乗った後の景色

電車・気動車・バスに乗ることが好きな乗りマニアによる旅行雑ネタブログです。

京急800形乗り納め

2019-05-31 | 神奈川県
 京急800形が6月に引退と発表されてしばらく経ちました。「さよなら800形記念乗車券」も発売されもう間もなくというわけですがどうもピンと来ないものがあります。
 800形はかつて急行に就いていた時代はともかくもともと普通用の地味な車両なので狙って乗るという感じではなく、なんとなくやって来てとりあえずうれしい電車というくらいの印象だからかそれが消えるというのはなんだか実感がわきません。片開き扉の通勤電車が好みだとこれで京急のみならず首都圏大手から好みの車両が全滅することになるので実感がわくというのはすなわち幸福な時代の終わりを思い知るということになりもうあまり考えたくないということなのかもしれませんが。

 ともあれあまり引退間際になると混んでゆったりした気分で乗りにくくなるかもと思い5月中に乗り納めしておくことにしました。800形は本線の普通に入っているのでどこで乗ってもいいのですがそうなるとどこに行ったものか案外とまとまらないものです。そのうちなんかお腹が空いたので食べたいものはなんだろうと花より団子、乗るのは食べた後に、みたいな雲行きになってきたところで鶴見が思い浮かび、まず鶴見線に乗ることになりました。鶴見から乗って行くと留置された電車を見たあとに着く弁天橋で降ります。


 弁天橋駅や浅野駅からそう遠くない仲通商店街は鶴見沖縄県人会館におきなわ物産センターに沖縄料理の食堂などが揃っていて沖縄料理が食べたくなったときにもお世話になるのですが、今回はブラジル料理が目当てです。以前の潮田マーケットという名の看板が残る建物に入ると中はユリショップというブラジル物産センターとブラジル料理食堂になっていて、ここでビフテキのセットを頼みました。こういうものを食べたくなっていたということはだいぶお腹が空いていたわけですが、大きなビフテキにフライドポテトに豆のスープ、フェイジョンとたっぷり食べられ無事満足できました。他のテーブルではトランプをやってたりのんびりした雰囲気なのでこっちものんびり食休みしてから出ます。


 食後はお腹の中の燃料と気分に余裕があるので京急鶴見駅まで歩いていくことにしました。汐見橋なんてバス停を見ると南海を思い出しましたが橋の方は潮見橋と漢字が混用されていてちょっと面白い気がします。


 京急鶴見に着くとまだ国鉄や京浜鶴見駅が健在でした。そういえば鶴見は工場が並ぶ湾岸地域が続いている雰囲気のせいか川崎鶴見臨港バスのせいかなんか川崎っぽい気がするので横浜市営バスを見るとそういえば横浜市だったと急に思いなおしたりします。


 京急とJR鶴見の間にあり鶏肉の惣菜を売っているハマケイの売店も鶴見は横浜だったと思い出すポイントです。ハマがつく店名のせいかここの鶏肉のシウマイは崎陽軒以上にいかにも横浜のシウマイっぽいと思わせられるものがあり鶴見に限らず横浜でハマケイのあるところに寄ると毎回つい買ってしまいます。


 食べるモノばかり先行しましたが京急鶴見駅に入ったらいよいよ京急800形の乗り納めです。黄色い新1000形に抜かれてから発車しました。1000形というともう引退してからだいぶ経つ片開き扉のアレのイメージが抜けずいまだに「新」をつけないと落ち着きません。


 KHKの赤文字が書かれた扇風機を見上げるとなんだかホッとします。来年3月に6駅も改称があると吊広告が下がっていましたが800形はそれを見ることなく引退することになりますね。


 800形の登場が1978年、今回乗った車両の製造が1981年、ざっと40年前の電車ともなれば引退も仕方ないのかもとは思うものの乗り納めともなれば多摩川の鉄橋渡るのも最後かなどとやはり寂しくなります。そういえばかぶりつきとなると800形はワンハンドルなので旧1000形ほどは面白みがなかったりもするのですが、これまたさすがに乗り納めだと思うとあまりぞんざいにならずしみじみと眺めました。


 北品川で片開き扉が閉まります。京急で片開き扉の電車に乗るのはこれでおしまいになるわけですがどうもそういう気分になりません。

 ごったがえす品川のホームに降りたあとはとうとう本当に来るときが来てしまうんだなあと思いはするもののずっと信じられない気分です。

小田栄駅初降り

2016-10-29 | 神奈川県
 今年の3月26日JR南武支線に小田栄駅が開業してだいぶ経ちました。小田栄駅の場所は駅ができる前から何度か見たことがあったので面白いところに駅ができたものだと思ってはいたものの、近場で行きやすいところだと「そのうちいつか」でなんとなくほったらかしになるのはよくあることです。さすがにそろそろ見に行こうと思い立ち鶴見線に乗って浜川崎から南武支線入りすることにしました。


 浜川崎に着いて道路を渡り南武支線ホームに行くと駅名標に小田栄の字が見え開業を実感しつつ植木の元気さにも感心します。


 電動車のみの2両編成で高加速の205系を味わうひまもなく小田栄に着きました。駅が目当てなので初乗りならぬ初降りということになります。無人駅で改札はなくホーム長は2両分とごく簡素なうえ上下ホームは踏切を挟んではす向かいに配置されているのでなんとなく都電やどこかのローカル私鉄を思い出しました。


 上下ホームが別々なので出入口も別々、ということは2ヶ所も出入口があることになりこれはなんだか立派な駅のように見えたりもします。


 小田栄駅上下ホームの間の踏切はバス(川崎鶴見臨港バス)も通る交差点上にあり尻手方面の列車が発着する南側から眺めると小田踏切バス停がぽつんと立っていて箱庭的というのかなかなか面白い雰囲気です。


 暗い時間のもので比較しづらいのですが2013年の画像があったので比較のために貼ります。


 小田踏切バス停は駅ができたのだから小田栄駅前とかに改称してもよさそうなのですが同じ名前のままです。ただ近くに小田栄という停留所もあるので替えない方が混同されにくくはあるかもしれません。


 踏切を北側から見るとこんな感じです。


 貨物列車が来るのを見ていたら一瞬併用軌道のような気がしてしまいました。遮断機の内側が交差点で広いため踏切ではない街中を走っているように見えたわけです。


 というわけでバス停も立つ交差点の踏切に駅ができたらさらに面白い風景になっていたのでうれしくなりました。

辻堂海浜公園の小田急2600形

2016-10-20 | 神奈川県
 なんとなく海の方に行きたくなり小田急江ノ島線に乗って片瀬江ノ島のひとつ手前の鵠沼海岸で降りました。折り返し乗車を注意するポスターを見ると終着駅で降りるとき以上にだいぶ端まで乗って来た気がしたりするものです。


 駅を出て西にしばらく歩き江ノ電バスの鵠沼車庫前停留所に出ました。車庫という名前ではあっても車庫(藤沢営業所)は2011年になくなっているのですが跡地は折返場になっているのでそこに通じる道を見ていると時折バスが出入りします。


 バスが出入りする道は住宅や市民農園の間のどうと言うこともないような雰囲気で折返し場まで歩いて行くとなんだか鉄道の引き込み線に通じるような感じがしました。奥まったところにある折返し場にバスが溜まっている様子はパッと見たところ車庫っぽく停留所名がそのままなのもなんとなく納得させられるものがあります。


 折返し場の先を流れる引地川を渡りさらに西に歩き辻堂海浜公園の東端(東入口)に着きました。この公園が一応今回の目的地なのですが目的のモノがあるのは西側なのでバス停がある東入口から入るとまず駐車場を抜けさらに広い園内とまだ結構歩かねばなりません。


 公園の西側は高架の「スカイサイクル」が目立つ交通公園になっていてここに目的のモノがあります。ここで信号を渡ろうとしたらなんだか様子がヘンなのでよく見ると鉄腕アトムでした。


 そういえば以前行ったオランダのユトレヒトにはミッフィーの歩行者用信号がありこれは園内ではなく街中の公道でしたから一枚うわ手ということになりますね。


 アトム信号を渡って奥に行くと目的の小田急2600形が置かれています。2つ目玉に貫通扉、種別表示がおでこの左で行先は貫通扉というのは長らく小田急を代表するような顔でしたが2012年に最後の同様の顔の持ち主だった5000形が引退したので見るのはだいぶ久しぶりです。


 種別表示を見ると表示としては用意されていたものの小田急ではまだ使われたことがない種別の快速なのが面白いところです。敢えてこれを出しているのは何かこだわりでもあるのでしょうか。あまり胸がときめかない4扉ロングシートですが走っていた頃はなかなか派手な走行音が楽しく小田急に乗るときに当たると割とうれしかったのを思い出しました。2600形の引退は2004年ですからもうひと昔以上前ということになり早いものです。


 車両見物をしていると時折通るスカイサイクルが目に入り乗りたくなりました。いかにもお子様向けという感じですが大人も乗れるので切符を買って1周したところやや窮屈ながらほどよくスリリングで大変楽しめました。上から2600形を見るのもオツなものです。
 

 交通公園には鉄道・リニア・自動車・航空・船舶と幅広く展示する「交通展示館」があるので入ってみたところところやや古めかしい内容でした。リニア実験車両の図が1992年に焼けたMLU002のようだったり説明に「2本のレールの上を車輪で走る鉄道では、時速300kmが限界である。」という一文があったりするのを見ると20世紀を感じられるというのかこれはこれで味があるのですが。


 鉄道関係の展示は小田急2400形の台車や113系とのすれ違いもあるちょっと懐かしい感じの東海道線のシミュレータが目立っていました。


 という具合に結構見たり乗ったりするものがあるのですぐに時間が経ちます。満足したところで北入口から公園を出て神奈中・江ノ電共同運行の辻03(辻堂駅南口~辻堂西海岸)を見ながら辻堂駅まで歩きました。

忘れていた相鉄特急初乗り

2016-04-20 | 神奈川県
 新車投入や高架・地下化など新しくなるとがっかりすることが多い基本的に後ろ向きな乗り鉄やってますが新しい動きがうれしいときもあります。その代表が停車駅の少ない特別料金不要の優等列車が新設されることで、一昨年は相鉄の特急、昨年は横浜市営地下鉄の快速、今年は東武野田線の急行と大喜びしながら乗りに行ったものです。

 さて先日その東武野田線の急行に乗ったらふと「相鉄の特急に湘南台行きもあったなあ」と思い出しました。相鉄には海老名に行く本線と湘南台に行くいずみ野線のどちらにも特急が走っているのですが乗ったのは本線の方だけです。いずみ野線のようにニュータウンと言われるようなところを走る比較的新しい路線はあまりそそられないので特急が走り出してもまあそのうちでいいやと思っているうちに2年経ってしまいました。その間に登場時日中毎時2本あったのが翌年1本に減ってしまっていてどうも低調気味っぽい感じです。そう考えるとやや不安な気がしてきて重い腰が上がり横浜へと向かいました。

 複数ある相鉄の横浜駅の改札口のうち今回は券売機が1つ・自動改札機が2つと小さく地味でなんとなく抜け道っぽさがイイ「五番街改札口(出口)」から入ります。(営業時間は10~22時)


 ホームに上がって特急湘南台行を待っていたら好みではない車両が来てしまいました。10分20分くらいなら次の列車を待ってみてもいいのですが1時間も待つのはちょっとイヤなのであきらめて乗ることにします。車両の好みはさておき「特急」という字を見るのはうれしくちょっと機嫌がなおりました。


 改めて路線図を見上げます。横浜~二俣川無停車は昔からの急行と同じでその先はいずみ野だけ停まって湘南台とかなり停車駅が少なくさすが特急という感じです。


 特急といえば今年から小田急の特急ロマンスカーが海老名に停車するようになったので相鉄で海老名に出てロマンスカーで箱根観光に行くことを宣伝する中吊り広告が出ていました。小田急の車内でも海老名がロマンスカー停車駅であると路線図(右)に表示されるようになっていますし海老名も出世したなあという気がします。


 一昨年初めて相鉄(本線)の特急に乗ったとき海老名で「海老名発ロマンスカーの実現を」という横断幕を見ましたがそれが叶ったことになりますね。


 中吊り広告にはいずみ野線開業40周年記念乗車券・入場券発売を知らせるものもあり、いずみ野までのヒゲ線がいずみ中央さらに湘南台と延び特急も走るようになったとはこれまたずいぶんと出世したものだと感心しました。記念ヘッドマークをつけた車両も走っていてなかなかのお祝いぶりです。


 立体化や東京直通の工事で落ち着かないうちに二俣川に着きいずみ野線へと分かれてもあまり飛ばさないのでちょっとダレました。いずみ野線は駅名に平仮名が目立つ路線ですが駅名標に中国語が併記される時代になっていずみ野が泉野、ゆめが丘が夢丘という具合に漢字があてられるようになったのは面白いところです。


 横浜から24分で湘南台に着きホームから改札階に上がると相鉄のキャラクター「そうにゃん」にちなんだ「そうにゃんだい」という駅名標が迎えてくれます。そうくるとは思わなかったとびっくりしつつこの駅名標には中国語がないのでもしつけるならどうなるんだろう、相猫台にでもすればいいのかなあ、などと考えながら特急の初乗りを終えました。

国境(?)の横浜市バス折返場

2015-08-11 | 神奈川県
 横浜市営バスに乗りたくなり日本大通り駅県庁前で市電保存館行きの21系統をつかまえました。市電保存館行きと言っても市電代替系統ではないのですが元町の先で昔の市電専用トンネルをくぐるのはちょっとうれしいものです。


 終点の市電保存館停留所に到着しました。滝頭営業所に隣接する市電保存館の前には錆びた架線柱が立っています。説明を見ると神奈川新町に立っていたもので根元の穴は横浜大空襲(1945年5月29日)の被弾跡とあり苦労人というか苦労物という感じです。


 市電保存館は市バスの一日乗車券か地下鉄市バス共通の一日乗車券を持っていくと100円の入場料が50円に割引されます。既に何度か来ているので7両の保存車をざっと見て歩くと車内に「国威発揚と市電」という掲示があり空襲の跡を見た後だからか生々しく感じられました。


 さて市電保存館の見物を軽めにすませてバスの路線図を拡げると103系統の終点根岸台が目につきました。21系統の通る道からひと停だけ離れて終点になっている様子はなんとなくそそられます。そういえばまだ行ったことがないと気づき寄って行こうとまた21系統に乗って根岸台の隣にあたる旭台停留所まで戻るとバス通りに面してちょっと変わった消防署がありました。よく見ると米軍の施設とあります。


 旭台から根岸台までの道路は日本側(?)住宅と米軍の敷地に挟まれているのでなんだか国境のようでした。


 5分と歩かずに根岸台停留所です。


 バスの折返場は米軍側にあります。


 折返場のすぐ隣が米軍の敷地に入る門です。


 だいたい納得したところで横浜駅行きの103系統に乗りました。この系統は市電3系統の走っていたルートを根岸台まで伸ばした代替路線です。しばらく走ると市電の終点だった山元町(左の画像)を通り、市電がある頃から撮影ポイントとして有名だった打越橋(右の画像・道路橋)をくぐります。この辺りは迫力のある坂道なので釣り掛けの市電で登ってみたかったなあとしみじみ思ってしまいました。そういえば打越橋を渡る狭隘路線の11系統はかつて市バスだったのが神奈中になってしまったので橋の上下の路線に同じ一日乗車券では乗れずちょっと残念です。


 という具合に市電の名残と折返場と国境(?)をハシゴしながらの横浜市バス乗りバスを終えました。