アメリカによるイラン軍幹部「謀殺」の報道。
なぜアメリカだけが「世界の警察」として振る舞えると思うのか。
どのような事象もどの立場に着くかによって見え方が違うという事実を認めるなら、決してやってはいけないことだ。
外交を放棄して戦争を選択したに等しい。
日本がアメリカの友人なら、「そんなことはやめなよ」と諭すべきである。
平和憲法を抱く国として。
自衛隊の中東派兵など、論外。
即刻中止しかない。
写真は三年前ちょっと前の沖縄・高江。米海兵隊北部演習場ヘリパッド建設に抗して。
アメリカによるイラン軍幹部「謀殺」の報道。
なぜアメリカだけが「世界の警察」として振る舞えると思うのか。
どのような事象もどの立場に着くかによって見え方が違うという事実を認めるなら、決してやってはいけないことだ。
外交を放棄して戦争を選択したに等しい。
日本がアメリカの友人なら、「そんなことはやめなよ」と諭すべきである。
平和憲法を抱く国として。
自衛隊の中東派兵など、論外。
即刻中止しかない。
写真は三年前ちょっと前の沖縄・高江。米海兵隊北部演習場ヘリパッド建設に抗して。
ほんとうに今年、オリンピックを開催するのだろうか。
この国で。この町で。
「国力」が落ちまくっている中で、なぜ開催を求めたのだろうか。
この国の「依存症」は並大抵ではない。
オリンピックを開催することで何かいいことがある、何かが変わる、と思っているのだろうか。
何か発想が逆なのである。
オリンピックは何もしてくれない。人間が何かをするのである。
オリンピック強行に至る全ては、この国の、アメリカ依存症、「経済発展」依存症、「過去の歴史」依存症、みたいな依存症候群の発展形でしかないのだが、表面上はそう見せないようにしている。
無理やりな出来事というものは、過去にもあった。それでも過去にはいくばくかのリスクがあっても人間のエネルギーのようなものが、それを乗り越えたり、埋めたりしてきたのだろうと思う。
今は真逆である。
みんなわかっていないわけではないはずなのに。マラソンの札幌も、誰がどう金を出すのかという推移を見ていると、巨額を動かすにもかかわらず、この「ザル」のような緩さに、唖然とせざるを得ない。
開催自体も困難が多いが、既に「終わったあとがたいへんだ」という言説が浸透している。こんなのは、ヘンだろう。
底冷えのする寒さである。
オリンピックという「制度」じたいは批評されていかなければならないが、人間のやることじたいは尊重されなければならないという気持ちは、ある。
多くのことに、引き裂かれる。
写真は昨日の新幹線からの富士山。
一時間くらいは通路に立ったが、後は座れてよかった。
映画館というものに、久しく行っていない。数ヶ月になるだろう。『パラサイト 半地下の家族』をもうやっているというので観たい気がしているが、日比谷だけらしいのもあるし、難しいだろう。『スター・ウォーズ』最新作はIMAXでないと観たくない気がするのだが、どうも行けない気がしている。