だいぶ前になりますが昨年の秋にポーランドとチェコが接するシレジア地方の地図を見ていたらなんとなく国境を越える国際列車に乗ってみようという気になりました。そのときに目についたのがにあるポーランドのハウプキ(Chalupki)とオーデル川を挟んで向かい合うチェコのボフミン(Bohumin)にかけての国境路線です。その路線に「乗った」話はこちらに公開しましたが、その国境付近を散歩するのも楽しかったので以下その時の様子を思い出してみます。
見物の始まりはポーランド側からポーランド鉄道の釣り掛け電車に乗ってハウプキを通り着いたボフミン駅です。
立派な駅舎の中では車輪に羽根が生えた装飾がいくつも目に付きました。ここを通る路線(ウィーン~クラクフ)を作ったフェルディナンド皇帝北部鉄道(Kaiser Ferdinands Nordbahn)の社章でしょうか。
現在ポーランドとチェコが接しているこの辺りの国境はその鉄道が通ったころ(1847年)プロイセンとオーストリアの境でした。上述の国際列車が走ってきたポーランド側の路線はプロイセンのヴィルヘルム鉄道(Wilhelmsbahn)が建設したもので1848年にボフミンに達しています。話が逸れますが羽根に車輪といえば日本でも南海の昔の社章がそうでしたがこの発想はどこが元祖でどう広まったのかちょっと興味が湧くところです。
この駅を出発しようというところでチェコのおカネがないことに気づきます。どちらもEUとシェンゲン協定の中ながら通貨がユーロではない国なので油断していました。島国の民としてはさすが国境越えとどこか風流(?)な気もしなくはないのですがこのあとすぐポーランドに戻る予定なので面倒は面倒です。駅舎内でキョロキョロしたら両替所があったので5ユーロだけチェココルナに両替しました。
駅前に出るとバス停があります。ここから乗るのは国境ギリギリチェコ側のオーデル川沿いにある町「スターリーボフミン(Stary Bohumin)」というところまでのバス(555系統)です。「スターリー」は古いという意味で日本の地名っぽくすると「元ボフミン」という感じでしょうか。南にボフミン駅ができて駅周辺の方がにぎわうようになり寂れたという流れのようです。
バスに乗ると10分くらいでスターリーボフミンに着きました。バスが折り返す広場が町の中心でそこを商店などが囲んでいます。あまり賑わいはないものの悪くない雰囲気です。この広場に面したカフェで少し休み、残った(チェコの)小銭をその辺の商店で飲み物やお菓子に使い切ってから国境越えに向かいます。
国境越えというとなんとなく大仰な感じですがオーデル川にかかる橋を渡るだけですから全然大したことはありません。
国境を越え渡りきったポーランド側にはそれなりに大きい検問所があったものの何のチェックもなくフリーパスです。ところでオーデル川の国境と言えばポーランド・ドイツ国境(いわゆる「オーデル・ナイセ線」)が有名ですが、それよりずっと上流のここでポーランド・チェコ国境にもなっているとはこの訪問まで知りませんでした。なのでちょっとトクした(?)気分になります。
検問を越えハウプキの町を歩き出すとすぐに両替の看板が目に付き、その先右手に小さなバスターミナルが見えたので寄るとRaciborz、Wodzislawといった近郊の町に向かう路線が発着しているとありました。
静かな町を歩いていくと間もなくボフミン行きの国際列車に乗ったとき既に通ったハウプキ駅に到着です。スターリーボフミンからここまで1km半くらいですから大したことはありませんでした。
ハウプキ駅からはまた列車に乗って北上するのですが、乗る前にもうちょっと散歩することにします。この辺りの国境はオーデル川に沿うだけではなく川から逸れて「地べた」の上にのびる国境もあるので見に行くことにしました。場所はハウプキ駅北方の踏切(路線バスの通る並木道)を東に渡り、そのままずっと歩いていくだけです。踏切から約700m進むと歩いている並木道の左側が急に国境になります。
上の並木道にぶつかってくる国境を正面から見たところで、左がポーランド、右の畑側がチェコです。国境を示す標石があるくらいで柵などはありません。
さらに進むと道を挟んでお向かいさんが外国という面白い状況です。
チェコ側のお宅をのぞくと庭にチェコ側を示す標石が見え一応国境の主張はしています。
という辺りで乗る列車の時間が迫ってきたのでハウプキ駅に戻りました。あまり国境らしさが感じられないのは行き来自由で気合入れて国境を示す必要がないからでしょうか。物騒なタネになる、というかそもそも物騒の結果というかが国境というものですけれど、どこもこのくらいのんびりしていて欲しいものだとしみじみ思いました。
見物の始まりはポーランド側からポーランド鉄道の釣り掛け電車に乗ってハウプキを通り着いたボフミン駅です。
立派な駅舎の中では車輪に羽根が生えた装飾がいくつも目に付きました。ここを通る路線(ウィーン~クラクフ)を作ったフェルディナンド皇帝北部鉄道(Kaiser Ferdinands Nordbahn)の社章でしょうか。
現在ポーランドとチェコが接しているこの辺りの国境はその鉄道が通ったころ(1847年)プロイセンとオーストリアの境でした。上述の国際列車が走ってきたポーランド側の路線はプロイセンのヴィルヘルム鉄道(Wilhelmsbahn)が建設したもので1848年にボフミンに達しています。話が逸れますが羽根に車輪といえば日本でも南海の昔の社章がそうでしたがこの発想はどこが元祖でどう広まったのかちょっと興味が湧くところです。
この駅を出発しようというところでチェコのおカネがないことに気づきます。どちらもEUとシェンゲン協定の中ながら通貨がユーロではない国なので油断していました。島国の民としてはさすが国境越えとどこか風流(?)な気もしなくはないのですがこのあとすぐポーランドに戻る予定なので面倒は面倒です。駅舎内でキョロキョロしたら両替所があったので5ユーロだけチェココルナに両替しました。
駅前に出るとバス停があります。ここから乗るのは国境ギリギリチェコ側のオーデル川沿いにある町「スターリーボフミン(Stary Bohumin)」というところまでのバス(555系統)です。「スターリー」は古いという意味で日本の地名っぽくすると「元ボフミン」という感じでしょうか。南にボフミン駅ができて駅周辺の方がにぎわうようになり寂れたという流れのようです。
バスに乗ると10分くらいでスターリーボフミンに着きました。バスが折り返す広場が町の中心でそこを商店などが囲んでいます。あまり賑わいはないものの悪くない雰囲気です。この広場に面したカフェで少し休み、残った(チェコの)小銭をその辺の商店で飲み物やお菓子に使い切ってから国境越えに向かいます。
国境越えというとなんとなく大仰な感じですがオーデル川にかかる橋を渡るだけですから全然大したことはありません。
国境を越え渡りきったポーランド側にはそれなりに大きい検問所があったものの何のチェックもなくフリーパスです。ところでオーデル川の国境と言えばポーランド・ドイツ国境(いわゆる「オーデル・ナイセ線」)が有名ですが、それよりずっと上流のここでポーランド・チェコ国境にもなっているとはこの訪問まで知りませんでした。なのでちょっとトクした(?)気分になります。
検問を越えハウプキの町を歩き出すとすぐに両替の看板が目に付き、その先右手に小さなバスターミナルが見えたので寄るとRaciborz、Wodzislawといった近郊の町に向かう路線が発着しているとありました。
静かな町を歩いていくと間もなくボフミン行きの国際列車に乗ったとき既に通ったハウプキ駅に到着です。スターリーボフミンからここまで1km半くらいですから大したことはありませんでした。
ハウプキ駅からはまた列車に乗って北上するのですが、乗る前にもうちょっと散歩することにします。この辺りの国境はオーデル川に沿うだけではなく川から逸れて「地べた」の上にのびる国境もあるので見に行くことにしました。場所はハウプキ駅北方の踏切(路線バスの通る並木道)を東に渡り、そのままずっと歩いていくだけです。踏切から約700m進むと歩いている並木道の左側が急に国境になります。
上の並木道にぶつかってくる国境を正面から見たところで、左がポーランド、右の畑側がチェコです。国境を示す標石があるくらいで柵などはありません。
さらに進むと道を挟んでお向かいさんが外国という面白い状況です。
チェコ側のお宅をのぞくと庭にチェコ側を示す標石が見え一応国境の主張はしています。
という辺りで乗る列車の時間が迫ってきたのでハウプキ駅に戻りました。あまり国境らしさが感じられないのは行き来自由で気合入れて国境を示す必要がないからでしょうか。物騒なタネになる、というかそもそも物騒の結果というかが国境というものですけれど、どこもこのくらいのんびりしていて欲しいものだとしみじみ思いました。