<演劇大学>会場に隣接、梨に模した巨大ドームのパビリオン内は、梨ばかりの展示。かつて笠岡市には<カブトガニ博物館>があった。建物はカブトガニの形。案内職員は訊いてないのに「天然記念物だからほんとはいけないんですけどね」と、嬉しそうに「カブトガニの一番美味しい食べ方」を喋る。ひっくり返して甲羅そのものを鍋みたいに直火にかけるのがベストだそうだ。
諸々の原稿を朝まで。鳥取・倉吉へ。演出者協会共催事業<演劇大学>に講師として参加。初日は宮田慶子さんの演出講座を聴かせて頂く。自分以外の現場を知る機会の少ない職業ということもあって、ありがたく、ためになる。夜になって到着の池内美奈子さんとも話す。考えてみれば落ち着いて話したことなかったですね、とお互いに言う。
青山学院の授業は終了。学食の定食は「表参道」「青山物語」とか名前がついていた。前者はミニ鰻丼とうどん、後者はカレーかハヤシライスにフライ・ハンバーグが付く。夜、シスカンパニー『人形の家』。……某雑誌の方が、私と押井守監督が新宿で打ち合わせしていたのを見たという。身に覚えがない。おそらく栗山民也氏と押井監督を見間違えたのだろう。
授業では、これまでにないと断言できる(たぶん)システムで学生たちが複数で1~2分の戯曲をつくり、読みながら演じる。昨年劇作家協会戯曲セミナーで試したやり方を大きく発展させたもの。簡単だけれど深い、はず。九組による発表。夕方から俳優座稽古場。俳優諸氏と挨拶。演出の栗山民也さんらと打ち合わせ。このテーマの戯曲もたぶん、これまでにない。
九十分の授業を一日4コマが続く。ぎりぎり平成生まれではない学生達だが唐十郎も吉本隆明も知らないという。「ばななのお父さんだよ」と言えば「ああ」と答えが帰ってくる。本当にそういう時代になってしまった。夕方から自主的缶詰。難航した終幕部の整理を終え、俳優座『スペース・ターミナル・ケア』脱稿。
九時過ぎ成田着、その足で青学に午前11時過ぎ到着。今日から日本文学科の特別講座を四日間15コマ。四十五人の受講者に男子学生は一人だけ。初日はオリエンテーション中心。終えてからiwato『サザン・アイランズ』千秋楽。フィリピンメンバーと別れを告げる。その後H社社長さんとお話。そして様々な方々を紹介される。久しぶりの日本、充実だがタフな日。
飛行機事情で帰国一日遅れ。ホテルに電源変換プラグを忘れ、空港待ち時間に仕事できず。機内で眠れず『SEX AND THE CITY』を初めて観る。こんな話だったのか。隣で流れてた『スピード・レーサー』に英在住で元黒テントの伊川東吾さんが出ている。彼は98年の『神々の国の首都』『くじらの墓標』ロンドン版に出演してくれた。
ムンクは流通しているマドンナの絵を完成させた後に、微妙に違うけれどほぼ同じマドンナの線描画を数十枚描いている。なんのためだろうか。何にしても激しい執着を感じる(ムンク美術館)。……ムンクは自画像が多い画家でもある。『叫び』も、あの有名な顔は本人なのである。ノルウェー国立美術館のムンク部屋はたいへん劇的だ。
イプセン博物館に行く。最後に住んでいたアパートが保存されている。イプセンは二十年以上海外を転々とし、最後にこのアパートに辿り着いた。台本が書けないときにぼんやり佇んでいたという窓があった。既に彼は有名だったので、彼の姿を見ようと観光客達は下からその窓を眺めていたという。なんだかその時の空気がその場に残っているような気がする。
Germundson氏に案内されたレストランは十八世紀築、この街で一番古い建物という。クジラステーキをご馳走になる。たっぷりのミンククジラ。野菜入りソースが美味。ノルウェーと日本は捕鯨・鯨食の共通点あり。二年前私が演出したイプセン作『民衆の敵』は、冒頭みんなで鯨テキを食べるし、主人公を助ける船長が乗っているのは捕鯨船ということにした。
イプセン・フェスティバル芸術監督Ba Clemetsen氏、ノルウェー劇作家協会会長Gunnar Germundson氏、劇作家・演出家のLene Terese Teigen 氏らとミーティング。協会事務所は十八世紀築、この街で二番目に古い建物。かつては市役所や監獄だったという。壁には船からの大砲に空けられた穴がある。ホテルでは原稿に掛かりきり。
イプセンが毎日通っていたという、グランド・カフェ。ナショナル・シアターの目と鼻の先。入口左の窓際の席で、12時半から2時、6時から7時半はそこにいたのだそうだ。私も午後その席に座り、仕事する。ポットで出てくるコーヒーはうまい。大先輩からの啓示ないし御利益はあるだろうか
始業式の朝、子供は学校へ、私は成田へ。コペンハーゲンで乗り換え。北欧の椅子系統は身体に馴染むようによくできていると思うが、空港待合室の椅子まで座り心地が良い。「北欧の」なんて言っても来るのは初めて。二年に一度のイプセン・フェスティバルに招いていただいた。とはいえ公式予定以外は持ち込み仕事優先。
黒テントさんとの共同倉庫は、七十年代キャラメルコーンを作っていた。爆発的に売れ、本社外に工場を増やしたのだ。パッケージロールや施設跡も残っていた。経済成長の遺跡という感じ。持ち主のご厚意で百坪の倉庫を二棟貸してもらった。本当にお世話になりました。初期は空間にゆとりがあったので、いろんな現場のセットが緊急避難的に持ち込まれたりした。
最後の最後まで宿題をしている息子と父親がいる。ただひたすら仕事だけしている。……theater iwatoへは行かず。劇団黒テントさんの劇場で上演させて頂くのはありがたく感慨深い。森下紀彦舞台監督と島猛音響家は我が劇団と両方で仕事をされてきた方々である。黒テントさんとは十年余に渡って大月の倉庫を共有していたこともある。