前にもこのブログで引用したかもしれないが、あらためて紹介しておきたい文章がある。それは次の文章である
解放教育の原型は、学校教育にあったのではないのではないか。解放運動自らが形造ってきた「教育」にどう学び、どう統一・提携してきたか、ではなかったか。(中村拡三「解放の学力」『双書解放教育の実践4 解放教育の内容と課題』明治図書、1969年、P.191)
また、この『双書解放教育の実践』シリーズでは、たとえば1960年代の被差別での子ども会活動、青年たちの学習会や保護者たちの活動、識字教室の取り組みなどが、学校での仲間づくりや授業内容の見直しとともに、重要な「解放教育の実践」として位置づけられている。
そうなのである。解放教育(以後「解放教育」と略)の初期の実践では、学校の中の取り組みと匹敵するくらい、各地区での子ども会や青年・保護者たちの取り組み、識字教室の取り組みなど、学校外での取り組みが重視されていたのである。また、このような学校外の取り組みは、まさしく解放運動のなかで重要な「教育運動」としての位置づけを持っていたのであろうし、また、だからこそ、各地区での運動の「担い手」が、そのまま教育の諸課題と向き合うことを通じて運動を形作っていくことになっていたのであろう。
それがいつから、学校のなかの、しかも教室の中での実践が、解放教育や人権教育のメジャーな議論になってしまったのか。それは別の見方をすれば、解放教育や人権教育の実践の「担い手」が「教員だけ」になってしまったということではないのだろうか。「教育運動」の発展・継承という面からみて、はたしてそのような形になることがいいとはとても思えない。
また、「教育運動」の担い手が「教員だけ」になってしまうことによって、すべての子どもの課題、地元の教育課題を学校が引き受ける形になってしまう。そのことによって「生きがい・やりがい」を感じている教員もいるのかもしれないが、逆に、教員たちのなかには、それゆえに進退窮まって困っている人もいるのではないだろうか。
もう一度、学校外のさまざまな「教育運動」の取り組みを活性化させるべく、その「担い手」を着実に増やしていくところから、私たちは理論的・実践的な研究、議論をつくっていく必要があるのではないだろうか。そのためには、あらためて過去というか原点に立ち返り、「教育運動」の「初発のもの」に学びなおす必要があるのではないだろうか。
そんなことを昨日、(社)子ども情報研究センターの子育ち連携部会での議論を聴いていて、あらためて思った次第である。
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