朝鮮半島に縁の深い浅川伯教・巧兄弟の資料館が2人の生地の山梨県北杜市にあるというので行ってみることにしました。
そこまでのバスが出る中央本線の長坂駅で降りると駅舎にそば屋、タクシーの事務所、地元産品の売店が並びなんとなく安心感があります。
ここのそば屋は小淵沢の駅弁業者丸政によるもので麺はそば・うどんに加え黄そば(中華麺)も選べるのが面白いところです。中華麺の駅そばというと他には姫路駅で食べたのを思い出すくらいですがいずれにしてもなかなか悪くない気がします。
お腹が落ち着いたら駅前で北杜市の市民バスに乗りました。山梨県もこの辺りは八ヶ岳に近いイメージですが富士山もなかなかキレイです。
長坂駅から10分ちょっとの高根総合支所で降り西の長坂駅側に少し戻ると「浅川伯教・巧兄弟資料館」があります。韓国語も書かれた案内柱を見て「生涯学習センター」の建物に入ると白磁を表現した大きなモニュメントが置かれていました。
図書館などが入る生涯学習センターの一角が資料館です。資料館のパンフレットには「北杜市高根町に生まれ、八ヶ岳南麓の自然風土に学び日本の植民地統治下の朝鮮半島に渡り朝鮮工芸の美に惹かれた兄弟の人と業績を紹介。日韓友好親善の情報発信基地でありたい。」とありました。朝鮮風に作られた入口から資料館に入ると浅川兄弟の足跡とともに朝鮮の陶磁器や民俗を紹介する展示が並んでいます。
浅川兄弟の功績を以下パンフレットから抜き書きしておきます。
(兄、伯教の功績)朝鮮の美術工芸品に魅了され、大正2年(1913)朝鮮半島に渡る。教職のかたわら、朝鮮陶磁器産地の窯跡調査に専念、その窯跡数は700箇所におよぶ。陶磁器の時代的変遷を明らかにした研究成果は、朝鮮陶磁史の基本文献として今日に至っている。
(弟、巧の功績)兄を慕って大正3年(1914)朝鮮半島に渡り、朝鮮総督府林業試験所に勤務。「自然法に帰せ」の考えの下に山野の緑化に取り組むとともに、朝鮮文化を愛し、朝鮮民族美術館を計画する。朝鮮の人々を愛し、愛され、木工芸の価値を見出し、名著「朝鮮の膳」を発表する。
ひと通り資料館を見たあと兄弟の生家跡周辺まで歩いても大したことはなさそうなので行ってみることにしました。大きな八ヶ岳を見ながら歩くのは気持ちの良いものです。
生家跡には兄弟を記念したものはないのですが少し離れたところに「浅川伯教・巧兄弟生誕の地」と書かれた記念碑があり資料館同様に案内柱が立っています。
浅川家の墓所に行くと韓国焼酎とマッコルリが供えられていました。
という具合に見て回ったら資料館があるだけでなく縁のある場所には看板や案内柱が立ち浅川兄弟が偲べるようよく整備されているので感心しました。
そこまでのバスが出る中央本線の長坂駅で降りると駅舎にそば屋、タクシーの事務所、地元産品の売店が並びなんとなく安心感があります。
ここのそば屋は小淵沢の駅弁業者丸政によるもので麺はそば・うどんに加え黄そば(中華麺)も選べるのが面白いところです。中華麺の駅そばというと他には姫路駅で食べたのを思い出すくらいですがいずれにしてもなかなか悪くない気がします。
お腹が落ち着いたら駅前で北杜市の市民バスに乗りました。山梨県もこの辺りは八ヶ岳に近いイメージですが富士山もなかなかキレイです。
長坂駅から10分ちょっとの高根総合支所で降り西の長坂駅側に少し戻ると「浅川伯教・巧兄弟資料館」があります。韓国語も書かれた案内柱を見て「生涯学習センター」の建物に入ると白磁を表現した大きなモニュメントが置かれていました。
図書館などが入る生涯学習センターの一角が資料館です。資料館のパンフレットには「北杜市高根町に生まれ、八ヶ岳南麓の自然風土に学び日本の植民地統治下の朝鮮半島に渡り朝鮮工芸の美に惹かれた兄弟の人と業績を紹介。日韓友好親善の情報発信基地でありたい。」とありました。朝鮮風に作られた入口から資料館に入ると浅川兄弟の足跡とともに朝鮮の陶磁器や民俗を紹介する展示が並んでいます。
浅川兄弟の功績を以下パンフレットから抜き書きしておきます。
(兄、伯教の功績)朝鮮の美術工芸品に魅了され、大正2年(1913)朝鮮半島に渡る。教職のかたわら、朝鮮陶磁器産地の窯跡調査に専念、その窯跡数は700箇所におよぶ。陶磁器の時代的変遷を明らかにした研究成果は、朝鮮陶磁史の基本文献として今日に至っている。
(弟、巧の功績)兄を慕って大正3年(1914)朝鮮半島に渡り、朝鮮総督府林業試験所に勤務。「自然法に帰せ」の考えの下に山野の緑化に取り組むとともに、朝鮮文化を愛し、朝鮮民族美術館を計画する。朝鮮の人々を愛し、愛され、木工芸の価値を見出し、名著「朝鮮の膳」を発表する。
ひと通り資料館を見たあと兄弟の生家跡周辺まで歩いても大したことはなさそうなので行ってみることにしました。大きな八ヶ岳を見ながら歩くのは気持ちの良いものです。
生家跡には兄弟を記念したものはないのですが少し離れたところに「浅川伯教・巧兄弟生誕の地」と書かれた記念碑があり資料館同様に案内柱が立っています。
浅川家の墓所に行くと韓国焼酎とマッコルリが供えられていました。
という具合に見て回ったら資料館があるだけでなく縁のある場所には看板や案内柱が立ち浅川兄弟が偲べるようよく整備されているので感心しました。