必要があって、川上未映子さんの『夏物語』を読む。
第二部の方が圧倒的に読みやすい。その読みやすさが、どういうことなのかを、考えている。第二部は、村上春樹的な会話と地の文の繋がりの法則、そして翻訳可能文体の特徴を備えているわけだが、それだけだとは思いたくない。
例えば、「(子どもの頃)海と、港の違いがわからなくて」という台詞が見事に効果的に立ち上がってくるためには、それを誰が誰に言うかということの選択と必然の説得力が備わっていなければならない。それにはこれだけの長さ(650ページ)が必要だったということだろう。子どもの頃の時間と現在の共存する文字空間が、批評性を備えた立体像に到達できたことを、読む者も自然に祝福できる。
さいきん、身近なところでも出産があったばかりだが、「子どもをうみだす」ということがどういうことなのか、あらためて、考えさせられる。
以上、覚え書きとして。