
いつものように時間をみはからって出発し、いつものように歩いている筈なのになぜか電車に乗り遅れる日があった。(数週間前にそんなことを書きなぐっている)
その日は行きも帰りも乗り遅れたので狐に鼻をつままれたような心持で、少々腹立たしい気分だったが、誰にも文句は言えない。
”時間”というものは電車の外にビュンビュン流れる景色のようなものなのだろう。
景色は動かない。私自身が移動している。
電車の中に居る私がその時間の中を走っている。
時間の体感速度が変化するのは自分が特急、快速、鈍行。。。どの電車に乗っているかによって変わる。
小走りに電停まで走ったり、立ち止まったり(まあ、これは息がきれたからなんだけど)しながらそんなことを考えていたら、やはり電車に乗り遅れたのだった。
何故だ?