『プラモ狂四郎』 クラフトマン店主、倉田太氏の闇 なぜプラモシミュレーションで破壊活動が行われるのか

2022年03月31日 | オタク・サブカル

 「プラモがボロボロに壊れる設定は、ヒドかったよなあ」

 先日、LINEにそんなメッセージを送ってきたのは、友人テンマ君であった。

 プラモが壊れる設定とは、前回まで読んでいただいた方にはわかっていただけるであろう(→こちらなど)、『プラモ狂四郎』のおはなし。

 プラモシミュレーションなる、自作のプラモをバーチャル空間で戦わせるという、今でいうEスポーツのはしりというか、そういうゲーム。

 

 

 プラモシミュレーションを3年(!)で開発した、模型ショップ「クラフトマン」の店長、倉田太氏。

 

 そんな、モデラーメカ好き、また格闘ゲームマニアなども泣いて喜びそうな機械が登場するわけだが、これにちょっと変な機能がついているのである。

 それが、

 「シミュレーションの中で受けたのと同じように、プラモデルもダメージを受ける」

 劇中で、ガンダムの右腕がザクのバズーカで吹っ飛ばされれば、その通りにプラモも手が取れている。

 アッガイがビームサーベルで手首を切られたら、プラモのそれも一刀両断

 その他、マゼラアタックティーガー戦車に木っ端みじんにされたり、コアブースターに破壊されたリックドムブラウ・ブロがバラバラになったりと、勝っても負けても、容赦なくプラモはぶっ壊れるのだ。

 

この丁寧に、マーキングまでほどこされたザクが……。

 

 

こうなります。

 

 

遊園地のイベントで飾られるほどのガンキャノンが……。

 

こんな風にボッコボコに。

 

 

 なんでも、プラモをセットしたカプセルに装備されたレーザー光線や、マジックハンドで破壊活動を行うとか。

 

 

 マスターによれば、

 

 

 ということらしいが、なんでわざわざ、そこまで手間かけて、プラモを壊すのか意味不明である。

 せっかく丹精込めて作った作品を、こんなところでスクラップにされては、やる気も失せるというものだ。

 なぜ、「マスター」こと倉田太氏は、こんなヤバい機能を搭載させたのか。

 『狂四郎』を愛読していた、当時の子供たちはアレコレ頭をひねったわけだが、まず考えられるのが、

 「マスターのゆがんだ性的指向

 プラモが壊れれば、子供は悲しいものである。

 マンガに出てくるモデラーたちは、それでもガッツで立ち上がり、なんなら燃えないゴミ同然になったキットを1から修理して、再戦を挑んだりもするが、まあ現実は、なかなかそうもいくまい。

 まあ、ふつうは泣きます。ワンワン泣きます

 そら、必死でお小遣いをためて、あるいは親に泣きついて、なんとか買ってもらったプラモ。
 
 それも、当時のガンプラブームは一種異常で、「ガンダム」「Gアーマー」「60分の1ドム」のような人気キットなど手に入るはずもなく、買えても「ゾック」みたいな不人気作。

 または、

 「ザク強行偵察型

 みたいなマイナーメカと、抱き合わせで金を払わされたりする(当時のおもちゃ屋は全員強制労働キャンプ送りでいいと思う)。

 そこまでして手に入れた血のキットを、組み立てて、色塗って、パーティングラインも消して、なんなら細かい改造までして、シミュレーションでドッカンバラバラ

 ようそんな、ヒドイことするな! か、アンタらは!

 となれば、答えはひとつであり、倉田氏はそれを「楽しんでいる

 少年好きの氏は、子供が無残に愛機を破壊され、身も世もないと泣き崩れる姿に、性的な興奮を感じているのだ。

 たしかに、そう考えれば、無駄な作業を増やすことになる破壊用の「レーザー光線」や「マジックハンド」を付与する、高いモチベーションになるだろう。

 その視点で見れば、上図の、

 

 「土曜日の夕方、ここにおいでよ」

 

 というセリフも、なにか違ったニュアンスにも取れるではないか。

 プラモシミュレーション開発の裏には、こんなねらいがあった。

 「クラフトマン」店主の倉田太、要注意人物と言えよう。

 

 (続く

 

 

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これが「順位戦の手」 南芳一vs塚田泰明 1994年 第52期A級順位戦 二上達也vs米長邦雄 1987年 第45期A級順位戦

2022年03月28日 | 将棋・好手 妙手

 「順位戦の手」という言葉がある。

 将棋には各種タイトル戦から、最近ではネットのエキシビションまで様々だが、やはり棋士の「本場所」といえば「順位戦」をイメージされる方は多いだろう。

 今はそれほどでもないらしいが、昭和のころの順位戦は、その風通しの悪さと制度的ひずみから、様々な不公平や、ゆがんだ格差、既得権」を生み、

 

 「血で血を洗う」

 

 と表現されるような、陰惨な戦いが売りであった。

 私自身は、その魅力は認めながらも、硬直化したシステムに正直ウンザリもしているクチだが、ファンに根強い人気があるのも事実だろう。

 前回は「本家」阪田三吉が人生でたった一度(!)だけ披露したという「阪田流向かい飛車」を紹介したが(→こちら)、こないだ全日程が終了した順位戦のかかえる、の部分を見ていただこう。

 

 1994年の第52期A級順位戦。

 南芳一九段と、塚田泰明八段の一戦。

 この期の挑戦者争いは、前名人の中原誠前名人谷川浩司王将羽生善治四冠の3人でデッドヒートをくり広げていた。

 もちろん、そちらも大事だが、やはり目を引くのは降級争いの方で、ピンチに立たされたのは南。

 タイトル7期の実績を誇る南だが、この期は絶不調で、ここまでわずか2勝。

 最終戦を負ければ即落ちのみならず、勝っても田中寅彦八段有吉道夫九段に勝たれると、やはり陥落が決定するのだ。

 他力はしょうがないとして、まずは自分が勝つことだが、この将棋も南は不出来で、塚田相手にあっという間に不利におちいってしまう。

 

 

 

 △83桂が激痛打で、すでに不利を通り越して敗勢ですらある。

 次、△75桂と取った形が、また▲67金当たりで、自陣の金銀をはがされると△46角のラインも嫌らしく、受けてもドミノ倒しのように、次々受難が降りかかってくる。

 角を助けようがない先手は、▲51銀とでも打って玉砕戦法に出るしかなさそう。

 控室の検討でも、そう予想していたが、ここで南がありえない手を見せる。

 

 

 

 

 

 

 ▲76歩とつないだのが、まさに「順位戦の手

 角桂交換の大損を、甘んじて受けようと。

 しかも、△75桂▲同歩で、また相手の手番なのも、あまりにもつらすぎるところだ。

 不利なのはしょうがない。ほとんど負けなのも、この際認める。

 でも、自分からは絶対に折れない、暴発しない。1手でも長引かせる。

 それがいいか悪いかは別として、ともかくも、

 

 「地獄の時間を、1秒でもあとに遅らせる」

 

 という、理屈ではない、順位戦の呼吸のようなもの、としか言いようがない手だ。

 こんな、半沢さんですらドン引きするだろう、土下座中の大土下座だが、この場合はまさかだが、通ってしまった。

 をボロっと取れて、大優勢のはずの塚田だが、それゆえに手が見えなくなったか、わかりやすい勝ちを逃してしまう。

 それでもまだ、塚田の勝ちはゆるぎようもなかったが、寄せを間違えて、ついに大逆転

 まさかの結末で、田中寅彦八段が敗れたため、南は奇跡的に降級をまぬがれた。

 塚田が順当に勝っていれば、落ちなかった田中寅彦からすれば、めまいがするようなドラマだったろう。

  

 もうひとつは、1987年の第45期A級順位戦、最終局。

 米長邦雄十段と、二上達也九段の一戦。

 二上はここまで、まだ3勝で、勝てば文句なく残留が決まるが、敗れると2勝の加藤一二三九段の結果次第で落ちてしまう。

 一方の米長は、勝てば他の結果次第で、名人挑戦のプレーオフに進める可能性を残しており、こちらも負けるわけにはいかない。

 将棋の方は、相矢倉から、双方駒組の段階で、連続して何度も1時間近い長考を披露する、力のこもった戦いに。

 いや、もしかしたらどちらも、気合というよりは迷っていたり、フルエているだけかもしれず、そのあたりの気持ちの揺れも順位戦の醍醐味だ。

 

 「順位戦は、歩をひとつ下がるような呼吸が必要である」

 

 という言葉もある通り、まさにそんな戦いとなったが、終盤抜け出したのは米長だった。

 

 

 

 二上が△86飛と走ったところだが、ここではすでに先手が勝勢。 

 次の一手が、決め手級である。

 

 

 

 

 

 

 ▲97角が、▲88を守りながら飛車に当てる、ピッタリの手。

 しかもこれが、遠く後手の玉頭をにらんでいるレーザービームで、一石三鳥のすこぶるつきに気持ちのいい手なのだ。

 将棋はすでに、おしまいである。

 なら、ふつうはここで投げる。ましてや、「美学派」で、美しい形を追求する二上なら、まさに「投げごろ」のはずだ。

 だが二上は、ここで信じられないような1手を披露するのだ。

 

 

 △85歩と打ったのが、驚愕の1手。

 なんだこれはという手だが、ほとんどなんの意味もない。

 ただ、飛車にヒモをつけたというだけである。

 そりゃ、飛車を逃げられないし、逃げないなら投げるしかない。

 でも、負けるわけにはいかない。すでに1分将棋で、とにかくなにか指さなければならない。

 だから△85歩

 というのは、理屈はわかるが、それにしてもである。

 あまりにもヒドイ形。いわゆる「将棋にない手」というやつだ。まさにジリ貧。

 これを、棋聖4期王将1期の実績もある二上達也が指したというのが、信じられないではないか。

 少し指して、二上は投了。加藤が谷川浩司棋王に勝ったため、二上はB級1組に降級

 これは、棋力も年齢も実績もへったくれもない。

 ただ「負けたくない、落ちたくない」というむき出しの想いだけが噴出すると、レジェンドクラスでも、こういう手を指してしまうのだ。

 これこそが順位戦の手なのである。

 

 (森内俊之流「鋼鉄の銀冠」編に続く→こちら

 

 

 

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田宮模型のマスコット・キャラクター「プラモのモ子ちゃん」礼賛

2022年03月25日 | オタク・サブカル

 『HOW TO BUILD GUNDAM』を買う。

 

 『ホビージャパン』の編集部が出したムックで、なつかしのモデラー集団「ストリーム・ベース」のメンバーなどを中心とした、ガンダムのプラモデル作品集。

 ということで、前回まで(→こちら)は『プラモ狂四郎』をはじめとする、当時のプラモブームの思い出などを語ってみた。

 そこで、もうひとつそれ系のネタで思い出すのが、あるキャラクター。

 それは「プラモのモ子ちゃん」。
 
 というと、私と同世代かそれ以上の歳の男子は、「あー」と言ってくれるだろうが、モ子ちゃんとは藤田幸久さんが描くタミヤ(田宮模型)のマスコットキャラクター。
 
 子供のころ、クラスの多くの少年が『ドラえもん』目当てに『コロコロコミック』を購読する中、ひとり『コミックボンボン』を買っていた私が、『プラモ狂四郎』とともに楽しみにしていたのが、モ子ちゃんのページ。

 ウサギの「ラビくん」とコンビを組んで、主に戦車などスケールモデルや、それを題材にしたジオラマの解説などをしてくれるのだが、これがインパクト抜群。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さすがに当時の資料は残ってないけど、Brandon Grahamさんという方がアップされてました。

 そもそも子供というのは、NHK学習番組学研の「ひみつシリーズ」など講座モノの本や番組を好むものだが、これがさらに

 「プラモデルの作り方」

 とあっては、もうテンションも上がりまくり。

 しかも教えてくれるのは、かわいい女の子であって、小学生だった自分にとってはお姉さんだが、ともかくも、

 

 「若い娘さんが、プラモを教えてくれる」

 

 という夢のような妄想で、今ならYouTubeなどで、いくらでもあるだろうけど、いわばそのはしりだったのである(ホンマかいな)。

 内容もマニアックで、

 

 


 「車体前方にエンジンを配置することで防弾性を高め、他の戦車でも一部見られた二重装甲が、このメルカバでは車体前面にほどこされています」

 「ガスタービンは小型、軽量で部品が少なく、信頼性、整備性が高いものの、防塵装置、燃費という問題がありました」


 

 

 などなど、小学校低学年にはチンプンカンプンであり、まったくオタクというのは今も昔も

 「力の加減がわからない」

 という生き物であるなあ。ガチすぎるだろ。

 そういえば、『狂四郎』でも京田君のライバルだった丸山君が、砂漠の戦車戦(ティーガーvsマゼラアタック&クラブガンナー)で、

 


 「こいつをたおすのにアメリカ軍は五台の戦車を必要としたんだ」

 「戦車は上面装甲が弱いはず」


 

 といった、小学生とは思えぬ渋い知識を披露していた。早熟のエリート(なんのだ?)といえよう。

 

 

 

スケールモデラー、景山陽君の作ったタイガー1型。

その圧倒的パワーで数的不利をものともせす、主人公チームを撃破。

 

 

 モ子ちゃんで思い出すのは、高校生のころだったか、友人とオタク話で盛り上がっていたところ彼が、

 「そういや、米軍や自衛隊の中には、戦闘機の機体にモ子ちゃんのイラスト描いて飛んでるパイロットがおるらしいで」

 軍の兵器にモ子ちゃん!
 
 勇者というか、阿呆というか、オタクの本懐というか、とにかくすごい自信であり、痛車ならぬ「痛機」。

 ただ、これはちょっとおもしろすぎということで、

 「おまえ、話つくんなやー」

 「いやー、ネタとしていいセンスしてるけどさー」

 なんてツッコミを入れたものだが、これがどうも本当の話のようで、それが、たぶんこれ。

 

 

 

 たぶん、プラモデル好きだった少年が、その愛があふれて、本当にパイロットになってしまったのだろう、ガッツマンであるとしか言いようがない。

 

 (『プラモ狂四郎』クラフトマンの闇編に続く→こちら


 

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「阪田流向かい飛車」の名局 阪田三吉vs土居市太郎 1919年(大正8年) 木見金次郎七段 昇段祝賀会

2022年03月22日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 阪田三吉とか、関根金次郎って、すげー強かったんやなあ」


 なんてことを、今さら感じたりしている昨今今日此の頃。

 言うまでもなく、ここのところよく取り上げている、


 関根金次郎vs阪田三吉


 この二人の激戦だが(→こちらなど)、阪田の将棋と言えば、やはりこれを取り上げないといかんでしょう、ということで、まずはこの局面。

 

 


 そう、阪田流向かい飛車

 長らく、めったに指されることのない戦法だったが、近年では糸谷哲郎八段菅井竜也八段が、いろんなところで採用したことによって、すっかりメジャーに復帰した印象である。

 で、これからお見せするのは、だれあろう、まさに「阪田流」の本家、阪田三吉の「阪田流向かい飛車」。

 相手は、これまたAI推奨の「土居矢倉」で復権した土居市太郎八段で、舞台は1919年木見金次郎七段(関根金次郎の弟子であり、大山康晴や升田幸三の師匠)昇段祝賀会と言うのだから、大正8年

 ちなみに、阪田流を開発したのは三吉ではなく、そのルーツは江戸時代までさかのぼるそうで、阪田が指したのもわずか1度だけらしい。

 へー、知らんかったなー。

 将棋の方は、阪田が右玉風にかまえて、△54角と八方ニラミの自陣角を放つが、これがパッと見、どうにも様子がおかしい。

 


 図は土居が△55の位に、▲56歩と合わせて、△同歩▲同金とくり出したところ。

 この局面、先手のが手厚いのとくらべて、後手のが丸く、いかにも責められやすい形になっている。

 なので、手の流れは△64金として、▲55歩には△63角くらいかなというところだが、なんと阪田はここで、とんでもない手を指したのだ。

 

 

 


 △76歩▲86銀(!)、△同銀▲同歩△85歩

 なんと、角頭放置して、8筋から攻め立てたのだ。

 当然、土居の次の手は▲55歩

 これでなんと、角がお亡くなりになっている。

 どういうこと? 死んでるんスけど……。

 そんな声もかまわず、阪田は△81飛車を回り、8筋を制圧。

 


 この△54銀と上がった形は、金銀の連結もよく、厚みと駒の勢いも十分で、阪田の「どや」という顔が見えるような美しさだ。

 まさに、指がしなる銀上がりである。

 駒台さえ見なければ。

 そう、なにやら「これにて後手優勢」みたいな雰囲気を出しているけど、この局面、なんと後手が丸損

 なんぼなんでも、こらあきませんわ阪田センセ。

 なんて、話が終わりになりそうだが、あにはからんや。

 そこからしばらく進むと、ずいぶんと後手の攻めが深く入っている。

 

 


 いや、△56桂と急所に決められたところでは、すでに先手が相当に勝ちにくいのではないか。
 
 流れ的には、むしろ後手優勢と言っていいかもで、これには、こちらも自分の不明を恥じることとなる。

 なーるほどー、これが阪田三吉の将棋か。

 中盤で角損になり、まいったと見せかけて、実はそれが深い読みの入った局面。

 気がつけば後手必勝とは、なんという、すごい大局観なのか。

 あそこで角を取らせて、それで勝てるという判断が、すさまじいではないか。まさに棋神

 なんて、感動することしきりだったが、阪田の孫弟子にあたる内藤國雄九段によれば、どうもこれは阪田のウッカリではないかと。

 はえ? あ、そうなの?

 というのも、後手が△76歩と打ったところで、▲86銀と出たのが土居の冴え。

 

 

 

 これが、見事なスマッシュで、後手の角損が確定してしまったのだ。

 △76歩▲88銀と引くと、△64金、▲55歩、△63角というさっきの手順で後手も十分。

 それが阪田の読みだったのかもしれないが、土居が指した▲86銀△同銀▲同歩だと、△64金▲55銀で中央を制圧され、押しつぶされる。


 

 


 このあたりをとらえて、内藤は、



 「錯覚するところがあったのだろうと思います」



 
 昔の将棋は、資料が残ってないことが多く、実際のところはわからないそうだが、




 ▲8六銀の反発をくってからは後手どうしてもいけません。

 △7六歩と打たず△7四金と立てば角は助かっていました。本譜よりその方がやはり良かったでしょう。




 内藤もハッキリ「後手不利」と言っているのだから、やはりなにか誤算があったのは間違いないだろう。

 ただ、結果的には土居にミスが出て、阪田が勝ったわけで、これには、




 棋勢は、あるいは見かけほどには離れていなかったと見るべきかもしれません。




 ということなので、運が良かったのもあるが、その後の阪田のリカバリーは、決して悪くなかったということだろう(棋譜はこちら)。

 つまりは、阪田強いわけで、うーん、こりゃマジで『阪田三吉名局集』買うべきかなあ。

 で、さっそくアマゾンで検索と。

 古本が、送料込みで5300円

 あー、天から札束、降ってけーへんかなー。

 

 (修羅場で飛び出した「順位戦の手」編に続く→こちら

 

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「手に職」をつけたければプラモデルを作ろう!

2022年03月19日 | オタク・サブカル

 前回(→こちら)に続いて、『HOW TO BUILD GUNDAM』のお話。

 

 

 

 

 

 子供のころ『プラモ狂四郎』にあこがれ、

 

 「オレも、ポリパテやプラ板を使って、プラモデルをカッコよく改造する!」

 

 なんて、あこがれた我々世代の子供は、せっせと、そういう情報を集めることとなる。

 そういうとき、指南役を名乗り出てくれるのが、この『HOW TO』。

 ジャンク部品を使った工作や、塗装におけるウェザリング技術など、あれこれとプラモ制作や改造に役に立つ知識が満載なのだが、これが一言でいえば濃い

 論より証拠で、実際に見ていただければわかるが、こんなこまかい作業、子供だった私には無理です。

 

 

 

 

 

 

 というと、そりゃまあ『ホビージャパン』は専門誌なんだから、多少はむずかしいことも言うっしょ。

 という意見はあるかもしれないが、これが少年誌のハズな『コミックボンボン』のプラモ特集のページも、ほとんど同じようなことが書いてあったものだ。

 

 「キャノン砲は木材をけずり出して自作」

 「背中のランドセルはパテを土台にプラ板で作成」

 「ミディアとコアファイターはフルスクラッチで用意した」

 

 そんなん小学生には、できませーん!

 あまつさえ、

 

 「よくゲルググはキングタイガー云々だと言われるが、著者にはМe262に思えてならない。大別して戦闘型のゲルググとキャノン装備で構成するTeL52シュツルムフォーゲルと言った感じか」

 

 みたいな、マニアックすぎるこだわりを語ったりと、もうこっちはパーティングラインも消せない素人どころか、貧乏やから塗料を買うもないんや!

 素組だけしたプラモデルで、バーンとかドーン言うて遊んでただけの子供には、ハードル高すぎますわ。

 

 

 

 

 

バンダイの偉い人、川口名人による、やさしくも熱血な指導。

こんな緻密な作業、小学生に要求すなよ……。

 

 

 それに臆したわけではないが、もともとこまかい作業が苦手な私は、子供のころこそブームも相まって、ガンプラをちょこちょこ買ったりしたが、その後はまったく無縁となった。

 せいぜい、なにかでヒマなときに科学特捜隊ジェットビートルを作って塗ったくらいで、大人になってマスターグレードとか見て、おどろいたりしていたド素人のままである。

 それでひとつ残念だったのが、大人になって一時期、アルバイトで便利屋みたいなことをやっていたときのこと。

 ここでは、ちょいちょい家のベランダに、ペンキを塗るみたいな仕事があったのだが、そのついでに、おふろ掃除をしたり、水道のパッキンを代えたり、キッチンをみがいてピカピカにしているとき思ったものだ。

 

 「あー、建物って、巨大プラモみたいなもんなんやなあ」

 

 ヤスリかけたり、マスキングテープを貼ったり、ドライバーでネジをグルグルやったりしていると、

 

 「うーん、昔、もうちょっとマジメにプラモデル作って塗装したりしてたら、案外とこういう大工仕事に役立ったかもなあ」

 

 なんて考えたもので、ゲーム好きが高じてプログラマーになった友人も結構いるし、 

 

 「子供が勉強せず、プラモデルで遊んでばかりいる」

 

 と嘆いている親御さんも、もしかしたらそれが将来「手に職」に結びつくかもしれないので、温かく見守ってあげてほしいがどうか。

 

 (プラモのモ子ちゃん編に続く→こちら

 

 

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銀を泣かせるわけにはいかん 升田幸三vs木村義雄 昭和22年(1947年) 阪田三吉追善会

2022年03月16日 | 将棋・好手 妙手

 「あ、【銀が泣いている】って、阪田三吉のセリフやったんや」

 なんておどろいたのは、ずいぶん昔の話であった。

 先日、ここで十三世名人になる関根金次郎と、伝説の棋士阪田三吉の熱戦を紹介したが(→こちら)、それこそが

 

 「銀が泣いている」

 

 という有名なセリフで、おなじみな一局。

 なんて、今でこそしれっと語ってみたりしているが、実はこの言葉の出所を、別の将棋の別の人のものだと、勘違いしていたことがあった。

 それが、だれの将棋なのかと問うならば、これが升田幸三九段

 ヒゲの大先生と言えば、その強さや卓越した序盤感覚とともに語られるのは、当意即妙のワードセンス

 

 「初手▲76歩がアンタの敗着」

 「升田がニラめば、動けぬ銀も横に動く」

 

 などなど、ネタにしたくなるような升田語録には事欠かないが、そのせいでこの「銀が」も、すっかりそれだと思いこんでいたのだ。

 では、どの将棋を見て、升田の「銀が泣いている」と思いこんだのかと言えば、1947年木村義雄名人との一戦。

 

 角換わりの将棋から、この図。

 △34歩を追った手に、▲24歩は△35歩と取られ、▲23歩成△同金までが、棒銀ではおなじみの失敗図。

 じゃあ、一回▲26銀と引いて、▲15歩△同歩▲同銀をねらうのかな。

 でも、なんだか足が遅そうで、後手も△65歩とか仕掛ける手もあるから、間に合うかなあ。その前に、一回△81飛と形を整えておくかどうか……。
 
 くらいが私のような「並」の発想だが、升田幸三はここで魅せるのである。

 

 

 

 ▲24銀と出るのが、「おー」と歓声の上がる特攻。

 銀損になるが、△同歩、▲同歩で玉頭に拠点が残り、後手にプレッシャーをかけていると。

 とはいえ、これはさすがに取るしかなく、△同歩▲同歩、までは本譜も進む。

 そこで、△同銀▲同飛で、棒銀をさばかせておもしろくないから、木村は△81飛と引く。

 ▲71角の割打ちから、強引にを取って、▲23に打ちこむ筋を警戒してのことだが、そこで、升田はさらに▲43角(!)。

 

 すごい駒損になりそうだけど、大丈夫なんかいな。

 △同金▲23歩成で突破されるから、木村はここで△24銀と取り、▲同飛、△23歩。

 駒損確定の先手は引いたら終わりで、▲32角成、△同玉、▲34飛と、大暴れしていく。

 これらの手順については、升田曰く、


 「阪田さんの追善会で、銀を泣かせるわけにはいかん、と思うた」

 
 そう、この将棋は昭和22年(1947年)に、大阪は四天王寺本坊で開かれた

 「阪田三吉追善会

 ここで指された席上対局だったのだ。

 どうも子供のころの私は、この▲24銀のインパクトから、「銀が泣いている」を升田幸三の言葉だとすりこまれたようなのだ。

 いやいや、大阪人なのに、これはお恥ずかしい。

 で、この将棋なんですが、この局面自体は有名なのにもかかわらず、それ以上語られるところを、見たことがなかった。

 それが不思議だったので、今回はじめて全部並べてみると、納得というのが、最後が「木村勝ち」になっているから。

 やはり▲24銀からの攻めは無理筋だったようで、木村名人がしっかり受け止めてしまったのだ(全体の棋譜は→こちら)。

 なるほど、負けてしまっては、そのあとのことは取り上げられないかもしれないが、最後は木村の寄せがきれいだったので、それを見ていただきたい。

 

 図は△39飛の打ちこみに、▲79香と受けたところ。

 先手の囲いは、片矢倉とか天野矢倉とか、今なら「藤井矢倉」でいいと思うけど、この形を攻略するのに、すこぶる参考になる指し方だ。

 

 △86桂と打つのが、手筋中の手筋。

 ▲同歩は△同歩で、▲88歩と受けても、△87金で詰み。

 ▲86同歩、△同歩に、▲同銀でも△87角と打たれて、▲同玉なら△86飛から詰み。

 その他、詰まされないような手はあるが、どれも一手一手で簡単に必至がかかる。

 桂打ちに升田は▲88玉と逃げるが、△78金と打ちこんで、▲同金、△同桂成、▲同香。

 そこで△79角、▲98玉、△86桂まで先手投了。

 

 歩頭桂の連打が、目にあざやか。

 ▲同歩の一手に、△同歩まで受けなしで、木村名人の勝ち。

 

 (阪田三吉の阪田流向かい飛車編に続く→こちら

 

 

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ホビージャパンの『HOW TO BUILD GUNDAM』で、気分はプラモ狂四郎

2022年03月13日 | オタク・サブカル

 ホビージャパンMOOK『HOW TO BUILD GUNDAM』を買う。

 『ホビージャパン』の編集部が昔に出したムックで、なつかしのモデラー集団「ストリーム・ベース」のメンバーなどを中心とした、ガンダムのプラモデル作品集。

 私はプラモデルやフィギュアというものに、さほど興味のないタイプの男子だが、先日も言ったように(→こちら)、子供のころは『プラモ狂四郎』を目当てに『コミックボンボン』を買っていた世代なので、この時代のアニメモデルには多少の思い入れはある。

 1981年発売だから、えらい昔だ。たしか、友達が持ってたのを、読ましてもらったんだよなあ。

 そこで今回、電子書籍で見つけたのを機に読み直してみたのだが、これがなつかしさもあいまって、すこぶるおもしろかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 『狂四郎』ではプラモシミュレーションというマシンを使って、バーチャル世界でプラモ同士のバトルをやるわけで、よく言われるが、おそらくは『ガンダムビルドファイターズ』に多大な影響をあたえている。

 

 

 

 

 自分が作ったプラモを操縦できる!

 ちゃんと、パーティングライン(部品と部品の継ぎ目)まで再現されているのが、すばらしい。

 

 それを、一介のプラモ屋のオッチャンが作ったというのがスゴイが、そこで魅力的だったのが、これが単に「ガンダム」とか「ザブングル」ではなく、「そのプラモ」が戦うこと。

 なので、そのキットの特性が反映されるわけで、

 

 「リックドムは、首が後ろに回らない」
 
 「144分の1ゲルググは、腕が肩より上にあがらない」

 

 という弱点があるため、そこをねらわれたりする。

 

 

 

 

 リックドムの弱点を2つを突かれ敗れるの巻。あくまで「プラモ」が戦っているのだ。

 

 

 

 再戦時に首を回転できるよう改造してきた足立くん。さすが「プラモ帝国エンペラー」(ネーミングセンスもすばらしい)のメンバー。

 

 

 そのあたりの指摘がガチなのは、ときには、

 

 「リアルタイプガンダムの欠点」

 

 なんていう、今では考えられない商品への悪口があったり、そのあたりの「あくまでプラモ」というルール設定が絶妙だった。

 

 

 

 

 

 

 ならばとモデラーたちもそれをおぎなうために、改造に血道をあげたりして、

 

 「Gアーマーにまたがるため、ガンダムの股関節に、旧ザクリックドムの部品を使う」

 「グフのヒートロッドを、ハンダ線と糸ハンダで作って破壊力アップ」

 「モーターライズセメントコーティングで、3倍のパワーになったタイガー1型」

 

 

 

 

 

 

 

Gファイターにまたがるため、ガンダムの股関節が開くように改造。

こういう工夫が勝利につながり、そこがおもしろい。京田君の日本語が、ちょっと変なのはご愛敬。

 

 

 また『狂四郎』初期のはずせない名シーンが、

 

 

 

 

 

 

 こんなん見せられたら、

 「オレもプラ板パテ買ってきて、プラモをカッコよく改造する!」

 てな気分にも、なろうというものだ。 

 で、そういうときに色々と教えてくれるのが、『ボンボン』などでその種の解説をしてくれるストリーム・ベースの皆さんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今のメチャクチャ出来がいいガンプラにくらべると、「まあ、こんなもんか」という感じだが、私が子供のころなんかは、見てビビったもの。

 こっちは色塗るだけでも、めんどくさくて肩で息しとるのに、ヤスリでみがくわ、汚し入れるは、デカールは貼るわ、その他諸々の細かい作業とか、ようわるわ!

 その手間ひま考えたら、あの素朴なキットから、ようここまでやれるわと感心します。

 モデラーって、すげえよなとしみじみ思い、今でもプラモ作りがうまい人は尊敬してしまう。

 うーん、これが動いて戦ったら、どうなるんだろうとワクワク。

 嗚呼、早くプラモシミュレーションが、実現しないかなあ。

 もっとも、負けたらプラモがバキバキに壊される鬼仕様は、勘弁してほしいですが。

 子供が一所懸命、作ったのに……。

 

 (続く→こちら

 

 

 

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将棋 十三世名人の「舐めプ」? 関根金次郎vs阪田三吉 明治39年(1906年)

2022年03月10日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 「え? これって舐めプ?」

 なんて、目が点になったのは、ある棋譜を並べていたときのことであった。

 前回(→こちら)は、「棋譜データベース」で検索して、なんと阪田三吉を「角落ち」のハンディ付きで一蹴している関根金次郎の棋譜を紹介したが、実はもうひとつ、

 「ん?」

 となるものを見つけたのだ。 

 それが、4月12日の対戦。

 関根が角落ちで勝った約一月後で、「千日手事件」の10日前だが、手合いは平手

 「角落ち」で関根が勝っているのに、なんで平手なのかも謎だが、これがまた、おかしいのだ。

 まず、先手関根の初手

 


 ▲48銀

 なんですのん、それ。

 昔、若手時代の羽生善治九段が、谷川浩司九段郷田真隆九段相手に、後手番で▲76歩、△62銀というオープニングはあった。

 これは、先手にだけ飛車先の歩をを切られて損だが、その分、早くに銀をくり出して、中央の厚みで勝負しようという意図。

 

 

 

 これは、郷田の対策が見事で、羽生もうまくいかないことを認め、その後は指さなくなった。

 それが、まさかの復活をとげたのが、2018年の第76期名人戦第6局

 佐藤天彦名人相手にも披露して、こちらは昔と違い現代風なアレンジで、を足早にくり出して、主導権を握ろうというものだ。

 

 

 だから、関根もそんな感じでやるのかと思いきや、次には▲38金と上がり、以下▲27金▲26金とくり出す。

 

 なんだこれは?

 まあ、棒金ということなんだけど、玉は囲ってないし、そもそもこの金をどうやってさばいていくのか、全然見えない。

 これ、対戦者の名前を伏せて、ネット将棋とかで見たら、オリジナルの研究手を警戒するか、「舐めプ」(相手をなめてプレーすること)を疑うところ。

 いや、実際に羽生さんが、谷川さん相手に「2手目△62銀」を指したときにも、周囲はおもしろがって「舐めプか?」と話題にしたけど(もちろんそんなわけありません)、関根のこれは本当にそうじゃないの?

 そのことが、ハッキリしたように感じられるのが、△83銀▲69玉△84銀▲76歩△22銀の次の手。

 

 ▲33角不成

 完全に「これ、やってんな」でしょ。

 子供のころ遊びに行ってた道場に、こういうことするオジサンはいたけど、名人位を争うかという2人の対局で、これはないでしょ。

 それこそ、渡辺明名人永瀬拓矢王座が、藤井聡太五冠にこんな「角不成」やったら、間違いなく炎上

 なにがあったのかわからないし、関根に感情的なこじれがあったのか、それとも遊びだったから、両者笑ってたのかもしれないけど、絶対におかしいよ。

 そこからも、阪田は勢いにのって攻めまくり、関根は防戦一方。

 

 右辺に残された飛車、金、銀があまりにヒドイ形で、とてもやる気があるようには思えない。

 意味がわからず、コメント欄にヒントがあるかもと見てみても、

 

 「鋭い」

 「指し手が綺麗…」

 「素晴らしい」

 

 阪田の指し手を称賛するものはあれど(いやそこは実際すばらしいんですが、なんかメチャメチャに能天気な……)、関根の拙戦というか、ふざけたような序盤戦にはふれていないのだ。

 いやいや、見るとこ絶対そこじゃねーって!

 

 

 この将棋がおかしいのは、最後もそうで、これが投了2手前の図。

 ここから、▲76歩△同竜まで、阪田勝ち。

 

 ここで▲76歩ってなに? 

 なんの意味もないどころか、自ら1手詰に持っていくだけで、形づくりにもなってない。

 ただの「敗退行為」。

 序盤戦から、角の不成に、最後こんな手で終わらされたら、ガッカリですよ。

 いや本気で、

 「最後、王手放置で終わってたら、どうしよう」

 そこを心配したくらい。それくらい、なんか異常。

 てか、この▲76歩って、ほとんど王手放置みたいなもんじゃない?

 で、そのあとに「千日手事件」。

 こちらは方々で取り上げられるけど、この「無気力試合」はスルー。

 少なくとも、ネットの記事や私の手元の将棋の本では、正体はわからなかった。

 一体、これはなんなんでしょう(全体の棋譜は→こちら)。

 なにがあったのか。それとも、私がすごい思い違いとか、してるだけ?

 この棋譜の正体はなんなのか、なぜ関根はこんな、ふてくされた子供のような将棋を指したのか。

 妄想しかできないけど、角落ち戦終了後に阪田かあるいは後援者あたりが、

 

 「こんな角落ち下手なんかでは、阪田の力が発揮できないではないか」 

 

 みたいな物言いをつけて「じゃあ平手で」とはなったけど、関根からすれば

 

 「角落ちでボロ勝ちしてるのに、平手とか頭おかしいやろ」

 

 ということで、阿呆らしくなっていたのかもしれない。

 つまりはボイコットに近いのではと。

 この次の「千日手」事件が関根の香落ちだから、このあたりになんらかの話し合いというか、調整のようなものがあったのかもしれない。

 気になるので、明治大正の将棋界にくわしい方がおられましたら、情報求む。

 

 (阪田三吉に捧げた升田幸三の奇手編に続く→こちら
 

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「レッド・ボックス」の変なプラモデルを見たいから、ロシアとウクライナの戦争反対

2022年03月07日 | おもしろ映像

 ウクライナが大変なことになっている。

 今さら、ここで説明するまでもないだろう、プーチン政権下のロシアがウクライナに侵攻し、世界に激震が走っているのだ。

 これには多くの方々同様、自分もいてもたってもいられなくなり、すぐさま行動を起こすことにした。
 
 私もこう見えて、世界史の本は好きで、ヒマがあればいろいろと読んでいる。

 基本として、まず黒川祐次氏の『物語ウクライナの歴史』。

 また、プーチンの独裁に対抗する野党から大統領選挙候補にもなった、チェスのチャンピオンであるガルリ・カスパロフ氏の著作にも触れたことがあるため、多少はあのあたりの状勢についても語れるつもりだ。

 そこで今回は、いつもと趣向を変え、今世界でもっともホットな場所である、ウクライナを取り上げる。

 かの地の歴史、言語、文化などを詳細に語るということで、まずはゆかいなプラモデルの話でもしたい。

 というと、おいおいちょっと待て、なんでここでプラモデルなのかと思われる方もおられるかもしれないが、これはニュースを見たとき、たまたま電話をしていた友人オオヒラキ君に、

 

 「うわー、なんかロシアがまた、えらいことはじめよったで。ウクライナに武力侵攻やって」

 

 おどろいて、そう言ってみたところ、

 

 「ウクライナ? あー、あの変なプラモ作ってる国のことね」

 

 との回答が返ってきたので、これは、さけては通れない問題であると判断してのことである。

 世にプラモデルというのはたくさんあって、ガンダムやら、戦車や爆撃機と言ったミリタリー

 といったところが主になるわけだが、まれにというか、探せばわりと多くの「変なプラモ」というが存在する。

 メジャーなところでは、「姫路城」とかはまだしも、「屋台のラーメン」「民家」「折詰の寿司」といった渋すぎるキットには、

 「こんなんだれが作るねん!」

 子供心にも不思議だった。

 

 

 

 

 

 

 私は幼稚園か小1くらいに『プラモ狂四郎』の洗礼を受けたクチだが、それの後追いマンガ『3D甲子園 プラコン大作』では、まさに「ラーメン屋台」のキットを使って、「ジオラマ勝負」をやっていた。
 
 今でいう、テレビ東京の『TVチャンピオン』みたいなもので、そのとき、大作率いる主人公チームは、

 

 「屋台からラーメンスープのにおいが流れてくる」

 

 というギミックで勝利していたが(正確にはもうひとつの仕掛けがとどめになった)、部屋にそんなものを飾って、うれしいかどうかは微妙であった。

 この手の話題で頻出するのが、「鹿のフン」。

 

 

 

 

 

 尻尾を引くと、ご丁寧にフンがコロリと落ちてくる仕様で、私はSF作家の山本弘さんの本で知った。

 どういうニーズがあるのか知らんが、やはり大ちゃんなら「においつき」ジオラマで勝負してくるのだろうか。 

 だが、そんなゆかいなラインアップに負けない、ナイスなプラモがウクライナにこそあった。

 これはズバリ、実際に見ていただいた方がいいだろう。こんな感じ。

 

 

 

 

 

 

 百姓一揆

 

 

 一向一揆

 

 

 足軽

 

 なぜ、これを発売しようと思った。

 どうやら、この「レッド・ボックス」というメーカーは、

 

 「ブルゴーニュ歩兵」

 「ロシア水兵 義和団の乱」

 

 などなど、歴史に強いらしいのだが、それならもっとストレートに、「五条大橋」「桶狭間」「関ケ原」とかではいけないのか。

 なにか全体的に、チョイスがおかしいわけだが、まあそこはウクライナ職人こだわりかもしれない。

 私も以前、「食玩ブーム」のおり友人と、

 

 日本の歴史上の人物がガチャに入ったら、だれがほしい?」

 

 という話題で盛り上がり、みなが「坂本龍馬」だ「織田信長」だと盛り上がっているところ、

 

 「源実朝」

 「杉田玄白」

 「イザベラ・バード」

 

 このあたりが欲しいといって(自分が文化系だから)、大いにつっこまれたものであった。

 私はウクライナのプラモ職人に、なるべきだったのかもしれない。

 そんなステキな「変なプラモ」文化であるが、争いが続けば、こういった楽しいキットも日本では見られなくなるだろうわけで、それは残念ではないかと戦争反対

 

 (『ハウ・トゥー・ビルド・ガンダム』編に続く→こちら

 

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「角落ち」での敗北 関根金次郎vs阪田三吉 明治39年(1906年)

2022年03月04日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 「え? 角落ちやのに、コレ?」


 なんて、目が点になったのは、ある棋譜を並べていたときのことであった。

 このところ、古い将棋というか、中原米長、升田大山や木村義雄を超えて、


 阪田三吉vs関根金次郎


 という、あの有名な「が泣いている」(→こちら)や、それに阪田勝利後の「平手戦」(→こちら)など、いにしえのバトルを紹介しているが、その中で、な棋譜を見つけてしまったのだ。

 そもそも、阪田や関根のころの将棋界というのは、資料もあまり残ってなくて、そのせいか書き手も「想像」にまかせることも多く、その実態はよくわからなかったりする。

 まあ、それはしょうがないんだけど、多少はこうして調べてみると、好奇心は刺激されるもの。

 今回、気になったのが、いつもお世話になっている「棋譜データベース」でのことだ。

 「阪田三吉 関根金次郎」で検索すると、11個の棋譜が出てくる。

 なぜか「銀が泣いている」の一局が入ってないんだけど、それ以外には「角落ち」の棋譜があったりして、なかなか興味深いが、ひとつ腑に落ちないのがこれ。

 明治39年(1906年)4月12日に行われたという関根-阪田戦(棋譜は→こちら)。

 とここで、年号を見てピンと来られた方は、なかなかの玄人ファンであろう。

 そう、この年は関根と阪田が戦って、「千日手」にまつわる因縁があったころなのだ。

 明治39年4月22日。

 大阪は阿弥陀池で行われた関根-阪田戦(関根が香落ち上手)で、終盤に事件が起こった。

 阪田の攻めを関根が受けているときに、手順がループする「千日手」状態に突入。

 

 

 

 関根の△73金に、阪田は▲72金と取って、△同金、▲61銀、△71銀、▲72銀成、△同銀、▲62金、△73金で無限ループ。

 関根の指摘で、阪田は▲72銀成、△同銀の局面で▲58金右とするが、△49飛成、▲62成銀、△33角、以下関根の勝ち。

 

 

 

 今なら、ドローで先後入れ替えて(香落ちだとどうなるのかな)指し直しだが、当時は仕掛けた側が手を変えないと負けというルールだった。

 そのことを指摘された阪田は動揺し、指し手が乱れて敗れた。

 我流で強くなった阪田は、そのあたりのことに無頓着で、

 

 「格上の関根が手を変えるべき」

 

 と思いこんでいたそうなのだ。

 一方、関根の方は、阪田の思い違いをついての心理戦で優位に立つなど、勝負師の一面も見せた形。



 「そんなんで勝って、なんの価値があるんや!」



 阪田は憤慨したが、このあたりは関根が一枚上だったともいえる。

 この将棋自体、千日手にまつわる、こぼれ話としてなんとなく知っており、また鈴木宏彦さんの「イメージと読みの将棋観」でも紹介されてい。

 それを見て、「あーこれかー」と勉強になったわけだが、ここで「ん?」となるわけだ。

 この「千日手」をめぐる一局はわかったし、阪田をあつかうや、雑誌記事などでも取り上げられている(ただし、これもまた棋譜データベースにはない。香落ち戦だから?)。

 だが、棋譜データベースに載っている、その10日前、さらには1か月ほどの将棋については、よくわからないのだ。

 まず、明治39年の3月18日に行われたとされる、関根-阪田戦。

 場所は大阪の「藤の茶屋」というところだそうだが、これがなんと「角落ち」の対戦。

 しかも、並べてみておどろいたのが、途中、明らかに下手の阪田がやりそこなっているところ。

 

 

 

 ▲89にへこまされ、飛車僻地に追いやられただけでなく、桂損も確定。

 なんかこれ、上手が指せるんでねーの?

 並べていて、すごい違和感があった。だって、角落ちッスよ、角落ち

 なんで、阪田三吉ともあろうお人が、こんな苦戦してるの?

 将棋の方はここから、△77歩成と取って、▲同金に、△22金と端を守る。

 阪田は▲13歩と、それでも端に手をつけ、△同香に▲36飛と必死の手作りだが、△24歩、▲34飛、△23金と軽く受け止められ、突破口が開けない。

 

 

 

 このあたり、いかにも上手に「いなされている」という感じで、「下手」経験者にはリアルに感じられる手順だ。

 こうやって、パンチがを切らされて、負かされちゃうんだよなあ。

 やむを得ず、▲24飛、△同金、▲同角と、飛車を捨てて強引に飛びかかるが、△21桂と受けられて、やはり足は止まっている。

 以下、阪田も必死に喰いつくが、関根はしばらく面倒を見てから、端からラッシュをかけ押し切った。

 

 

 

      投了図は△55金まで。

 

 

 下手側から「投了」の文字を見て、これにはビックリしたものだ。


 「え? 阪田はん、落とされて、負けてるの?」


 こないだの「銀が泣いている」のところで、なんで平手じゃなく「香落ち」なんだろと書いたけど、なるほど、そういうことか。

 そら、関根からしたら、


 角落ちで勝った相手に、なんで平手でやらなあかんのよ」


 物言いがついても、それは決して、ただのヤカラでもなかったわけだ。

 ちなみに、阪田は明治41年(1908年)とされる「銀が泣いている」の5年前の対戦でも、関根に角落ちで敗れている。

 

 

  

 明治41年、「角落ち」戦の投了図。  

 

 

 言うまでもないことだが、阪田が弱かったわけではない。

 いやむしろ、まだ30代で、指し盛りともいえるころだったはず。

 それでも角落ちで、このありさま。

 今で言えば、藤井聡太五冠がデビューからしばらく、豊島将之九段になかなか勝てなかったけど、それでも、さすがにそのころでも「角落ち」で入らないとは考えにくい。

 現代なら、間違いなくAクラスにいるであろう阪田三吉を、片手剣で倒してしまうのだから、いかに関根が強かったか、ということだろうか。

 「十三世名人」。納得ですわ。

  


 (関根十三世名人の「舐めプ」編に続く→こちら

 

 

 

 

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タイの首都バンコクの正式名称「クルンテープ」の下の句が、とにかく長すぎる件

2022年03月01日 | 海外旅行

 フアランポーン駅が、移転することになったらしい。

 ということで、前回(→こちら)はタイ旅行の際、バンコクで「フアランポーン駅」がトゥクトゥク乗りに通じず難儀した話をした。

 「フアランポーン駅」の正式名称は「クルンテープ駅」だから、現地の人にはそっちで、なじんでいたせいかもしれない。

 それで、一応は納得したわけだが(でも、よくはわからない。タイの人からの情報求む)、ここに改めて考えてみると、仮にそこで「クルンテープ駅」と言っても、果たして通用したのであろうか。

 というのも、「クルンテープ」はタイの首都の名前(「バンコク」は外国人がつけた名前で「エベレスト」みたいなもん?)で、最近タイでは「通称」のバンコクでなく、こっちを外国人向けでも正式名称にするとかニュースになってたけど、これはまだ略称

 フルバージョンだと、


 クルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット


 長いな、おい!

 意味としては、ウィキペディアによると、


 イン神(インドラ、帝釈天)がウィッサヌカム神(ヴィシュヴァカルマン神)に命じてお作りになった、神が権化としてお住みになる、多くの大宮殿を持ち、九宝のように楽しい王の都、最高・偉大な地、イン神の戦争のない平和な、イン神の不滅の宝石のような、天使の大都。


 だから、長いっつーの!

 とはいえ、なんぼわかりにくくても、それが正解なんだからしょうがない。

 なので、私としてもあのとき、

 

 「へい、にいちゃん、どこ行きます?」

 「うん、用事があるから、クルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット駅までやっとくれ」

 「あいよ、クルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット駅ッスね」

 「そうそう。急いで頼むわ」

 「でも、クルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・(中略)サッカタッティヤウィサヌカムプラシット駅までは、混んでるやもしれまへんで」

 「うーん、できれば昼前には、クルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン(略)アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット駅に着きたいんやけど……」

 「ちょっと大変ですなあ。でもクルンテープ(略)アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット駅はよく知ってるから、やってみましょ」

 「頼むわね、クルンテープ・マハーナコーン(略)プラシット駅まで急いでくれたら、チップはずむから」

 「そりゃ、うれしいですわ。そいじゃ飛ばしまっせ。ほい、着いた」

 「早かったがな。ここがクルンテープ(略)プラシット駅か。……あれ? 駅がなんかの施設になってるで?」

 「お客さん、名前が長すぎるから、読んでるうちにとっくに、バーンシーに移転しちまったみたいだよ!」

 

 ……とか、落語の『寿限無』みたいなことに、なった可能性もある。

 なんでも、さすがのタイ人も「長いやろ」と感じるらしく、「クルンテープ」とふだんは呼んでるとか。

 ただ、略称と言うのは「サンフランシスコ」を「フリスコ」とか、ベルリンの目抜き通り「クアヒュルステンダム」を「クーダム」とか言うのは、一部地元の人とか、すごく嫌がったりするからなあ。

 「スリジャヤワルダナプラコッテ」が「コッテ」とかは、地元でどう思われてるんだろう。

 もしかしたら、タイでも生粋のバンコクっ子は、

 

 「おう、アッシは生まれたときからこの、クルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシットに住んでるんでい! 【クルンテープ】なんてダサい呼び方、してほしくないね!」

 

 なんて、粋がってるのかもしれない。んなわけないか。

 

 

 

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