当時の部屋の内部を描いた絵
左から石臼で豆乳 練炭で煮物 原始的なポン菓子機
この近くに中に入れる建物が
ドアを開けるといきなり急な階段が
当時のキッチンかな
トイレ用椅子
ソファベットが置き去りに
前世紀は立ち退きが決まると赤いペンキで拆(壊すの意味chai)と書かれていた 1996年 Noblex135U
前回の続き
日本語で話しかけられた上海人から、廃墟の中に入れる場所が2ヶ所あるので案内された。廃墟の中に入ると突然急な古い階段が現れた。昔だったらこの古い階段の一部は古民家具製造会社が持ち帰り、古民家具の部材に蘇るのだが、最近はそんな事もないようだ。階段を上がると足の踏み場もないほど物が散乱していて、ちょっと危険な状態だった。この地域の建物のほとんどは、1930年代前後に建てられた家がほとんどだが、上海は地震がないので倒壊したという話は聞いてない。ただ、時々傾いてしまった家を見た事があるが、電信柱数本で支えて住んでいる家も数軒見た事がある。
立ち退きになった人達は、郊外の広いマンションをいただくか、それ相当の額の金をもらうかの二択がある。亡くなってしまったが、私の友人が住んでいた旧城内の小さ過ぎる部屋は、立ち退きで脳震盪を起こすくらいの立退料が奥さんに振り込まれた。移転先が郊外といっても私が住む松江(映画村近く)や浦東空港の近くなど、その時々によって違うが、地下鉄が発達している今はさほど不便ではない。それと、同じ地区で立ち退きになった人達は、移転先も同じ地域に住むので人間関係は問題ないそうだ。ただ、日本と同じで老人は住み慣れた場所を離れたくないと思っている人達も多い。それらの人が今も残っている人達だが、もう時間の問題だろうな。風呂もトイレもない20-30平米の狭い家から、100平米前後の設備の整った広いマンションに住めるのであれば、私だったら喜んで出て行くけどね。
☆日本の熊問題。本来は熊が悪い訳ではないのだが、食い物がないと食い物がある場所に移動するのは生き物の本能。数日前のニュースで、富山で若い人(特に女性)が県外に出て行くという話は、とてもよくわかる。自分のやりたい事があれば実現可能な場所に行くのは当然の話。ただ、富山の例で女性が多いというのは、今の時代を象徴しているし今後も地方では増えるかもね。今は男より女の方が自立心が強くたくましい。
☆前世紀の事だが、日本のバブル時代は海外ロケといえば欧米が当たり前のロケ地だったが、それが弾けた後はそんなロケは激減。その後、これからは"東南アジアの時代だ"という機運が高まり、企業を筆頭に東南アジアに進出するんだよブームが起きた。という事で、私も雑誌などで東南アジア取材が激増した。そして、日本企業が現地にあるという事は日本料理屋も当然現地にあり、当時取材してみるとほとんどが関西人経営者で関東の経営者は一人も遭遇しなかった。それら当時の関西人に聞くと、彼らは元々東京へという意識はないとの事。私が思うに、関東以北の人より関西人の方が、誰に対してもフレンドリーで現地に溶け込みやすい気質なのは間違いないし、私の周囲の中国人も含め欧米人も東京より関西の方が親しみやすく好きだという人はとても多いのは事実。まぁ、関西といっても、ここでいう関西人とは大阪人。今の日本では物価は安いが賃金が上がらないと嘆いているが、若い時こそ海外を経験した方が将来絶対にプラスになるし、その後に日本戻っても良いと思う。全部ではないが、本で得た知識は現実では役に立たない事が多いのは時代の流れが速いし価値観も変わっているからだ。今の雑誌や新聞記事はある意味予定調和な事しか書いてない、というより書きたくても本当の事を書けない事の方が多い。現地に行くと、自分で経験し見識を養う事の重大さに気付くだろう。世の中、比べるものがあるから分かる事も多いのだ。
☆GFX50SII+Elmar50mm f2.8 Zuiko24mm f2.8 Noblex135U
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