私も一時期よく誘われたというと、一見「リア充」自慢のようだが、前回(→こちら)語ったように、心の汚れた私はそういう一点の曇りもないさわやかな場が苦手である。
うまい肉とおいしい空気、良き友とかわいい女子たちに囲まれながら、どうにもそれがいたたまれなくて、いつも泥酔していた記憶しかない。
そこで前回は恋愛相談をしてきた女子高生相手に大恥をかいたエピソードを紹介したが、この手の話はまだまだあるものである。
あるバーベキューパーティーにおいて、女子高生ハルコちゃんに、「お話があるんです」と声をかけられた。前回に続き、またしても乙女の逆ナンである。
ハルコちゃんは演劇部に所属している女優志願の女の子で、自作の戯曲も書くという才女であった。
当時私もある演劇サークルに所属しており、そこでは劇作もやっていたので、そのことを聞きつけたハルコちゃんは
「同じ作家同士、意見の交換をしましょう」
という心づもりであったという。
これが困った。相手が可憐な女子高生というだけでも手に余るのに、さらに高校演劇部ときた。
私も演劇部の友人はいたが、彼らはたいてい熱くて芝居に対して真摯である。
しかも学校でやっているということで、その内容もどちらかといえば正当派というか、NHK的なものが多かったりする。
だいたいが、まっ暗な舞台にスポットライトがバンと当たって、
「あたしは学校では愛想のいい女の子として人気なの。でも、これはいつわりのわたし。本当の自分じゃないの!」
みたいな、「中学生日記」というか、自分探し系のそんなんである。まっとうだ。
一方私である。これはもう、どこをどう探ってもまごうことなき「ヨゴレ系」である。書いている脚本も、
「地球とこりん星との衝突を避けるために、南極に地球移動ロケット基地を作る話」
とか、そういった知性のかけらもない阿呆丸出しなシロモノばかりだったのだ。
どう考えても、釣り合いが取れるものではない。そんな人間とつきあわして、こんな素直な女子高生になにか「あやまち」があったらどうするのか。間違った道に入ってもうたら、誰が責任を取るのよ。
予想通り、彼女は自分の書いた戯曲をみせて、
「よかったら、感想を聞かせてください」
ときたものだ。でもって、その内容というのが、やはりというか実にさわやかなもの。
たしか、事故で死んだ恋人が、守護霊となって彼女を助けたりはげましたりするような、映画『ゴースト』みたいな感動作。さすがは演劇部で、素人から見ても、なかなかのできである。
で、ここで怖れていた一言が出た。
「よかったら、シャロンさんの書いたものも読ませてください」
出た、これだよ。まあ、当然そうなりますわな。単純に、他人というか、一応はライバルの書いたものをちょこっと読んでみたいというのは人情である。
また自分の作品を誰かに読んでもらうというのは一種の「わがまま」であるために、礼儀として「じゃあ、わたしのほうも」となるのもわかる。
これがなんとも困るのである。というのも、私の書いているものはそんな誰もがよろこんでくれるような、さわやかな作品じゃないのだ。
そのときも、持っていたものといえば、ローランド・エメリッヒの『インデペンデンス・デイ』に影響されて、
「東京湾に出現した怪獣を倒すために、昭和天皇が『朕が出る!』のセリフとともに、押入から銀のヘルメットを取り出して、ダンガードAに乗って戦う」。
とか、
「降り注ぐ隕石群から地球を守るためには、それを強烈な打撃力で打ち返す野球選手の力が必要だ。そこで『宇宙飛行士にぜひバッティング技術を教えてくれ』と依頼すると、『ドアホ! そんなことするより、ワイらを直接宇宙に連れて行かんかい!』と岩鬼が吼え、得意の悪球打ちで地球を救う『アルマゲドン2 明訓高校宇宙へ』」。
みたいなもんばっかり。
同じ阿呆仲間には出せても、そんな目のキラキラした将来の夢と希望にあふれた女子高生には、とても見せられるモンじゃありまへーん。やめてください、とりあえず目が腐ります。
これにはハルコちゃんも、
「恥ずかしがらないでください。わたしだって見せたじゃないですか。自分の書いたものは、他人に見せて批評してもらわないと、いいものに仕上がらないんですよ」
と主張し、私から原稿の束を取り上げようとするのだが、こればかりはお奉行様お許しくださいと、決死の思いで死守したのであった。だーかーらー、ダメなんだってば!
六甲山の上では、たいていがこのような攻防が行われていたわけで、まったくもってなにをやっていたのか。
こんな私にリア充なんぞ、どこの国のエバラ焼肉のたれなのか。やはりヨゴレにバーベキューは似合わない。そのことをしみじみと感じた出来事であった。