「【無敵理論】って議論に勝ったように見せるに便利だけど、だからこそNGワードにしたほうがええよなあ」
というのは、意見やイデオロギーがぶつかる場面で、いつも思うことである。
先日、アメリカのウィスコンシン州で、黒人男性が警官に背後から銃撃されるという事件があった。
アメリカの歴史は、同時に黒人や先住民に対する暴力の歴史でもあり、本などでそういものに触れると、あまりのやりきれなさに、グッタリしてしまうことも多い。
これはもちろん、アメリカにかぎらず、あらゆる国や民族に内包される問題でもある。
決して他人事というわけではないので、こういう事件にキッチリと抗議の声を上げることは、立派だし当然のことだと思うわけだが、どうも世界はそれに賛成してくれない人も多いよう。
それは、日本人テニスプレーヤーの大坂なおみ選手が、抗議のため試合をボイコットしたことに顕著にあらわれた。
賛同する声と同時に、反対したり揶揄したりする声も大きいのだ。
その意見も様々だが、私が大坂なおみ選手に賛同する立場というのもあるとしても、なんだか今ひとつピンとこないものも多い。
「やっぱり日本人じゃなかった」
(アンタの言う「日本人」は人種差別や殺人を否定したらアカンのか?)
「スポーツに政治を持ちこむな」
(日本的感性として「めんどくさい」というのは、わからなくもないけど、「ダメ」な理由も別に見当たらない)
「警官に殺されるようなことをするヤツが悪い」
(いや、撃って殺そうとする方が悪いでしょ……)
などなど、
「なんで、そうなるの?」
といったものから、ちょっとここには引用したくないような醜悪な言葉や罵詈雑言まで百花繚乱だが、そういったヘイトは論外として個人的に気になるのがこれだ。
「スポンサーに迷惑」
「多くの人がかかわっているのに、その人たちの気持ちを考えろ」
すごく日本人的な発想のようだが、これは
「コンコルド効果」
と呼ばれるものに近い考え方だから、世界でも似たようなものなのだろう。
和文和訳するならば、
「多数派がやってることにはガタガタ言わずに従え。空気読め」
という同調圧力であり、私などこれを聞いた瞬間、
「あ、コイツちょっと、信用ならねえかも」
と警戒しているワードなのだ。
これ自体なんとなく「正論」ぽいし、私も「大人の事情」なんてのがわかる歳になってからは、「まあ、ねえ……」となることもある。
でも、この理論自体がどうかと言われれば、ハッキリ言ってこれって
「卑怯者の言い分」
だと思うんだよなあ。
この理屈が通るなら、この世界のあらゆる多数派や強者や金持ちや押しの強い人が、かかわることすべて。
そこで、どんな理不尽なことがあっても、一切の反対意見を受け付けなくていいことになってしまう。
実際、セクハラやパワハラなどがまかり通る場所では、よく聞くものだ。
ブラック企業の人からとか、ね。
大会側だって一定の理解を示したが、そりゃ言い分もあろう。
「勘弁してくれよ」と頭を抱えたかもしれない。
それだって、決して無視できるものではない。
けど、この理屈自体はやはり一種の「詭弁」であり、これでもって人を押さえつけようとするのは、それすなわち「卑怯」ではないか。
ましてやスポンサーや関係者ならまだしも、外野の人間が
「だまって言うことを聞け」
とは、どんな奴隷根性やねんと。
言うまでもないが、自分の主張を通したかったら人に迷惑をかけてもいい、と言っているわけではない。
そうではなく、私はこのような、
「ありとあらゆる反論を、あたかも相手側に責任があるかのように見せられる詭弁」
が好きではないわけだ。
これはある意味「無敵理論」であり、真面目でちゃんとした人ほど足を取られたり、ごまかされたりする危険な言葉遊び。
あまり好きな言葉ではないが「思考停止」に、つながる恐れもあり、この理屈を持ち出してくるあたりで、もうその人がだれだろうが大減点なのだ。
その意味でも、そんな「アンフェア」な攻撃を受けるなおみちゃんには、ヘイトや詭弁や同調圧力に負けず、自分の意思を示してほしい。
そもそも、彼女の言動に賛成、反対など意見は様々あろう。
それについて議論するのは大事だけど、ただ汚い侮蔑の言葉を投げつけることは、だれだってゆるしてはいかんでしょう。
今回、あれこれダラダラ書いてきたが、一言でいえば、こういうことなわけだ。
「大坂なおみ選手を支持します」。
あなたのやっていることは間違いではなく、なにより、私はあなたの笑顔のファンだ。
だから、テニスと同じく、あなたの勇気を尊敬し、その強い意志と行動を応援します、と。
(王貞治さんの「無敵理論」編に続く→こちら)