Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

帰京してから

2012-12-25 | Weblog
帰京してそのまますべきことを消化、体調もすっきりしないのにやること多く、結局蒲団でちゃんと寝たのは帰宅後二十四時間以上経ってからだった。それでもさすがに蒲団の威力を感じ短時間だがすっきり眠り目覚めると、もうクリスマスイブ。先日東君と紀伊國屋演劇賞お祝いの電話で話し、久しぶりに桟敷童子の芝居を観ることに。すみだパークスタジオ〈倉〉で「泳ぐ機関車」。少年が今はなき自分の生まれ故郷をモノローグで振り返って牽引する回想劇なので、確かに多くの人が指摘するように鄭義信の影響を強く感じさせるが、義信作品が「僕はこの町が嫌いでした」と言うのに対し、東憲司は「僕は大好きです」と言わせる。その違いが劇全体の空気の違いとなっている。照明(ライトカーテン)と花道の多用で更に速度を増した舞台転換の素早さ、以前に比べると省略の技法を身につけた展開、俳優たちが意欲と自信に満ちていることじたいは良いのだが、登場人物たちが登場時の紹介の仕方でその後どうなるかだいたい見当がついてしまう作劇は、好みが分かれるだろう。ひまわりや機関車についての伏線の張り方というより説得力がもう一つほしいと思っていたら、この劇は他の東作品の前段に当たるシリーズの前日譚ということらしく、それで説明が甘くなっているのかもしれない。ラストにひまわりを見せるのは、このやり方なら勇気を持ってもっと鋭くほんの一瞬でいいし、そこにいるのは母親一人のほうがベターと思う。このケースだと、少年は母親の顔を知らないという印象を確実に与えておいて、幻のひまわりの中に初めてその像が見えたというふうにもっていかないと、もったいない。劇中の情報を、観客も含めたそこに立ち会う者のうち、誰がどこまでわかっているかということを操作する視点は、じつは物語性の強い戯曲の場合、必須である。最後の独白で、それまで斜視で、独白も下手端の位置で横向きだった少年が、初めて中央で正面を向いて目線が真っ直ぐになる瞬間は、その目玉の角度の変化だけで、どのようなスペクタクル的な趣向よりも劇的高揚を誘う。もう二十何年かのつきあいになるが、あらためて東独自の繊細さとその成熟を感じた。既に完売の千秋楽を残すのみということなので、感想を記した。……そのまま帰宅しても家では私の関係ないクリスマスパーティーをしているため、総武線から東中野経由、豊島園に行きIMAXで『007 スカイフォール』を観る。十年前までドンマー・ウエアハウスの芸術監督であり、ロンドン演劇界のホープであったサム・メンデスが『007』をどう撮るかは興味深いところであった。もう一日一回だけの上映になってしまっていたので、飛び込むことにした。IMAXは大画面だが後方の席だと前席に背の高い人が座ると確実にその頭が邪魔になってしまう。まあそれも臨場感ということだろう。誰かが指摘していたように『ダークナイト』シリーズを意識したのか、妙に暗く重い部分もあり、これも好みが分かれるだろう。大衆的なシリーズ物の作品がシリアスな面を出して勝負というか延命する趨勢が続くのかもしれない。それが支持されるのだからそれは世の中じたいが「妙に暗く重い」ことの反映か。ただしこの作は、『ダークナイト』シリーズを踏襲して、ジェームズ・ボンドのルーツを辿り始め、タイトルにある「スカイフォール」の意味もそこに繋がるのはなるほどと思わせるものの、シリーズ物の禁じ手を使ってしまったという印象も残る。連続するアクションシーンは相当頑張っているのだが、なぜか映画的快感から遠い。何かが違う。まったくどきどきしない。見せるべきものを見せるように見せていない、としか言いようがない。ストーリー的には、演劇人が監督だからということもあるかもしれないが、宿命論的になっているところがある意味シェイクスピア的であり、ダニエル・クレイグの007とハビエル・バルデムのどちらが前シテでどちらが後シテかはともかく、その両義性を出しているところが複式夢幻能的な気もした。結局ジュディ・デンチ演ずるMに対するマザー・コンプレックスが露出してきて、これは母子ものの能ではないか、と冗談のように思った。後段、アルバート・フィニーの登場には笑った。七十年代にエルキュール・ポアロを演じていたこの人は、今いったい何歳なのだ。サスペンスを放棄したのか、せっかく脱出したフィニーとデンチが懐中電灯を使って歩いて逃げてバルデムに発見されるところは、コケそうになった。ジュディ・デンチを失った007は続篇から、マクベス夫人を失ったマクベスのように狂気に突き進んでいくのであれば、それはそれで面白いのかもしれないが。「ダークナイト」監督のクリストファー・ノーランの前作「インセプション」そっくりの音楽が流れたのは、音楽が同じジェームズ・ニュートンだからだろうが、ノーラン監督もロンドン出身であり「007」シリーズのファンで「いつかボンド映画を監督したい」と発言しているそうだ。イギリスのスパイ「007」をイギリス人が自分のものと思うのは、自然なことなのだろう。……最近、人の作ったものをあまり観ていないので、なんだか新鮮に感じた一日であった。……我が家での私の関係ないクリスマスパーティーでは沖縄そばが振る舞われているはずだが、私は宜野湾で「島風そば」を食べたので、とうぶん食べなくていいのだ。写真は、店の前で『普天間』演出の藤井ごう、照明の和田東史子両氏と。撮影してくれたのは音響の近藤達史氏。
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1 コメント

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Unknown (宮城康博)
2012-12-26 13:49:13
(写真に反応)なつかしい、宜野湾に住んでた頃、図書館に入り浸ってそこに寄ってた。
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