上海大厦(ブロードウェイマンション)16階スィートルームのベランダから虹口を2005年撮影
上海大厦(ブロードウェイマンション)16階スィートルームのベランダから2005年撮影
上海ユダヤ難民記念館で
上海ゲットーに居留した全員の名簿が10mほど延々と刻まれている壁の一部(上海ユダヤ難民記念館)
アメリカユダヤ難民救済委員会の建物は現在地元民の住居に
イスラエル関係のニュースが流れるたびに思い出すのが、先の大戦中の上海ゲットーの話。トップの画像は、2005年に上海で制作した日本映画「上海恋香」の映画ロケで借りた部屋から見える虹口区の街並だ。この画像の右側には旧日本領事館跡があるが、2005年当時はビルに遮られて見えない。このロケで借りた上海大厦(ブロードウェイマンション)16階のスィートルームは、先の大戦中に旧日本海軍大佐「犬塚惟重」が住居権事務所として借りていた部屋。犬塚惟重は、旧日本陸軍安江仙弘と共に当時「ユダヤ問題研究家」として、避難民のユダヤ人を上海で保護した事で知られている。その、上海ゲットーがあった場所は、このホテルからも歩いて行ける場所にあったが、現在はユダヤ難民記念館とその周辺に痕跡が残っていて、今でもその街並みを残すために世界中のユダヤ人から寄付が寄せられているそうだ。
昔の上海は、世界で唯一ビザ無しで入国出来た都市だったので、ユダヤ難民の前はロシア革命から逃れて来た白系ロシア人も難民として逃れ住み着いた都市だった。当時の歴史に詳しい上海人に聞くと、避難民だったロシア人は一時期3万人を超えていたそうで、主に淮海路付近に住み地元民に溶け込み、絵画や音楽など幅広い芸術や西洋料理など多くの西洋文化を伝承し、当時の上海の文化に様々な影響を与えたそうだ。もし上海に来る機会がある人は、上海ユダヤ難民記念館を是非訪れてほしいな。
☆イスラエルとパレスチナ、ウクライナとロシア問題など、なんとか停戦にならないだろうかと思うが、我々にはどうする事も出来ない。ただ、これらの紛争がなぜ起きたのか、これは過去の両国の歴史から理解しないと今だけを見て判断する事は出来ない難しさがある。
☆この画像の一部は、2021年にNHKの「まいにち中国語」の連載でも使用した画像
☆日本のライドシェア問題、ホント日本は何事にも新しい事に否定から入る国。
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