藤井猛の振り飛車は絶品である。
平成の将棋界は、久保利明九段、鈴木大介九段、そして藤井猛九段の3人が、
「振り飛車御三家」
として、A級順位戦やタイトル戦などで大活躍していた。
その影響力はすさまじく、特に藤井システムなどはプロのみならず、アマチュアの世界でも大流行したが、久保、鈴木もまた大人気。
若手時代は振り飛車党だった中村太地八段によると、自分は「タテの攻め」が得意だったので、特に三段リーグでは藤井システムばかり指していたそう。
中村の修業時代は、奨励会員や若手棋士に振り飛車党が多く、太地流の分類では、長岡裕也五段が「藤井派」と「久保派」のハイブリッド。
戸辺誠七段はプライベートでも仲の良い「鈴木派」だけど、久保将棋っぽいところもある。
高崎一生七段はイメージは「鈴木派」だけど、一緒に研究会をやっていたせいか実は「藤井派」。
その他、「藤井システム」使いとして、藤倉勇樹、千葉幸生、横山泰明、佐藤和俊、佐々木慎といった面々がいて、藤井猛九段の記録係の座を必死になって取り合いしていたそう。
居玉で戦う藤井システムは意外と勝ちにくく、藤井猛本人も、
「しっかり囲うノーマルな振り飛車で、基礎を固めてからシステムを指す方がいい」
アドバイスを送ることもあるが、やはりファンとしては、システムは大変でも、
「藤井猛九段みたいな将棋を指したい!」
と願うもので、そこで今回はシステムではないが絶品藤井将棋をお送りしたい。
2010年、第68期A級順位戦の8回戦。
佐藤康光九段と、藤井猛九段の一戦。
この期の両者は不調で、藤井は6回戦まで1勝5敗。
佐藤にいたっては、なんと開幕から6連敗という、散々な有様だった。
7回戦では、おたがいひとつ星を返してホッと一息だが、試練は続き、この直接対決で負けたほうは相当に苦しいというか、佐藤は即陥落が決まる。
ただ、当時の感じでは、この大ピンチでも
「佐藤は大丈夫」
という空気感が濃厚ではあった。
別に藤井をナメていたわけではなく、佐藤のような「名人」になったものは、そう簡単に落ちないはずという信頼感があったこと。
また、2期前にも開幕6連敗のピンチから、奇跡の3連勝で残留したという実績もあり、佐藤の「格」や勝負強さに対する疑問など、浮かびようもなかったわけだ。
ところが、この一局は藤井が冴えわたっていた。
藤井がシステムの代案として、ひそかに磨きをかけてきた角交換四間飛車を選ぶと、そのまま一目散に穴熊にもぐる。
角を持ち合っている将棋では、駒のかたよる穴熊は打ちこみに注意が必要だが、藤井は巧みにバランスを取る。
むかえた、この局面。
後手が△76角と、歩を取ったところ。
次のねらいは、一回△75歩と角にヒモをつけてから、△85歩、▲同歩、△87歩で飛車先を突破しようというもの。
先手からすれば、それを防ぐか、またはもっとスピードのある攻めを見せたいが、後手陣もバランスが良くて、なかなか手持ちの角も使う場所がない。
穴熊は、こういうとき手が作りにくいんだよなーと、悩ましいところに見えたが、ここからの藤井の構想がすばらしかった。
▲96歩と突くのが、意表の一手。
といわれても、サッパリ意味など分からないが、おどろくのはまだ早い。
後手が△75歩としたところで、さらに▲95歩(!)
なんと、佐藤が「攻めるぞ」とかまえているところに、「どうぞ、どうぞ」と、堂々の端歩。
藤井システムといえば、▲15歩と端歩を突き越すのが基本だが、こっちは反対の端の位を取る。
なんとも面妖な手順だが、なんとこれですでに先手が指しやすくなっているのだから、藤井猛の序盤戦術はまったく神がかり的なのである。
(続く)