2023年ラストラン

2023年12月31日 | 日記

 2023年も、もうすぐおしまい。
 
 布団の中で、ひねもすを読んだりYouTubeを見たり、昼寝して、映画見て、銭湯に行って、夜中に無人の街を散歩したりと、代わり映えのない日々。
 
 半纏着て毎日食べて、昔のテニスの動画を見て、スペイン語勉強して、岡田斗司夫さんのスマートノートやって、ちょっといい紅茶飲んで、ひたすらなにもしない。

 ということで、今回はフワフワ頭で今年を振り返っておしまい。

 とりとめなんかないので、こんなの私の顔ファン以外は全然読まなくていいです。では、ドン。
 
 
 体のアチコチにガタが来た、新しい眼鏡を買ったら快適すぎた、フランス語とくらべてスペイン語のとっつきやすさに感動中、なぜ日本人はこんなにテニスに興味がないのか不思議だ、だれが八冠王の牙城をくずすのかサッパリ予想できない、まだ世に出てない関西芸人にくわしくなった、ジャニーズ問題を「芸能スキャンダル」と思っている人には映画『スポットライト 世紀のスクープ』とドキュメンタリー『フロムイーブルバチカンを震撼させた悪魔の神父~』を観るのがオススメ、国枝慎吾はもっと評価されていい、YouTubeのCMがしつこすぎて辟易、スポーツマンに対する過度な幻想はそろそろ捨てるべき、ロダンの「考える人」は地獄をのぞきこんでいるという説があるがきっと各種SNSを見ているに違いない、もっとみんな不条理抵抗してもいいと思う、今のホワイト社会がどうなっていくのか10年後20年後にどう評価されるのか興味津々だ、こちらがどんなに落ちているときでも世界は動き続ける不思議と残酷、たぶん私は死ぬまでこんな感じ、それもまたよし。
 

 

 ■今年おもしろかった本。

 

 松本大洋『ピンポン』

 吉田秋生『バナナフィッシュ』
  
 黄民基『猪飼野少年愚連隊-奴らが哭くまえに』

 ネレ・ノイハウス『白雪姫には死んでもらう』

 長谷敏司『My humanity』

 桂米朝『米朝ばなし 上方落語地図』

 アガサ・クリスティー『カリブ海の秘密』

 高野秀行&清水克行『室町は今日もハードボイルド』

 ドストエフスキー『地下室の手記』

 半藤利一&宮部みゆき『昭和十大事件』

 P・D・ジェイムズ『皮膚の下の頭蓋骨』

 森枝卓士『カレーライスと日本人』

 橋爪大三郎『げんきな日本論』

 米澤穂信『Iの悲劇』

 

 

 ■おもしろかった映画・ドラマ

 

 『マッチ工場の少女』

 『グリーンブック』

 『涙するまで、生きる』

 『ベルファスト』

 『ウィッチャー警部の事件簿』

 『夜の来訪者』

 『ギルティ』

 『ナンシー・ドリューと秘密の部屋』

 『セントラル・ステーション』

 『ワールド・オン・ファイア』

 『エクス・マキナ』

 『ブックスマート』

 『ミニチュア作家』

 『警視ファン・デル・ファルク』

 『ホット・ロック』

 『ブラック・クランズマン』

 

 それでは本年度はここまで。
 
 サンキュー、バイバイ!
 
 また来年。
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年末日記2023 谷山浩子 黒帯 米澤穂信 中野好夫 山下ギャンブルゴリラ登場

2023年12月28日 | 日記

 12月 某日 
 
 ある年末の日記。
 
 12時起床。朝の苦手な私は休みとなるとかというくらい寝る。
 
 まずは朝風呂。生活の雑多な悩みを浴槽の中に溶かすイメージで、ゆっくり湯につかる。
 
 今年は急に右肩が痛くなったり、頭痛がひどかったり、がアレコレ痛んだり(歯ぎしりがすごいらしい)、その分というわけではないけど腰痛がマシになったりと、体のメンテナンスに忙しく、数年遅れで厄年が来た感じ。
 
 朝食は紅茶、アーモンドミルク、キウイ、チーズ、ジャムトースト。

 BGMにアンリー『2Times』谷山浩子『穀物の雨』ミッシェルガンエレファント『トカゲ』など。

 午前中は映画を観る。ダスティンホフマン主演『小さな巨人』。
 
 インディアンの歴史をあつかった作品だが、重いテーマをあつかいながらも、軸はコメディというのがすばらしい。
 
 特にラストの「メシ食いに行こうぜ」「アイツ、馬とヤッてるのはどうかと思うな」が最高で感動。

 「最後の一撃」で人生の本質をつくという意味では、今敏監督の『千年女優』と双璧。
 
 そういや昔、なんかのマンガでやはりインディアンをあつかってた話があったんだけど、こっちはドがつく「お涙頂戴」ノリでウンザリしたことも思い出す。

 なんとなくパソコンのキーボードをそうじして、昼食。ニラ玉、納豆、ご飯とモヤシの味噌汁。
 
 午後からはコーヒーを飲みながら、ひたすら読書

 米澤穂信本と鍵の季節』読む。米澤流のビターな青春もの。

 細やかな作りの本格で、読んでいてしっくりくる。とりあえず、新刊が出たら即ポチなのはこの人と森見登美彦
 
 夕方は買い物がてら、少し散歩笑福亭松喬師匠『崇徳院を聴きながら、近所を1時間ほど歩く。
 
 夕食は冷蔵庫の中の残り物をなんでも放りこんで、チャーハンを作る。
 
 タマゴ、トマト、山菜のナムル、大根おろし、レバーの焼鳥、キムチなど、一貫性もなくまぜこぜ。味はまあ、うまくはないわな。
 
 食後はパソコンを開く。お茶しながら、YouTubeラジオなど。
 
 今年はお笑い系のものばかりあさっていて、黒帯会議を追いかけていたら、今まで知らなかった関西芸人を中心に、たくさん知れて楽しかった。
 
 M-1準決勝進出の鬼としみちゃむシシガシラ(敗者復活はおもしろかったネ)、ヤング風穴あけるズ軍艦とかとか。

 山下ギャンブルゴリラってすごいワードセンスだよなあって感心してたら、命名はニッポンの社長君だとか。道理で。
 
 もちろん黒帯の漫才も見る。「拾った財布」「ホームランの約束」。オレは寿司より王将5回やな。

 寝る前に少し読書。中野好夫『世界史十二の出来事』。
 
 高校生の時以来の再読かも。『アラビアのロレンス』とかおもしろく読んだなあ。
 
 中野先生といえば立命館を受験したとき現代文で『悪人礼賛』が出題されて、読んだことあったから吃驚したことが。
 
 でもそのときは現役受験で全然勉強してなかったから、チャンスを生かせず落ちたのだ。
 
 もっとも私は本好きのくせに国語成績悪いタイプだから(読書あるあるです)、どっちにしても同じというか、むしろ読んだ経験が不利になってたかも。
 
 本を「楽しく読む」私のようなタイプは「論理的に出題者の書いてほしい解答を読み取って書く」というのが苦手極まるのだよなあ、とかブツブツ言いながら眠りに落ちる。

 

 

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藤井聡太・中原誠・谷川浩司の過密スケジュール比較

2023年12月25日 | 将棋・雑談

 トップ棋士のスケジュールたるや、大変なものである。
 
 史上最年少でのタイトル獲得から八冠制覇まで、超過密スケジュールで駆け抜けてきた藤井聡太八冠王
 
 その強さあまねきため、冬に対局数が激減していることが話題になっているが、なかなかにおもしろい現象である。

 将棋にかぎらず、スケジュールをどう調整していくかはアスリートの仕事のひとつだが、これはなかなか自分の思い通りにはいかないわけで、むずかしそうではある。

 前回は生善治九段の「どこでもドアでもないと、やってられんで!」という過密日程を紹介したが、将棋も意外と「体力」のいる仕事なのだ。

 かつて五冠王になった中原誠十六世名人が、「全冠制覇」(当時は王座戦がタイトル戦でなく全部で六冠だった)をねらったものの、あまりの過密スケジュールで体調をおかしくし、棋王戦では加藤一二三棋王に敗れて大記録ならず。

 プレッシャーや頂点に立ち続ける孤独感にもさいなまれ、数年後にはなんと無冠に転げ落ちてしまうのだから(ただしすぐタイトルに復帰)、激務の中で結果を出し続けるというのはレジェンドクラスでも至難なのだ。

 また、この話題ではずせないのが、全盛時代の谷川浩司九段
 
 特に話題になったのが、1991年年末
 
 このころの谷川はのような強さで驀進中で、まだ覚醒前の羽生善治をボコっただけでなく、それまで手を焼いていた高橋道雄南芳一といった「花の55年組」からタイトルを次々とはぎ取っていったころ。
 
 そのあまりの強さに、
 
 
 「他の棋士たちと、大駒一枚ちがう」
 
 
 とまで称された谷川だったが、その対局日程がまたエゲツナイものだった。
 


 
1991年 12月 

1日 棋王戦 加藤一二三九段〇
2日 NHK杯 木下浩一四段〇
3日 
4日 竜王戦第5局 1日目
5日 第5局 2日目 森下卓六段〇
6日 
7日 王将リーグ 中原誠名人〇
8日
9日
10日 棋聖戦第1局 南芳一棋聖〇
11日 
12日 棋王戦 塚田泰明八段〇
13日 王将リーグ 屋敷伸之六段〇
14日
15日
16日
17日 竜王戦第6局 1日目
18日 第6局 2日目 森下卓六段〇
19日 
20日 A級順位戦 高橋道雄九段●
21日
22日
23日
24日 棋聖戦第2局 南芳一棋聖〇
25日 
26日 竜王戦第7局 1日目
27日 第7局 2日目 森下卓六段〇
28日
29日 王将戦プレーオフ 米長邦雄九段〇
30日
31日 王将戦プレーオフ 中原誠名人〇

 


 これ以上ないくらいにギュウギュウに詰められている。
 
 タイトル戦2つに王将リーグとかA級順位戦とか、どれもこれも大勝負ばかり。

 しかも、ほとんどが中1日程度で、連戦もある。

 棋聖戦の中1日でそこから2連戦とか、2日制の竜王戦から中1日順位戦というのもだが、クリスマスイブからの流れは常軌を逸している。
 
 ふつうは順位戦やタイトル戦を戦った次の日は疲れで使い物にならないというし、ということはその次の日だって全然万全ではないはず。

 そこを8日中5日が対局で、中身もタイトル戦と挑戦者決定戦とか濃厚すぎる。
 
 おまけに、この間の成績がほとんどA級にタイトルホルダー相手で、それ以外が森下卓屋敷伸之

 そんな「全員4番」のラインアップに12勝1敗(!)というのだから、なにもかもが色んな意味でメチャクチャではないか。

 マジで「大駒1枚」は誇張でもなんでもなかったのだ。
  
 まさに今では聞かない「馬車馬のごとく」とか「ワーカホリック」という言葉を思い起こさせる勢いである。
 
 このときのことをおぼえているのは、年末の対局が話題になっていたから。
 
 私は年末年始を寝正月の読書三昧で過ごすのを楽しみにしており、こんな時期に働きたくなんかないので、「イヤだなー」とか思っていた記憶があるのだ。
 
 そもそも12月の29日に対局があるのも大変だけど、その次の挑戦者決定戦大晦日ってのもすごい。
 
 まあ、年内に挑戦者を決めないと七番勝負の準備とかにかかわってきたんだろうけど、それにしても忙しすぎである。
 
 スタッフも冬休みが取れないし、里帰りも出来ないし、ご苦労様でした。
 
 でもこれ、勝ってたからいいようなもののというか、逆に言えば勝ってたからこそ体がもったようなものかもしれない。
 
 このペースで戦ってそこそこ負けてたら、ガックリきてガタガタになってたかもしれないものね。 

 だって下手するとこれ、棋聖を取れるアテはなくなり、竜王は取られて、順位戦は負かされて、しまいにゃ王将戦の挑戦逃した瞬間に年明けとかになってた可能性だってあるわけで、そんなもんどうやって新年迎えりゃええのよ。

 

 

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非モテ戦場のメリークリスマス

2023年12月22日 | 時事ネタ

 クリスマスといえば思い出すのは「血尿」というワードである。

 今は知らねど私がヤングのころは、はじけたとはいえ、まだバブルの残り香がただよっていた。

 なもんで、冬が到来すると、

 

 クリスマスに予定がある=人生の勝利者

 クリスマスに予定がない=地を這いずり回る、生きる価値もないくそ虫

 

 などという一部男子の基本的人権などブン無視した価値観が、まかり通っていた。

 しかも聖夜にはメチャメチャ高いホテルで、ぼったくりディナーワインをいただく。

 ブランド物のプレゼントはマストで、その後は夜景の見える高層階の部屋でエロいことをしなければいけないという、の抜けた定跡が存在。

 私の友人たちもコンビニの夜勤と、寒空の中での肉体労働などを掛け持ちし、10万円くらいする財布をプレゼントしたりしていたものだ。奴隷か。

 他にも、クリスマスは電車に乗るな血を売ってでもタクシーに乗れ、いやそもそも外車を寄こせレンタカーは論外だぞとか、現金はダサいからカード払いで、イタリア製のスーツ着てこいとか。

 今の若者は「女性専用車両」の存在や「メシをおごらない男はクズ」みたいな言い分に、

 

 「女尊男卑やん!」

 

 とか憤りの声を上げているそうだが、なーに、こんなのはいつの時代も大して変わらないのである。

 そんな、広告代理店による搾取とアジテーションのイベントであった当時のクリスマスだが、時代というのはオソロシイもので、皆が結構「そういうもの」と疑問にも思わなかった。

 現にナガノさんという私の先輩なども、まだ5月くらいから、梅田のホテルでクリスマスのディナーを予約して、悦に入っていた。

 12月のイベントに、なんでゴールデンウイークごろから奔走するのか、と問うならば、

 

 

 「阿呆やなあ。いざ本番が近づいて、彼女とクリスマスディナー言うても、どこのホテルも予約なんて取られへんのやぞ」

 

 

 たしかに、そうだったかもしれないが、いくらなんでも5月は早すぎる気がする。

 私など世の流行と無縁な太平楽なので、そんなときでも家で納豆とか食ってたりしてピンとこなかったし、なにより最大の問題点は、ナガノ先輩に彼女などいないということなのだ。

 こんなもん、どう考えても12月に、ヒルトンリッツカールトンインコンあたりで、カップルに囲まれることになるだろう。ひとりで。

 冷笑の目に耐えながら、夜景を前に何万もするワインをソロでたしなむという、恥辱プレイの未来しか見えない。

 先輩は「そんなもん、時間はまだ半年以上あるんや。なんとでもなるで」と言うのだが、んなわきゃない。

 見た目が六角精児さんソックリで、趣味がエロゲーミリタリーというスペックではそうなると、能力者ならずとも絶対的に当てる自信があったが、その通り。

 ナガノ先輩は当然ながら12月になっても彼女ができず、鼻がもげそうなほどのキャンセル料を払って、

 「羞恥のクリぼっち」

 を回避する羽目になった。

 われわれ後輩一同が、ニヤニヤしながら「どうでした?」と問うと、先輩は

 

 

 「血の小便が出たよ……」

 

 

 これは今でも、我らが母校である大阪府立S高校史上(ナガノ先輩はすでに大学生だったが)に残る名言と記憶されている。

 私が「血尿」という言葉を聞くと思い出すのが、体育会系のしごきでも、過労のサラリーマンでもなく、領収書を手に氷のような表情でたたずむナガノ先輩の横顔である。

 まあ、今思えば先輩は、クリスマスに向けて彼女がいなかったどころか、そもそもそのとき、まだ女の子と一回もつきあったことすらなかった

 そう思うと、まさに味わい深い蛮勇というか、ますます意味不明だが、そんな人でも、こんなことをしてしまうというのが、1980年代から90年代という時代だったのである。

 

 

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藤井聡太・羽生善治の過密スケジュール比較

2023年12月19日 | 将棋・雑談

 トップ棋士のスケジュールたるや、大変なものである。
 
 史上最年少でのタイトル獲得から八冠制覇まで、超過密スケジュールで駆け抜けてきた藤井聡太八冠王
 
 その強さあまねきため、冬に対局数が激減していることが話題になっているが、なかなかにおもしろい現象である。
 
 タイトル戦でバリバリ戦っている棋士といえば、この時期は竜王戦七番勝負王将リーグが佳境を迎えることが多い。
 
 そこを今回、王将は取っているし、竜王戦は4連勝で終わったから、ポッカリと予定が空いてしまったようなのだ。
 
 おかげで将棋中継がほとんどなく、われわれファンは無聊をかこつわけだが、まあそこは祭りの後のしばし一休みといったところであろうか。

 いやマジで、われわれはともかく藤井八冠はちょっとは休まないとねえ。

 といっても、師走もイベントや取材や雑用で、そうもいかないんでしょうが。
 
 というわけで今回は過密スケジュールのお話だが、このテーマでまず思い出すのが羽生善治九段
 
 四段デビューからこのかた常に多忙を極め、2000年度には89局(!)という史上最多対局数を記録。 
 
 また、本業のみならずイベントや取材など、普及活動にも熱心に取り組むという勤勉さ。

 「100面指し」なんて、とんでもなくしんどそうな企画に挑戦したり、その合間を縫って海外チェスの大会に出たりしてたのだから、その尽きることのない体力と、旺盛な好奇心にはおどろかされるばかりである。

 対局、その他の仕事、雑務、移動で、家に月3日くらいしか帰れなかったときもあるというから昭和モーレツ社員並み、いやそれ以上か。聞いてるだけでグッタリである。

 ちなみに盟友である先崎学九段の『将棋指しの腹のうち』によると、羽生はどんなに忙しかったり不調だったりしたときでも、グチや弱音を吐いたことがないと。

 将棋人生で唯一「疲れた」という言葉を発したのが、A級順位戦最終局を計8時間の、しかも段取りのすこぶる悪かった生放送をこなしたときのみだというのだからホント化け物です。

 羽生の強さのひとつに、この見た目からは想像もつかない強靭なスタミナ(精神力もふくむ)があったのだ。

 とはいえ多忙自体、大変は大変なようで、これまた先チャンの文春エッセイによると、羽生が『将棋年鑑』アンケートの「欲しいもの」の欄に「どこでもドア」と書いていたというネタがあった。

 それだけならなんてことないが、他に見てみると佐藤康光九段森内俊之九段もまた同じ答えで笑ってしまったと。

 これには、先チャンも

 

 「もっと移動を楽しむ心の余裕など持てないものかねえ」

 

 などとニヤニヤしながら、自分の欄を見たらそこにも「どこでもドア」とあってコケそうになったというオチがつくのだが、トップ棋士たちの対局日程表を見ると、これはもう笑い話でもなんでもない。

 取り急ぎソニーかパナソニックか東芝でもなんでも、すぐさまその英知を結集して「どこでもドア」を制作し販売すべきであろう。

 

 

 

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天野宗歩の遠見の角 佐藤康光vs中川大輔 1989年 新人王戦 渡辺明vs久保利明 2009年 B級1組順位戦

2023年12月16日 | 将棋・好手 妙手

 というの使いでのある駒である。

 射程距離が長く、

 

 「遠見の角に好手あり」

 「飛車のタテ利きは防ぎやすいが、角のにらみは防ぎにくい」

 

 と言われる通り、好所に据えると盤面を制圧する威力を発揮することがある。

 反面、接近戦に弱いところがあり、玉頭戦の競り合いや守備に使うとなると「頭が丸い」ため活躍の場を失いがちなのだ。

 そんな特長がハッキリしている駒なので、

 

 「ハッとする妙手や好手は角を使う手が多い」

 

 という説もあり、もっとも有名なのが江戸時代に「棋聖」と称された天野宗歩の「遠見の角」であろう。

 

 

 

  好手かどうかは正直なところ微妙で、『将棋世界』の人気コーナー「イメージと読みの将棋観」でも苦しまぎれではないかといわれていたが、宗歩はこの後うまくさばいて▲63角成と成りこむことに成功し勝利。

 なにより、この「▲18角」と放った形が理屈抜きで美しさを喚起させ「絵的に綺麗」なところも、この角の価値を高めているかもしれない。

 ということで、今回はそんな角の好手を観ていただきたい。

 

 1989年新人王戦

 佐藤康光五段中川大輔四段の一戦。

 先手の中川が序盤で飛車角交換になる「升田式棒銀」で先行し、むかえたこの局面。

 

 

 まだ中盤の入口くらいだが、この△64銀が軽率だったようで、なんとすでに後手が倒れている。

 次の一手で将棋はおしまいである。

 

 

 

 

 

 ▲18角打で、升田幸三風に言えば「オワ」。

 この二枚角のランチャーで、おそろしいことに後手は△63の地点が受からない

 △52玉には、▲83銀の強烈な左フックが決まる。

 

 

 △同金▲63角成で崩壊。

 ▲83銀△62金と逃げても、▲74銀成でやはり△63の地点のが足りない。

 以下、佐藤も懸命にねばるが、中川は落ち着いた指しまわしで圧勝

 「遠見の角」の破壊力と、盲点になりやすいところがよく出た将棋といえる。

 


 続けてもうひとつ。今度はめずらしい、角を受けに使う形。

 2009年B級1組順位戦

 渡辺明竜王久保利明棋王の一戦。

 渡辺が5勝2敗、久保が6連勝というA級をかけた直接対決は久保のゴキゲン中飛車から双方の端で戦いとなり、むかえたこの局面。

 

 

 

 ▲19歩△28竜とかわしたところ。

 一目は▲94歩と取りこみたいが、その瞬間に△47馬とされると後手玉が1手スキでないため先手が負ける。

 なんとか1手の余裕を得たい渡辺だが、ここでカッコイイ手があった。

 

 

 

 


 ▲17角と、ここに捨てるのが攻防の速度を逆転させる妙手

 △同竜と取るしかないが、そこで▲94歩とする。

 

 

 

 今度は△47馬がなんでもないから、▲51竜を補充しながら詰めろをかけて先手が勝ち。

 久保は△95歩と打って▲同香△84角とねばるが、▲93歩成△同桂▲同香成△同玉▲73歩と打つのが、確実にせまる手で決め手になった。

 

 

 

 後手は△47馬△58馬金銀を取っても、それでもまだ先手玉が詰めろにならないのだから、とても攻め合いにならない。
 
 これが▲17角のすさまじい効果である。

 競争相手を下した渡辺はその勢いで、この期初めてのA級昇級を果たすことになるのである。

 

 


(羽生善治によるお手本のような遠見の角はこちら

(真部一男と大内延介による幻の角はこちら

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

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先崎学『一葉の写真』の衝撃

2023年12月13日 | 

 杉元伶一はもっと評価されていい。

 という出だしから前回は90年代の知られざる作家、杉元伶一さんの寡作ぶりを惜しんだが、本が好きでいろいろ読んでいるとこの人のように、

 

 「あ、こりゃ、すごい人が出てきたぞ!」

 

 胸を躍らせる出会いというのがあって、それが大きな楽しみだったりする。

 私自身の経験で言えば、前回も話題に出した森見登美彦をはじめ、他にもグレゴリ青山米澤穂信高野秀行中島京子小川一水などなど、最初に読んだ本の10ページ目くらいで、

 

 「すごいな。この人、もう絶対に売れはるやん!」

 

 そう確信させるほどの作家というのはいるもので、そういった人が実際にブレイクしたりすると、

 

 「まあな、あの○○も今はがんばってるみたいやけど、オレが育てたようなもんや」

 

 なんて、もう尻馬に乗って鼻高々なのである。

 そういった「才能とのファーストコンタクト」のひとりに、将棋のプロ棋士である先崎学九段がいる。

 先チャンといえば、『週刊文春』のエッセイや『駒落ちのはなし』『先ちゃんの順位戦泣き笑い熱局集』のような棋書のみならず、『小博打のススメ』のような本業以外の本まで出すなど、その文才は知られているが、やはり衝撃という意味ではデビュー作の「一葉の写真」にとどめを刺す。

 1990年、まだ五段時代に先チャンはNHK杯戦優勝をおさめる。

 その際、今はなき『将棋マガジン』にかなり長めのエッセイが載せられたのだが、これが衝撃だった。

 


 忘れもしない。5年前の『将棋マガジン』に一葉の写真が載った。羽生善治新四段と先崎学初段が並んで立っているだけの小さな写真だった。写真には副題がついていた。

 <左は元天才?の先崎初段>

 クエスチョンマークがなければ、僕は将棋をやめていただろう。


 

 という出だしからはじまるこの文章は、先に四段になりどんどん階段を上がっていた羽生善治と自分の比較から、奨励会時代のフーテン生活。

 そこから覚醒への道を作ってくれた室岡克彦七段の言葉や、森雞二九段へのあこがれなどが、若者らしい荒々しくも瑞々しい文体で語られるのだ。
 
 これがねえ、もう読みながらが抜けそうになったもんですよ。

 

 「嗚呼、文章を書く才能があるって、こういう人のことなんだ」

 

 いや、私は評論家ではないから、どこかどうとか具合的には言えないけど、とにかくそう受け取るしかなかった。

 今見ると、かなり粗削りな部分も多いけど(句読点の打ち方とか)、それでも「モノが違う」というオーラが感じられた。

 よくスポーツの世界とかで、

 

 「ものの数分で格の違いを感じさせた」

 

 なんて言われる人がいますが、先チャンの文章もまさにそんな感じだった。

 事実、これは私のような素人だけでなく、ミステリ評論家の茶木則雄さんなんかも目をつけていたそうだが、団鬼六先生のようなプロも感心し、すぐさま自身の主催していた『将棋ジャーナル』に原稿を依頼したくらい。

 初めて書いたに等しい文章でこの評価。天は二物を与えずとか、大ウソでっせホンマに。

 昨今ではブログnoteなんかで「文章が上手い」と言われる人もいるけど、ちょっと先チャンのポテンシャルはそれとは違うというか。

 それこそ将棋で言えば「クラスで一番強い」とか「町の道場で上の方」みたいな、強いことは強いけど

 

 「奨励会行くんだよね? 師匠とか、もう決まってるの?」

 

 とか言われてるレベルの子とは、明らかに「なにか」が違う感じというか。

 「ダンスのうまい人」と「ダンサーになれる人」のちがい。

 「準急」は各駅停車より早いけど、新幹線とは天地の差と言うか、うまく言えないけど、とにかく圧倒されたのだ。

 世の中にはスゲー人がおるもんや、と。

 その後、先チャンは本業でもA級八段になり、また文筆のほうでも活躍。

 将棋と普及の両方で大きな貢献するのだが、個人的には明らかに技術力が上がった文春エッセイなどもいいが、やはり「才能のきらめき」という点では「一葉の写真」や同じく青春期的内容の「イエスタディワンスモアをもう一度」こそが、もっとも発揮されている気がするので、これを機会に読み返してみようかな。

 


(先崎学九段の書いた闘病記『うつ病九段』についてはこちらから)

 

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入玉とB面攻撃 丸山忠久vs有森浩三 1992年 第50期C級2組順位戦

2023年12月10日 | 将棋・好手 妙手

 「攻め駒を責める」手というのがある。

 相手の玉を直接ねらうよりも、大駒などにプレッシャーをかけて側面からせまるという戦い方で、

 

 「B面攻撃」

 「駒のマッサージ」

 

 なんて呼ばれたりするが、この攻撃といえば、はずせないのが丸山忠久九段だ。

 先日、通算1000勝を達成されていたが、若手時代の勝ち方はこんな感じでした。

 

 1992年、第50期C級2組順位戦

 有森浩三六段丸山忠久四段の一戦。

 最終戦で組まれていた実力者同士の戦いは、ここまで1敗の丸山が、勝てばC1昇級が決まるという大一番になる。

 一方の有森は9連勝で、すでに昇級を決め消化試合

 もし有森が途中で1敗でもしていたら、この最終戦が「昇級決定戦」の鬼勝負になっていたのだから、丸山からすればかなりラッキーな展開と言える状況。

 とはいえ低段時代から難関の王将リーグや、十段リーグにも入った経験もある有森はそもそもが超強敵であり、しかもそれがプレッシャーのない状態で戦ってくるとあって、そう簡単でもないと思われたが、この将棋がすごかったのだ。

 後手になった丸山が矢倉中飛車を選択すると、有森も中央から積極的にをぶつけて、戦いがはじまる。

 むかえた、この局面。

 

 

 先手の有森が、▲55銀と打ったところ。

 後手がやや駒得だが、先手も中央の厚みで勝負して、もたもたしていると押さえこんでやろうと、ねらっている。

 どう手を作っていくのか注目だが、ここで丸山は独特としか、いいようのない感性を見せるのだ。

 

 

 

 

 

 

 △39銀と打つのが、若手時代のマルちゃん流。

 面妖な手だが、これは先手の飛車の行き場所によって、使用法を限定させようというねらい。

 ▲26飛なら横利きが、▲58飛なら2筋からの攻めが消え、プラスであると。

 ▲38飛を取りに行っても、△48銀打とされて、△55角ともう一枚を取ってから、△27銀とか△49銀打とか、強引に飛車を詰ます筋がある。

 有森は▲58飛の利きをキープしたが、この次がまたすごい手だった。

 

 

 

 

 △48銀打が、見たこともない手。

 とにかく徹底的に先手の飛車を、封じようようという意図である。

 まあ、それはわかるけど、もし失敗したら2枚の銀が、まったくの「スカタン」になる可能性も高く、相当にリスクがありそうだ。

 いやこれ、盤面を反転して丸山側から見ると、とんでもなく打ちにくい銀であることが、よりよくわかります。

 その通り、有森は▲46角と軽くかわして、2枚銀の圧迫から大駒を楽にしようとするが、そこで△13角とぶつけていく。

 ▲同角成△同桂で、後手はを持てば、△49角などきびしいねらいがあるから、指せるというのが丸山の読みだ。

 

 

 

 そうはいっても2枚のと、△13に跳ねたも変な形で、いかにも異能な将棋である。

 また解説によれば、これら一連の手順は当時、丸山が得意としていた入玉も視野に入ったものとか。

 将来、上部に脱出する展開になれば、敵陣にある2枚が、先発の落下傘部隊として、大将をあらかじめ護衛しているという算段なのだ。

 なんかすごいというか、解説者もあきれていたほどだが、こういう指し方で勝つのが、このころのマルちゃんだった。

 以下、▲73角の反撃に、一回△31玉と寄るのが見習いたい呼吸。

 ▲91角成に、△76歩と取って、▲66金上△77歩成▲同金に待望の△49角

 

 

 

 ここから後手は、執拗に先手の飛車をいじめにかかる。

 そうなると、

 

 「玉飛接近すべからず」

 

 の格言通り、同時に先手玉攻略にもなっているのだから、有森からすれば完全に足を取られた格好だ。

 以下、と金飛車をボロっと取って、丸山が勝勢を築く。

 これで1敗を守った丸山が、見事C級1組への昇級を決めたのだった。

 


(丸山が名人戦で見せた熱闘はこちら

(島朗の見せたB面の銀打はこちら

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

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サンタクロースが死んだ朝に、イナズマを呼んできて欲しいと言え 追悼チバユウスケ

2023年12月07日 | 音楽

 チバユウスケが死んだ。
 
 ミッシェルガンエレファントROSSOThe Birthdayなどで活躍したミュージシャン。
 
 その独特にしゃがれた声と、意味不明なように見えながらも不思議な魅力を醸し出す歌詞で、ファンを魅了してきたボーカリスト(兼ギター)。享年55歳。
 
 このニュースに茫然としたのは、私が日本のバンドでもっとも熱狂し、繰り返し聴いたのはミッシェル・ガン・エレファントであるから。
 
 CD全買いはもちろんのこと、ライブにも出かけ、カラオケでは『リリィ』『バードメン』『ハイチャイナ!』『ドッグウェイ』などを熱唱。
 
 解散ライブにも飛び、もちろんROSSO、The Birthdayも追いかける。
 
 なんといっても、私の名前こそがROSSOの名曲「シャロン」から取っているのだから、その耽溺ぶりはおわかりいただけるのではあるまいか。
 
 ミッシェルと初めて出会ったのはアルバム『ギヤブルーズ』が出たころだから1998年末から1999年くらいだろうか。
 
 それまで私は中学高校とクラシック、その後は映画音楽とかドイツ語やってた影響でテクノとか、そこから進んでプログレ
 
 古いフレンチポップスとか世界の民族音楽とか、メジャーなミュージックシーンからは無縁な音楽ライフを送っていた。
 
 そこへの出会いは本当にひょんなことで、たしか立ち読みした雑誌のコラムかなんかで、
 
 
 「ミッシェルの新譜がヤバイ」
 
 
 みたいな記事があって、たまたま行きつけのレコード屋のポイントがたまってたかなんかで、じゃあ買ってみるかとなったとか、そんなんだった。
 
 で、聴いてみたら、これが衝撃だった。
 
 開口一番の長いベース音から始まって、『ドッグ・ウェイ』『キラービーチ』『ブライアンダウン』『ソウルワープ』などが次々と刺さり、耳と胸をゆさぶられた。
 
 それまで名前しか知らなかったミッシェルだったが、ここでその魅力に目覚めた。目覚めざるを得なかった。
 
 とりあえず、次の日から地元の店から日本橋の中古屋をめぐり、『チキンゾンビーズ』など過去のアルバムもあさりまくる。
 
 別冊宝島ムック『将棋これも一局読本』で行方尚史九段が長尺のエッセイでミッシェルについて語りまくり、読みながら深くうなずいていたのもこのころ。
 
 ミッシェルにもらったものは、曲以外にもある。
 
 ひとつは30代前半心身バランスを崩したとき。
 
 このとき私を救ってくれたのは、東海林さだおさんの『丸かじり』シリーズに『ジャンボーグA』など昭和のB級特撮、それに「スイミングラジオ」や「シャンデリア」だった。
 
 またミッシェルのおかげで、それまでほとんど縁のなかった音楽の数々に知り合えたことも大きかった。
 
 お約束のようにブランキージェットシティに進み、ナンバーガール椎名林檎GO!GO!7188ストレイテナーくるりレディオキャロライン
 
 そこからもラジオや雑誌のインタビューやコラムなどで「ミッシェルいいよね」という人がいれば、その人が他に聴いているアーティストを捜し歩く。
 
 そこでも上々颱風チャットモンチーフランツフェルディナンドボストンなんかも聴いたり、たぶんミッシェルに出会わなかったら、このあたりとも、もしかしたら交差しなかった可能性もある。
 
 このようにチバユウスケは、私のピンチを救ってくれたヒーローであり、多くの実り多き世界へと導いてくれた使者であり、人生を豊かにしてくれた恩人でもある。
 
 これからは、ロックンローラーとして「カッコイイの取り方」を指南してもらえるはずだったが、それがかなわず残念だ。

 だれかが死んだときの対応は様々だろうが、私はなるたけ悲しまず、明るく送りたいと考える。

 それが正しいかどうかはわからないけど、自分だったらそうしてほしいなと思うから。
 
 そのためにはやはり、チバの残してくれた名曲の数々を聴いて、昔みたいに踊り狂いたい。
 
 幸い週末には実家に帰る用事があるから、押し入れの奥にしまってあるライブDVDを久方ぶりに見直そう。
 
 そして今度はこちらから「I love you baby」の声を送り、軽くなるだけであとはトぶだけ。 
 
 
 

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杉元伶一に再評価を! 『就職戦線異状なし』『君のベッドで見る夢は』『スリープ・ウォーカー』

2023年12月04日 | 

 杉元伶一はもっと評価されていい。

 というのは、10代のころからずーっと思っていたことである。

 1987年に『東京不動産キッズ』で、第49回小説現代新人賞を受賞しデビュー。

 その後も金子修介監督により映画化された『就職戦線異状なし』(おもしろいけど、杉元さん本人は出来には不満)。

 『ホットドッグプレス』に連載され大人気だったアルバイト体験記『フリータークロニック』など、特に私と同世代くらいの本好きには、かなり知られた作家だった。

 バブル期に青春を過ごしたノリをベースに、そのシニカルでテンポの良い文体はリーダビリティが高いが、かといって軽薄というわけではなく、南米文学を好むなど随所に教養の高さを感じられるところもあって、うるさがたの読書子からも評価高い

 そらなんといっても、小説現代新人賞だ。歴代の受賞者を見ても、五木寛之といった大御所から、志茂田景樹といった有名人。

 さらには、読んだことある範囲でも『死の泉』『総統の子ら』『双頭のバビロン』など数え切れずの皆川博子とか『宇宙のウィンブルドン』の川上健一とか、『症状A』『離愁』の多島斗志之とか。

 『始祖鳥記』の飯嶋和一とか、『カレーライフ』『文化祭オクロック』の竹内真とか、他にも金城一紀とか朝倉かすみなど、まさに綺羅星のごとき人材が集まるすごいところなのだから。

 そんなことも知らなかった私は、『フリーター・クロニック』の文庫版をたまたま買ったところから

 

 「すごい新人が出たな」

 

 と感嘆し、続いて水玉螢之丞さんとの共著『ナウなヤング』でもう一発パンチをもらって、そこからすっかりファンになってしまった。

 私はある本を読んで気に入ると、その作家のまとめ読みをするという癖があり、子供のころの江戸川乱歩からはじまって、最近ならローガンとかドンウィンズロウとかヘレンマクロイとか一気読みしたけど、このときは困ってしまった記憶があった。

 杉元さんの本、あんまし出てないやん、と。

 まずデビュー作の『東京不動産キッズ』が読めない。

 小説現代新人賞受賞作は当然『小説現代』に掲載されるわけだが、そんなことは知識になかったし、今のようにネットで簡単に買うという時代でもなかった。

 他の本も全然ないというか、そもそもそれ以外が『君のベッドで見る夢は』『スリープウォーカー』という長編小説が2本しか出版されてなかったのだから、物足りなすぎるし、おまけにこの2冊も探すのにすごく苦労したのだ。

 なんでこんなに、著作が少ないのか。

 コミュ力が高くモテ男(杉元氏はとんでもない女好きなのである)なうえに、本人が認めるところの

 


 「行動力と順応性の高さ」


 

 という多才さゆえ、他でもっと力を発揮できる仕事を見つけてしまったか。

 それともスランプにおちいったか干されたか、それとも家庭の事情か油田でも掘り当ててバミューダにでも移住したか。

 その理由は知るよしもないが、ともかくも、この事実にはなんてもったいないと、天を仰ぎたくなるほど。

 そう思うのはだれしも同じなようで、「杉元怜一」で検索すると、とにかく

 

 「こんな才能ある人が書かなくなるとは、なんてもったいない!」

 

 という嘆き節がそこかしこに聞かれる。

 それなー、ホンマやねんなー。

 そんなガッカリ感もあって、杉元本とは長い長いブランクがあったのだが、数年前アマゾンのセールだったかでkindleの『フリーター・クロニック』を買って読み直したら、これがやっぱりおもしろい。

 ということで『就職戦線』『君のベッドで』『スリープ・ウォーカー』も買い直してみたら、昔と変わらず一気読みしてしまい、あらためてその実力を再確認したのであった。

 個人的には杉元本とのファーストコンタクトは森見登美彦太陽の塔』を初めて読んだときの衝撃と同レベルのもの。

 文才という点では、このクラスの作家にも負けてないと思うし、今からでもまたなにか書いてくれないものだろうか。

 

 

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B面攻撃と駒のマッサージ 丸山忠久vs池田修一 1991年 棋聖戦 羽生善治vs藤井猛 2006年 第65期A級順位戦

2023年12月01日 | 将棋・好手 妙手

 「B面攻撃」を得意とする人というのがいる。

 将棋において相手の総大将であるではなく、攻め駒の方を攻めて、無理攻め指し切りを誘ったり、場合によっては入玉ルートを確保してしまおうという作戦。

 

 「駒のマッサージ」

 「盤を耕す」

 

 なんて言い方もあり、テレビで有名になった桐谷広人七段など、森雞二九段の異名である「終盤の魔術師」をもじって

 

 「終盤のマッサージ師」

 

 と呼ばれたが、これで本当に天下を取ってしまった人が丸山忠久九段であろう。

 


 1991年の棋聖戦。池田修一六段と丸山忠久四段の一戦。

 先手の池田が変則的な出だしを見せたが、そこから双方しっかりと囲う相居飛車

 おたがいに7筋と3筋にを張って、厚みで勝負する形に。

 

 

 


 池田が4筋からを進出させたところ。

 次に▲45歩と打たれるとお終いだが、後手は4筋にが足りず△45歩にも▲同金と取られてしまう。

 かといって△42銀△24角で、銀の退路を確保するだけの手では勝ち目がない。

 どう受けるか注目だが、ここから丸山流のB面攻撃が炸裂する。

 

 

 

 

 

 

 

 △45歩▲同金△同銀▲同飛△38金
 
 かまわず△45歩が意表の手。

 ▲同金から攻め駒をさばかれ、歩切れ△44歩のような手もないので、先手からすればありがたそうな話だが、そこで△38金が当時の丸山将棋

 一瞬は損のようでも、この金で敵の桂香をはらっておけば、これ以上の攻めはなく、また将来、上部脱出でもしたとき役に立ってくるという仕組み。

 まさに「盤を耕す」手だ。

 ただ、それにしたって、すごい手である。

 そりゃ、たしかに桂香を取り切れればいいけど、大事なを投資するから損得は微妙

 なにより先手がここから猛攻をかけてくるのは見え見えで、下手すると僻地に取り残されて「スカタン」になる怖れもある。

 あまりにも無筋で、それこそ将棋教室とかなら先生から

 

 「こういう手は筋が悪くていけませんね」

 

 と言われてしまいそうというか、実際マネしても我々だと勝てないだろうけど、これを勝利につなげてしまうのが丸山忠久という男だった。

 池田は▲36歩から動いていくが、後手も角交換から4筋を押さえ、△29金と首尾よく桂馬をいただくと、これで先手から案外いい攻めがない。

 

  

 

 ▲64歩からやっていくしかないが、好機に△47歩成と、と金を作って、それで先手の飛車をいじめる展開になっては勝負あった。

 以下、大差で丸山が勝ち。

 特異すぎる棋風だが、その強さ自体は相当なものであって、丸山がこの将棋でどこまで上がっていけるかは興味深いところであった。

 その後、公式戦24連勝新人王戦V2全日本プロトーナメント(今の朝日杯)優勝級昇級と着実にキャリアを重ね、ついに名人にまで登り詰めるのである。

 

 続けて、もうひとつ。

 2006年の第65期A級順位戦

 羽生善治三冠藤井猛九段の一戦。

 相穴熊戦になった対決は、序中盤で藤井が駒得に成功した上に、2枚も作って、相当手厚い形に。

 

 

 

 パッと見、完全に押さえこみが決まって、先手はほとんど動かす駒がない。

 どうにも指しようがなく、藤井も必勝を信じていただろうが、次の手がまさかという手だった。

 

 

 

 

 

 ▲23金と打ったのが、当時話題になった有名な手。

 B面攻撃と呼ぶのもはばかられる、「なんじゃこりゃ?」だが、これは本当の本当に意味不明

 いくら、やる手がないとはいえ、こんな最果ての地に貴重なを投入して、どうなるというのだろう。

 しかも、一応の桂取りだって、本譜△54歩で簡単に受かってしまうというのに。

 ところが、これが圧勝ペースだった藤井の頭脳をおかしくさせるのだから、将棋と言うのは本当にメンタルのゲームである。

 羽生は金を使って、2筋3筋をほじくっていき、局面がまぎれたとみるや、ビッグ4▲77にある▲86にあがって、からラッシュ。

 それでも、やはり藤井大量リードは変わらなかったろうが、なぜかというか、不思議としか言いようがないが、いつの間にか逆転

 投了のとき、藤井はふてくされたように、駒台の駒を盤にバラバラと振りまいた。

 まさに、文字通り「駒を投じた」わけで、マナー的にはもちろん良くはないが、こんなもんうっちゃられたら、そりゃそうなる気持ちもわかりますねえ。

 


(丸山による究極のB面「成香冠」はこちら

(やはり羽生による藤井への巧妙な手渡しはこちら

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

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