考えてみると、ずっと富士山が見える場所にいたことって、ないような気がする。
そういうつもりで周りを見ていなかっただけだからかもしれないが。
焼津。
焼津での公演は、12月3日でした。
燐光群『わが友、第五福竜丸』 既に終わった上演情報です。
↓
https://rinkogun.com/portfolio/20231117_wagatomo_dai5fukuryumaru/
考えてみると、ずっと富士山が見える場所にいたことって、ないような気がする。
そういうつもりで周りを見ていなかっただけだからかもしれないが。
焼津。
焼津での公演は、12月3日でした。
燐光群『わが友、第五福竜丸』 既に終わった上演情報です。
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ビキニ事件で被爆したマグロ漁船「第五福竜丸」。
じつはその前身は、カツオ漁船「第七事代丸」だった。
カツオを捕るために、先端部分が突き出ている。
この部分はマグロ漁船「第五福竜丸」に改造されたときになくなっている。
「第五福竜丸」の見崎吉男漁労長は、船主の西川さんが船長だったカツオ船「第二福竜丸」に乗っていたが、三崎のマグロ漁法をみっちり学ぶため「第七事代丸」に派遣され、そのまま残った。「第五福竜丸」の船長になった筒井さん、機関部の山本さんも一緒だった。
見崎漁労長は、漁師としては十五年の年季だが、はえ縄の経験は浅い。そのことが、思わぬトラブルを幾つか招き、船が事故に巻き込まれる「不幸な偶然」をうみだしたのではないかとも、推測される。
この写真は、「第七事代丸」として古座造船所で造船された、和歌山県串本町の串本町文化センター二階のロビーに飾られている。造船の歴史の解説、設計図、道具等、関連した資料がもともと常設展示されているのだ。
この劇場で『わが友、第五福竜丸』は、大千秋楽を迎えた。あらためて、数奇な運命を辿った船の変遷に思いを巡らし、感慨深い。
燐光群『わが友、第五福竜丸』 既に終わった上演情報です。
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