インドア人間アウトドアへ リア充的バーベキュー戦記 その3

2014年04月29日 | 時事ネタ
 バーベキューがブームであるという。

 私も一時期よく誘われたというと、一見「リア充」自慢のようだが、前回(→こちら)語ったように、心の汚れた私はそういう一点の曇りもないさわやかな場が苦手である。

 うまい肉とおいしい空気、良き友とかわいい女子たちに囲まれながら、どうにもそれがいたたまれなくて、いつも泥酔していた記憶しかない。

 そこで前回は恋愛相談をしてきた女子高生相手に大恥をかいたエピソードを紹介したが、この手の話はまだまだあるものである。

 あるバーベキューパーティーにおいて、女子高生ハルコちゃんに、「お話があるんです」と声をかけられた。前回に続き、またしても乙女の逆ナンである。

 ハルコちゃんは演劇部に所属している女優志願の女の子で、自作の戯曲も書くという才女であった。

 当時私もある演劇サークルに所属しており、そこでは劇作もやっていたので、そのことを聞きつけたハルコちゃんは

 「同じ作家同士、意見の交換をしましょう」

 という心づもりであったという。

 これが困った。相手が可憐な女子高生というだけでも手に余るのに、さらに高校演劇部ときた。

 私も演劇部の友人はいたが、彼らはたいてい熱くて芝居に対して真摯である。

 しかも学校でやっているということで、その内容もどちらかといえば正当派というか、NHK的なものが多かったりする。

 だいたいが、まっ暗な舞台にスポットライトがバンと当たって、

 「あたしは学校では愛想のいい女の子として人気なの。でも、これはいつわりのわたし。本当の自分じゃないの!」

 みたいな、「中学生日記」というか、自分探し系のそんなんである。まっとうだ。

 一方私である。これはもう、どこをどう探ってもまごうことなき「ヨゴレ系」である。書いている脚本も、

 「地球とこりん星との衝突を避けるために、南極に地球移動ロケット基地を作る話」

 とか、そういった知性のかけらもない阿呆丸出しなシロモノばかりだったのだ。

 どう考えても、釣り合いが取れるものではない。そんな人間とつきあわして、こんな素直な女子高生になにか「あやまち」があったらどうするのか。間違った道に入ってもうたら、誰が責任を取るのよ。

 予想通り、彼女は自分の書いた戯曲をみせて、

 「よかったら、感想を聞かせてください」

 ときたものだ。でもって、その内容というのが、やはりというか実にさわやかなもの。

 たしか、事故で死んだ恋人が、守護霊となって彼女を助けたりはげましたりするような、映画『ゴースト』みたいな感動作。さすがは演劇部で、素人から見ても、なかなかのできである。

 で、ここで怖れていた一言が出た。

 「よかったら、シャロンさんの書いたものも読ませてください」

 出た、これだよ。まあ、当然そうなりますわな。単純に、他人というか、一応はライバルの書いたものをちょこっと読んでみたいというのは人情である。

 また自分の作品を誰かに読んでもらうというのは一種の「わがまま」であるために、礼儀として「じゃあ、わたしのほうも」となるのもわかる。

 これがなんとも困るのである。というのも、私の書いているものはそんな誰もがよろこんでくれるような、さわやかな作品じゃないのだ。

 そのときも、持っていたものといえば、ローランド・エメリッヒの『インデペンデンス・デイ』に影響されて、

 「東京湾に出現した怪獣を倒すために、昭和天皇が『朕が出る!』のセリフとともに、押入から銀のヘルメットを取り出して、ダンガードAに乗って戦う」。

 とか、

 「降り注ぐ隕石群から地球を守るためには、それを強烈な打撃力で打ち返す野球選手の力が必要だ。そこで『宇宙飛行士にぜひバッティング技術を教えてくれ』と依頼すると、『ドアホ! そんなことするより、ワイらを直接宇宙に連れて行かんかい!』と岩鬼が吼え、得意の悪球打ちで地球を救う『アルマゲドン2 明訓高校宇宙へ』」。


 みたいなもんばっかり。

 同じ阿呆仲間には出せても、そんな目のキラキラした将来の夢と希望にあふれた女子高生には、とても見せられるモンじゃありまへーん。やめてください、とりあえず目が腐ります。

 これにはハルコちゃんも、

 「恥ずかしがらないでください。わたしだって見せたじゃないですか。自分の書いたものは、他人に見せて批評してもらわないと、いいものに仕上がらないんですよ」

 と主張し、私から原稿の束を取り上げようとするのだが、こればかりはお奉行様お許しくださいと、決死の思いで死守したのであった。だーかーらー、ダメなんだってば!

 六甲山の上では、たいていがこのような攻防が行われていたわけで、まったくもってなにをやっていたのか。

 こんな私にリア充なんぞ、どこの国のエバラ焼肉のたれなのか。やはりヨゴレにバーベキューは似合わない。そのことをしみじみと感じた出来事であった。



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インドア人間アウトドアへ リア充的バーベキュー戦記 その2

2014年04月27日 | 時事ネタ
 バーベキューがブームであるという。

 私も一時期よく誘われたというと、一見「リア充」自慢のようだが、前回(→こちら)語ったように、心の汚れた私はそういう一点の曇りもないさわやかな場が苦手である。

 うまい肉とおいしい空気、良き友とかわいい女子たちに囲まれながら、どうにもそれがいたたまれなくて、いつも泥酔していた記憶しかない。

 これではいかんと、私も「近代バーベキューの父」と呼ばれたトーマス・マッコイの著作など読んで学んだりもしたが、付け焼き刃ではいかんともしがたく、恥をかくことも多かった。

 あるバーベキューパーティーで、マユコちゃんという16歳の女の子から

 「シャロンさん、ちょっとお話をうかがいたいんですけどいいですか」

 女子高生から逆ナンである。おいおい、マジか!

 今どきのギャルは積極的やなあ。これはもう、なにかフランス書院かマドンナメイト的な、めくるめくイヤンもうこれ以上は過激すぎて書けない! そんな世界が待っているのではないか。

 という、盛大なる取らぬ狸を皮算用していたところ、マユコちゃんは開口一番、

 「あのー、あたし今好きな人がいるんですけど……」

 そう切り出されて、スココーン! とコケそうになったのであった。

 おいおい、相手がもういてるんかいな。5秒くらい期待してしもうたこっちの心持ちを返してくれよ! まあ、世の中そんなうまい話なんて、なかなかないですわな。

 阿呆な私の下心はともかく、マユコちゃんの話であるが、なんでも彼女には好きな人がいる。むこうも、雰囲気では彼女のことを、なにかと気にかけてくれておりらしい。

 だが、どうにもそこからの進展がない。もしかしたら、むこうは自分のことを子供だと思って相手にしてないのかもしれない。そこをはっきりしてほしい。

 その相手というのが年上で、ちょうど当時の私(24歳くらいだったかな)と同年代らしく、ゆえに参考意見を聞かせてもらいたいのだとか。

 あー、なるほどねえ。それだったら、わざわざ選んで私に声をかけてきた理由はわかろうというものだ。人生経験の少ない女子高生からしたら、社会人の考えることはわかりにくいかもね。

 となると、私だけではやや力不足のような気もするので、同席していた他の同年代の男女にも集まってもらうこととして、話を聞くこととなった。

 マユコちゃんによると、ともかくもハッキリしてもらいたい。好きは好きだけど、むこうがコドモと思って相手してくれないなら、あきらめなければしょうがない。

 そこで彼女がいったことというのが、

 「こういうとき、大人の男の人はどう思うんですか? やっぱり女の方からコクったりしたら、はしたないとか思われちゃいますかねえ……」

 ここで私は思わず飲んでいたワインを吹きそうになった。といっても、今となってはピンと来ないかもしれないが、そのとき私は、ヤング諸君が告白することを「コクる」と略していっていることを、はじめて知ったのである。

 その一言は衝撃であった。へー、そうかあ。告白することを、今の子らは「コクる」っていうんや。そら知らなんだ。もうオレもオッサンやな。

 酔いと女子高生の恋愛話を聞いているという気恥ずかしさも手伝ってか、もう私の中では「コクる」ショックが頭の中を経めぐって困ったのであった。

 彼女の方は切々と、

 「若い娘が自分から恋を打ち明けるなんて、そんな大胆なことが許されるのでしょうか」

 という、なんともいじらしい悩みを訴えかけるのに、肝心の頼れるお兄さんは、そんなことはそっちのけで、

 「へえ、そうなん、今の若い子はコクるっていうんや。今どきやなあ。ナウなヤングにフィーバーや」。

 なんて、全然関係ないことにばかり感心して、ちっともまともなアドバイスができなかったのであった。

 ただここにひとつ自分を弁護するなら、この若者言葉ショックは私だけでなく、援護に集めた同志たち(やはり20~25歳くらいの男女)も、

 「えー、今の子ってコクるいうんや」
 「へえ、勉強なるわあ」
 「今度、会社で使ってみようかなあ」
 
 などと、「どこのオバハンか」みたいな反応であり、あまつさえベロベロになった私の、

 「コクるいうのは、告白やなくてコーク、ホンマは『コカインを決める』の略なんや」

 という言葉を受けて、

 「へー、マユコちゃんみたいなおとなしい子がねえ」

 などと本気で心配する人もいた。おいおい、マジで信じてどうする。

 バーベキューの開放感とはかくも人を能天気にするものらしく、真剣に相談していたマユコちゃんもすっかり置いてけぼりで悪いことをしてしまったものだが、まあそもそもそんなことを私に相談する方が悪いよな。


 (続く【→こちら】)



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インドア人間アウトドアへ リア充的バーベキュー戦記

2014年04月25日 | 時事ネタ
 バーベキューがブームであるという。

 テレビでも特集とかよくやってるし、昨今ではBBQなどと略して、なんともナウい趣味となっているようなのだ。

 そんなバーベキューであるが、私も友人に好きなのがいて、誘われてちょくちょく出かけたこともあった。関西でバーベキューといえば服部緑地や万博公園、ちょっと遠出して琵琶湖などもあるようだが、私が出動したのは主に六甲山。

 兵庫在住の友人が多かったので自然とそうなったのだが、これが実に気持ちのいいものであった。

 山はいい。空気はきれいだし、高いところというのはむやみに開放感がある。

 大きく深呼吸して、ちまちました下界を見下ろすと、ふだんの些末な悩みなどは風に流されていくようであり、なんともさわやかに

 「見ろ、人がゴミのようだ!」

 という気分になる。なんとかと煙は高いところが好きというのは、人類普遍の真理であるようだ。

 BBQはかくも楽しい。そんな感じの、いわゆる「リア充」的な話をすると、「てめえ、ふざけるな!」とか「この裏切り者!」といった罵声が聞こえてきそうである。

 たしかに普段は、やれあっちでズッコケただの、こっちで女の子に振られただのといった話ばかりしている当ページに、「BBQサイコー!」みたいな浮かれた話題は似合わない。実際かつて、友にこういう話をしたら

 「てめー! ひとりで抜け駆けしやがって、お前とは二度と話をしたくない!」

 と友達の縁を切られたこともあるのだが(実話です。しかも2人に。なんで?)、これが単なる自慢話であるなら、まあ私も苦労はないのである。

 バーベキューはたしかに楽しい。肉はうまいし、気分も開放的だ。

 だが、どうにも自分の中ではしっくりきていないというか、「アウェー」の戦いである感がいなめない。

 私自身、人生これまでそれなりに楽しく生きてこられたとは思うのだが、それはそれとしても、やはりどこか自分は「陽の当たる場所」に生きる男ではないという自覚がある。

 別にアウトローを気取っているわけではないが、やはり世間のまっとうな価値観や流行りものと、あまりなじみないところで生きてきたので、どうしてもこういう「リア充」なものに違和感がぬぐえないのだ。

 そんな人間が、六甲山のバーベキューに行くとどうなるかといえば、これがなんともまぶしい。

 それは、日差しの強さもさることながら、その空気がまぶしい。六甲山、さわやかな友たち、肉の焼けるおいしそうなにおい、はじけるような女の子たちの笑い声。

 そういった、混じりっけなしのさわやかさに囲まれていると、なんだか現実感覚をなくすというか、

 「こんな世界がホンマにあるんかいな」

 そんな疑問符が頭の中に芽生え、

 「もし本当だとしたら、自分のような人間が、こんなところにいていいのか。そんな資格があるのか」

 みたいに、アイデンティティー・クライシス的な、そんな気分におちいってしまう。

 まあさすがに、乙一さんの小説のように、「僕は一生あのような光の世界では生きられないのかと嗚咽した」みたいな絶望的気分になりこそしないが、

 「あー、なんか不思議な気分やなあ」

 とフワフワしてしまう。これだったら、京都の納涼古本市とか梅田の地下映画館の暗闇の方がよっぽど落ち着くなあと。流行のファッションやJポップもいいけど、だれか怪獣の話しようぜ。

 田舎の学校の野球部が、なんのまぐれか甲子園に出てしまったとき、1回戦でボッコボコに打たれて負けた試合を振り返って、

 「舞い上がっていて記憶にない」

 「頭がまっ白になって、気がついたら7回の裏くらいになっていた」

 なんて、そのエアポケットを告白することがあるが、まさにそうである。

 舞い上がって、自分がなにをしているのかわかっていない。なもんで、やたらと酒だけは進み、気がつけばますますアップアップする羽目になるのである。

 友に聞いてみても、

 「あー、そういやキミ、バーベキュー誘ったら、いつもグデングデンになってたなあ。えらいゴキゲンやなあって思っとったわ」

 とのことらしいが、それは機嫌がよろしかったのではなかく、まごうことなき「現実逃避」です。

 太宰治のごとき「思えば恥の多い人生でした」ゆえのことであって、一見「リア充」に見える私のBBQライフは、しょせんはこんなものなので、早とちりして裏切り者などと石を投げないでほしいものだ。


 (続く【→こちら】)



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文化系クラブに入ろう! その3

2014年04月21日 | 時事ネタ
  文化部に入ろう!

 春からの新生活において、前回(→こちら)は新入生たちにそんなアドバイスを送った。

 その良いところについては、「女子部員と仲良くなれる」「うまくいけばファンがつく」など、前回語った通りだ。

 現に私など、先日も女性読者からコメントをいただいてしまった。

 さすがは私である。今も現役バリバリだ。これなら、ファンクラブの名前も「男汁」から「ビキニギャル100人と熱海でモンゴル相撲」に華麗なるクラスチェンジをとげる日も近いに違いない。

 そういった意外と異性と交遊できる文化部には恋愛の種も転がっているものだが、ひとつ問題はないこともない。

 それは、カップルが成立しても、その仲がこじれた場合である。

 想像してもらえばわかるが、仲違いをした、さらには別れてしまった男女が同じ部にいるというのはつらい。

 みなさんにも経験があるだろう、バイト内での痴話喧嘩や社内恋愛でもめると、当事者だけでなく、周りにも迷惑ふりまいたりとか。

 女性が少ない場で、特権的「女王様」なポジションから男を手玉にとって人間関係を崩壊させがちな人をいう「サークルクラッシャー」なんて言葉もある。

 この場合、部室という非常に閉鎖的な空間だけに気まずさは倍増。狭い世界の人間関係のヒビは、周囲に非常なる影響をおよぼすのだ。気ぃ使いますねん、これが。

 私の所属していたクラブは、中でも恋愛沙汰のゴタゴタが多いことで有名であった。

 ある先輩は同期の女の子に惚れて告白して爆死。ショックのあまり、すぐに退部してしまった。

 また某先輩がある女性部員を好きになったときも、フラれたあと気まずくなり、女性部員は「迷惑をかけたくないから」と退部。

 また、ある先輩が後輩の女子を好きになったときは、女子部員の彼氏と何度も「三者会談」が行われたりして、あれこれモメたりしたそうである。

 中にはそのまま仲良く結婚までいったカップルもいたりもしたけど、フラれた男子がストーカーになったり、三角関係から男同士が気まずくなったりと、惚れたはれたでのトラブルは年中行事というか、我が部の伝統芸能のようなイベントであった。

 これはもう、部の活動は滞るし、周囲もはれ物にでもさわるようにあつかわないかんし、下手すると部員が減るしで、もう勘弁してください。

 というか、今気づいたが、これ男が悪い話ばっかじゃん! ダメだよ、ウチの男子! 

 こんなえらそうなことをいっている私であったが、もちろんのことお約束通り、その呪いからのがれられず、まあ、あれこれあったものであった。

 恥ずかしいので詳細は割愛するが、色々あって退部したのは(まあ、これだけが理由でもないんだけど)私。あはは、若気、至ってましたわ、あのころは。

 なのでカップルが誕生すると、とりあえずみんなが思うのは、

 「頼むから別れないで」。

 卒業したら、別れようがなにしようが勝手だが、現役のときは仲良くしておいてもらわないと困る。

 部外者から見たら「コップの中の嵐」なんだけど、狭い世界では一度もめると、なにかとややこしいんです。

 あとですね、幸せでも不幸せでも、あんまり部室で恋愛沙汰が重なると、そういうのに縁がない男性部員が不機嫌になるという弊害も。

 アハハ、哀しい! まあ、それでも、別れられるよりは全然マシです。

 がんばれ、「残され島」の男子部員諸君!


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文化系クラブに入ろう! その2

2014年04月18日 | 時事ネタ
 文化部に入ろう!

 春からの新生活において、前回(→こちら)は新入生たちにそんなアドバイスを送った。

 その良いところについては、「文化祭が熱い」「教室以外に居場所ができる」など、これまで語った通りだが、その中でも男子の気をもっとも引く項目といえば、やはりこれであろう。

 「女子の友だちができる」

 実際、私の所属していたクラブなどは女子の方が多かったせいか、仲良くなるどころか、むしろ男子部員一同尻にしかれていたような印象もあったが、まあとにかくクラスの子よりはずっと近しくはなれる。

 というと、

 「じゃあ、つきあえるんッスか?」

 鼻息の荒くなるスカポンタンな男子もいるかもしれない。

 そんなうまい話が早々転がっているわけもないではないかといいたいところであるが、これが一概にそうも言えないところもある。

 文化系クラブは、結構恋愛ネタが転がっていることがある。

 というと、スカポンタン君たちも「マ、マジッスか?」と色めき立つかも知れないが、残念ながらもちろん全員が全員ではない。

 ではないけど、私の個人的体験からすると、文化系クラブは部員同士のカップルができる率がそこそこ高い。少なくとも、帰宅部やっているよりは全然見こみはある。

 私の同期生でも、演劇部にアンサンブル部、美術部に放送部といった、女子部員の多いクラブではカップルが生まれていた。

 また、うまくはいかなかったが、告白したとかされたとかそういった話もちょこちょこ見受けられ、さすがは10代。お盛んですなあと、感心しながら見ていたものである。

 前回も強調したが、週に3日も4日も部室というせまい空間で接しているのだ。クラスなんかとくらべて密度がちがう。

 お互いのことを深く知りやすいし、まあ情のようなものも生まれる。

 またじっくりとおしゃべりしたりできるので、パッと見のイメージだけで判断されることがないので、ビジュアルに自信がない子でも「中身で勝負」のチャンスがある。

 これは、実に大きな売りであるといえよう。はっきりいって、中高校生の知性では異性のよさなど男女ともに、「見た目」くらいでしか判断できないものだ。

 そこを、外見以外の「人となり」を、それこそ「ひとつ屋根の下」でわかってもらうチャンスがあるのだから、これはもう、かなりのアドバンテージを得られるといってもよかろう。

 さらにもうひとつ、文化部では実力があれば、「ファン」を獲得することも可能だ。

 これは部の性質によるというか、さすがに生物部や地理研究会といったインドア系では難しいが、演劇部や軽音、落研にダンス部といったステージパフォーマンスをやれるところでは、その発表会経由で「ファンです」なんて言ってくれる女子(女子なら男子)がついてくれるケースもある。

 かくいう私も、文化祭などによく見に来てくれる子や、「ファンになりました」なんて言ってくれる女子が少数ながらいたりして、なんてマニアックな趣味……もとい、たいそううれしく思ったものである。

 ただ問題は、ファンになってくれるのは異性だけとは限らず、演劇部だった友人ミチコちゃんは、男子よりも女性から「カッコイイ!」とあこがれられる存在で、

 「声援はうれしいけど、もうちょっとバランス良くならんかね」。
 
 なんて笑っていたし、私がまた「応援してるよ」なんて言ってくれる人というのが、女子よりも圧倒的に男子が多いのであった。

 もちろん、同性でもファンはありがたい存在だが、ミチコちゃんも言うように、もう少しバランスにも配慮してくれてもいいのではないか。

 ちなみに、当時は私にもファンクラブというのが存在したという噂を聞いたことがあるが、人づてによるとその名前というのが「男汁」であったという。

 「女性にウケない」というのは、このブログでもいっかな改善されることのない、私の永遠の課題であるなあ。

 そういったこともあるが、文化部にはなにかと「女子との接点」は存外に多いのです。

 というと、スカポンタン君たちはますます

 「オレの時代が来た」

 といきり立つかも知れないが、この文化部恋愛事情については、ひとつややこしいこともあるのである。


 (続く【→こちら】)





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文化系クラブに入ろう!

2014年04月16日 | 時事ネタ
 「文化系クラブに入りたまえ」

 というのは、春から新入生となった学生たちに贈るアドバイスである。

  春は入学の季節である。入学式といえば、こないだも書いたがクラブの勧誘が盛ん。

 3年間をただダラダラとすごさないためにも、部活にはいるというのは個人的にはオススメするところである。

 なので、これといってやりたいことのないけど、部活はやってみたいというヤング諸君には、

 文化部はオススメよ。

 そう主張したいのである。

 不肖この私、中学時代は卓球部であったが、高校では某文化系クラブに所属していた。

 文化系クラブ。といっても、部活をやったことのない人には未知の領域だろうが、その種類は結構多彩である。

 特に私の通っていた大阪府立S高校は、運動系はサッパリだったが、文化系クラブは非常に充実していた。ゆうきまさみの『究極超人あ~る』で言われていた、

 「わけのわからないクラブが群雄割拠できるリベラルな校風」

 だったわけだ。

 当時のことを思い出してみても、花形である演劇部をはじめ放送部、軽音楽部、英語研究部、写真部、生物部、鉄道研究会、ダンス部、落語研究部、合唱部、美術部、歴史研究会、アンサンブル部、ワンダーフォーゲル部と山岳部(なぜか二つあった)、箏曲部、茶道部。

 その他もっとあったはずで、まさに百花繚乱たくさんクラブがあった。もう選び放題である。

 ではさて、文化系クラブに入るとどんないいことがあるのか。

 まず友達ができる。

 新たな学校で新生活がはじまったはいいが、中にはクラスになじめなかったり、人見知りでなかなか友だちができず苦労する子もいることだろう。

 そんな人も、クラブでなら友達ができます。

 部室というせまい空間にいると、いやでも近しく密度の濃い人間関係が生まれるもの。多人数がランダムにまとめられるクラスよりも、ずっと近しく知り合えるチャンスはある。

 また同じクラブを選択したということは趣味志向も似ているはず。話も合おうというものではないか。先輩や、のちに後輩といった年代のちがう人間関係が築けるのも大きい。

 また、部員が男だけでなければ、必然女の子の友達もできます。

 クラスでは、男子は男子、女子は女子で友だちづきあいをするわけで、中には男女で固まるチームもあるけど、それはまあ、たいていはイケてる男女同士が集まるわけだ。

 我々のようなさくらももこ言うところの、一山いくらの「B級男子」には、なかなかお鉢は回ってこない。

 しかーし、クラブではそんなことはない。なんたって、同じクラブの部員なのだ。

 男と同じく、クラスのようなフワッとした集まりでなく、志を同じくした同志なのだから、ただのクラスメートなんかよりもよほど親密になれるのだ。まあ、なれないこともありますが。

 これに付随して、「部室がある」という点も見逃せない。

 部室があるとみなさんが想像される以上に便利である。

 まず休み時間に居場所がある。クラスで一緒にお弁当を食べる相手がいない、でも食堂はがやがやうるさいし、図書館だといかにも友達がいないといった感じで恥ずかしい。

 なんて子がいても、部室ならそんな心配などなし。

 文化部の部室にはたいていマンガやラジオ、中にはテレビがあったりもして退屈しない。それに、昼休み行けばたいてい先輩とか、誰かがいるものだ。

 実際、同期のある友人は一年生の時クラスになかなかなじめず

 「クラブ入っといてよかったわ。学校に居場所あるもん」

 と述懐していた。一種のリスクの分散みたいなものだ。

 友達ができて部室がもてて、上下関係もゆるやかだし、女の子とも仲良くなれるし、文化部のメリットはあなどれない。

 あと、できれば文化祭に活躍できるクラブがいいかもしれない。

 よく「文化祭で、クラスのみんなと夜まで看板作ったりして、いい思い出」なんてなつかしがる子がいるけど、文化系クラブのメンバーとしての文化祭参加は、そんなもんの100倍は楽しいです。

 ハッキリ言って、それとくらべたらクラスの展示なんて、子供のお遊びみたいなもん。文化祭は悪いクスリと同じで、一度やったらやめられないもんです。

 舞台は、「観る側」よりも「観せる側」にこそ醍醐味があるのだから。だから私は「文化祭もの」の映画や小説に弱い。米澤穂信さんの「古典部」シリーズとか、初野晴さんの「ハルチカ」シリーズとかね。

 興味を持ったら、とりあえず部室見学。かわいい女子がいたら、その場で入部届けにサインだ。文化部に光あれ。

 (次回【→こちら】に続きます)



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本日はキカイダーの日です その2

2014年04月14日 | オタク・サブカル
 前回(→こちら)の続き。

 カレンダーを見ると、「1月5日」が「囲碁の日」とか「5月6日」は「ゴムの日」など様々な記念日があるが、特撮ファンが注目なのは4月12日の「キカイダーの日」であろう。

 というと、

 「おいおい今調べてみたけど、日本にそんな日はないぞ。その日は《パンの記念日》ではないのか」
 
 なんて首をかしげられそうだが、これは日本ではなくハワイでの話。しかも、そんじょそこらの「業界が勝手に考えたパチモン記念日」ではない。れっきとした国民の休日なのである。

 日本のアニメや特撮が海外で人気なのは今では常識であり、旅行先でポケモンやセーラームーンを見るのは、もはや珍しい話ではない。

 でもって、ハワイではキカイダーが大人気らしいのだ。

 ハワイは行ったことがないのだが、特撮好きの友人クイセ君によると、ハワイでのキカイダー人気はすさまじいものがあり、視聴率は70~80%(!)を常にキープし、主題歌は地元のラジオで大人気のヘビーローテーション。

 キカイダーを演じた伴大介氏はなんとハワイの名誉市民の称号をいただいており、また続編『キカイダー01』に出演していた池田駿介氏は定期的にハワイでイベントを行うらしい。

 またそれが、いつも大盛況だというのだから、なんともすごいキカイダー人気である。

 池田氏がハワイに降り立つと、もう歓声と花束で埋もれてしまうくらいの勢いであるという。

 ほとんど大臣クラスのVIP待遇でお出迎えのところに、小さな女の子がトコトコやってきて、

 「ミスターイケダ、キカイダー大好きです、ダブルチョップ」

 とかいいながら握手を求めてくるのだという。いいなあ。特撮が結ぶ国際交流。この話を聞いて、一気にハワイが好きになったよ。

 そんな大人気の結果、なんとハワイでは4月12日は、ハワイ州知事により「キカイダーの日」(ジェネレーション・キカイダー・デイ)に制定され、立派な国民の祝日になったのである。すごい。

 勢いはそれだけで止まらず、その後マウイ島市長によって5月19日が「キカイダー・ブラザーズ・デイ」となったそうである。えらいことになってますなあ。ハワイに行くなら、ぜひこの時期に行くべきだ。
 
 これはいわば、日本で「ヒッチコック劇場の日」とか「特攻野郎Aチームの日」とかができるようなものか。ちょっと考えられないというか、南国のおおらかさが感じられるエピソードといえよう。



 ■おまけ 特撮といえば子門真人ははずせない。これがハワイのラジオでガンガン流れているのかと思うと、なんだかとても幸せな気分→こちら


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本日はキカイダーの日です。

2014年04月12日 | オタク・サブカル
 今日4月12日は「キカイダーの日」である。

 「○○の日」というのが、日本にはたくさんある。

 2月9日で「肉の日」とか、6月9日は「ロックの日」とか、11月11日が「コンセントの日」とか様々であるが、特撮ファンとして欠かせないのは、本日「キカイダーの日」であろう。

 『人造人間キカイダー』。石森章太郎原作の特撮ドラマ。仮面ライダー型の等身大ヒーロー。最近ではベストセラー作家である松岡圭祐さんがノベライズして一部で話題となった。

 私も子供のころ再放送で見たものだが、昔の等身大ヒーローものの例にもれず、とにかくチープで脚本も気ちがいじみていたのが印象的。

 そもそも等身大ヒーローというもの自体が、仮面ライダーのヒットを見て、

 「なんや、おっさんにバッタのお面かぶせてケリでも入れさせたら金になるんかい! それやったらウチでもでけるで!」

 という、極めて志の低いスタンスで作られたものがほとんどだから、どうしてもトホホなものになりがち。

 本来特撮というのは、ゴジラにしろウルトラマンにしろ、潤沢な予算と高いレベルの技術力がないと作れないはずだったものだが、ここで一気にハードルとレベルが下がったわけで、子供心にも、

 「金かかってないなあ、スタッフ敗戦処理感満々やなあ」

 そう哀しい気持ちにさせられたものだ。

 特に続編の『キカイダー01』後期など、ウェットスーツを着て水中眼鏡をかけただけの人を連れてきて、

 「シャドウのロボット、その名も『アクアラングマン』だ!」

 なんてやっていて、「それはただのダイバーや……」と、つっこむのも野暮な制作費の無さっぷりを披露。

 「でも、池田駿介さんとか頑張ってはるし、言うたったらかわいそうや」

 幼児ながら温かい目で見ていたものだ。私は優しさというものを学校教育ではなく、安い特撮ヒーローものから学んだのだ。

 善良な市民が悪の組織ダークに蹂躙されそうになっているとき、なぜか必ず崖の上でヘルメットかぶって、意味もなくギターを弾きながら登場するキカイダー。

 そんなハッタリのきいた特撮ヒーローの日があるといえば、10月2日で「豆腐の日」みたいな、「言うたもん勝ち」な、適当な記念日と思いきや、それがなかなかどうして、これはちゃんとした国民の祝日になっているのである。

 ただし、それは日本ではなくハワイでの話なのだが。


 (続く→こちら



 ■おまけ 「内容はスットコだが、音楽は超カッコイイ!」というのは、定番の「特撮あるある」です。キカイダーといえば→こちら


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「卒論」で地球にきたヒーロー 『星雲仮面マシンマン』 その2

2014年04月10日 | オタク・サブカル

 「『星雲仮面マシンマン』は軽すぎるヒーローである」。

 youtubeで古い特撮ソングを楽しんでいた際、そんな疑問を抱いた私は前回(→こちら)、



 「マシンマンが地球に来たのは卒論を書くため」



 であり、地球を守っているのは「そのついで」であることについて語った。

 なんとも、のんきな話だが、ヒーロー番組につき物の悪の組織テンタクル」も、それに負けず劣らず能天気なのである。

 ふつう悪の組織といえば嘘でも「世界征服」とかいうものだ。

 スケールは違っても、死ね死ね団みたいに「黄色い猿の日本人皆殺し」とか。

 ところがテンタクルの究極の目的というのが、世界征服でも人類抹殺でもなく、ズバリ、




 「子供をいじめる」




 それでいいのかテンタクル。

 大の大人が「子供をいじめる」で満足してどうする。

 これには深い訳があり、首領であるプロフェッサーKが重度の子供アレルギーとのこと。

 ガキを見るとクシャミが止まらなくなるというから、花粉症みたいなものか。

 まあ、その体質は気の毒だが、それで子供をいじめたところで、問題の根本が解決するわけでもあるまい。

 そもそも子供が苦手なのに、自分の方からちょっかいをかけるというのも逆効果なのでは。

 それならふつうに、「若者離れが進む過疎の村」とかに引っ越した方が、現実的なのではないか。

 こんな、対処にはヒーローよりも教育委員会が出た方がいいようなトホホなテンタクルだが、送りこむ悪の怪人もさらにトホホだ。

 これはリアルタイムで見ていたから、今でも覚えていて、第一話の怪人がその名も「ドリル男」であった。

 そのまんまだ。

 同じ等身大ヒーローの『仮面ライダー』も実は相当チープだけど、怪人はカメバズーカとかテレビバエとかボイラーガマとかインパクトある名前が多かった。

 そこをあえて「ドリル男」。

 シンプル・イズ・ザ・ベストというやつか。

 それとも、単にやる気がないだけか。賭けるとすれば後者だ。 

 さらにはズッコケなのが、この番組の怪人みんな同じフォルムなのである。右手以外。

 ヒーロー番組は仮面ライダーやゴレンジャーの活躍のみならず、子供たちにとってのもうひとつの楽しみは、バラエティーに富んだ敵の怪獣怪人である。

 それが、出てくる敵がみな、右手アタッチメント以外は同じ形状というのはいかがなものか。

 いわば、『古畑任三郎』で犯人が第1話から最終話までずーっと、衣装だけ替えた鶴瓶師匠のようなものだ。それ、全然楽しくないやん!

 同じ顔と衣装で、右手がドリルなら「ドリル男」。

 ラジカセなら「ラジカセ男」。

 ハンマーなら「ハンマー男」。

 そのままやんけ!

 まあ予算がなくて衣装を使いまわしてたんだろうけど、それにしても安直である。

 たしかに大量生産するなら、同じカタで量産した方がコスト安くすみますけどね。

 なんだか悪の組織というよりも中小企業の社長さんみたい。

 そんなマヌケきわまりない番組『星雲仮面マシンマン』だが、主題歌はすごくかっこいいんだよなあ。




 ■おまけ マシンマンのオープニングは→【こちら



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「卒論」で地球にきたヒーロー 『星雲仮面マシンマン』

2014年04月08日 | オタク・サブカル

 『星雲仮面マシンマン』は軽すぎるヒーローなのではないか。

 という疑問を持ったのは、先日古い特撮ソングを聴いていたときのことであった。

 人は調子の悪いとき、カラオケに行ったりやけ食いをしたりでモヤモヤを発散させたりするが、私が「今日はダルいなあ」と感じるとき、よく古いヒーローソングを聴く。

 ヒーロー番組の主題歌は子供向けだが、それゆえに歌詞メロディーがシンプルで熱く、元気のない時に聴くとテンションが上がる。

 そこで今回選んだのが、『星雲仮面マシンマン』という番組の曲。

 youtubeで久しぶりに聴きながら、


 「うーん、カッコイイなあ」


 などと一人で盛り上がっていたのだが、そういやマシンマンってどんな番組やったっけと気になってきた。

 そこで、ちょっと調べてみると、これが昭和の特撮番組にありがちな、なんともおかしな内容で笑ってしまうのである。

 マシンマンの基本設定はこう。



 アイビー星からやってきたニックことマシンマンは地球の平和を守るため悪の組織テンタクルと日夜戦い続ける日々だ……。




 と書けばオーソドックスなヒーローものだが、このニックというのが正義の味方というわけではなく、設定では


 「アイビー星の大学生



 「アイビー星」というネーミングセンスもなかなかイカしているが、くわえて彼が地球に来た理由というのが、



 「卒業論文を書くため」



 おい待て、それ取材かよ! 

 まさか、正義のために戦ってくれるヒーローの目的が、



 「卒論のためのフィールドワーク



 とは恐れ入った。なかなかに、前代未聞な設定である。

 で、ニックはそのついでに地球の平和を守っているという。

 「ついで」か。地球も軽く見られたもんだ。

 いかんなあ、そんな大事なこと学生気分でやられちゃあ、と説教したくなるではないか。

 またマシンマンの名前の由来が、ヒロインである葉山真紀




 「かっこいいマシンに乗ってるからマシンマンね!」




 という、『ガメラ』シリーズにおける




 ギャオっと鳴くからギャオスだよ」




 のごとき安直なネーミングなのも味わい深い。

 こんな、ほとんど観光旅行者の片手間ボランティアとしかいいようのないマシンマンだが、相手をする悪の組織「テンタクル」もかなりキテいるのである。


 (続く【→こちら】)



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新入部員を勧誘する方法 宗教編

2014年04月06日 | 時事ネタ
 春は新入部員争奪の季節である。

 4月は「新人確保」の命を受けた先輩たちが、血眼になって新入生をだまくらかし、拉致監禁の上に、地獄への片道切符にサインをさせようと血道をあげる時期。

 こういうときは、前回(→こちら)の私のように、どう見ても文化系の人間がなんの間違いか応援団に誘われたりといった罠が各所に点在する。新入生諸君はゆめゆめ注意をおこたらぬよう。

 春の勧誘といえば、宗教もそうである。

 大学入学の季節といえば、はじめての都会で不安とか5月病とかでぐらついている学生をねらって、あやしげな宗教がキャンパスに跋扈するものだが、果たして我が学舎となった千里山大学(仮名)もそうであった。

 工学部にある空き教室に友人たちとつれていかれて、いしいひさいちさん(大学の先輩)のマンガをコラージュして作った資料(間違いなく無許可で使用)を使って、あれこれと神の道を語られたものだ。迷惑千万である。

 ただひとつ不思議なのは、勧誘員さんは最初は笑顔で一所懸命

 「神は皆を愛しています」「一緒に美しい世界を実現しましょう」

 なんて語っているのに、少しするとだんだんと声が落ちてきて、やがては自分から誘っておきながら、テンションががた落ちになる。全然気持ちがのってないのだ。

 現に、一緒につれてこられた友人には連絡先を聞かれたり、次会う約束をなんとか取ろうとしているのに、私だけはそういう対応がいっかなない。

 いや、もちろん誘われても困るんだけど、それにしたってまったく無視というのはいかがなものか。そこで、あえてこちらから、

 「次とか、ないんスか?」

 そう水を向けると、

 「はい、大丈夫です」

 居心地悪そうに断られた。

 我が大学はオウム真理教から大量の勧誘員を送られていたことで有名で、かくいう私もキャンパスでかわいい子と知り合いになり、友から、

 「おまえ、スゲえな。色事師やんけ!」

 との賞賛の声を誘ったが、よく話を聞くとオウムの放った勧誘ガールなのであった。

 さすがは私、こういうところははずさない。なにかこう、ACミランの本田圭佑選手のごとく、「オレ、持ってる」と言いたくなるではないか。

 そんなオウムも、まだサリン事件の前ということで、好奇心にまかせて道場まで遊びに行ったりもしたものだが(行くなよ)、やはり他の友人が、

 「修行しチャクラが開けば、空中浮遊できますよ」

 「すべてはフリーメーソンの陰謀なんです」

 なんて熱心にオルグされている中、私だけひとり蚊帳の外で、

 「あのー、僕にはその『NASAがプラズマ兵器で攻めてくる』っていう話を聞かせてくれないんですか?」

 そう問うならば、やはり勧誘員さんは、

 「はい、大丈夫です」

 いよいよ、ちっとも相手にされない私である。

 なぜなのか。私がよほど不信心な顔をしているのか、入れても戦力にならないとはなから相手にされてないのか。

 その手のカルトにくわしいサブカル系の先輩に聞いてみたところ、

 「ああいうのは、マジメで、それゆえの悩みとかかかえてて、心のスキをつけそうな子を狙い打ちするもんなんや」。

 つまるところ、私は「玄人の勧誘員」から見れば、

 「神様の難しい話してもなーんも理解できないであろう極楽トンボ」

 と判断されたということであろうか。ハハハ、当たってますやん。て、自分で認めてどうする。

 こういう能天気なところが、私とカルトの相性が悪いところなのだろう。プロはよう見てますわ。


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新入部員を勧誘する方法 体育会編

2014年04月04日 | 時事ネタ
 春といえば新入部員争奪の季節である。

 各地で入学式が行われる4月中旬といえば、体育会や文化部問わずクラブの勧誘のシーズン。
 
 「来たれ、○○部!」

 先輩たちが、どこからわいてきたのかというくらいに、あっちこちから現れて、インドの物乞いのごとく袖を引っぱってくるアレだ。

 私も経験があるが、春先のサークル勧誘は必死である。

 なんといっても、ここでの収穫によって、その後の活動の幅から予算会議での発言力、果ては女子部員の割合におけるボックス内のうるおい総量数にもかかわってくる。

 特に最後のは、楽しい学園生活においては死活問題だ。

 かつて清少納言は「春はあけぼの」と優雅に詠んだが、とんでもない。クラブの先輩たちにとっては、

 「春はサバイバルレース」

 ここで遅れを取ると、部員数の少ない弱小クラブは冗談抜きで存続の危機なのだ。これこそ弱肉強食。

 これがどれだけ必死かと言えば、人ほしさゆえにか、明らかにまちがった人選で声をかける例があとを絶たない。

 たとえば背の高い子がバスケ部に誘われたり、人目を引く美人を演劇部に呼びこむならわかるが、我が校のケースでは応援団が私に声をかけてきた。

 私が応援団。生まれてこの方、今時めずらしい「趣味はガチ読書」という文化系人間の自分が応援団など、それこそ地球とコーヤコーヤ星くらい離れた世界である。

 にもかかわらず、つい声をかけてしまうのが新入生歓迎期のおそろしいところ。

 どう考えても入団1日で逃げ出すだろう私だが、もう新人欲しさに目が見えないのだ。 その証拠に先輩は、

 「いかに体育会系的世界はすばらしいか」

 について得々と語り、その手のノリが苦手な私はおごりのコーヒーをいただきながら、

 「先輩、すんませんけど、それは完全無欠に間違ってますわ」

 内心そう感じたものだ。くわしいことは忘れたが、

 「体育会系は、やたらと全裸が好き」

 という印象だけはインプットされた記憶がある。

 「応援団に入れば、チアガールとつきあえるかもしれないぞ」

 という売り文句は相当に魅力的だったが、どう考えてもその段階にたどり着く前に、脱走兵として処刑されるのは目に見えている。

 なんとか振り払って逃亡に成功した私だが、すぐさま次の刺客が襲いかかる。

 それはグリークラブであった。

 男声合唱団のことである。他の学校は知らないが、我が大学ではこのグリークラブというのは女人禁制のバンカラクラブであった。

 女がいない。その時点でもう、「またのお越しをお待ちしています」という気分になるが、それに加えて、このグリークラブというのが、またもや体育会系ど真ん中。

 先輩たちは、いかに自分たちのクラブが仲が良くて楽しいかということを力説するのだが、その内容というのが、

 「遅刻したものは、ヒンズースクワット100回」
 「飲み会は、救急車呼ばれて一人前」

 といった、どこの国の旧日本軍かといったもの。それでもって、

 「どうだ、楽しそうだろ」

 そう笑顔でいわれた日には、もう「誤爆もここに極まれり」といったところだ。一番苦手だよ、そういうの! なので、またもやほうほうの体で逃げ去ることとなった。

 このように、春先の学校は罠がいっぱいだ。

 どうか私と同じく文化系軟弱男子は、これらの試練を見事かいくぐって、「文芸部」「SF研」「地理歴史部」「鉄道研究会」といったお目当てのクラブまで、たどり着いてほしい。健闘を祈る。


 (続く【→こちら】)



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選挙でこんな応援演説をやってはいけません その2

2014年04月02日 | 若気の至り
 前回(→こちら)の続き。

 生徒会選挙に立候補した友人イケシマ君を、応援演説でサポートすべく立ち上がったタテツ君とキタノ君。

 立候補したのがイケシマ君一人なので、応援演説もへったくれもなく当選確実なのだが、彼らはそれだけではもの足りんと、

 「オレらが、爆笑の漫才やったる!」。

 嗚呼、私は友として、ここですかさずドラえもんを呼び出し、そのポケットから「地球はかいばくだん」を引っ張り出して作動させるべきであった。

 みなさまにも賛同いただけると思うが、これはかなりの確率で「痛い」ことになる可能性が高い。

 やめろ、今からでも間に合う。その案は今すぐ、ひっかけ橋からドブ川になげすてろ!

 そう説得するが、キタノ君とタテツ君は

 「絶対ウケるから心配すんな」

 「オレとキタノが組んだら、メチャメチャおもろいからな」

 「ほら、オレらの会話って、ふだんから漫才みたいなもんやし」

 などと聞く耳を持たない。

 嗚呼、関西の男子にありがちな

 「オレはおもしろい」

 「笑いのセンスがある」

 という根拠のない自信が、正義の意見を断固としてこばむのだ。

 ここでも再三語っているが、大阪人は別におもしろいわけでも、笑いのセンスがあるわけでもない。

 単に「明るくてノリがいい」人が目立つだけだ。

 これは似て非なるものであるが、自意識過剰な大阪人は混同しがちである。

 一発ギャグ系の宴会芸ならまだしも、公衆の面前で「しゃべくり漫才」などやった日には、おそろしいことになるのは目に見えている。

 私は心の底から友情で、

 「絶対スベるからやめろ。命を来世ぶんも合わせて賭けていい」

 押しとどめるのに必死になるのだが、周囲は

 「やりたいんやったら、やらしたったらええがな」

 という穏健派ぞろいで、今ひとつ戦況は不利。
それどころか真面目な性格の子に

 「こんな熱い思いを、なんでキミは踏みにじろうとするんや。それでも友達か」

 「そうやって、やりもせず端からクールなつもりで批判するだけなんて、オマエの悪い癖やぞ!」

 怒られてしまった。

 嗚呼、ちがうんや。私は別に熱い心に若者らしい斜め上の視線から水を差そうとか、そういうことは考えていないし、チャレンジする心も大事だと思っている。

 けど、ここはもうただただ、「自分たちはおもしろい」と思いこんでいる高校生の漫才の破壊力を心配しているだけなのだ。

 インパールでの無謀な作戦に疑問を感じ、独断で兵を撤退させ更迭された佐藤幸徳中将の気持ちはこのようなものだったか。これだからダウンタウン世代は困るんだ。 

 さて放課後、応援演説開始。

 結果はもうおわかりであろう。

 そう、彼らは思いっきりスベッたのである。とにかく、終わった後にざわめきが起きるくらい豪快にすべったのだ。

 ふたりが途中、あまりの沈黙に耐えられなくなり、あせって下ネタを連発したのもまずかった。 

 演説終了後、私はすぐさま「戦後処理」のために走り回った。同じクラブのタマグシ君に「今の漫才どうやった?」とたずねると、

 「あいつらシャロン君の友達か。地獄へ堕ちろゆうとけ」

 あああ、やっぱり。

 続いて、同じ中学出身の女子タイジョウさん。

 「結局、ああいうのが大阪のイメージをおとしめてるんやね」

 て、手厳しい……。

 たしかに、大阪人の過度な「おもしろい」アピールは他府県でもウザがられてるとは思いますけど、そこまで言うか……。

 女子なのに(いやそれゆえか)キツイです。

 その他、

 「寒い」

 「拷問」

 「見てて腹立った」

 「今からなぐりに行く」

 など散々な言われよう。恐れていたことが現実になってしまった。

 自分でやめろと言ったものの、こんな予想通りいかんでもええのにと、泣きたい気分だ。

 さらにおそろしいことに、開票の結果、信任票を不信任票が過半数を大きく上回ってしまうという事態に。

 そう、この選挙はなんと対立候補がいないのに落選という、前代未聞の結果が出たのである。

 つまりはみんな、

 「イケシマに票を入れるのは、あの漫才を『おもしろい』と認めたことになる。それだけはありえへん!」

 そう解釈したわけだ。

 嗚呼、そうであった。タテツ君とキタノ君は、多くの関西に住む若者らしく、

 「オレはおもしろい」

 そう勘違いしていたが、おそろしいことに観る側の方もまた必然的に大阪人であるから、

 「オレら(ウチら)の笑いを見る目はキビシイで」。

 という、「おどれは、どこのプロデューサー様や!」といったプライドが炸裂していたわけだ。

 一昔前は関東のお笑い芸人が「関西ではネタをやりたくない」と嫌がっていたそうだが、それこそが素人客の、

 「さあ、笑いの本場のワシらを満足させられるんやろうな」。

 そういった、上から目線の産物であった。

 とばっちりであったのが、なんの罪もないイケシマ君。

 まさにこの「大阪人の勘違い・龍虎の対決」に巻きこまれて、まさかの大落選。はた迷惑もここに極まれりであろう。

 まあ他に候補もいないし、イケシマ君が会長になること自体はみなも賛同しているため、再選挙(応援演説ナシ)ではめでたく当選したのでホッとした。

 まったく、お騒がせなキタノ君とタテツ君なのであったが、まことおそるべしは大阪人の

 「オレはおもしろい」

 「自分たちの笑いを見る目は厳しい」

 という根拠のない思いこみである。

 みなさまも、生徒会選挙や文化祭などで、くれぐれも「爆笑の漫才」などに手を出さないように。

 特にクラスで、女子相手に爆笑をとっている男子諸君は危ない。

 あなたがウケているのは、単に

 「顔が良くてモテるから」

 という可能性がかぎりなく高い。

 それを実力と過信すると、ヒドイ目にあいます。お気をつけあれ。


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