角交換四間飛車の名局 藤井猛vs佐藤康光 2010年 第68期A級順位戦

2024年11月16日 | 将棋・名局

 藤井猛の振り飛車は絶品である。

 平成の将棋界は、久保利明九段鈴木大介九段、そして藤井猛九段の3人が、

 

 振り飛車御三家

 

 として、A級順位戦やタイトル戦などで大活躍していた。

 その影響力はすさまじく、特に藤井システムなどはプロのみならず、アマチュアの世界でも大流行したが、久保、鈴木もまた大人気

 若手時代は振り飛車党だった中村太地八段によると、自分は「タテの攻め」が得意だったので、特に三段リーグでは藤井システムばかり指していたそう。

 中村の修業時代は、奨励会員若手棋士振り飛車党が多く、太地流の分類では、長岡裕也五段が「藤井派」と「久保派」のハイブリッド。

 戸辺誠七段はプライベートでも仲の良い「鈴木派」だけど、久保将棋っぽいところもある。

 高崎一生七段はイメージは「鈴木派」だけど、一緒に研究会をやっていたせいか実は「藤井派」。

 その他、「藤井システム」使いとして、藤倉勇樹千葉幸生横山泰明佐藤和俊佐々木慎といった面々がいて、藤井猛九段の記録係の座を必死になって取り合いしていたそう。

 居玉で戦う藤井システムは意外と勝ちにくく、藤井猛本人も、

 


 「しっかり囲うノーマルな振り飛車で、基礎を固めてからシステムを指す方がいい」


 

 アドバイスを送ることもあるが、やはりファンとしては、システムは大変でも、

 

 「藤井猛九段みたいな将棋を指したい!」

 

 と願うもので、そこで今回はシステムではないが絶品藤井将棋をお送りしたい。

 


 

 2010年、第68期A級順位戦の8回戦。

 佐藤康光九段と、藤井猛九段の一戦。

 この期の両者は不調で、藤井は6回戦まで1勝5敗

 佐藤にいたっては、なんと開幕から6連敗という、散々な有様だった。

 7回戦では、おたがいひとつ星を返してホッと一息だが、試練は続き、この直接対決で負けたほうは相当に苦しいというか、佐藤は即陥落が決まる。

 ただ、当時の感じでは、この大ピンチでも

 

 「佐藤は大丈夫」

 

 という空気感が濃厚ではあった。

 別に藤井をナメていたわけではなく、佐藤のような「名人」になったものは、そう簡単に落ちないはずという信頼感があったこと。

 また、2期前にも開幕6連敗のピンチから、奇跡の3連勝残留したという実績もあり、佐藤の「」や勝負強さに対する疑問など、浮かびようもなかったわけだ。

 ところが、この一局は藤井が冴えわたっていた。

 藤井がシステムの代案として、ひそかに磨きをかけてきた角交換四間飛車を選ぶと、そのまま一目散に穴熊にもぐる。

 を持ち合っている将棋では、駒のかたよる穴熊は打ちこみに注意が必要だが、藤井は巧みにバランスを取る。

 

 


 むかえた、この局面。

 後手が△76角と、を取ったところ。

 次のねらいは、一回△75歩ヒモをつけてから、△85歩、▲同歩、△87歩で飛車先を突破しようというもの。

 先手からすれば、それを防ぐか、またはもっとスピードのある攻めを見せたいが、後手陣もバランスが良くて、なかなか手持ちのも使う場所がない。

 穴熊は、こういうときが作りにくいんだよなーと、悩ましいところに見えたが、ここからの藤井の構想がすばらしかった。

 

 

 

 

 

 ▲96歩と突くのが、意表の一手。

 といわれても、サッパリ意味など分からないが、おどろくのはまだ早い。

 後手が△75歩としたところで、さらに▲95歩(!)

 

 

 

 なんと、佐藤が「攻めるぞ」とかまえているところに、「どうぞ、どうぞ」と、堂々端歩

 藤井システムといえば、▲15歩と端歩を突き越すのが基本だが、こっちは反対の端の位を取る。

 なんとも面妖な手順だが、なんとこれですでに先手が指しやすくなっているのだから、藤井猛の序盤戦術はまったく神がかり的なのである。

 

 (続く

  

 

 

 


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