江古田にある小劇場・稽古場「ストアハウス江古田」が閉鎖となった。
私が燐光群の公演をしたのは1985年の夏。
『蝶たちの獄』初演である。
暑かった。
劇場費を先払いして、クーラーを買ってくれと言ったが、間に合わなかった。
いろいろ思い出がある。
当時は「ストアハウス江古田」ではなく「七転舎アトリエ」だった。
早稲田大学から出てきた劇団の稽古場だった。
山川直人監督の自主映画『アナザ・サイド』で描かれていた団体である。
「七転舎」以外の団体で、初めてここで公演したのが、私たちだった。
「フィジカルシアターフェスティバル」で、インドネシアの今は亡き盟友ジョーコの「シアター・ルアン」が、懐中電灯だけの芝居をやった会場でもある。
その後、ストアハウスじたいは上野に引っ越した。
「七転舎」は「ストアハウスカンパニー」になっていた。
江古田は貸し稽古場として継続していた。
閉鎖はビルの老朽化のためで、来年早々取り壊すことになったという。
オープンからは33年。
私たちは32年前に公演をしたわけだ。
昨夜、「さよなら江古田ストアハウス」というお別れパーティが行われ、私は深夜に挨拶に行った。
オーナーの木村さんご夫婦とも挨拶できた。
シライケイタ、扇田拓也といった一回り下の世代の人たちとも会った。
考えてみると彼らも既に「若者」ではない。
その場所にいると、23歳の自分が感じた空気を、32年経って、追体験することになっているわけだった。
なんとも不思議だ。
さようなら。
そして、ありがとう。
私が燐光群の公演をしたのは1985年の夏。
『蝶たちの獄』初演である。
暑かった。
劇場費を先払いして、クーラーを買ってくれと言ったが、間に合わなかった。
いろいろ思い出がある。
当時は「ストアハウス江古田」ではなく「七転舎アトリエ」だった。
早稲田大学から出てきた劇団の稽古場だった。
山川直人監督の自主映画『アナザ・サイド』で描かれていた団体である。
「七転舎」以外の団体で、初めてここで公演したのが、私たちだった。
「フィジカルシアターフェスティバル」で、インドネシアの今は亡き盟友ジョーコの「シアター・ルアン」が、懐中電灯だけの芝居をやった会場でもある。
その後、ストアハウスじたいは上野に引っ越した。
「七転舎」は「ストアハウスカンパニー」になっていた。
江古田は貸し稽古場として継続していた。
閉鎖はビルの老朽化のためで、来年早々取り壊すことになったという。
オープンからは33年。
私たちは32年前に公演をしたわけだ。
昨夜、「さよなら江古田ストアハウス」というお別れパーティが行われ、私は深夜に挨拶に行った。
オーナーの木村さんご夫婦とも挨拶できた。
シライケイタ、扇田拓也といった一回り下の世代の人たちとも会った。
考えてみると彼らも既に「若者」ではない。
その場所にいると、23歳の自分が感じた空気を、32年経って、追体験することになっているわけだった。
なんとも不思議だ。
さようなら。
そして、ありがとう。