海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

ウーロン茶と私

2016-09-18 | 写真日記

私が初めて大陸の烏龍茶に出会ったのは1997年頃で、作品撮影の為に上海に通っていた頃。定宿にしていた虹口区の宿から魯迅公園へ向かう路沿いあった台湾の高山茶の直営店に飛び込みで入ったのが最初の出会い。店にはネーチャンがいつも3人ほどいて、無料で烏龍茶を飲ませてもらい茶の作法まで教えくれたので、撮影に疲れると立ち寄り様々な高山茶を試飲した。そして、茶盤や茶器もそろえ日本で楽しんでいた。その頃の上海では緑茶が主流で(今でも同じ)で、親しくしていた料理人の陳さんに勧めてみると、「他都市の茶なんて飲めるか」と一蹴されたが、一緒に烏龍茶の店に連れて行ったら一発でファンになってしまった。つまり、本当の烏龍茶を知らなかったのだ。その頃の上海は烏龍茶といえばペットボトル入のサントリーが主流だった。

この頃の上海は、日本料理屋はあるにはあったがほんの数件だけで、蛇専門料理屋もあった。また、大陸の鍋料理屋も数件しか上海に存在しなかった。今では定番だが、日本のおでんが流行り始めたのは、もっと後の1999年頃。空港は虹口空港しか無く高速道路は建築中だったので、デコボコの一般道をサンタナのタクシーで飛ばした時代。

 

 潮洲の茶屋で鳳凰単叢茶を

 

潮洲の定宿の中庭では勝手に自分でお茶を淹れて飲む事が出来る

 

烏龍茶生産地は福建省と広東省や台湾が主な産地だが、福建省の福州へ行くと地元民は烏龍茶なんてすでに飲んでなく、ほとんどの地元民は紅茶が主流。福州の人達に何で烏龍茶の産地なのに烏龍茶を飲まないのかと聞いてみると、「あれは有名になり過ぎたので商売の為に作っていて、あんな薄い茶なんていまさら飲めるか」という答えが返ってきた。つまり、カフェインの強い紅茶でないと物足らない体になっているのだ。これは、すでに茶中毒ですな。

 

福州の公園内にも茶のテーブルがありお茶を楽しめる

 

福州へは撮影機材製造会社があり度々行っていたのだが、会社の社長室に茶盤が必ずあり社長自ら地元の最高の紅茶を淹れてくれ、それを飲みながら仕事の話をするのが茶産地のスタイルなのだ。そんな事を一日数件こなすと夕方頃には自分の頭が少しぼんやりしてくる。つまり、お茶酔い。そして、お茶酔いした頃に、夕食前の茶席で一時間ほどまた紅茶を飲み、場所を変えてやっと夕食が始まるのが福州スタイル。

お茶の産地でのお茶は、人と人との関係の潤滑油のようなもので、なくてはならない存在だ。そして、夜は酒が潤滑油になる。日本のようにビジネスライクに仕事が進まないが、まずは飲んで食って大いに呑むのが今の大陸の地方での仕事流儀かもしれないね。

気がつけば、かれこれ二十年近く様々な中国茶を飲んできた。私は中国茶が好きで自宅に畳付き(小上がり)の茶室がある事を知っている人は多く、ありがたい事に上海の茶市場にも数年行ってないほど上等な茶葉をいただける。今自宅にあるお茶は、烏龍茶・緑茶・プーアル茶・白茶・紅茶で、しかもレベルが高いものばかり。

茶の好きな中国人や大陸の茶の産地に行くと、日本茶や茶碗の話も度々出てくる。抹茶だって中国が発祥だが、いつの間にか途絶え、一部の茶碗の技法も途絶え、仏教建築も日本で継承されていたりと、中国発祥の良い物がすべて今は日本にあると言ったのは、上海の文化美術評論家の朱先生。

私が時々読み返す本に岡倉天心が海外向けに書いた英語版の日本語翻訳版「茶の本」は、明治の頃に日本の文化を海外に紹介するために岡倉天心が英文で書いて海外で出版したもので、今はその日本語翻訳本がAmazonで無料で読める。

台風の影響なのか上海はずっと雨が降ったりやんだりで家で缶詰中。天気待ちの撮影もひかえているし、ドローンを使って撮らなければならない撮影もあるのだが、そのドローンが河に墜落したので修理待ち。

☆このブログは、友人からもらった生プーアル茶を飲みながら書いている。

 

コメント (2)
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