佐藤賢一『英仏百年戦争』を読む。
英仏間の戦争でも、百年の戦争でもなかった。
イングランド王、フランス王と、頭に載せる王冠の色や形は違えども、戦う二大勢力ともに「フランス人」だった。
という紹介文にもあるように、我々が英仏百年戦争と教科書で習い、かのシェイクスピアも華々しく「勝った」と歌ったこの戦い。
これがなんと「英国」でもなく「百年」でもなく、ましてや「勝利」でもないことを、読みやすく、ときにユーモラスな文体で暴いていく本。
平たくいえば、これは国家間の戦争ではなくて、
「海峡をはさんだフランス王位をめぐる内輪もめ」
であって、あんまりイギリス人は関係ない。
フランス諸侯が、フランスでチャンチャンバラバラやってただけやん、と。
そもそも当時は「イギリス」とか「フランス」なんて国民国家も存在しなかったわけで、その意味でも「英仏」という表現も微妙だ。
歴史の本を読むと、こういう「現在」の知識や経験がある立場から見たら、わかりにくいといった事例がけっこう多くて、困惑させられることがある。
「ドイツ人がナチズムに傾倒していった時代」
「共産主義が世界を二分するほど人を惹きつけたこと」
「真珠湾奇襲すなよ。あんな国力に差があって、アメリカに勝てるわけねーじゃん!」
「フランス革命って、もしかしてフランス大虐殺なんじゃね? ポルポトとか文革とどうちがうの?」
などなど、「もっとうまく、やれんかったんかいな」なんて思いがちになる。
もちろん本などで、当時の社会状況を把握していくと「なるほど」と考えさせられるが、それでも知識だけでは実感できないところもあろう。
下手すると、そういったことに鈍感なあまり、
「昔の人はバカばっかりだなあ」
といった傲慢な感想すら抱いてしまうことも多々だ。
それが短慮であることは重々承知だが、その意識の調整も、当時を知らないわれわれには困難を極める。
どうしても「今当たり前のこと」にとらわれてしまって、そこから歴史を逆算するのは難しく、その試みが「正しい」ことかもわからない。
それこそ中世の「国という概念がない」なんて、今では想像しづらいものなあ。
でも考えてみれば、そもそも世界は「国なんてない」時間の方が圧倒的に長いのだ。
アラブやアフリカの国境線なんて、一部の人間が勝手に引いたものだし、「ドイツ」や「イタリア」というまとまった国も、せいぜい150年程度の歴史しかない。
自分たちの方が「歴史的少数派」なのに、「想像できない」なんて、むしろ傲慢かもしれないのだ。
この本から学べることはふたつで、
「自分たちの《今の常識》で見ると、歴史認識というのは傾いた家と同じで、まっすぐ歩いているつもりなのに、いつのまにかおかしな結論になってしまう」
「歴史なんて自分たちに都合よく解釈したがるのは、どこの国も同じですわ(笑)」
どちらも安易におちいらないよう注意が必要だが、わかってても結構むずかしい条件ではあるなあ。