昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

遠藤実頌

2015-07-12 09:11:06 | 社会

演歌や日本歌謡にはまったく興味がない。
テレビもあまり見ない。
しかし、この遠藤実氏を知ったのは10年ほど前に日経新聞に連載された『私の履歴書』からだった。
戦後の赤貧の生い立ちの中で、ギターの流しで生計を立て、街から街へ放浪する。
やがてある大衆食堂に通ううちその店員と知り合いになる。
その店員は頼みもしない料理をつけてくれる。店への払いは自腹である。
やがて、親しくなり、所帯を共にするようになる。
着の身着のままで下宿を追い出された時もこの夫人は何も言わずついてきた。
ギターが壊れれば、ヘソクリから金を出して新しいギターも買ってくれた。
遠藤氏が大成し『ミノルフォン・レコード』の社長になった時も、変わらず連れ添った。
しかしガンで夫人を亡くすことになる。
夫人の逝去のところで『私の履歴書』は終わっている。
いかにも不自然な終わり方である。しかし心ある読者は気づくであろう。
この終わりは夫人の最期に感極まって、耐えることができなく筆を折ったという結びである。
糠槽の妻、喜びも悲しみも共にしてきた妻、終生変わらぬ愛を貫いた夫婦の、別れに断筆した壮絶な終章であった。
遠藤実氏の作曲家としての業績は何も知らない。
しかし、この夫人への愛情だけをとってもこの人が「本物」であることが分かる。
華やかで虚飾に満ちた芸能界にもこんな純朴な人間模様があったのである。
こういう人が真の昭和の日本人というのであろう。
本当に『先生』とつけて呼ぶのがふさわしい、日本の財産だった人であった。
涙なしには読めぬ連載だった。

哀しさはどこまで青く夏の空    素閑

 

 

 

 



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