っぱらって頭がおかしくなるだけだろう。
安田 でも気持ちいいよ。飲んだことあるのか。
若い覆面 ないさ。でもムスリムになるだけで、ビールなんか飲むよりずっと幸せな気分になれる。
安田と若い覆面、すっかりうち解けて、腕相撲をやり始める。
別な覆面の男 ジュンペイ、お前は明日解放する。
安田 ……。
別な覆面の男 ジュンペイ、荷物は明日返す。
安田 ……。
Wattan 聞き間違いかと思いましたが、二回続けて私の名前が出てきません。頭の中が真っ白になりました。
覆面の男 どうした、ワタナベ。今日は元気がないな。
Wattan ……自分の人生はなんだったのか。十四年前、自衛隊を除隊してすぐ右翼団体のルートで、ビルマで抵抗闘争を続けていた『カレン民族解放戦線』に義勇兵として参加しました。本物の戦場で死んでいく兵士たちの命の虚しさを思い知らされ、それでもなお、自由を求め闘う人々の姿に共感を覚えました。マラリアを患い半年、発熱を繰り返しリタイヤ。……国の命令ではなく、自分の意志で闘いに参加する『義勇兵』になりたかった。湾岸戦争が始まると、ブッシュ来日反対闘争で首相官邸に赤ペンキを撒き、逮捕された。フセイン政権下のイラクにも渡った。やがてマイノリティーを視座に入れない「民族統一化」に嫌気がさし、右翼から転向。死刑囚の救援に関わり、NGOから生活支援スタッフとして一年間、レバノンに派遣された。帰国後は次第に反戦運動を現場とするようになった。そんな私の人生も、一瞬にして白紙に変わるのであればそれもまた一興でしょう。しかしまだ遣り残したことがあります。
G、現れている。
G 私が言いたいのは、沖縄の辺野古のこと。海上基地建設がどう考えたって無理なのは明らかなのに、日本政府は建設を既定方針としてボーリング調査を強行しようとしてる。そんなことしたら珊瑚礁はいっぺんに死んでしまう。少しも報道されないけど、沖縄から派遣された海兵隊が、ファルージャ住民虐殺の主役なの。三分の二が沖縄から出撃してるの。オジィ・オバァが海岸で、海上基地建設を阻止する座り込み闘争を始めてる。……日本でファルージャに一番近いのは辺野古のオジィ・オバァたちだと私は思う。
G、去る。
覆面の男たち、あらためてWattan・安田を囲む。
年配の覆面 日本に帰ったら伝えて欲しいことがある。
覆面の男 「我々は、今後もアメリカ・イギリスと戦闘を続ける。我々は自衛隊の撤退を望む。日本人は私たちの友人なので、傷つけたくないからこれ以上イラクに来ないで欲しい」……。
覆面の男 これから、ジュンペイとワタナベを解放するが、お前たちのカメラは我々にとっても必要なので頂くことにする。おまえは欲しければ日本で買えるんだろう。ワタナベの所持金も必要経費として頂戴することにした。
安田 返してくれる約束だ。
覆面の男 カメラと命のどちらが大切だ?
安田 ……家の鍵と自転車の鍵だけは返してください。持ってても仕方ないでしょう。
別な覆面の男 ……。(頷いて取り出す)
Wattan パスポートがないとチェックポイントで捕ってしまう。どうしてくれる?
覆面の男 後でちゃんと返すから心配しなくてもいい。アパートまで持ってってやる。
年配の覆面 一つ提案がある。
Wattan・安田 ……。
年配の覆面 日本企業はファルージャでコンピュータを作ったらどうだ。
Wattan・安田、また目隠しされ、クルマに乗せられ、移動する。
G、立ち上がる。
G 夜中だったけど、私は出掛けた。いても立ってもいられないって、ああいうことを言うのね。(スプレーを取り出す)私は落書きをすることにした。どこにしたかは内緒。落書きなんかだいっ嫌いな私がする落書き。だからこそ価値がある。……なんて勝手かな。(スプレーする)……「戦争反対」。……「反戦」。……(身構えて止まる)そしてなんて書いたか、それは見つけてもらいたいの。この街のどこかで。
G、スプレーする。
Wattan・安田、またクルマに乗せられ、上半身を下げて椅子に寝込むような姿勢を取らされて移動する。
車外からたくさんの車が行き交う騒音やクラクション、人のざわめき。
若い覆面 あっヤバー!
運転の男 アメリカだ、アメリカ。気をつけろ。ファック・アメリカ!
途中、何かのチェックポイントらしい場所に差し掛かる。
一旦停車してなにやら外の人と話している声が聞こえててくる。
無事に通過できた様子。
……やがて静かな場所にさしかかった。
車が停まる。
若い覆面 降りろ。
Wattan・安田、降りる。
若い覆面 座れ!
Wattan・安田、その場にしゃがんで待つ。
何人かの走る足音、車のドアが閉まる音、三台ほどの車が発進するエンジン音。
そして、静寂。
「チュン、チュンチュン」、雀のような鳥の声、聞こえてくる。
Wattan、恐る恐る、自分の手で目隠しを外す。
Wattan なんか、目隠し取っても大丈夫みたいだよ。
安田 ……。(顔に巻き付けた布を取って周囲を見渡す)
Wattan そこは広いサッカーグラウンドのような場所でした。人の気配がしたのでふり返ると、そこには民家があって、門の上から男性が顔を出し、こちらを窺っていました。あらかじめその家に電話で「行方不明になっている日本人を二人、届けに行くからウラマー協会まで連れて行って欲しい」と連絡があったのです。……イラクでもレバノンでも親しい人達は私を「Wattan」と呼びます。その度、私は自分が彼らに応えられているのかどうか考えます。Wattanとはどの国でもアラビア語で祖国を意味するのです。
Wattan、ガッツポーズをとる。
安田、架空のカメラでそれを撮影する。
溶暗。
安田 こりゃ正攻法じゃダメだ。
クルマはUターンし、あらためて横道に入る様子。
Wattan 農道に出ました。やはりそこも米兵が装甲車を並べて阻止線を張っています。何しろ私たちは日帰り予定で取材に来ているのです。なるべく午後三時頃までには取材を開始しなくてはなりません。時計は既に二時近くを指しています。
通訳 アブ・グレイブまで来ました。
安田 突き当たった大通りを右へ進む。すると左手に長い壁が続いて、所々に土嚢を積んだ見張り台がある。
Wattan 大きさは小菅くらいだね。
安田 これが噂のアブグレイブ刑務所か。サダム政権の恐怖政治の象徴といわれていたこの場所に、今は米軍が掃討作戦で拘束したアラブ人が収容されています。
Wattan すれ違う車に道を聞いてみました。
対向車が止まって運転手が顔を出す。
対向車の運転手 この先はアリババがいるから戻った方がいい。
後ろから追い越しざまに普通車のドライバーが声を掛けてくる。
ドライバー どこまで行く。
通訳 じつはですね……。
ドライバー (あっというまに訳を聞き)近くに俺の家があるから寄っていけ。
通訳 いえいえ。……(Wattanと安田に)この先、もし誰かに国籍を尋ねられたら中国人であると答えてください。
安田 パスポートを見せたらばれますよ。
Wattan イラク人に嘘をつくのは良くないと思う。
通訳 それがベター。大丈夫。
安田・Wattan ……。
ドライバー 案内しよう。
しばらく走る二台。
Wattanはパスポートを前のシートの背に隠す。
突然、さらに違う車が追い越しざまに前に出てくる。
停止するよう促し、三、四人の男たちが降りてくる。
男A どこから来た。IDを見せろ。
Wattan 中国人だ。
安田 ジャーナリストだ。(運転免許証とかを見せる)
男A それでは、この近くに墜落した米軍のヘリコプターがあるので、我々が案内しよう。
安田 すごい。地元の住民から取材許可が取れた。
通訳 マジデ!
Wattan いやー良かった! やっぱり現地取材には来てみるものだなあ。
クルマ、進んでいく。
安田 でもちょっと変わってますね。
Wattan ああ。ふつうだったら米軍にやられたところを取材しくれって言うはずだ。
安田 墜落したヘリコプター、わざわざメディアに見せてメリットありますか。
Wattan おかしいなあ。
安田 ですよね。
突然、前方で停車している車から自動小銃を持った男たちが4人ほど降り、銃口を向けて何か叫ぶ。
男B 外に出ろ。出ないと撃つぞ!
ドライバーと通訳が両手を上げながら車から出て何か説明しようとする。
Wattanと安田は後部座席に動かずじっとしている。
後部ドアを男たちが開け、銃口を向けながら外に引っ張り出す。
Wattan (引っ張り出されながら)イラクの子どもたちの遊びに「チェックポイントごっこ」があります。たいていはアメリカ兵役の子が「止まれ!」。他の子は従います。
安田 やってしまった。……家族がたいへんなことになるな。拉致、拘束、処刑。最悪の場面が目に浮かんだ。
男たち、あっという間に荷物を検査し、車の中を隈なく検索すると、隠しておいたパスポートを見つけ出す。
Wattan 私たちは日本人です。
男B (やっぱりね!という感じ)日本人! ふーん。
男C (カラシニコフを手に)ノー・プロブレム。ごめんなさい。心配要りません。
男たち、一通り手荷物を回収すると銃口で促し、目隠しをさせてから自分たちの車の後部座席に押し込んで発進させる。
見送る運転手と通訳。
Wattan 対抗車線を通過する車両の途切れたわずかの時間を利用した素早い動きは、とても素人とは思えません。さすがプロは仕事の手際がいいなあ。
男B (運転しつつ)ジャパン・プロブレム!
Wattan 目隠しをされて車に揺られること三十分。
安田 何度か方角を変えられたので正確にはつかみきれなかったが、まだアブグレイブの市内だろう。
男C シット・ダウン。
Wattanと安田、その場に腰を下ろす。
安田 目隠しをとると、赤い絨毯を敷き詰めた十畳ほどの部屋だった。
Wattan アラブ民家の一般的な大広間のようでした。
アラブ式の「ハッタ」という布をすっぽりと顔に巻きつけて目だけが見えるようにした「ミイラ男」みたいな覆面の男たち。
自動小銃を持ち、見張りについている。
覆面の男に所持品検査をされる。
他の男たちも入ってくる。
Wattan 手帳もパスポートも押収されてしまいました。
男A (電子辞書を示しWattanに)これは何?何に使うの?
安田 (男Bに指さされたものについて)カメラ。……レンズ。
男B ジャーナリスト?
安田 二人ともそうだ。
老人 イラクに来た目的は?
安田 米軍によるファルージャ攻撃の実態を確かめるために来た。連日の攻撃で罪もない女性や子供たちが殺されている実態を日本の人々に知らせたい。
老人 (ただ頷く)
Wattan 先に拘束されている日本人三人のことを知っているか。
覆面の男 (制し)待て、今は我々が質問している。
Wattan ……。
別な覆面の男は安田のビデオカメラを手に指示する。
「動かしてみせろ」という身振り。
「撮った映像を見せろ」という身振り。
安田 ここを、こうするんだ。
男B 「アル・ジャジーラ」(カメラを構える)
Wattan どうやら彼らは私たちを拘束した証拠画像を撮るつもりのようです。しかしカメラを持つ手がぎこちなさそうで録画ボタンの使い方も知らないようでした。
覆面たちはカメラに向かってアラビア語で何か喋っていたが、その場で思いついたような数秒程度の短い言葉である。
彼らはWattanと安田の姿を撮る。
座らされた二人の後ろに銃を構えた三人の覆面の男たちが立つ。
安田 名前を言わせてもらうふりをして日本語で「まったく問題ありません」って言えば、人質映像にならずにすむんじゃない?
Wattan 笑わないように。
男B これで日本は大騒ぎだな。
小さな子供がWattanと安田に紅茶を持ってくる。
男たちは押収物(撮影機材、ノート、手帳、財布、パスポート、上着等)をバッグごと持ってゆく。
覆面の男 あとで必ず返却する。
安田 (お茶をもらい)女性や子供のいる生活の場で乱暴なことはしないだろう。
男A (『パレスチナ・ストール』を鷲掴みに引ったくり、広げ)何だこれは?(そこに書かれているアラビア語の言葉を指差して読み上げてから)知ってるか(英語)?
Wattan 「血と大地」だ。
男A (黙って頷き)日本人がこんなもの持ちやがって!(ストールを両手で丸めて投げ返す)
Wattan (ムカッときて相手の眼を睨み返す)
男A なんだお前、こうしたいのか?(自分の頬をこぶしで叩くしぐさで挑発)
Wattan ノー。
男A (呆れたように笑い、寝転がる)
安田 覆面もせず顔をさらしているところを見ると、地域ぐるみの行動だろう。住民による検問か、自警団か。
Wattan、男Aに歩み寄って静かに話し掛ける。
Wattan あなた、あのストールは私がパレスチナの友達からもらった物だ。私の大切な物。私の友達だ。
男A (すまなそうな顔をして大きく頷く)あんたムスリムか?
Wattan コミュニスト(共産主義者)だ。
男A ……。
安田 夕方からは、この家の人たちばかりでした。
家主、「くつろげ」と身振りで示す。
安田、家の人たちと打ち解けようと、身振り手振りでコミュニケションを図る。
自分で持ってきたハッタを使って覆面男たちに真似をして顔をぐるぐると隠してふざける。
それを見た家の若者の一人が「いや、そうじゃないこうやるんだ」と巻き付け方を教える。
また別の一人が「そうじゃなくて、こういうのもある」という具合に巻きなおして別の方法を教える。
何度も巻き付け方を練習する。
Wattan 安田さんのコミュニケーション術がなかったらこの先も私たちは生き残れたかどうか危ういところでした。
子供 ジュンペイ、やってやって!
安田、ささっとハッタを顔に巻きつけて覆面姿になり、みんな喜んで見ている。
やってきた男Aがそれを直してやったりする。
一同、食事を囲む様子。
男A ソーリー。我々はあなた方をあくまでも客人として招いている。食事を同席するのがその証拠だ。
Wattan ライスを山盛りにしてその上に鳥の丸焼きをのせたものとトマトとレタスのサラダ、トマトの煮込みスープ、そしてホブスという平べったいパンという典型的なイラクの家庭料理。遠慮なくいただきましたが特にトマトの煮込みスープは美味しくて、
安田 これうまいね。
Wattan 美味い、美味い。
家主 (喜ぶ)こいつら、うちのトマトスープが美味いって言っているぞ!
Wattan・安田 ……。(食べる)
家主 実を言うとな、うちのクルマはトヨタだ。
一同、食後に外にでる様子。
Wattan ……夜、外には満天の星が輝いています。
家主 これまでイラクと日本が争ったことはなかった。だがアメリカに従って軍隊を送った以上は敵だ。
安田 言いたいことはわかります。でも人質にされた女性はイラクの子どもたちを助けていました。
家主 民間人を傷つけることはしないよ。今に解放される。あんたたちも明日か明後日か、十年後には解放されるよ。
安田 十年後……。なら嫁を見つけてくれ。
一同、笑う。
皆、寝ころぶ。
Wattan 夜は大広間に家族の男たち全員と寝ることになりました。十五人くらいいるでしょうか。二人づつ交代で不寝番を立てています。やっぱり見張られていることには変わりありませんでした。
遠くで爆撃の音。
G、出てくる。
G バグダッド郊外アブグレイブでまた日本人二人が拉致されたんだって。「ヤスダジャンベ」さんと「ワタナベ」さん。先に誘拐された三人は解放されたの。「サラヤ・ムジャヒディン」の声明は日本の市民が行ったデモを評価していた。イラク駐留自衛隊の撤退を求める日本人がいたから解放された。「イラクの人を嫌いになれない」って泣いてた高遠菜穂子さん。この人たちがいなかったら日本人全員がアメリカと一緒にイラクを占領したがってるみたいに思われてたのね。……けど政府・与党内からは相変わらず三人の自己責任を問う声が相次いで、公明党冬柴幹事長なんか「損害賠償請求するかどうかは別として、政府は事件への対応にかかった費用を国民に明らかにすべき」だって。安倍幹事長曰く「山の遭難では救助費用は遭難者・家族に請求することもあるとの意見もあった」。北海道出身の中川経産相は「人質の家族が東京での拠点に使った北海道東京事務所の費用負担をどうするか、知事は頭を痛めている」。なんだそれ。
人々、集まってテレビを見ている。
Wattan 翌日、テレビ放送を観ました。先に拘束されていた三人が解放されたニュースに一安心しました。
家主 あんたたちも明日には解放だ。
Wattan ……いよいよ私たちのニュースです。しかし撮影されたはずの証拠のビデオ画像はなくて、日本メディアが配信したと思われる安田さんの画像のみが映されています。
男A 使われなかったんだなあ……。
安田 ほんとに「アル・ジャジーラ」に送った?
Wattan やはり私たちは「誘拐」されたのではなくチェックポイントに引っかかった「不審人物」でしかなかったのです。
安田 荷物を返してくれるという話はどうなった。
男A 荷物はない。
安田 えー?
男A 解放は明後日になると思う。
安田 ……こいつらただのアリババじゃないのかな。
人々、引き上げてゆく。
子供が走ってきてWattanに英語の教科書を渡す。
Wattan 私のアラビア語は片言でもレバノン訛りで、いまひとつ通じません。子供に英語の教科書を持って来てもらい、基本的な疑問詞や単語を読んでもらって、それを覚えるようにしました。
家主 こらっ、お前ら何やってる。(手に持った短い棒で子供たちの尻を叩いて追い払う)英語じゃなくてアラビア語を勉強なさい。
Wattan そのつもりです。
家主 本当はどこまで喋れるんだ?
Wattan ……じつは私のレバノン訛りこそ、疑惑の対象だったのです。
男たちが入ってきて、Wattan・安田は目隠しをされ、連れてゆかれる。
Wattan 夕方近く。また移動することになりました。もう何回目でしょうか。行く先々で周りの雰囲気が変わるので、まるで「不思議の国のアリス」です。
Wattan・安田、また座らされる。
目隠しを取ってみる。
覆面の男と農民、子供たち。
覆面の男 君たちは明日の朝、解放される。
安田 じゃあ取材できるね。
安田 どうせ明日解放してくれるなら、カメラも返却してもらって後でファルージャ市内を取材する許可をもらいたい。
覆面の男 (一瞬驚くが、相手の顔色が曇ってくる)取材には応じられないだろう。
安田 バグダッドに戻る前、病院と爆撃跡に寄れると言ってたぞ。
覆面の男 ……。
安田 カメラだけでも返して欲しい。
覆面の男 明日だ。心配するな!
安田 あなたたちは日本政府に何も要求を出しませんでしたね。なぜ私たちを拘束したのですか?
覆面の男 ん~と、日本人だから。
Wattan えっ、日本人だから?それだけ!(大笑い)
安田 俺はイラクに住みたい。バグダッドは高いからアブグレイブがいいな。
覆面の男 いい部屋を紹介してやるよ。いつ来る。
安田 二ヶ月か三ヶ月後。
覆面の男 ……その頃じゃ、もうこの辺りはイラク人はいなくなってるだろうな。
安田 え?
覆面の男 アメリカに殺されて、イラク人はすっかりいなくなってるってことさ。
覆面の男、去る。
また男たちが入ってきて、Wattan・安田は目隠しをされ、連れてゆかれる。
外では車が近づいてくる音。
Wattan 翌朝、私と安田さんは多少浮かれた気持ちでいました。「さあ、お迎えが来た。いよいよ帰れるぞ」!
男A 頭を下げろ。
Wattan・安田、後部座席に横になる。
クルマが走り出すが、揺れが激しい。
運転の男 大丈夫か。
Wattan 一時間後。
クルマが止まる。
Wattan・安田、車酔いで気持ちが悪くなったかんじでようやく体を起こす。
五、六人の覆面の男たちが近づいてくる。
突然、ガタッとドアが開けられ、銃口を二人の胸に押しつける。
覆面の男 (流暢な英語で乱暴に)外に出ろ。お前はアメリカと一緒に働いているのか?ファック・ユー・アメリカ!
びっくりしているWattan・安田、そのまま胸元を鷲掴みにされ引っ張り出される。
そのままズンズンと引き回されて歩く。
覆面の男 ストップ。
立ち止まると目隠しを外される。
安田 目隠しを外されると、目の前に黒板があった。どこかの小学校のようだった。
覆面の男 端っこに座れ。
安田 解放じゃないのか……。
覆面の男、銃のセフティー・レバーを外し、ボルトをスライドさせてから銃口を向け構える。
Wattan・安田、黙って指示に従い席に着く。
遠くに、飛行機の飛んでいる音……。
覆面の男 アー、ユー、(低く)FBI? CIA?
安田 アー、ユー……?
覆面の男 (怒り叫ぶ)FBI?
安田 (低く)違う。
覆面の男 (怒り叫ぶ)CIA?
安田 (低く)違う。
Wattan 我々は刑務所の近くにいたから、米軍の工作員と思われたのかもしれません。
覆面の男 役者だなあ! たいしたもんだ。おまえたちは全てを知っている。アラビア語を理解していることもわかってる。(トーンを上げ)農民や子供は騙せても我々には通用せん!
Wattan そういうことか。我々の動向は全てこの査問のため報告されていたのです。
別な覆面の男 一人ずつ質問に答えろ。何時間かしたら解放する。
覆面の男 (激しく)逃げようとしたら撃ち殺す。
安田、別室に連れ出されてゆく。
Wattan、数人の覆面男に囲まれて取調べを受ける。
若い別の覆面男、鉄パイプを触って「カラカランッ」と、わざと音をさせてプレッシャーをかける。
覆面の男 パスポートにレバノンのビザがたくさん押してある。
Wattan 友人に会いに行っただけだ。
年配の覆面 あっそう。
Wattan 私はコミュニストだ。
年配の覆面 コミュニスト。
Wattan イラクでもコミュニストといえばサダム時代からずっと反体制派の代名詞のはずでした。
覆面の男 どんな活動をしてる?
Wattan 本の出版とWebサイトだけ!
覆面の男 それだけか!
年配の覆面 日本政府は君が拉致されたと知ったらどんな対応をすると思う?
Wattan 殺そうと思っているなら、どうぞ殺してください。しかしそれは日本政府を喜ばせるだけでしょう。なぜなら私は反政府・反体制派だからです。
年配の覆面 ……サマワには行ったか。
Wattan 私はサマワでの活動内容を教えました。
別な覆面の男 アメリカのために働いてるんじゃないんだな。
Wattan (頷く)
覆面の男 俺はあいつらに捕まったことがある。チェックポイントで車を停められた。「お前たちは不審者だから逮捕する」。理由なんて言いやしない。
別な覆面の男 (怒りに満ち)やつらは俺たちをコンクリートの狭い部屋に閉じ込め、何日もかけて拷問する。番号で呼ばれ、毎日毎日、殴る蹴る。トイレに行かせない。
覆面の男 家族に連絡は行かない。みんな眠れず心配したさ。俺たちも眠らせてもらえない。七時間立たされ七時間しゃがむの繰り返し。糞も小便も垂れ流し。
別な覆面の男 ある時、個室に入れられて、服を脱がされた……。
覆面の男 裸に剥かれて水をぶっ掛けられた。獣みたいに。(無表情のままで)いいか。やつら尻の穴にホースで水を突っ込みやがった……。
別な覆面の男 何をされたか想像してみろ。俺の人生は終わった。復讐するしかない。
Wattan ……そうだ。彼らはアメリカ兵にやられたことのごく一部を我々にも味わさせようとしたのだ。幾つかの「アブグレイブ流」が行なわれた。目隠し。罵倒。「明日解放する」と言って期待させ、失望させる。アメリカの手口だ。
安田、他の覆面の男に押されて戻ってくる。
安田 あなた方は米軍がイラク市民を殺しているという。ならばなぜその事実を知らせようとしない。アメリカは兵士しか殺してないと言い張ってる。それを覆す事実を俺たち外国のメディアに公開してくれ。
別な覆面の男 上の連中に言ってくれ。
Wattan (安田に)そういう交渉をするからスパイ容疑が晴れないんじゃないですか。
安田 (別な覆面の男に)これは交渉じゃない。あなたの意見を聞きたいのだ。
覆面の男たちがマットレスと毛布を持ってくる。
年配の覆面 くつろぎたければ好きにしろ。
Wattan 食事も含め、待遇は丁重なものだった。
覆面の男 状況が変わった。荷物は帰ってこない。最初におまえたちを捕まえた連中が、実はアリババだったんだ。やつらが持って行ってしまった。
安田 道具がないと商売あがったりだ。俺だって貧乏なんだぞ……。
年配の覆面 (Wattanに向けて声を荒げ)俺の前でまばたきするな! 今度やったら撃ち殺す。(拳を握りしめ、ポキポキ鳴らす)
安田 そいつは「ムジャヒニン」の中堅リーダーだ。
Wattan ……ひょっとしたらここから出られないのではないかという恐れが湧いてきました。
夕闇に包まれている。
覆面の男たち、いったん出て行く。
Wattan・安田、敷かれたマットの上に転がっている。
Wattan まいったなあ……。
覆面の男たちがぞろぞろとやって来る。
年配の覆面 とてもシンプルな問題だ。我々の中の何人かは、お前たちをスパイだと思っている。
別な覆面の男 おまえは空手ができるそうだな。
安田 ……できる。
別な覆面の男 やはりおまえはデンジャラスだ。
Wattan 正直言って落胆しました。死にたくなるような気持ちです。あれほど説明したにもかかわらず、真意が伝わらなかったのでしょうか。いくら敵意がないと言っても、それを証明する情報が外から伝わってこなかったら、まったく意味を成さないのでしょう。テレビを観て確認できたのは安田さんの映像だけだったので、このとき私は、日本では安田さんの救援しか動いていないのだと思っていました。
若い覆面 ムスリムは死ぬと天国に行くが、仏教はどこに行く。
Wattan ……まるで死刑執行を待つ囚人のようです。
年配の覆面たちは廊下に出て他の連中とボソボソと話し合っている。
Wattan・安田、黙って頭を垂れながらマットに座って待つ。
再度、覆面たちが何人か部屋に入ってくる。
若い覆面 あんた空手マンなんだって。ブルース・リー? ジャッキー・チェン?
安田 技を教えよう。
安田、Eに少林寺拳法の急所を教えようとにじり寄り、肘間接内側近くの急所を押素組み技をしかけたが効かず、跳ね返される。
隣りにいたもう一人の覆面が「何ごとか!」と思ってとっさに銃口を向ける。
すぐに冗談だということが互いに判り、顔にも笑みが浮かぶ。
若い覆面 俺はストロングなのだ。
安田 最近からだがなまってる。次に会ったとき勝負だ。
若い覆面 なんでおまえはムスリムにならないのだ。
安田 ビールが好きだからだ。
若い覆面 ビールなんか飲んでも、酔っぱらって頭がおかしくなるだけだろう。
安田 でも気持ちいいよ。飲んだことあるのか。
若い覆面 ないさ。でもムスリムになるだけで、ビールなんか飲むよりずっと幸せな気分になれる。
安田と若い覆面、すっかりうち解けて、腕相撲をやり始める。
別な覆面の男 ジュンペイ、お前は明日解放する。
安田 ……。
別な覆面の男 ジュンペイ、荷物は明日返す。
安田 ……。
Wattan 聞き間違いかと思いましたが、二回続けて私の名前が出てきません。頭の中が真っ白になりました。
覆面の男 どうした、ワタナベ。今日は元気がないな。
Wattan ……自分の人生はなんだったのか。十四年前、自衛隊を除隊してすぐ右翼団体のルートで、ビルマで抵抗闘争を続けていた『カレン民族解放戦線』に義勇兵として参加しました。本物の戦場で死んでいく兵士たちの命の虚しさを思い知らされ、それでもなお、自由を求め闘う人々の姿に共感を覚えました。マラリアを患い半年、発熱を繰り返しリタイヤ。……国の命令ではなく、自分の意志で闘いに参加する『義勇兵』になりたかった。湾岸戦争が始まると、ブッシュ来日反対闘争で首相官邸に赤ペンキを撒き、逮捕された。フセイン政権下のイラクにも渡った。やがてマイノリティーを視座に入れない「民族統一化」に嫌気がさし、右翼から転向。死刑囚の救援に関わり、NGOから生活支援スタッフとして一年間、レバノンに派遣された。帰国後は次第に反戦運動を現場とするようになった。そんな私の人生も、一瞬にして白紙に変わるのであればそれもまた一興でしょう。しかしまだ遣り残したことがあります。
G、現れている。
G 私が言いたいのは、沖縄の辺野古のこと。海上基地建設がどう考えたって無理なのは明らかなのに、日本政府は建設を既定方針としてボーリング調査を強行しようとしてる。そんなことしたら珊瑚礁はいっぺんに死んでしまう。少しも報道されないけど、沖縄から派遣された海兵隊が、ファルージャ住民虐殺の主役なの。三分の二が沖縄から出撃してるの。オジィ・オバァが海岸で、海上基地建設を阻止する座り込み闘争を始めてる。……日本でファルージャに一番近いのは辺野古のオジィ・オバァたちだと私は思う。
G、去る。
覆面の男たち、あらためてWattan・安田を囲む。
年配の覆面 日本に帰ったら伝えて欲しいことがある。
覆面の男 「我々は、今後もアメリカ・イギリスと戦闘を続ける。我々は自衛隊の撤退を望む。日本人は私たちの友人なので、傷つけたくないからこれ以上イラクに来ないで欲しい」……。
覆面の男 これから、ジュンペイとワタナベを解放するが、お前たちのカメラは我々にとっても必要なので頂くことにする。おまえは欲しければ日本で買えるんだろう。ワタナベの所持金も必要経費として頂戴することにした。
安田 返してくれる約束だ。
覆面の男 カメラと命のどちらが大切だ?
安田 ……家の鍵と自転車の鍵だけは返してください。持ってても仕方ないでしょう。
別な覆面の男 ……。(頷いて取り出す)
Wattan パスポートがないとチェックポイントで捕ってしまう。どうしてくれる?
覆面の男 後でちゃんと返すから心配しなくてもいい。アパートまで持ってってやる。
年配の覆面 一つ提案がある。
Wattan・安田 ……。
年配の覆面 日本企業はファルージャでコンピュータを作ったらどうだ。
Wattan・安田、また目隠しされ、クルマに乗せられ、移動する。
G、立ち上がる。
G 夜中だったけど、私は出掛けた。いても立ってもいられないって、ああいうことを言うのね。(スプレーを取り出す)私は落書きをすることにした。どこにしたかは内緒。落書きなんかだいっ嫌いな私がする落書き。だからこそ価値がある。……なんて勝手かな。(スプレーする)……「戦争反対」。……「反戦」。……(身構えて止まる)そしてなんて書いたか、それは見つけてもらいたいの。この街のどこかで。
G、スプレーする。
Wattan・安田、またクルマに乗せられ、上半身を下げて椅子に寝込むような姿勢を取らされて移動する。
車外からたくさんの車が行き交う騒音やクラクション、人のざわめき。
若い覆面 あっヤバー!
運転の男 アメリカだ、アメリカ。気をつけろ。ファック・アメリカ!
途中、何かのチェックポイントらしい場所に差し掛かる。
一旦停車してなにやら外の人と話している声が聞こえててくる。
無事に通過できた様子。
……やがて静かな場所にさしかかった。
車が停まる。
若い覆面 降りろ。
Wattan・安田、降りる。
若い覆面 座れ!
Wattan・安田、その場にしゃがんで待つ。
何人かの走る足音、車のドアが閉まる音、三台ほどの車が発進するエンジン音。
そして、静寂。
「チュン、チュンチュン」、雀のような鳥の声、聞こえてくる。
Wattan、恐る恐る、自分の手で目隠しを外す。
Wattan なんか、目隠し取っても大丈夫みたいだよ。
安田 ……。(顔に巻き付けた布を取って周囲を見渡す)
Wattan そこは広いサッカーグラウンドのような場所でした。人の気配がしたのでふり返ると、そこには民家があって、門の上から男性が顔を出し、こちらを窺っていました。あらかじめその家に電話で「行方不明になっている日本人を二人、届けに行くからウラマー協会まで連れて行って欲しい」と連絡があったのです。……イラクでもレバノンでも親しい人達は私を「Wattan」と呼びます。その度、私は自分が彼らに応えられているのかどうか考えます。Wattanとはどの国でもアラビア語で祖国を意味するのです。
Wattan、ガッツポーズをとる。
安田、架空のカメラでそれを撮影する。
溶暗。