京急800形が6月に引退と発表されてしばらく経ちました。「さよなら800形記念乗車券」も発売されもう間もなくというわけですがどうもピンと来ないものがあります。
800形はかつて急行に就いていた時代はともかくもともと普通用の地味な車両なので狙って乗るという感じではなく、なんとなくやって来てとりあえずうれしい電車というくらいの印象だからかそれが消えるというのはなんだか実感がわきません。片開き扉の通勤電車が好みだとこれで京急のみならず首都圏大手から好みの車両が全滅することになるので実感がわくというのはすなわち幸福な時代の終わりを思い知るということになりもうあまり考えたくないということなのかもしれませんが。
ともあれあまり引退間際になると混んでゆったりした気分で乗りにくくなるかもと思い5月中に乗り納めしておくことにしました。800形は本線の普通に入っているのでどこで乗ってもいいのですがそうなるとどこに行ったものか案外とまとまらないものです。そのうちなんかお腹が空いたので食べたいものはなんだろうと花より団子、乗るのは食べた後に、みたいな雲行きになってきたところで鶴見が思い浮かび、まず鶴見線に乗ることになりました。鶴見から乗って行くと留置された電車を見たあとに着く弁天橋で降ります。
弁天橋駅や浅野駅からそう遠くない仲通商店街は鶴見沖縄県人会館におきなわ物産センターに沖縄料理の食堂などが揃っていて沖縄料理が食べたくなったときにもお世話になるのですが、今回はブラジル料理が目当てです。以前の潮田マーケットという名の看板が残る建物に入ると中はユリショップというブラジル物産センターとブラジル料理食堂になっていて、ここでビフテキのセットを頼みました。こういうものを食べたくなっていたということはだいぶお腹が空いていたわけですが、大きなビフテキにフライドポテトに豆のスープ、フェイジョンとたっぷり食べられ無事満足できました。他のテーブルではトランプをやってたりのんびりした雰囲気なのでこっちものんびり食休みしてから出ます。
食後はお腹の中の燃料と気分に余裕があるので京急鶴見駅まで歩いていくことにしました。汐見橋なんてバス停を見ると南海を思い出しましたが橋の方は潮見橋と漢字が混用されていてちょっと面白い気がします。
京急鶴見に着くとまだ国鉄や京浜鶴見駅が健在でした。そういえば鶴見は工場が並ぶ湾岸地域が続いている雰囲気のせいか川崎鶴見臨港バスのせいかなんか川崎っぽい気がするので横浜市営バスを見るとそういえば横浜市だったと急に思いなおしたりします。
京急とJR鶴見の間にあり鶏肉の惣菜を売っているハマケイの売店も鶴見は横浜だったと思い出すポイントです。ハマがつく店名のせいかここの鶏肉のシウマイは崎陽軒以上にいかにも横浜のシウマイっぽいと思わせられるものがあり鶴見に限らず横浜でハマケイのあるところに寄ると毎回つい買ってしまいます。
食べるモノばかり先行しましたが京急鶴見駅に入ったらいよいよ京急800形の乗り納めです。黄色い新1000形に抜かれてから発車しました。1000形というともう引退してからだいぶ経つ片開き扉のアレのイメージが抜けずいまだに「新」をつけないと落ち着きません。
KHKの赤文字が書かれた扇風機を見上げるとなんだかホッとします。来年3月に6駅も改称があると吊広告が下がっていましたが800形はそれを見ることなく引退することになりますね。
800形の登場が1978年、今回乗った車両の製造が1981年、ざっと40年前の電車ともなれば引退も仕方ないのかもとは思うものの乗り納めともなれば多摩川の鉄橋渡るのも最後かなどとやはり寂しくなります。そういえばかぶりつきとなると800形はワンハンドルなので旧1000形ほどは面白みがなかったりもするのですが、これまたさすがに乗り納めだと思うとあまりぞんざいにならずしみじみと眺めました。
北品川で片開き扉が閉まります。京急で片開き扉の電車に乗るのはこれでおしまいになるわけですがどうもそういう気分になりません。
ごったがえす品川のホームに降りたあとはとうとう本当に来るときが来てしまうんだなあと思いはするもののずっと信じられない気分です。
800形はかつて急行に就いていた時代はともかくもともと普通用の地味な車両なので狙って乗るという感じではなく、なんとなくやって来てとりあえずうれしい電車というくらいの印象だからかそれが消えるというのはなんだか実感がわきません。片開き扉の通勤電車が好みだとこれで京急のみならず首都圏大手から好みの車両が全滅することになるので実感がわくというのはすなわち幸福な時代の終わりを思い知るということになりもうあまり考えたくないということなのかもしれませんが。
ともあれあまり引退間際になると混んでゆったりした気分で乗りにくくなるかもと思い5月中に乗り納めしておくことにしました。800形は本線の普通に入っているのでどこで乗ってもいいのですがそうなるとどこに行ったものか案外とまとまらないものです。そのうちなんかお腹が空いたので食べたいものはなんだろうと花より団子、乗るのは食べた後に、みたいな雲行きになってきたところで鶴見が思い浮かび、まず鶴見線に乗ることになりました。鶴見から乗って行くと留置された電車を見たあとに着く弁天橋で降ります。
弁天橋駅や浅野駅からそう遠くない仲通商店街は鶴見沖縄県人会館におきなわ物産センターに沖縄料理の食堂などが揃っていて沖縄料理が食べたくなったときにもお世話になるのですが、今回はブラジル料理が目当てです。以前の潮田マーケットという名の看板が残る建物に入ると中はユリショップというブラジル物産センターとブラジル料理食堂になっていて、ここでビフテキのセットを頼みました。こういうものを食べたくなっていたということはだいぶお腹が空いていたわけですが、大きなビフテキにフライドポテトに豆のスープ、フェイジョンとたっぷり食べられ無事満足できました。他のテーブルではトランプをやってたりのんびりした雰囲気なのでこっちものんびり食休みしてから出ます。
食後はお腹の中の燃料と気分に余裕があるので京急鶴見駅まで歩いていくことにしました。汐見橋なんてバス停を見ると南海を思い出しましたが橋の方は潮見橋と漢字が混用されていてちょっと面白い気がします。
京急鶴見に着くとまだ国鉄や京浜鶴見駅が健在でした。そういえば鶴見は工場が並ぶ湾岸地域が続いている雰囲気のせいか川崎鶴見臨港バスのせいかなんか川崎っぽい気がするので横浜市営バスを見るとそういえば横浜市だったと急に思いなおしたりします。
京急とJR鶴見の間にあり鶏肉の惣菜を売っているハマケイの売店も鶴見は横浜だったと思い出すポイントです。ハマがつく店名のせいかここの鶏肉のシウマイは崎陽軒以上にいかにも横浜のシウマイっぽいと思わせられるものがあり鶴見に限らず横浜でハマケイのあるところに寄ると毎回つい買ってしまいます。
食べるモノばかり先行しましたが京急鶴見駅に入ったらいよいよ京急800形の乗り納めです。黄色い新1000形に抜かれてから発車しました。1000形というともう引退してからだいぶ経つ片開き扉のアレのイメージが抜けずいまだに「新」をつけないと落ち着きません。
KHKの赤文字が書かれた扇風機を見上げるとなんだかホッとします。来年3月に6駅も改称があると吊広告が下がっていましたが800形はそれを見ることなく引退することになりますね。
800形の登場が1978年、今回乗った車両の製造が1981年、ざっと40年前の電車ともなれば引退も仕方ないのかもとは思うものの乗り納めともなれば多摩川の鉄橋渡るのも最後かなどとやはり寂しくなります。そういえばかぶりつきとなると800形はワンハンドルなので旧1000形ほどは面白みがなかったりもするのですが、これまたさすがに乗り納めだと思うとあまりぞんざいにならずしみじみと眺めました。
北品川で片開き扉が閉まります。京急で片開き扉の電車に乗るのはこれでおしまいになるわけですがどうもそういう気分になりません。
ごったがえす品川のホームに降りたあとはとうとう本当に来るときが来てしまうんだなあと思いはするもののずっと信じられない気分です。