海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

潮州の開元寺へ

2016-05-07 | 写真日記

わざわざ「潮州の」と書いたのは、開元寺は各都市にあるからだ。日本人にとって一番知られている開元寺は、空海が遣唐使船で嵐にあい福建省の福州にたどり着いた開元寺で、今でも空海の像が建っている。私が行った潮州の開元寺は738年に建てられたので唐の時代から今へと続いているが、今世紀に入りかなり大掛かりに修復されたようだ。

 

 本堂

 

本堂の屋根部分

 

 

 

 

元鎮禅寺と書かれているのは明時代名称だそうで、最初は蓮華寺だったが何度か名称を変更していて、今は開元寺になっている。

 

 

 宋時代からある塔を近くで見ると、レリーフは角が取れ約千年という歴史を感じさせる。 

 

これもおそらく宋の時代の物

 

今世紀に新しく彫られた柱

これは今世紀に新しく造られた柱だが、私が見た大陸の他の寺より数段精巧に彫らている。おそらく海外で活躍する潮州出身の華僑が相当修復費用を負担しているのだと思う。この寺の石の彫刻はどれを見てもすらばしい(上海風日本語)

潮州は小さな都市だが、住む人々の民度は相当高く文化伝統を守る事に対しては、他の都市とはまったく違う信念があるのかも知れない。「今必要であれば受け入れるが、必要でないと思えば受け入れない」という言葉の通り、ここの街の人達はコンビニを受け入れなかった。少し似たような経験をしたのは、上海から近い無錫方面の江陰市。どちらも中国大陸の中の一地域だが、日本に住む日本人は中国という大きな枠で大陸を見るのは間違いだという事を理解するべきだ。

☆この潮州も隣の汕頭(shantou 日本人だとスワトウと言った方がわかりやすい)も、先の大戦で日本軍が攻め入った地域。そして、文革時代にも相当被害を受けた寺でもある。

 CanonFD50mmf1.8+補正レンズ付アダプター+α7Ⅱ
コメント
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