Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

思うことしかできない。院長の死と、永遠の苦難を前に。

2016-12-31 | Weblog
いろいろな人が私に連絡をくださった。

『バートルビーズ』は、「T病院事務局長の証言」という長いモノローグで始まる。この「T病院」のモデルが福島県双葉郡広野町の「高野病院」である。
昨夜遅くに同病院の敷地で火事があり、高野英男院長が亡くなられたというのだ。
院長の娘さんである同病院の事務長さんとは、私が同病院を訪問して以来、親交が続いていた。
以来、この人たちの生き方に、励まされ、考えさせられてきた。
本当に悲しい。

いろいろと辛くせつないことが続く年の瀬である。
今は思うことしかできない。


報道は以下の通り。

原発事故後も診療、福島・広野町の病院で火事
 福島第一原発のある福島県双葉郡で、原発事故後に唯一診療を続けていた病院の敷地で火事があり、院長とみられる遺体が見つかりました。
 火事があったのは、福島県広野町にある「高野病院」の敷地内にある住宅です。30日午後10時半ごろに火が出て、木造平屋建ての住宅の一部を焼き、建物の中から男性の遺体が見つかりました。
 住宅にはこの病院の院長の高野英男さん(81)が1人で暮らしていて、警察では遺体が高野院長とみて身元の確認を進めています。
 高野病院は福島第一原発事故の避難区域のある双葉郡で唯一、稼働している病院で、高野院長は震災後から診察を続けていました。(31日11:22)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2950884.html


しかし、なんという無惨かと思うのは、院長の死を受け入れなければならないせつなさと同時に、私たちが永遠に続くような苦難を前にしていることだ。

福井県の高速増殖炉「もんじゅ」について、政府は廃炉を正式決定しても、技術的に廃炉にするめどは全く立っていない。燃料の取り出しも最短で6年かかるうえ、一般の原発とは異なり、冷却に水ではなくナトリウムを使う必要があるが、直接冷やすナトリウムは放射線量が高い。政府は廃炉に向けた研究拠点を福井県内に作るというが、まだ方策は見えていない。費用はいったいどれだけかかるかわからないのだ。
運転開始から22年で、稼働していたのはわずか250日。その間の最大出力も40%。
運転開始翌年にはナトリウムが漏れる事故が起き、長期停止。
廃炉は当然として、これまで1兆円を超える巨費が投じられた巨大国家プロジェクト失敗の責任は誰が負うのか。
文部科学省内の検討でも、もんじゅの運転を続けるには、新基準審査や対策に5400億円以上の追加費用がかかることがわかり、むしろカネの問題での廃止という見方も出ている。廃炉作業じたい、およそ30年にわたって行われ、費用は少なくとも3750億円かかるとされている。
原子炉に入っている核燃料は、一般の原発と異なり、簡単には取り出せない。370体あるもんじゅの核燃料は互いが支え合うように炉内に入っており、崩れぬよう、核燃料を取り出すごとに模擬燃料を入れる必要があり、この模擬燃料を新たに作るのにおよそ2年はかかるという。
政府は、もんじゅの次の、核燃料サイクルの柱である「実証炉」というステップに向け、高速炉開発を進める考えだというが、この高速炉の開発は、フランスが建設を目指す高速炉「アストリッド」との提携関係が必要で、フランス側から費用の半分の負担を求めているとも言われている。
どこまでいっても原発にまつわる問題は、カネ、カネ、である。

原発の使用済み燃料を再処理する工場である「東海再処理施設」も廃止が決まった。
が、2016年12月5日の朝日新聞によれば、、ずさんな廃棄物の管理や老朽化したこの施設の様子から、解体作業が極めて難航しそうな状況がわかったという。
水が濁ったプール内には廃棄物入りのドラム缶が約800個、乱雑に積み上がっており、ドラム缶の山の高さは約7メートル。水中カメラを近づけると茶色い物体が舞い上がったという。「水あかか、さびなのかはわからない」
というが、ドラム缶の中身は、バラバラにした使用済み燃料の被覆管。1977~94年に投入されたもので、つり下げたワイヤを切って投入したといい、プール内でワイヤが複雑に絡み合っているとみられる。ドラム缶が腐食し、廃棄物が漏れている可能性も指摘されている。
水面の放射線量は毎時3ミリシーベルト。一般人の1年間の追加被曝限度の3倍を1時間で浴びる数値だという。水の浄化装置はない、という。

また、敷地内には中身がよくわからない廃棄物の容器が多数あるといい、ふたを開けて分別し直す必要があるという。

原子力規制委員会の担当者は「原子力機構だけでなく、旧科学技術庁も旧原子力安全・保安院も、見て見ぬふりをしてきた」という。

再処理の際に出た約400立方メートルの高レベル放射性廃液は、人間が近づくと20秒で死亡する毎時1500シーベルトの線量があるという。放射性物質を多く含み、放っておくと自ら発熱して水素が発生し、水素爆発する危険性があるため、原子力機構は廃液をステンレス製のタンク6基に保管して水を循環させて冷やし、水素の換気も続けている。2011年の東日本大震災では40時間以上にわたって外部電力が失われ、非常用発電機でしのいだという。
原子力機構は11月30日、廃止が完了するまでに70年かかり、当面10年間に約2170億円かかるとの工程を規制委に報告したそうだ。
そうした数字も当てにはならない。作業は簡単には進みそうにない。高放射性固体廃棄物貯蔵庫のプール底のドラム缶について、原子力機構は「取り出しを考慮していなかった」。
今後、装置を開発して、水中でワイヤを切りながら一つずつ持ち上げる方針だという。
施設そのものも汚染されている。使用済み燃料を粉々にした施設の内部の放射線量は毎時200ミリシーベルト。担当者は「遠隔操作で機器を解体するのか、人が入れるまで除染するのか検討中」と語ったそうだ。
廃棄物の処分先の見通しもないという。高レベル廃棄物は地下300メートル以下より深い場所に10万年間埋める。国が年内にも処分に適した「科学的有望地」を示す方針だが、決まらなければ施設で保管し続けるしかないということだ。 

廃止実現の厳しさはもちろんだが、事故に遭った原発の現状維持も困難だ。
福島第一原発3号機。事故で核燃料が溶け落ちていて、今でも1時間に4トン余りの水を注入して冷却する必要がある。
東京電力によれば、この12月5日にも、冷却に使う注水ポンプがおよそ1時間停止したという。作業員がよろめいてスイッチにぶつかり、スイッチを切ってしまったことが原因だとしている。
こんなことが日常茶飯事なのだ。
なんという心許なさだろう。

一方、日本政府は、英国が計画する原子力発電所の建設プロジェクトを資金支援するという。英国政府から原発の建設・運営を受託した日立製作所の英子会社に国際協力銀行(JBIC)や日本政策投資銀行が投融資。総額1兆円規模になるという。

政府は原発輸出に力を入れているが、ベトナムでの新設計画が中止になっている今、なりふりを構っている余裕はないということだろう。

しかし東芝は27日、2017年3月期に米国の原子力発電事業で数千億円(数十億ドル)規模の減損損失が出る可能性があると発表。
原発企業は結局立ちゆかぬ運命だとして、その後の責任は誰が取るのだ。

原発事故による避難者への「いじめ」、非人道的な「住宅打ち切り」といった、非人道的な状況は、終わらない。

そんな中で、高野病院の存在は、希望の灯だった。
震災に遭っても、第一に、患者たちを守ってきた。動かすことのできない患者がいるときにどうするのかという課題に立ち向かった。

去って行った病院たちが高額の補償金を得る中、この病院への公的支援は滞り、裁判を経て、今年、ようやく補償を勝ち取ることができた。それとて、額としては廃止した病院よりも額が少ないという矛盾があった。

院長の、そして事務長の、スタッフたちの意志によって存続し続けてきた病院だ。
残念でならない。

私はTwitterをやらないが、知人が教えてくれたTwitter情報では、高野病院は、広野町の町長が南相馬市長にお願いして、南相馬市民病院の医師が当面来て業務を引き継いでくれることになったという。
その話を聞いて、初めて涙が出た。


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三上智恵監督新作『標的の島 風かたか』、舞台となっている宮古島での上映会

2016-12-31 | Weblog
来年1月8日、日曜日。三上智恵監督新作『標的の島 風かたか』の上映会が、宮古島公民館大ホールで行われる。
10:00/14:00/18:30の3回上映。

3月の全国公開に先駆けて、宮古島の1月22日の市長選への判断材料の一つにしてほしいと、三上監督が配給会社と交渉して実現したワンディ上映会、という話も伝わってきている。当日、三上監督のトークもある。

映画の内容については、試写を観た日のことをブログに記した。
http://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/bcf940e351fbf2e99748015301796394

1月22日には市長選の他に市議補選も行われる。
最も大きな争点が何であるかは有権者それぞれの思うことであろうが、宮古島への「陸自配備」の問題を避けて通ることができないのは事実だろう。

この市長選・市議補選立候補者で、「陸自配備反対」を、明確に、最も重要な争点として主張しているのは、誰か。
候補者が出揃う、あるいは絞りきることが困難であったこれまでの過程は、誰もが知っている。
ひょっとしたら激しく迷いながらも、誰かが、この短い期間の中で、あえて、市長選・市議補選を戦おうと決意しなければならなかったとしたら、そうさせたのは、ただ「戦争に向かう道」をきっぱりと拒否する「決意」であろう。

どのような権力者が迫ってきても、自分の意志で「ノー」と言えるのは、誰か。
戦争を拒否するというのは、敗戦を経た先達たちから引き継ぐべき、七十年越しに保たれてきた決意ではなかったのか。
それを「戦争を知らない世代」が引き継ぐことの貴重さを、知るべきである。

この島に新たなミサイル部隊等を置こうとする国家の強制力は、しっかりとこの島を包囲している。
国防は国の専権事項ではない。丁寧であろうがむりやりであろうが、当事者である島の人たち自らが「理解」できないことを、他者に強要させられるべきであるはずはない。
住民を切り捨てる国政に対し、住民を裏切ってきた過去の首長らに対し、毅然と拒否の態度を示すことのできる者は、誰か。

私の個人的見解ではあるが、宮古島の人たちは、そうした課題を抱えながら、この映画を観ることになるのだろう。
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