7:40市内出発-F40-江文峠-層雲のかかる大原(見出し画像)-R367-途中越-一気に朽木の道の駅。
今回のお目当てである好物のミョウガをGET。 一袋100円。 今の時期しか買えない旬のモノ。 3つしか残ってなかったw
ネットで見つけた、朽木の「丸八百貨店」。 昭和8年(1933年)建築。 築84年である。
建築当時は木造2階建て、一階は雑貨店。 現在のコンビニの嚆矢みたいなものか。 だが、国登録の有形文化財である。
二階は呉服屋さんだったとか。 その後、戦時下に屋上へ防空監視哨(物見櫓?)を設置、戦中期の昭和18年に三階部分を増築。
ネット情報によると、現在は一階は無料休憩所(近所のおばちゃん達の憩いの場所と化しているらしい)&ギャラリー、二階はカフェ&軽食処!?
三階は畳敷きの地区の集会所となっている。 なんともハイブリッドなスポットである。
建屋一階の右にあるウィンドウ。 再度来た時には、中に入ってみようか。
R367を少し北上して、K23に分岐。
いきなり道が細くなる。
安曇川支流の川沿いを辿る。 ヤマグチアトリエ前を通過。 ネット検索したが詳細不明。
こんな所にバス停が。
推定するに、高島市営バスのハイエースワゴン。 R367の分岐点から数kmの距離。 時刻表は無い。 辺りは数軒の民家があるのみ。
先に進むが、すぐに通行止め。
行き止まりなのはわかっていたので、引き返す。 復路はのんびり走る。 ススキの穂が色づいていて、秋の到来を知らせてくれる。
K23からK781能家地区へ。
このあたりで、突如サイレン吹鳴で救急車が対向で緊急走行。 慌てて待避する。 この先の集落で何かあったのであろうか、知る由もないが。
能家分校前バス停。 過去の記事に書いたが、かつて朽木西小学校能家分校があった。 今は建屋は無い。
簡易郵便局があるが、昨年から業務停止中。 過疎化が進み需要がないので、早晩廃止になるだろう。
平良地区にある朽木西小学校平良分校(廃校)。 こちらも過去の記事で書いた。
本校は中牧地区にあり立派な校舎だが、本年度の在校生は3人。 職員5人で対応・・・。
K781を下り、R367へ出る手前で右手の能見方面F110へ。
能見峠のピーク。 登って来たのは久多宮ノ町方面、 下りは能見町方面。
F38にぶつかり京北方面へ、 R477をさらに京北方面へ、 F361を南下。
これまた最近お気に入りの芹生(せりょう)へ。 春には枝垂桜が美しい掬水庵(きくすいあん)。 今年5月のブログ記事に掲載済み。
桜の庭園ではあるが、手入れが行き届いてるのであろう、今の季節でもこれはこれできれいである。
早くも桜の葉が色づきはじめている。 この時期、山中では一日の寒暖の差(気象用語では日較差)が大きいのであろう。
隣の建屋では、何やら作業中の様子。
先に進み、旧花背峠に行く脇道へそれる。
住民とおぼしきおばちゃんがいるので遠慮して撮影してたら、声を掛けられた。
やはり小学校だったそうだ。 帰宅後にネット検索したら、何と、つい最近?の1999年(平成11年)に廃校。
当時の京都府北桑田郡京北町(現在は京都市右京区に併合)にあった、黒田小学校の芹生分校跡。
校舎の左手には新しい堂宇の寺がある。 ネットのマップで見ると、日蓮宗聖福寺とある。
墓碑もあった。 左側に瀬瀧山聖福寺と読める。 蛇足だが、「聖」の字は「耳」の部分が「耳偏」になっている。
校舎の右には超貧素な神社も鎮座。 芹生八幡神社と称する。 第15代応神天皇(仁徳天皇の父)が祀られているとか。 神仏習合の典型である。
今にも倒壊しそうな神社に較べて、右側にある大層ご立派な胸像は齋藤梅治郎とあるが、ネット検索してもヒットしない。 謎の人物である。
洒落た塀があり、立派そうな庭がある建屋。
寺院かと思いきや、一般住宅のようである。
「潺湲亭」。IMEパッドでも認識してくれない難読漢字だが、色々検索の結果、「せんかんてい」と読むらしい。
文豪・谷崎潤一郎が京都下鴨に居住していた邸宅の名前であるが、関連は無さそうである。
F361に戻り、 芹生峠を越える。
荒れた舗装の急勾配ヘアピンコーナーをいくつも抜けると、貴船に出る。 祝日連休の土曜日で、観光客とクルマで大渋滞。
市内に戻り、買ってきたミョウガを母とご近所にデリバリー。 喜んでくれた。
本日の走行約190km。 峠と廃校を巡った一日であった。
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