中島らもだけではない! 田中康夫や北尾光司の明るい(?)悩み相談室

2018年03月29日 | 

 悩み相談というのはむずかしい。

 私もたまに後輩などから話を聞かされることもあるが、そんな悩める子羊のために、新聞や雑誌にはたいてい

 「お悩みうけたまわります」

 といったコーナーがある。

 それでまず思い浮かべるのは、やはり中島らもさんの『明るい悩み相談室』であり、


 「鮭の切り身の北枕はどちらなのでしょうか」


 といったアクロバティックな質問に、らもさんが当意即妙に答えていくというもので爆笑必至。

 そんな、普通の悩み相談ではなく変化球で対応する相談ページというのは結構あり、自身も悩み相談を連載していた大槻ケンヂさんはその例をエッセイなどで、いくつかあげている。


 まずは、北尾光司の人生相談。

 北尾といえば、相撲の世界で横綱にまで昇進しながら、暴力事件やプロレス八百長発言、さらには、



 「付き人がRPGのセーブデータを消したからぶん殴った」



 などなどで物議を醸した愉快……もとい話題に事欠かなかった人だが、そんな問題児がここに人生相談デビュー。

 「誰が相談するねん」という、まっとうすぎるつっこみは置いておくとして、なによりもすばらしいのが、その連載時のタイトル。それはズバリ

 「綱に聞け!

 見事すぎるセンスである。このタイトルだけでごっつぁんですだ。

 相談内容とか、もはやどうでもいい。考えた編集者は天才かもしれない。

 グレーゾーンの人生相談といえば、「三浦和義のアナーキー人生相談」というのもあった。

 アナーキーすぎる気もするというか、この人に聞きたいことといえばひとつしかないと思うのだが。

 まあ「ロス疑惑」など、今のヤングにはなんのこっちゃかもしれないが。

 余談だが、先日知人がロサンジェルスに行った話をしたところ、



 「ロス? あーLAのことっすか。てゆうか、いまどきロスって……」



 なんてメチャクチャにバカにされたものだった。昭和は遠くなりにけり。

 受験の悩みには、まだ政治家になる前の田中康夫さんが答えていた。

 その窓口である『大学受験講座』では、受験勉強で悶々とする若者に、今ならステマを疑われるであろうほどに異様なる情熱を持って、なぜか駿台文庫の『基本英文700選』を推薦し、さらには


 「下手に偏差値の高い大学に行くよりも、甲南大学へ行け」


 そうアドバイス。

 神戸の女の子はかわいいし、なにより甲南はブランドイメージがあってモテモテだ。だから、甲南を受験しろ!

 などと、くりかえし力説。後年、甲南の学生に、



 「オレ、あんたの言うこと信じて、関関同立蹴って甲南行ったのに、ちっともモテないッスよ、田中さん!」



 とか詰め寄られていた。いい話である。

 そういえば、これら愉快な物件を紹介していたオーケン銀杏BOYZ峯田和伸君に、



 「大槻さんが、バンドやったらモテるっていうからミュージシャンになったのに、全然モテないじゃないッスか!」



 やはり詰め寄られていた。勉強課外活動問わず、ボンクラ少年はだいたいどこも同じようなことを、やったりいったりしているものらしい。

 康夫ちゃんはさらに、


 「甲南に行けないヤツは芦屋大学に行け! あそこは金持ちのボンクラばかりだから、勘違いした姉ちゃんが寄ってくる。それに、キャンパスでボンボンとコネをつけたら、将来出世だ!」


 とも主張していたが、おそらくは同じように芦屋BOYZに胸ぐらつかまれていたであろうことは想像に難くない。負けるな、受験生。



 (次回、北方謙三編に続く→こちら


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このドイツ文学がすごい! E・T・A・ホフマン『黄金の壺』

2018年03月26日 | 

 第二外国語の選択はむずかしい。

 というテーマでここ少し前に語ったことがあったが(→こちら)、私の場合はドイツ文学科に進学したので、これに関しては泣いてもわめいても「強制ドイツ語」だった。

 なぜにて、そんな因果な羽目におちいったのかといえば、これはもう10代のころ「ドイツ文学」に目覚めてしまったからに他ならない。

 前回はゲーテの『ヘルマンとドロテーア』を紹介したが(→こちら)、今回も、ただでさえ足を踏みはずしがちだった私の人生を、完全にレールの外に追いやってしまった、罪深くもすばらしい本の数々を紹介したい。

 E・T・A・ホフマン『黄金の壺』。

 主人公アンゼルムスは、エルベ川のほとりで見かけた美しいゼルペンティーナに一目ぼれする。
 
 この道ならぬ恋に、周囲は大混乱

 アンゼルムスに思いを寄せるヴェロニカが、彼を振り向かせるべく、あれこれ画策したり。

 ゼルペンティーナの父リントホルストが、追放された霊界に戻るため、娘とアンゼルムスをくっつけようと奔走するなどして、話がややこしくなってくる。

 そこに、ゼルペンティーナの持つ「黄金の壺」をねらう謎の占い師がからんできて、恋はもつれ、アンゼルムスはガラス瓶に閉じこめられ、ついにはリントホルストと占いの老婆が、恋路と壺をめぐって壮絶な魔法バトルに突入し……。

 『砂男』『クレスペル顧問官』『くるみ割り人形とねずみの王様』などでも知られる、ホフマンの代表作といえる幻想文学。ドイツロマン派の雰囲気バリバリ。

 一言でいえば「人外萌えの原型」

 10代のころ読んで、ロマンチストである青年と美しいのロマンスという絵が、あまりにも甘美でシビれたものだ。

 すごい発想やなあと。蛇と恋って、キリスト教的観点から見ても、意味深だし。

 よくアイドルや、美少女フィギュアを好む男子を見て、



 「あんなもん、作り物の幻想だろ」

 「現実の女に相手にされない負け犬



 なんてことを言う人もいるけど、特にそれらを好むわけでない私なのに、そうした「良識的意見」にいまひとつ賛成しかねるのは、たぶんホフマン影響

 人は蛇とだって恋できるのだ。

 だったら、「生身の異性」しか愛せないというのは、逆にむしろ狭量な愛の幅しか持ち合わせていないという解釈だって、成り立つのでは?

 いろんな愛があって、いいじゃんねえ。

 いや、実際ホフマンにしろ、こないだ紹介したフーケーにしろ、今の日本に生まれていたら、アニメの二次元美少女に惚れてた可能性あるよ。

 だって「ロマン派」ですから。

 「恋人を宮廷顧問官にして、そのうえで結婚して玉の輿に乗ろうとする」

 みたいな女には目もくれず、「人でなし」に走るんだから、そらもうガチです。

 昔なら『ちょびっツ』とか、HMX―マルチとかに絶対ハマってたはず。

 イヤだったんだろうなあ、「現実」的な女が。ギリアン・フリンの『ゴーン・ガール』読んだら、アワ吹いて死ぬかも。

 でもそんな「生身の女めんどくさい音頭」を、こんなウットリするような美しい物語に昇華さしめるのが、さすがの作家魂。

 嗚呼、才能って素晴らしい。

 ただ個人的には、「恋敵」であるヴェロニカが、なんとなく憎めないんだよね。

 岩波文庫版のあとがきでもあるけど、アンゼルムスがダメとわかったとたん、すぐ切り替えて、別の男にとっとと乗り換える。

 でもって、そいつをささっと宮廷顧問官に仕立て上げ、自分はそこの奥さんに収まるとか、そのちゃっかりしたところが、いっそほほえましいではないか。

 ホフマン先生、美しい蛇もいいけど、現実的女子も悪くないよ! って、そりゃ単に、私に気が多いだけか。

 ポー乱歩先生、ブラッドベリミルハウザーなんかにも通じる作風かもしれない。

 萩尾望都先生とかに、マンガにしてもらえんだろうか。『イグアナの娘』の視点替えたような話だし。

 
 (ハイネ編に続く→こちら



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このドイツ文学がすごい! ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『ヘルマンとドロテーア』

2018年03月23日 | 

 第二外国語の選択はむずかしい。

 というテーマで少し前に語ったことがあったが(→こちら)、私の場合はドイツ文学科に進学したので、これに関しては泣いてもわめいても「強制ドイツ語」だった。

 なぜにて、そんな因果な羽目におちいったのかといえば、これはもう10代のころ「ドイツ文学」に目覚めてしまったからに他ならない。

 前回(→こちら)はエルンストフーケ―の『水妖記』などを紹介したが、今回も、ただでさえ足を踏みはずしがちだった私の人生を、完全にレールの外に追いやってしまった、罪深くもすばらしい本の数々を紹介したい。

 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテヘルマンとドロテーア』。

 世に良い小説や、詩を残す作家は数いるが、「文豪」と呼ばれる人となると、その国から数人しか選ばれない名誉がある。

 イギリスならシェイクスピアディケンズロシアならドストエフスキートルストイ

 フランスバルザックユゴースペインならセルバンテス、わが大日本帝国なら金之助林太郎となろうが、ドイツだとたぶん、トーマスマンゲーテ先生になる。

 『ファウスト』『イタリア紀行』など有名な作品は数あれど、私がここに紹介したいのが『ヘルマンとドロテーア』。

 ストーリーに関しては死ぬほどたわいなくて、フランス革命の余波で難民になることを余儀なくされた少女ドロテーアを、裕福で純朴な青年であるヘルマンが助け、やがてはに落ち、結ばれるというもの。

 一言でいえば、「ボーイミーツガールのしょうゆ味」

 ちなみに、日本語訳では小説の体をとっているが、原語では抒情詩です。

 なぜにてゲーテ先生で、『若きウェルテルの悩み』でも『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴』でもなく、こんなマイナーで地味な作品を取り上げるのかと問うならば、ここにこそ「文豪」の底力を感じるからだ。

 一時期はやった「泣ける映画」というのが、『さよなら絶望先生』で、



 「ただ人が死ぬだけの話でしょ」



 ネタにされてたけど、まさにこの『ヘルマンとドロテーア』こそ、

 「ただ若い男女が出会って、結ばれるだけ

 といった、ポテチでいえば「うすしお」といった趣きの、メチャクチャにプレーンな物語なのだ。

 それが読んでみると、とんでもなく美しくて引きこまれる。

 ホント、たかだか男女の、ほれたはれただけですよ。

 そこにモンタギューキャピュレットがどうとか、嵐が丘がどうとか、明日は明日の風がどうとかといったドラマチックな展開などない。

 なのに、読んでる間ずっと、若き恋人たちの高潔に魅了される。

 なんのヒネリもない恋愛沙汰だけでここまで耽溺させるとは、これこそが「文豪底力」といわずして、なにをそうというのか。

 しつこいようですが、こんな「かつお節だけでダシ取ったすまし汁」みたいな商品が、

 「ドイツ古典主義代表的傑作

 とかになるんスよ。マジすごすぎじゃん、ゲーテ先生!

 ホント、『ファウスト』みたいな、退屈で辛気臭いもんなんか読むヒマあったら、絶対こっちを手に取った方がいい。

 「恋愛もの」が苦手な私が薦めるのだから、間違いないのです。

 短くて、サクッと読了できるのもよし。でも、今は手に入りにくいんだよなあ。


 (ホフマン編に続く→こちら




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このドイツ文学がすごい! エルンスト・フーケ―『水妖記』 ショーペンハウエル『読書について』

2018年03月20日 | 

 第二外国語の選択はむずかしい。

 というテーマで少し前に語ったことがあったが(→こちら)、私の場合はドイツ文学科に進学したので、これに関しては泣いてもわめいても「強制ドイツ語」だった。

 なぜにて、そんな因果な羽目におちいったのかといえば、これはもう10代のころ

 「ドイツ文学」

 これに、目覚めてしまったからに他ならない。

 そこで今回は、ただでさえ足を踏みはずしがちだった私の人生を、完全にレールの外に追いやってしまった、罪深くも、すばらしい本の数々を紹介したい。


 ■エルンスト・フーケ―『水妖記

 初めて買った岩波文庫の本。

 知ったきっかけが『オフィシャルD&Dマガジン』というのが因果だが、ドイツ文学という「充実したつまずき」のはじまりでもあった一冊。 

 「人間と結ばれるとを得られる」

 という言い伝えの通り、騎士フルトブラントと恋に落ち結婚した、水の妖精ウンディーネ

 だが皮肉なことに「魂」を得てしまった彼女には、人でなかったころの無邪気な自由さをによる、その魅力は失われていた。

 やがて恋も冷めた騎士は、かつての崇拝者ベルタルダに思いを寄せるようになるが、妖精界のでは



 「男に裏切られた女は、『死の接吻』でもってその元恋人を殺さなければならない」



 とされており、苦悩したウンディーネは……。

 ドイツロマン派の雰囲気バリバリな中世ロマンスで、これを原文で読みたいと思ったのがすべてのはじまり。

 一言でいえば、

 「釣った魚にエサをやらない男の、ゲス不倫自業自得日記」

 
 ■ショーペンハウエル『読書について

 『水妖記』と、同時購入した一冊。

 「デカンショ」の一角ということで、重厚な哲学書かと思いきや、サクサク読めてためにもなる、とってもオトクなものだった。

 タイトルからすると

 「本を読むのは、いいことだ」

 みたいな内容かと見せかけて、実はその真逆で、読書に耽溺しすぎることをいましめるもの。


 読書とは他人にものを考えてもらうことである。

 一日を多読に費す勤勉な人間は次第に自分でものを考える力を失ってゆく。


 という一説には、怒涛の活字小僧だった私にとって、大げさでなく頭をバットでなぐられたような衝撃だった。

 頭でっかちになるな、読書量が多いからといって、かしこいとカン違いすな、と。

 今風に翻訳するなら

 

 「ネットしすぎると、バカになるよ」



 もうひとつ収録されている『著作と文体』では、大仰なタイトルのわりに延々と、



 「今どきのドイツ語の乱れが、ヒドイんや!」



 というグチが続くというもので、一応マジメな提言なんだけど、そのいかにも偏屈な感じがほほえましくて、つい笑ってしまう。

 私が年配者の

 「若者言葉ディス」

 を聞いても、もうひとつ共感できないのは、ショーペンハウアー先生のせいです。

 いつの時代も、オジサンやオバサンが言うことは、一緒やなあと。


 (ゲーテ編に続く→こちら

 

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長谷川晶一『プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた! 涙と笑いの球界興亡クロニクル』

2018年03月17日 | スポーツ
 長谷川晶一『プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた! 涙と笑いの球界興亡クロニクル』を読む。

タイトルの通り、「ファンクラブの大人買い」という、なかなかマニアックな突撃企画。

 12球団それぞれにあるファンクラブの特典や、オリジナルグッズなどを比較検討し、レビューするという作りだが、これがなかなかに興味深かった。

 こういうところでメンバーになると、「タダ券もらえる」のイメージが強いが、実際のところは各球団、集客のためにそれ以外も、あれやこれやと仕掛けを考えているのだ。

 たとえば、グッズの充実から各種サービスの総合力は西武ライオンズがダントツで、これは商売上手な西武グループのイメージ通りか。

 阪神が意外と(?)事務処理の手際や客対応がグッドで、ジャイアンツはさすが球界の盟主ということで、お金もかけて企画にもリキはいっている。

 一方、横浜はチームの低迷と比例するように、ファンクラブの質も低空飛行(ただしDeNAになってからは大きく改善)。日本ハムは悪くはないけど良くもないという、キャラが立ってないのがレビューしにくい。

 中日は悪くないけど、「前監督(落合博満さんのこと)の悪口」を冊子に延々と書き連ねるのはいかがなものか。

 などなど、実際に金を払って入会してみないと知る機会のないトピックスが、いちいちおもしろい。

 中には、野球ファンでもない私でも「うーん、これはほしいかも」なんて思わせるオリジナルグッズがあったりして、食指も動いてくる。

 たとえば、巨人だと「黒ひげ危機一髪のジャイアンツバージョン」。

 なかなかマヌケでいい。他のところでなく、球界の盟主がやっているところがキモであろう。樽の中にいるのが、渡辺恒雄さんでないところが残念ではあるが。

 カープだとやはり、「カオシマ」シャツ。

 これはなんのことかといえば、カープは毎回オリジナリティーあふれるアイデアが売りというか、感性がおかしいというか、独特の不思議なグッズが特徴。

 ある年など、ユニフォームのホームとアウェーでそれぞれ違う「カープ」とロゴの入ったバージョンと、「広島」とあるバージョンを左右半分ずつ組み合わせたオリジナルユニを制作したのだが、なんせ違うロゴの半分ずつなので、右半分が「CA(RP)」左半分が「(HIR)OSHIMA」。

 で、それをくっつけるから胸の文字が「CAOSHIMA」になって、それどこの国のチームやねん! と。正直、意味はよくわからないが、制作側のいちびりぶりは伝わってくる。

 ちなみに、カープのファンクラブの名前というのが

 「吾輩ハ鯉(Carp)デアル」。

 いや、漱石、広島関係ないやん! 鯉と猫も全然かかってへんし。こういうヘンチクリンなノリが、カープファンクラブの味らしい。変なチーム。

 中日には日本で唯一「ファンクラブのマスコットキャラ」がいるそうな。

 野球ファン以外にも結構知られているドアラは「球団のマスコットキャラ」だが、ドラゴンズにはファンクラブにもゆるキャラがいるというのが豪華だ。

 しかも、そのデザインが宮崎駿(!)というのだから、なにげにすごいではないか。全然知らなかった。

 名前は「ガブリ」。もちろん、スタジオジブリとかかっているわけですが、それはいいとして、そのエリートな出自にもかかわらず、知名度的にはファンクラブの会員以外、ほとんど知られてないのでは?

 デザインも別に、ジブリ色もさほどなく普通というか、これだったら大枚はたいて(るはずでしょ、きっと)宮崎駿に頼むより、中日新聞のデザイン担当の人でも間に合った気もしないでもない。

 そんな、おもしろグッズや「ファンクラブあるある」なども愉快だが、この本のなにより良いところは、著者が全力でこの企画を楽しんでいることであろう。

 もともとはただの趣味だったそうだから、それもむべなるかなだが、著者のワクワク感が読んでいるこちらにも伝染して、なんだか楽しくなってくる。

 野球ファンのみならず、なんか最近元気がないなーという人にもオススメ。本全体からパワーがみなぎっていて、ちょっとテンションが上がりますよ。





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関川夏央『おじさんはなぜ時代小説が好きか』は、時代小説という枠を超えた創作論であり日本人論

2018年03月14日 | 
 関川夏央『おじさんはなぜ時代小説が好きか』を読む。

 私はあまり、時代小説を読まない。吉川英治『宮本武蔵』も山田風太郎の忍者ものも、池波正太郎も食べ物エッセイ以外読んでいない。

 宮部みゆきさんのファンであるが、時代物は(あとファンタジーものも)読まないし、そもそも司馬遼太郎を読んでいないところからして、大阪人失格である。福田善之『真田風雲録』にも全然ピンとこなかったなあ。

 そんな、時代小説不感症な私だが、人間食わず嫌いというのはよくないということで、たまにはなにか読んでみようかなと、まずはブックガイド代わりにこの本から入ってみた。

 「おじさん」なんてあえてつけるタイトルからして、新書系によくある、趣味を媒介とした世代論みたいなもんかなあと、なにげなく読みはじめたのだが、これがなかなかどうして、中身の濃い本で思わず膝を正してしまった。

 関川さんの歴史小説論は、『「坂の上の雲」と日本人』もよかったが、作者や本の内容の紹介だけでなく、物語の書かれた時代背景や、作者の経歴とをからめて、

 「なぜ、この物語が書かれなくてはならなかったのか」

 といったポイントを丁寧に解説してくれるところが素晴らしい。

 この本も執筆当時の文化や風俗、同時代の作家との比較など、日本史や日本文学史、また日本人論などに興味がある方でも楽しめるのではないか。

 いつものような布団に寝転がってではなく、じっくりとノートを取りながら熟読したくなるような一冊であった。

 中でも、「時代小説は、近代小説では恥ずかしくて書けないようなことを書けるところがいいのだ」という話は示唆に富んでいる。

 これは、時代小説のみならず、「今でないどこか」を舞台にする物語の可能性すべてについての当てはまる言葉かもしれない。

 古くは日活ロマンポルノが

 「濡れ場さえ出しておけば、あとは好きに作ればいい」

 という土台から、多くの才能を輩出し、近年ではライトノベルが、

 「美少女さえ出しておけば、あとは好きに書いていい」

 というところから、一度は沈みかけたSFというジャンルを復活させたように、時代小説も、

 「今では書けない物語を、これはファンタジーの世界ですよと一回エクスキューズして、その上であえて熱く書く」

 という手法でもって名作を世に出してきた。

 なるほどなあ。そういわれると、なんだか読みたくなるではないか、時代小説。

 そんな感銘を受けたり、「なるほど」と勉強になることの多かった本書だが、中でももっとも印象に残った文に、こういうのがあったので、ここに引用してみたい(改行引用者)。


 「ともかくそういうことばかり書いてある日記に、饗庭篁村が注釈をつけて『馬琴日記鈔』を書き、それを元にして芥川が『戯作三昧』を書いた。

 それから六十年ほどして山田風太郎が『八犬伝』を書いた。滝沢馬琴と江戸文化そのものを主人公に、文学は受けつがれる、というか発展していくわけです。

 以前に誰かが成し遂げた仕事を無駄にはしない。先人の遺業を尊重し、参考にしつつ、さらに遠くまで行こうとするとき、作家はオリジナリティを発揮するのです。

 そしてそのたびにその作品世界は広く、かつ深くなるのです。」



 この箇所を読んだとき、なにやら胸を打つものがあった。

 これは小説だけではない、我々のふだんの生き方にも応用できることだ。

 よく、「なんで生きなきゃいけないの?」「人生に意味とかあんの?」なんて悩んだり、また悩んだふりをして斜にかまえる若者がいたりするが、その答えは実に簡単。

 「成し遂げた仕事を無駄にはしない。先人の遺業を尊重し、参考にしつつ、さらに遠くまで行こうと」すればよい。

 小説でも映画でも、スポーツでもお笑いでも日々の仕事や勉強でも、なんでもいい。感動した、胸を打たれたものを自分なりの何かに昇華して、「返歌」「恩返し」をする。

 ただそれだけのことで、決して難しいことでもなんでもないのだ。



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『ワン・ツー・スリー』はビリー・ワイルダーが贈る爆笑の東西冷戦コメディ

2018年03月11日 | 映画
 『ワン・ツー・スリー』を観る。

 主演はジェームズ・キャグニー、名匠ビリー・ワイルダーが監督、東西冷戦時のベルリンを舞台にした、古き時代のハリウッド名物「スクリューボール・コメディ」だ。

 主人公キャグニーは、コカコーラの西ベルリン支社長。

 やり手で出世欲バリバリの彼の望みは、ロンドンへの栄転であり、全ヨーロッパ支社長になること。

 そこに大きなチャンスが降ってくるのは、アメリカの重役からの依頼。娘がヨーロッパに遊びに行くので、その世話を頼まれたのだ。

 これはうまくやれば上の覚えもめでたく、出世はまちがいなしと、バカンスをキャンセルしてまで引き受けることとなったが、これがとんだ誤算。

 頭が軽くて惚れっぽい重役令嬢は、監視の目をくぐり抜け夜遊び三昧。それどころか、どこの馬の骨ともわからない男とデキてしまい、結婚してしまう!

 これだけでも一大事なのに、なんとその相手は東ベルリンのガッチガチの共産主義者。

 資本主義の先鋭のような会社の令嬢とアカの結婚! こんなことがバレたら、出世どころか首が吹っ飛ぶ!

 そこでキャグニーは策をこらして、東ドイツ警察に婚約者をスパイとして逮捕させる(!)が、やれ一安心とホッとしていると、なんと令嬢のお腹には彼の子供がすでに……。

 父親もいない子供を産ませるわけにはいかないと、一転キャグニーは東ベルリンに突入し、あれこれ手を打って、男を釈放させる。

 こうなったらもう仕方がない。二人は結婚させるしかない。

 となると、残された道はひとつ。コテコテの共産主義である彼を、あらゆる手を尽くしてコカコーラ社重役令嬢の婿にふさわしい、上流階級の若者に仕立て上げるのだ……。

 あらすじを聞いただけでも、いかにもといったお手本通りの喜劇。ジャームズ・キャグニーのマシンガンのようなセリフ回しが、なんとも芸達者で、そのテンポがとんでもなく心地よい。

 脚本家出身のワイルダーの書くセリフは、よほどよくできているのだろう。キャグニーが生き生きと、楽しんで演じているのがわかるのだ。

 アカとブルジョアのドタバタといえば、ワイルダーの師匠であるエルンスト・ルビッチが『ニノチカ』を撮っているが、おそらくはそれを意識しているのであろうというか、

 「共産主義者をいつのまにかオルグしてしまう」

 という設定は、男女が裏返っただけで同じ。

 というか、考えてみれば『ニノチカ』の脚本は、ワイルダーが書いたもの。当然、意識しないわけはあるまい。

 ルビッチはいかにもヨーロッパテイストな、粋な仕上がりを見せているけど(主演がグレタ・ガルボだし)、こっちはキャグニーを持ってきて、アメリカンにドタバタを演出している。

 今回観ていて引きつけられたのは、重役令嬢役のパメラ・ティフィン。

 『お熱いのがお好き』のマリリン・モンローのように、頭がゆるくてかわいい女というは、喜劇では定番の配役であるが、この映画でその役を割り振られているパメラが、ものすごいハマりようなのである。

 とにかく、飛行機を降りてくる最初の登場シーンからラストまで、一直線でずーっと頭がフワフワで、見事な「愛すべきバカ女」っぷり。

 もう、観ていてイライラするわ、それでいて笑えるわ、愛嬌はあるわ、とにかく憎めいないというか。

 主人公はジェームズ・キャグニーなんだけど、ストーリーの核は間違いなくこの姉ちゃん。おいしい役なのだ。

 知らなかったんだけど、このパメラ・ティフィンは青春スターとしてむこうでは人気だったらしい。

 そういう姉ちゃんを、こういった尻の軽いじゃじゃ馬役で起用するというのは、監督の遊び心であり、パメラの演技も一種のセルフパロディなのだろう、それゆえにハマり役のようなのだ。

 普通、そういうのって嫌がる人もいると思うのだが(モノマネ芸人を嫌がる大御所みたいなもんで)、キャグニーと同じくらい、楽しんでやってるのが伝わってくる。


 「一番情熱的なのは革命家よ。4回も婚約してるから、男にはくわしいの」

 「(ヨーロッパが赤化して)裁判になったら、あなたを弁護してあげるわね」

 「モスクワには『ヴォーグ』とファッション誌を送ってね」



 なんて、彼女のトンチンカンなセリフを書き写してるだけでも、「このオツム空っぽの尻軽女が!」と苦々しくも楽しい。

 こういった、演者がノリノリな作品というのは、そのやり取りだけで楽しいというか、いわゆる「ずっと観ていられる」系の仕上がりになるわけで、ひたすらに楽しく笑えて、ヒロインもステキな『ワン・ツー・スリー』はとってもオススメです。
 



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ボンクラ学生のための、楽できる(かもしれない)第二外国語選択講座 ドイツ語編

2018年03月08日 | コラム

 第二外国語の選択はむずかしい。

 というテーマでここ数回語っており、ここまで

 「フランス語負け犬(→こちら)、ロシア語酔狂(→こちら)、中国語(→こちら)とスペイン語(→こちら)は人生の勝利者

 ということになっているが、では肝心の私の専攻であるドイツ語はどうなのかと問うならば、これは論理的構造にすぐれ、医学の世界などでも大いに活躍している言語だ。

 さらには名詞に3つもあってなんでやねんとか、冠詞や形容詞がいちいち格変化するのが大変で、分離動詞とか再帰代名詞とか意味不明であり、接続法はずっと「雰囲気」で読んでいて。

 地方意識強いから方言文化が充実しすぎて、先生によって発音がまちまちだったり(「ライプツィヒ」が「ライプツィク」になるとか)、巻き舌苦手だといきなり挫折しかけるとか、もう正直やっとられっか!

 ……などなどとても魅力的なものであり、もちろんのこと、超のつくほどおススメです(大本営発表)。

 まあ、私の場合は「好きだから」という理由でドイツ文学を選んだわけだから、ドイツ語に関しては大変とか言ってもしょうがないわけで、皆様にすすめられるか客観的な判断は難しい。

 ちなみに、私の今のドイツ語は、そこはスペシャリストということで、すでに現役を退いた現在でも、

 「見たらドイツ語かどうかはわかる」

 というレベルをキープしているのは、さすがと言わざるを得ない。

 アルファベートの上にがついてたら、だいたいドイツ語です(ホントかよ)。

 一応、海外旅行の表示やレストランのメニューとかくらいは理解できるし、辞書さえあれば簡単な文章くらいは読めそうだけど、まあその程度。

 いわゆる「中2英語」と大同小異であろうか。



 「語学学習というのは、穴の開いたバケツに水をくむようなもの」



 という言葉通り、外国語はダイエットと同じで、継続しないとすぐに力が落ちます。

 まあ、それはどのジャンルでもそうなんでしょうねえ。生きるって大変だ。

 そこで今回は、すっかり「語学隠居」な私が、学生時代に勉強の足しにと読んだ本などを紹介したい。

 そこから興味を持っていただければ幸いである。
 

 ★藤田五郎『ドイツ語のすすめ

 講談社現代新書の一冊。字通りの「ドイツ語って、こんなんだよ、楽しいよ」とすすめてくれる内容。

 参考書としては物足りないけど、読みやすくて入門書には最適だった。

 「トーナスだと!」など、時代を感じさせる言い回しも、今の視点で読むと楽しい。

 中級編に『ドイツ語の新しい学び方』というのもある。


 ☆池内紀『ぼくのドイツ文学講義

 ドイツ文学者である池内先生の本は、ほぼほぼすべて読んでいるが、文学入門書といえばこれがいいかも。

 「ぼくの」とあるように、普遍的な解釈や講義ではないが、池内流の静かでいながら独特の筆さばきが冴える。


 「カフカの『変身』は一級のコメディー作品」

 「ハインリヒ・ハイネは情熱の詩人であるとともに、したたかな実際家」

 「たった一着の制服で国じゅうを笑わせた、ドイツ流風刺劇について」



 などなど、一見「お堅い」独文学のイメージを一変させてくれる。

 本流というよりは、あくまで「池内流」の料理法だが、既存のかたくるしい「文学論」が苦手な人は、ぜひこちらから入ってみるのも手。

 池内本はどれもおもしろいけど、ドイツ文学関係では他に、『ゲーテさんこんばんは』『カフカの生涯』などもおススメ。


 ★NHKラジオ『ドイツ語講座』

 定番だが、やはり自宅で生ドイツ語を聴きたければ、ネットのない時代はこれ。

 テキスト代数百円で、毎日ちゃんとした講義が聴けるのだから、こんなオトクな話はない。

 ラジオ講座にかぎらず、語学はすべてそうだけど、「五感を総動員」するのが学習のコツ。

 ただ漫然と聴くだけでなく、単語や文法をおぼえるのはもちろん、暗唱できるようになるまでくりかえし音読し、例文を何度も何度も書き写す

 余白には、調べたことを書きこみしまくって、テキストを自分流のノートにするとか「骨までしゃぶりつくす」ことが肝心。

 もちろん、コラム雑談の類も、しっかり読みこみましょう。


 ☆『MD 月刊基礎ドイツ語

 ドイツ語の老舗である三修社から出ていた、ドイツ語学習者専門雑誌

 「MD」とは「Mein Deutsch」(私のドイツ語)の略。

 「ドイツ語編」と「ドイツ文化編」に分かれており、語学編は月ごとに「仮定法」とか「関係代名詞」とかテーマがあって、1年通読すると一通り基礎文法がマスターできるというもの。

 私は「文化編」が好きで、ドイツの現代音楽少数民族事情など、日本ではなかなか知りえない情報が満載。

 「ソルブ人とソルブ語の保護問題」

 なんて、これを読まなきゃ接することもなかったろうなあ。

 銀行や歯医者の待ち時間、いつも開いてました。今でも青春の思い出。

 休刊してしまったのが、残念でならない。



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ボンクラ学生のための、楽できる(かもしれない)第二外国語選択講座 スペイン語編

2018年03月06日 | コラム

 前回(→こちら)の続き。

 ここまで第二外国語はなにを選ぶべきかで、人生の先輩としてアドバイスを送っている。

 前回は

 

 「中国語を取れば単位取得がで、大学生活は勝ち組

 

 という意見を述べたのであるが、単位を取るのがな言語は、もうひとつあると言われていた。

 それはスペイン語である。

 というと、スペイン語なんてドイツ語やフランス語よりも、もっとなじみがないのではないか。

 なんて言われそうであるが、いやいや、なかなかこれがどうして、語学学習者の間では、

 

 「ヨーロッパ系言語で、日本人が1番学びやすいのはスペイン語」



 という説が、まことしやかに流れていたのである。

 これにはわりとキチンとした根拠があり、まずスペイン語は発音

 英語のあのネチャっとした発音や、ドイツ語巻き舌フランスから抜ける母音。

 などなど、外国語学習者の前に立ちはだかるのは、日本語になじみのない発声法だが、スペイン語にはそういった癖があまりないらしい。

 「わたし」を意味する「YO」、そのまま「」で通じる。

 「comer」(食べる)もそのまま「コメール」、「Ajo」(にんにく)もそのまま「あほ」と平坦に読めばよい。

 単語がスペルそのままで、読めるというのもいい。

 英語の「knife」はどう見ても「ナイフ」とは読めないし、「dangerous」を「デンジャラス」と発音するのは、かなりアクロバティックである。

 実際、英語が母語のイギリス人ですら、

 

 「ウチらの言葉の発音、マジおかしくね?」

 

 問題にしているくらいだ。

 その点スペイン語は、ドイツ語の「eu」で「オイ」などといった、めんどい規則が少ない。

 書いてあるとおりに読めば、だいたいが通じるというのだから、もう涙が出るほどありがたい。

 スペイン語がいいというもうひとつの理由は、

 

 「中南米ひとりじめ」

 

 日本ではサッカー以外で、あまりなじみのない中南米諸国であるが、これが言語的にはスペイン語がメッチャクチャに強い

 なんといっても、ブラジル(ポルトガル語)以外ではほぼ全域、スペイン語が公用語なのだ。

 しかも、スペイン語とポルトガル語は、標準語と関西弁くらいの差しかないから、ブラジルでもスペイン語はけっこう通じる

 つまりは、スペイン語さえマスターすれば、中南米諸国で旅行や仕事をするのに無敵ということだ。

 彼の地では英語の通用度が低いので、



 「え? 英語しかしゃべれへんの? フッフッフ、そんなん中南米では、ただの迷子やで」



 英語帝国主義者どもに、一泡吹かせてやれるのである。

 バックパッカーの中には

 

 「英語ともうひとつといわれれば、スペイン語を選ぶ」

 

 という人も多い。

 世界一周をするという人は、まず南米から入って、スタートでスペイン語を学んでから、他の国に出るという人もいる。

 なんといってもアメリカでは、これから非白人人口が、白人人口を超えると言われている。

 トランプ大統領の「メキシコ人追い出す」発言は、そのことにビビってのもの。

 そうなると、プエルトリカンなどスペイン語を使う人が、USAのマジョリティーになる可能性もあるのだ。

 もちろん、大学の授業レベルでは、「旅行先でもペラペラ」なんてのは無理でも、発音が楽ということはスピーキングで有利ということ。

 基礎単語になじんでおく程度でも、たぶんフランス語やドイツ語よりは通じる度合いが高いはず。

 英語みたいに

 

 「コーヒー? OH! 《カフィー》のことですねAHAHAHA!」

 

 なんて笑われて赤っ恥ということにもなりにくいのだ。

 学びやすく、ひそかに使用人口も多いスペイン語、おススメです。

 

 (ドイツ語編に続く→こちら




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ボンクラ学生のための、楽できる(かもしれない)第二外国語選択講座 中国語編

2018年03月04日 | コラム

 前回(→こちら)の続き。

 ここまで第二外国語はなにを選ぶべきか、人生の先輩として後輩たちにアドバイスを送ってきた。

 前回は

 

 「ロシア語取るヤツはドM」

 

 という話をしたが、ここまで仏露両国が難解と言うことで、枕を並べて討ち死にした。

 まあ難しい方はわかったとして、では肝心の

 「どれがオススメなのか」

 という問いに今回は答えると、それはふたつある。

 そのひとつが中国語

 大学1回生の最初の仕事といえば、まず履修科目を決めることだが、もちろん我々のようなボンクラ学生は、



 「○○教授の講義が受けたくてこの大学にきました」

 「少しでも将来のキャリアアップに役立てたいです」



 などといった殊勝な考えは、これっぽちも持っていないわけで、そこにあるのはただ

 

 ラクチンに単位が取りたい」

 

 という熱い思いのみである。

 そんな中、浮上するのが中国語。

 私は中国語のことは全然わからないが、いろいろ聞いたところによると、



 「中国語は楽勝。寝てても単位取れるし、テストは足で書いてもまちがいなしでへーこいてプー」



 中国語の先生が聞いたら、青竜刀でなますにされるのではといった、学問をなめまくった噂が、あちこちから流れこんできたものだ。

 その根拠は一体なんなのかと問うならば、まず中国語は、他のヨーロッパ系言語よりも学びやすい

 なんといっても、むこうは漢字の国の人である。

 そして、我らが大日本帝国も、また半分くらい漢字の国の人である。

 この共通点は、大きなアドバンテージだ。

 これは心理的作用も大きいらしく、日本人はよく外国人に



 「なんであんなに英語しゃべれないの?」



 なんていわれてションボリさせられることがあるが(いや、リーディングは超得意なんですけどね……)、これが中国語をやると、立場は一変する。

 漢字になじみのない欧米人は、中国語には本当に苦労するらしいのだ。
 
 そらそうだ。言語でなにがつらいといって、

 

 「文字が理解できない」

 

 ことほど絶望的なこともない。

 彼らにとっての漢字は、われわれにとってのタイ語アラビア語のような、



 「そもそも何が書いてあるのかわからない」



 ところからスタートなのだ。

 これは苦しいではないか。

 この差は大きい。「英語が得意」なオランダ人ドイツ人

 

 「文章が読めないイッヒ!」

 「作文が書けないロッホ!」

 

 汗だくでヒーヒー言うてるのを尻目に、



 「PO! 日本人が外国語が苦手とか、どこの国の天津甘栗や!」



 余裕をぶっこきまくれるのである。

 とにかく、字のとっつきやすさと、文法もドイツ語やロシア語のごときパズルのような難解さもないため、比較的すんなり学習できるのだとか。

 私のも学生時代は中国語を取っていたが、聞いてみると

 

 「そういえば、あんまり苦労した記憶がないなあ」

 

 やはり、楽なのだ。

 別の大学の学生に聞くと、その学校では

 

 「フランス語を取るバカ、中国語を落とすバカ」



 という言葉もあったくらいで、それくらいに中国語というのは、おいしい授業であったのだ。

 それにしても、フランス語選択者というのは、やっぱどこの学校でもトホホあつかいなんだなあ。

 厳密には、ガッツリ学ぶとなると中国語というのはかなり難しく、前回の

 

 「世界三大難しい言語」

 

 このひとつに入れてもいいかも、という人もいるらしいのだが、大学の授業レベルでは、そこまで深入りしないから大丈夫とか。

 こうして中国語の人気は、ホンモノであることが確認された。

 我が妹もふくめ、当時の中国語履修者は、フリーパスでめんどくさい語学の単位を次々と修得していった。

 やはり語学は、先のオランダ人やドイツ人にとっての英語や、イタリア人にとってのフランス語のように、

 

 「近いは正義」

 

 という面はあるようだ。

 この話をすると、大阪府立大学に通っていた友人が、



 「それやったら、オレが第二外国語で取ってた《朝鮮語》も、日本人には勉強しやすいからおススメやなあ」



 そう語っていた。

 これまた、近いは正義。ご参考までに。

 

 (スペイン語編に続く→こちら



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ボンクラ学生のための、楽できる(かもしれない)第二外国語選択講座 ロシア語編

2018年03月02日 | コラム

 前回(→こちら)の続き。

 第二外国語はなにを選ぶべきかで、私は人生の先輩として、こういう真理を示した。

 

 「フランス語はやめとくのが無難」

 
 オシャレなイメージで軽く選んでしまうと、後悔は必至。

 こんなもん、どうせ身に付かないんだから、わざわざ自分でハードルをあげることはない。

 一応ことわっておくが、私は別に

 

 「フランス語は役に立たない」

 「つまらない言語」

 

 と言っているわけではない

 当講座の主眼はあくまで

 

 「単位が取りやすい(私の時代には取りやすかった)かどうか」

 

 にあるだけで、フランス語(もちろん他の諸言語も)自体を、くさしているわけではありません。

 ラクできるかどうか、というだけのちょぼこい話なのです。念のため。

 では、フランス語以外ではどんな言語があるのかと問うならば、次に聞いたのがこんな意見。

 

 ロシア語取るヤツ超絶勇者



 これは、私にもなんとなく、わかるところはあった。

 というのは、私もドイツ語学習者の端くれとして、千野栄一先生の『外国語上達法』。

 また講談社現代新書の『外国語をどう学んだか』、など様々な「外国語学習法」読んだのであるが、そこに共通して書かれていることが、


 「ロシア語って、マジ激ムズ



 ロシア語といえば、まず文字がわからない。

 我々がなじみがある外国の文字といえば、漢字ローマ字であるが、そのローマ字アルファベットでも、ドイツ語のウムラウト(aとかuの上に点々がついているアレです)を見ただけで「げ、なにこれ」と拒否反応を示す人もいる。

 そこに、あの宇宙の言語みたいなキリル文字

 反対にしたみたいなのとか、どうやって読むんやーと、まず第一印象からして取っつきにくい。

 おまけに文法は難解だし、名前が男女で変化するし、とにかく学びにくいことこの上ない。

 なんといってもおそろしいことに、ロシア語は栄えある

 

 「世界三大難しい言語」

 

  に入閣しているのだ(他の2つは諸説あるが、ハンガリーマジャール語日本語、次点にギリシャ語などが入る)。

 おまけに使うところもない。

 今どきトルストイドストエフスキーもないもんだし、共産主義もお亡くなりになった。

 そんなもん、だれが勉強しますねんと。

 しまいには、外国語学習者には

 

 「ロシア語ノイローゼ」

 

 というのがあるとの噂まで聞かされたもの。

 あまりの学習のしんどさに、学生がついには精神的にやられてしまうらしい。

 ちなみに留学生の話によると、彼らには

 

 「日本語ノイローゼ」

 

 というのもあるそうな。

 漢字敬語男女の話し言葉の乖離など、とにかくややこしい日本語学習タメをはれるというのだから、ロシア語ってもう大変。

 このような経緯があるので、ロシア語は一番人気がなかった。

 嘘か本当か、私の代はこの話が広まりすぎて、履修者少なすぎでクラスが開けなかったとか。

 それくらいに、敬遠されていたのだ。かわいそうだなあ。

 そんな中、わざわざロシア語を取るヤツは酔狂というか豪気というか、とにかく勇者である。



 「敵が強ければ強いほど燃える」


 という、少年マンガ的性格でないと、やめておいた方が無難であろう。

 ところが、世の中にはそんな勇気ある者というのがいるもので、友人トサボリ君は、数少ない絶滅危惧種のロシア語履修者であった。

 彼曰く、


 「勉強はたしかに大変やけど、数が少ないから先生らは、すごくやさしい



 とのことで、

 

 「けっこう点数には下駄はかせてくれた」



 なるほど、困難の中、あえて少数派に飛びこむとそういう展開もあったか。

 そら、先生もうれしいよなあ。



 「ロシア語を取ってくれてありがとう



 涙ながらに、間違いだらけの課題でも「」をくれたそうだ。

 まさに、人情の勝利であるといえよう。



 (中国語編に続く→こちら



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