私の出身地・岡山が「ソースカツ丼」文化圏であることは、かねてからお伝えしてきた。
「ソースカツ丼」にもいろいろある。
「卵とじカツ丼」ではない、という意味では、ソースが洋風でも和風でも、「ソースカツ丼」と考えてきた。
「卵とじカツ丼」を誹謗する気持ちはない。「煮カツ丼」よりも「煮ていないカツ丼」に軍配を揚げただけだ。
すぐれた「卵とじカツ丼」が実在することも、私は知っている。
さて、私の最近のお気に入りは、新潟の「タレカツ丼」であった。
それは、信州駒ヶ根あたりがさらっとした「ソースカツ丼」で攻めているのとも、微妙に違う行き方だ。
店によっては、山椒を振りかけることが推奨されていたりするのも、新機軸だ。
「ソースカツ丼」圏でも、カツの下にキャベツの千切りがあるかどうかという、流派の違いがある。
「味の付いたカツ」だけでいいのか、タマゴがないのはいいとして、さみしすぎるからキャベツを敷きたい、という地域の方々の悲鳴が、丼の中から聞こえるときもある。
だが、私は、「カツだけ」も悪くない、と思うのだ。
昨今、「ソースカツ丼」は、「カツだけ」派が勢力を増していた。と、思う。
さて、ここにきて、「卵とじカツ丼」ではないけれど、丼ご飯の上にタマゴを敷いて、その上に味の付いたカツを置く、という、新流派が登場した。
「卵とじカツ丼」が「タマゴの上に載せカツ丼」に「進化」して、人々に対して、「タマゴとカツの相性」を忘れてやしませんか、しかも「味付けは和風だしというかタレで」という構えである。
私も決して純粋「カツだけ」派としてだけ、日々を過ごしたいと思っているわけではない。「タマゴとカツの相性」に惹かれる自分を否定できないときもある。
そして、時の推移の中で、「タマゴの上に載せカツ丼」というものが登場していることを知った。
都内に数軒現れているという。
渋谷の店に行った。行列がすごかった。そして、人気に乗じて、年を越したときに価格を5割上げたという店である。
この「タマゴの上に載せカツ丼」には、なんと、玉葱が入っていない。「純粋タマゴ派」なのだ。結果は、悪くないと思った。
お薦めもしたいと思った。
だが、純粋「カツだけ」派である自分も、捨て去れない。否定できない。
「進化」を否定するのではない。
それまでなかっただけで「新しい」「進化」という評価を与えるのではなく、純粋「カツだけ」派もまた、まだ道半ばであり、さらなる飛躍もありうると思うからだ。
締切はどうした、と言われても、頭を切り換えるためにこんなことを書きこむことは、許してほしい。そして、この話は終わらないのだ。でも、今日はここまで。この世のいろいろな出来事から、いっとき逃避して、カツ丼のことだけ考える時間も、あってもいいじゃないか。というだけのことである。