鷲は舞い降りた 羽生善治vs米長邦雄 1993年 第43期王将戦 その2

2023年01月30日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 1993年王将リーグ

 羽生善治五冠(竜王・棋聖・棋王・王位・王座)と米長邦雄名人の一戦は、相矢倉から羽生が入玉を目指すのを、米長が角金銀損を甘受して押し返して大熱戦に。

 

 

 

 図は米長が△46飛としたところだが、これで一見、先手に受けがないように見える。

 △76飛を防いで▲77歩と打っても、△83銀と取って、これが△84桂からの詰めろで、ほとんど必至

 進退窮まったようだが、ここから羽生が次々と手を繰り出すのにご注目を。

 

 

 

 

 

 ▲66歩と打つのが軽妙な手。

 △同飛は「大駒は近づけて受けよ」の格言通り、▲77銀と先手で受けられる。

 ▲77銀に△67飛成など逃げれば、4筋に飛車の利きがなくなるので、▲41銀などの筋で攻守所を変える。

 後手は単に△83銀と成桂を取るが、▲73とと捨てて、△同金に▲65角と打つのが、また雰囲気の出た手。

 

 

 ▲76ヒモをつけながら、どこかで▲32角成の強襲もねらった攻防だが、時間もないのに、よくひねり出せるものである。

 米長は△84桂と打ち、▲同桂△同銀とせまる。

 

 

 

 先手玉は金縛りだが、後手はしかないため王手がかからない。

 一瞬のチャンスに、羽生は▲34桂と反撃。は渡しても自陣に響かない形だから、そこが頼みの綱である。

 △同銀▲同歩△84桂の効果で△66飛と王手されるも、そこで▲76角打(!)。

 

 

 嗚呼、かなしいかな。先手玉は一歩も動けず、飛車金銀香のどれかがあれば1手詰みなのに、頭の丸いだけではせまるのがむずかしい。

 こうなると大ピンチに見えて、反面読みやすい局面ともいえる。

 一手スキの連続でせまるか、そうでなくとも、角桂歩以外の駒を渡さず事を進めればいいのだ。

 それも容易というわけではないが、その勝利条件を羽生は見事にクリアしてしまう。

 後手は▲32角成を防いで△54歩と打つが、▲44銀△36飛▲41銀とラッシュ。

 

 

 

 

 以下、△34飛▲33香と打ちこんで、△44飛▲32香成△12玉▲22金△13玉▲23金△同玉

 

 

 この熱戦も、ついに結末が見えてきたようだ。

 ここからの3手で先手が勝ちになる。

 実戦で現れるには、あまりにもカッコイイ筋なので、みなさまも考えてみてください。

 

 

 

 

 

 ▲67角と引くのが妙手

 △同とと取らせて△56への利きを消してから、そこで▲56角と引くのが、すばらしい組み立て。

 

 

 2枚がヒラリと舞い降り、これが△34から△45の逃走ルートを封鎖して、先手勝ち。

 △24玉▲23飛

 ▲56角△45歩合駒しても、▲22飛と打って詰み。

 まるで江戸時代の古典詰将棋のような形で、泥仕合から最終盤は華麗な手で収束と、将棋のおもしろさのエッセンスが詰まったような一局でした。拍手、拍手。

 

 (続く

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空間X脱出 羽生善治vs米長邦雄 1993年 第43期王将戦

2023年01月29日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 1994年の第52期A級順位戦プレーオフ谷川浩司王将を破って、初の名人挑戦権を獲得した羽生善治四冠(棋聖・王位・王座・棋王)。

 迎え撃つのは、昨年度に7度目の挑戦で、ようやっと悲願の名人位に着いた米長邦雄名人

 現役レジェンドと次期王者確定の若手となれば、まさに「新旧交代」の決戦であり、前期の名人就位式で米長が、

 

 「すぐに、【あの男】がやってくる」

 

 とスピーチした予言通りとなったこともあって、その注目度も高かった。

 戦前の予想は、当然と言っては米長に申し訳ないが、「羽生有利」となる。

 なんといっても、このころの羽生は前人未到の「七冠王」を目指して走っており、その勢いはとどまることを知らない。

 一方の米長は名人にこそなったものの、年齢はすでに50歳で、さすがに全盛期の力はない。

 いわば、今行われている藤井聡太五冠羽生善治九段王将戦のようなもので、「の方が勝つ」という世論の流れになっていたわけだ。

 ただ、当時の感覚では、羽生が勝つとは思ってはいても、それは決して確定的というほどでもなかった。

 まず、ネットAIの有無や、棋士のの厚さも関係しているのか、昔は加藤一二三九段有吉道夫九段などが50代A級をキープするなど、今よりもベテラン棋士の「現役感」が長かったこと。

 それともうひとつ、昭和を主戦場にしていた棋士にとって「名人」というのは、今とはくらべものにならないほど、特別なうえにも特別な存在だったから。

 そのモチベーション、いやそんなスマートな言葉よりも「執着」「怨念」とでもいうべきものを背負って戦うのが、名人戦という舞台なのだ。

 かつて、大山康晴十五世名人と「新旧対決」を戦った中原誠十六世名人は、他のタイトル戦では押していたのに、こと名人戦に関しては、

 

 「名人戦における大山先生の強さは別格だった」

 

 その「特別感」に大苦戦を強いられたのだ。

 もちろん、羽生にとっても名人は重要なタイトルだが、おそらく米長の持つドロドロした「因縁」を超えるほどではないのであるまいか。

 そのメンタル面を考慮に入れると、案外互角くらいなのではという気もするし、なにより力こそ落ちたとはいえ、「米長道場」で若手相手に最新の序盤戦術を吸収した「ニュータイプ」の米長邦雄は、その棋力の面でも、まだまだやれると評判でもあった。

 そこで今回は名人戦を前に、当時の両者に果たしてがあったのか、その「前哨戦」を見ていただきたい。

 

 1993年王将リーグ。羽生善治五冠(竜王・棋聖・棋王・王位・王座)と米長邦雄名人の一戦。

 この将棋は2人が、名人戦を戦う約4か月前に行われたもの。

 羽生はこの時点で、A級順位戦5連勝と快走しており、当然ながら名人挑戦の最有力であった(ちなみにこの数日後に竜王佐藤康光に奪われて四冠に後退する)。

 王将リーグもそれ自体大きな戦いだが、米長からすれば「本番」に向けて、ここでいっちょタタいておきたいという意識も強かったろう。

 実際、この一局は双方力を尽くした大熱戦になり、相矢倉から、双方が早々に上部開拓を目指す展開で、そのまま入玉模様に。

 

 

 

 図は入玉を果たした羽生が、▲83銀▲74ヒモをつけながら、上部を補強したところ。

 これで先手玉は安全になり、逃げきったように見えるが、ここからの攻防がすごい。

 

 

 

 

 △94銀と引っかけるのが、ちょっと思いつかない手。

 ▲同銀成と取って△同歩に再度の▲83銀は、空いたスペースに△93銀と打って先手玉にせまろうということか。

 この異筋の銀に、羽生も負けじと異筋の手で返していく。

 

 

 

 


 ▲95桂とつなぐのが、またもやおどろきの手。

 ムリヤリに銀にヒモをつけたわけだが、入玉形らしいルール無用の寝技である。

 この手順を見ただけで、この将棋の異様な熱気が伝わってくる。

 △95同銀は駒がソッポに行くから、先手玉が安全になり逃げ切りだが、ここから米長がまたも剛腕を発揮する。

 

 

 

 

 △83銀▲同桂成△74角成が鮮烈な勝負手。

 ▲82玉△92金みたいな手で危なすぎるから、本譜は▲同玉だが△63金打と強引にチャージをかける。

 

 

 

 

 ▲同歩成△同金角金損の攻めだが、

 「終盤は駒の損得よりスピード

 というように、入玉形の場合も損得より、とにかく入られないことが大事なのだ。

 ▲84玉にさらに△95銀と銀まで捨て、▲同玉△74金とせまる。

 

 

 

 なんとこれで、先手の入玉を阻止してしまった。

 後手の攻めも薄いが、先手玉は押し戻されたうえに、せまいに追いこまれて生きた心地がしない。

 △94歩からの詰みを防いで▲91と取るが、そこで△94銀と上部を押さえて、▲96玉△46飛と遊んでいた大駒を華麗に活用。

 

 

 

 次に△76飛と取られてはおしまいだが、▲77歩みたいな並みの受けでは△83銀と取った形が、△84桂からの詰めろで受けがない。

 絶対絶命にしか見えないが、今度はここから羽生が次々とワザを披露して、盤上を盛り上げてくれるのだ。

 

 (続く

 

 

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インドア派のゲーム好きには、あえて海外旅行がオススメで、あと石坂浩二

2023年01月26日 | 海外旅行

 こないだに続いて、NHK特集『シルクロード』のお話。

 ファンであるグレゴリ青山さんをはじめ、多くのバックパッカーが影響を語る『シルクロード』をはじめて観た感想は、

 

 「やっぱりゲームが好きな人は、海外旅行と相性がいいのでは」

 

 これは昔から思っていたことだが、海外を旅行すると「ゲームの世界やん!」と感じることが多い。

 チェコにあるプラハ城など、まんま『ドラクエ』的ファンタジーの世界。

 エジプトルクソールにある神殿の数々やカンボジアアンコールワットも、わかりやすくそう。

 ヨーロッパ各所にあるローマの遺跡など、まさにダンジョンや古代帝国の秘宝の数々だというか、そもそもRPGに頻出する、

 

 「失われた古代の魔法王国」

 

 みたいなものの元ネタが、まさしく「ローマ帝国」(だからその末裔とか生き残りとか亡霊とかが主人公たちを「野蛮人」とか言いがち)なのだから、「まんま」その世界なのである。

 いやあもう、歩きながらずっと「アレフガルドのテーマ」とか『ワイルドアームズ』の「ダンジョン」を鼻歌で歌いたい気分だ。

 『ティアリングサーガ』の「ラゼリアの騎士」とか(例が古いのは、今ではゲームほとんどしなくなったから)。

 この気分を「シルクロード」では存分に味わえる。

 があって、人から情報を集めて、教会神殿遺跡を巡って、最後は宿で回復。

 モンスター(スリとかボッタクリ商人)を蹴散らして、貴重なアイテム(おみやげ)をゲット。

 「ルイーダの酒場」でNPCが仲間になったり(ドミトリーで会う旅行者とか日本人と宿をシェア)、美術館や博物館は「おたから」の文字通り宝庫だし、経験値(人生の)ももらえるし。

 なんて、楽しいんや!

 実際『デトロイト ビカム ヒューマン』とか、ライムスター宇多丸さんも大好き『グランドセフトオート』など、完全に「観光気分」を味わえる作りになっている。

 ああいうのは、ミッションもさることながら

 

 「ここでないどこかを自由に歩き回る」

 

 という楽しさがあるわけで、だとしたらゲームもいいけど、リアルで味わってみるのも悪くないのではないか。

 そういえば昔、

 

 「家庭用ゲーム機初の【フリーシナリオ】システム」

 

 というのを売りにしていた『ロマンシングサガ』をプレーしていたとき、せっかくフリーなのだからと、初見プレーでは本当にミッションなど無視してテキトーに「観光」してみた。

 そしたら、ストーリーが全然進んでないのに「ラスボス」が出現してコケそう。

 なんでも、一定時間を経過すると、ストーリーの進み具合関係なくそうなるらしいのだが、気がついたら急に世界が終りかけてビックリ。

 なにもしてないのに(してないから?)取り返しのつかない感じが、なにやら自分の人生を見ているようで、ちょっと笑ってしまったのであった。

 なんてことを思い出しつつも、ゲームと旅行は意外とリンクしているのではという話。

 ふつうは「ゲームやって興味を持って現地に行く」なんだろうけど、旅行者の場合、

 

 旅行好きが高じて、家でもそういうゲームをやりたくなる」

 

 という、漫画家のさいとう克弥さんみたいなケースもあるのではないか。

 リアルとバーチャルの「幸福な関係性」といってもいいかもしれない。

 ゲーム好きなインドア派で、「でも、たまには外に出ないと」と気になってる方は、いっそ思い切って海外で「ゲーム気分」になることをオススメします。

 あと、個人的なツボだったのが、『シルクロード』のナレーションが石坂浩二さんなこと。

 こんなもん、特撮好きからしたら『ウルトラQ』とか『ウルトラマン』しか思い浮かばんわけで、

 

 「この長安の都の特徴は……」

 

 なんて、あの抑制のきいた声で語られると、

 


 「新疆ウイグルを超えると、砂漠の街バラージへの道が長くつながっている」

 「都は人口100万人を超える大都市に発展したが、534年にササメダケの花が咲き、パゴスによって滅ぼされた」
 
 「タクラマカンの砂漠に出現し、科学特捜隊特殊冷凍弾で倒された怪獣モルゴの化石が、アスターナ古墓群から発見されたのだ」


 

 なんて勝手な妄想ナレーションが頭の中で流れだし、それもまた楽しいのである。
 

 

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天空を駆ける騎士 羽生善治vs谷川浩司 1994年 第52期A級順位戦プレーオフ

2023年01月23日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 1994年の第52期A級順位戦は、羽生善治四冠谷川浩司王将とのプレーオフに突入。

 最終戦で、勝てば即挑戦の羽生を押しとどめ、プレーオフに持ちこんだ谷川は見事だったが、ではこの決戦でどちらが有利なのかと問うならば、それはやはり羽生なのであった。

 というのも、このころの谷川は羽生に強い苦手意識を抱いていた。

 羽生はこの名人戦をステップに「七冠王」ロードを走ることになるのだが、それを1度阻止することとなる第44期王将戦まで、なんとタイトル戦でシリーズ7連敗を喫することとなる。

 その内訳と言うのが、まず両者のタイトル戦顔合わせとなった1990年の第3期竜王戦こそ、谷川が羽生を4勝1敗で一蹴し「羽生時代」に待ったをかけたが、そこからが大変なことに。

 

 ★1992年

 第5期竜王戦  3勝4敗

 第18期棋王戦 2勝3敗

 

 ★1993年

 第62期棋聖戦 1勝3敗

 第41期王座戦 1勝3敗

 第63期棋聖戦 2勝3敗

 

 ★1994年

 名人挑戦プレーオフ(←今ココ)

 第64期棋聖戦 1勝3敗

 第42期王座戦 0勝3敗

 第44期王将戦 4勝3敗(七冠王を阻止)

 

 これがキツいのは、このころは谷川もまた、キャリア最盛期と言えるほどの強さを誇っていたこと。

 タイトル戦で7連敗するということは、その間ことごとくタイトル戦に出ていた証でもあるわけで、森下卓佐藤康光森内俊之郷田真隆といった面々には本戦トーナメントなどで貫録を見せながら、最後の一人にはばまれてしまうだけで、こんなことになってしまう。

 今の将棋界でも渡辺明名人棋王永瀬拓矢王座豊島将之九段らが、藤井聡太五冠に大きいところでヒドイ目にあわされているが、谷川の場合はなまじ他で無双していた時期だけに、その被害を一人でかぶる羽目に。

 アスリートの世界で「この人さえいなければ……」という悲劇はよくあるが、ほんの数年前「四冠王」だった谷川こそ先崎学九段をはじめとする同業者から、

 

 「他の棋士と(強さが)大駒一枚ちがう」

 

 つまりは、当時の谷川と互角に戦うには、飛車を落としてもらわないといけないくらい……というのはさすがにモノのたとえだが、それくらい絶賛されるほどの仕上がりっぷりだった。

 羽生がいなければ、いやせめて「覚醒」がもう数年遅ければ、まさにこちらこそが先に「七冠王」になってもおかしくないはずだったのだ。

 このあたりの心境を、谷川はのちのインタビューなどで素直に語っており、たとえば7連敗後の1994年後期、第65期棋聖戦挑戦者決定戦に進出するも、そこで島朗八段に敗れる。

 おしいところでリベンジのチャンスを逃したが、この結果を受けた記者が、

 

 「今回のところは、負けて正直ホッとしてるんじゃないですか?」

 

 そんな意地悪な質問をすると、谷川はムッとして「そんなことないですよ」と答えたが、後年、宝島社の本でインタビューを受けて、

 

 「ああはいったものの、今思うと本当はどうだったかなと……(苦笑)」

 

 また、羽生はこの後、名人位を獲得するのだが、谷川と羽生の名人になる経緯は、おどろくほど似たルートをたどっていることで有名だ。

 

 両者ともプレーオフ名人経験者を破る(谷川は中原誠、羽生は谷川)。

 対戦相手は前年度「悲願の」名人に1期だけ就いた大豪(谷川は加藤一二三、羽生は米長邦雄)。

 スコアはともに3連勝2連敗からひとつ勝って奪取

 

 もちろん、できすぎた偶然であるが、それ片づけるにはあまりにも運命的な符合にも見えた。

 これを受けて谷川は、もともと将棋の神が自分に棋界を引っ張るよう託したが、それがうまくいかなかったので、

 

 「同じシナリオを使って、羽生善治でやり直そうとしたのではないか」

 

 という妄想にさいなまれることになったという。

 中学生棋士からスタートし「21歳名人」になってこのかた、谷川は自分が将棋界に王として君臨することを、露とも疑ったことなどないはずだ。

 そんな「神の子」が、自分はもしかしたら「神の失敗作」ではないかと苦悩する。

 今でいえば、藤井聡太五冠が8歳年下の新星からすべてのタイトルを奪われ、

 

 「なーんだ、【藤井時代】が来ると思ってたけど、そうじゃなかったんだ」

 

 なんてことになるなど想像すらできないが、そのまさかがこのときの谷川には起こってしまった。

 のちに谷川は羽生から「竜王名人」を奪い返す逆襲を見せるが、今から思うと、よくこのとき壊れなかったなと思うほどだ。

 その気持ちの差が、この将棋でもハッキリと表われてしまう。

 今度こそ勝ったほうが挑戦という決戦は角換わりになり、後手の羽生が棒銀を指向すると谷川は右玉でかわしにかかる。

 羽生が3筋から桂頭をつっかけ、そこからむずかしい押し引きがあって、この局面。

 

 

 

 まだ中盤戦だが、早くもここで谷川に敗着が出てしまう。

 

 

 

 ▲38銀打が力のない手。

 ここは▲36銀打と上から打ち、△24桂▲27歩△15角▲16歩△36桂▲同銀△24角で上部の銀が厚く、まだ大変だった。

 

 

 

 

 それを▲38銀打はいかにも弱気というか、駒が縮こまっている。

 このあたり、植え付けられた苦手意識がモロにでてしまったか、とにかく「前進流」らしくない手であった。

 ここからは羽生の独擅場で、△36歩と打ち、▲同銀△同飛

 そこで▲27歩から追い返そうとするが、そこでスッパリ△56飛と切るのが気持ちのいい手。

 

 

 

 

 ▲同歩に△35角とこちらに引き、▲47銀、△65桂、▲67金左に△45桂が華麗すぎるさばき。

 

 

 


 まるで、燃料切れで立ち往生する戦車をねらい撃つ戦闘爆撃機の群れであり、こんな気持ちよく駒を使われては先手に勝ち目はない。

 またしても谷川は敗れた。完敗だった。その胸中は察するにあまりある。

 一方の羽生は、もう称賛のしようもない強さ。

 初のA級で、それも中原、谷川の名人経験者を蹴散らしての挑戦権獲得は、お見事の一言。

 いよいよ、羽生がデビューした瞬間から待ち望まれていた「羽生名人」が現実に近づいてきた。

 むかえうつのは「50歳名人米長邦雄である。

 

 (続く

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荒野の決闘 羽生善治vs谷川浩司 1994年 第52期A級順位戦

2023年01月20日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 1993年に開幕した、第52期A級順位戦の大本命は羽生善治五冠(竜王・棋聖・王位・王座・棋王)だった。

 谷川浩司南芳一福崎文吾郷田真隆といった強敵を倒し、数多くのタイトルを獲得。

 ついには、これまでは夢物語に過ぎなかった「七冠王」すら視野に入ってきた。

 順位戦こそ前回紹介したよう、57歳のベテランに苦杯を喫するなど、少しばかり手間取ったものの、B級1組では12勝1敗と、格の違いを見せつけA級に到達。

 谷川浩司王将や中原誠前名人(当時は名人戦と竜王戦に敗れた無冠の棋士を「前名人」「前竜王」と呼ぶマヌケな習慣があった)など、他の候補も強敵だが、今の藤井聡太五冠と同じくその勢い、また周囲の期待もふくめれば、やはり羽生を中心にリーグがまわっていくのは疑いないところだった。

 その予想通り羽生は序盤からレースを引っ張り、6連勝首位を快走。

 7回戦で田中寅彦八段に敗れたときは、番狂わせということでガックリきたのかと思いきや、

 


 「名人挑戦者になるのにそんな簡単にいくはずがないという意識があったのだ」


 

 切り替えも早く、続く中原誠前名人との1敗同士の直接対決も制し、いよいよ「羽生名人」への期待も高まってくる。

 自力挑戦の権利をもって挑んだ最終局。相手は谷川浩司王将だ。

 谷川は1992年の第5期竜王戦で羽生に敗れて以降、明らかに押され気味の戦いを余儀なくされていたが、このリーグではここまで、まだ2敗

 最終戦に勝てばプレーオフに持ちこめるわけで、こちらは2連勝が必要と不利だが、やはりまだ「自力」の権利を持ったままここまで来たというのが、さすがといったところだ。

 羽生はもちろん、谷川もプライドをかけた大一番は、谷川先手で力戦の相居飛車戦に。

 序盤の駒組で、羽生が機敏な仕掛けを見せ攻め駒をさばくが、谷川も自陣にを投入し、容易にはくずれない。

 

 

 

 後手からの飛車打ちを消した手で、「前進流」「光速の寄せ」のイメージが強い谷川だが、実はこういう地味な手にこそ、その強さの本質があるとは先崎学九段行方尚史九段も語るところ。

 局面自体は僻地に金を使わせ、手番も握った後手が指せそうだが、勝負はまだまだこれからで、△73桂から中盤のねじり合いに突入。

 

 

 

 少し進んで、この場面。

 後手から△57角両取りがかかって決まっているようだが、ここからのやり取りが華々しい。

 

 

 

 

 ▲75角と打つのが、カッコイイ切り返し。

 これが王手で▲66を守っており、きれいにしのいでいる。

 先手からすれば▲39の金を取られるのは、たいして痛くないのだ。

 しかも、このへの対処もむずかしいところで、合駒を使うと戦力がけずられてしまう。

 かといって△22玉はいつ▲31銀のような手から「光速の寄せ」が炸裂するかわかったものではないということで、羽生もギリギリの手で応じるしかない。

 

 

 

 

 △53歩が、なるほどという中合。

 ▲同角成▲66が浮いてしまうし、本譜の▲同竜は敵陣へのの利きがでさえぎられてしまう。

 両雄ともワザをかけ合いながらも均衡を保つという、トッププロの芸が冴えわたっているところで、佐藤康光竜王森内俊之六段らと検討していた米長邦雄名人も思わず、

 


 「名局だね」


 

 △53歩▲同竜△22玉▲52銀に、△74飛というのが、先手のの動きを縛るひねった手で、もうどうなっているのかわからない。

 

 

 

 

 このあたり、まさに名人挑戦をかけた大熱戦だが、先手が少し抜け出したようで、それがこのあたり。

 

 

 

 △28飛はきびしい打ちこみだが、ここで先手に、いかにも感触の良い手がある。

 先手としてはうまくを使いたいところだが……。

 

 

 

 

 

 

 ▲67玉と上がるのが、△48飛成王手にならないようにしながら、▲75にあるの動きをフリーにする味のいい手。

 △48飛成なら、▲42角成とできるから簡単に詰み。

 妙技が決まったが、ここではまだ△64歩と打って守れば、後手もねばれたよう。

 

 

 

 

 

 羽生は▲45桂△44玉▲55金とされて寄りと読んだようだが、△35玉▲27歩△同飛成として、▲36銀△26玉と、飛車を見捨てて強引に入玉をねらう筋があって、苦しいながらまだ戦えた。

 すでに観念していたのだろうか、素直に△75飛と取って、▲同金△48飛成と首を差し出す。

 谷川は▲42銀不成から収束にかかるが、ここでちょっとした事件が起きた。

 

 

 

 △44玉と逃げたこの局面。

 先手は▲36桂王手馬取りをかけたが、「え?」と思った方も、いるのではあるまいか。

 そう、この後手玉は詰んでいるのだ。

 しかも、▲45銀、△同玉、▲55飛、△44玉、▲36桂まで、むずかしいところもない5手詰

 ▲45銀△35玉でも▲36銀から簡単につかまっている。

 なんと谷川は、このアマ級位者レベルの詰みが見えていなかったのだ。

 こんな手を逃しては普通はおかしくなるわけで、一瞬どうなったのか、わけがわからなかったが、最後は先手がなんとか逃げ切った。

 ラストが不思議な将棋だったが、ともかくも谷川が意地を見せ、これでプレーオフに突入。

 見ているほうからすれば「もう一局」と最高の盛り上がりで、これ以上なくワクワクしたものだが、同時に、

 「七冠王って、ちょっと気の遠くなる大変な話なんやなあ」

 との想いも再認識させられたのであった。

 

 (続く

 

 

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NHK特集「シルクロード」でバックパッカーは旅に出る

2023年01月17日 | 海外旅行

 NHKスペシャル「シルクロード」を見る。

 人にはそれぞれ「伝説の未見作品」というのが存在し、

 

 「いつか見られるかなあ」

 「もしチャンスがあれば、いくらまでなら出すだろう」

 

 なんて胸を焦がすことになる。

 私の場合はたとえば、『ウルトラセブン』の欠番作品である第12話遊星より愛をこめて」とか。

 カルト映画ファンにはおなじみ、丹波哲郎の怪演が光る、トラウマ必至の『ノストラダムスの大予言』とか。

 洋画なら当時ソフト化されてなくて、なんとか観たかったエルンストルビッチに、プレストンスタージェスなどハリウッドのスクリューボール・コメディ。 

 テレビでは恩田陸山本弘など幾多のSF作家に影響をあたえて、エッセイなどでとにかく頻出するNHK少年ドラマシリーズ

 

 この中でスペル星人は特撮ファンの友人にビデオ(VHSの時代)を手に入れてもらって、『愛國戰隊大日本』やDAICON版『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』(今はアマゾンプライムで観れる!)などと一緒に鑑賞。

 ルビッチは大阪の地下映画館ACTシネマヴェリテで観ることができたし、スタージェスはWOWOWで放送してくれたりしたけど、『ノストラダムス』はまだ未見。

 少年ドラマシリーズはそもそもフィルムが存在しないため(当時は使ったフィルムに上書きして再使用していたため)、ほとんど見る可能性はないと言っていい。

 まあ、今はネットがあるから、見ようと思えば意外と簡単に見れたりもするけど(ありがたいことです)、そんな中にNHK特集の「シルクロード」も入っていたわけだ。

 「シルクロード」というのは、1980年代に放送されたドキュメンタリー番組。

 『三国志』好きなら名前はよく聞く長安の歴史や、当時はじめてカメラが入ったという始皇帝墳墓

 西に行けばウイグルの街やカシュガルなど、われわれ日本人のイメージする「中華」とは違う、多文化で他民族な大陸を味わうことができる。
 
 これがですねえ、なんで見たかったのかといえば、旅行好きなバックパッカーだから。

 といっても、中国に行ったことはないし、シルクロードの中継点である街も訪れたことはないし、とりたててアジアにロマンを感じていたわけでもない。

 ではなぜ、そんなにこの番組が見たかったのかと問うならば、これはもう先輩のバックパッカーが語りまくるからである。

 旅行好きは当然、旅行にまつわるも好きである。

 で、そういう旅行記とか旅行マンガに、よく出てくるんだ、これが。

 世代的に、こちらの一回り上くらいの作家さんなどに多い。

 グレゴリ青山さんのように、これきっかけで「鑑真号」に乗って中国に出かけるとか、モロ影響を受けている人もたくさんいて、こういうのを山盛り読まされると、行かなイカンと言う気になる。

 『名探偵コナン』ファンの女子が『機動戦士ガンダム』を勉強したり、クエンティンタランティーノの映画を愛するあまり、三池崇史石井輝男の映画を観まくるとか、それみたいなもの。

 まあ、一種の聖地巡礼ですね。

 それで、ずーっと「観んとなあ」なんて思いながら、機会もなく、そもそも古い番組だから今では熱意も冷め気味だったが、少し前にテレビで再放送したのを機に鑑賞した。

 で、これがなかなかおもしろかったのだ。

 なんせ40年前くらいのことだしNHKだから地味でテンポも遅いんだけど、それが昭和の味である。

 フィルム撮影の湿った画面もなつかしいし、なにより今となってみれば資料的価値が高い。

 今の日本人にとって中国といえば、泣く子も黙る経済大国だろうが、昔のイメージはもっと地味で貧しかった。
 
 変われば変わるもので、そうだよなー、こんな映像きっと、中国人ですら北京とか上海に住んでる若い人なら「どこの国?」って思うくらいだろうなあ。
 
 それくらいと違う。いやマジで、日本で言えば今と戦前か、下手すりゃ明治維新くらい差があるように見えるほど。
 
 それがまた、おもしろいわけで、あとこういう外国の古い映像を見るといつも思うのが、

 「なんか、ロールプレイングゲームのフィールドみたい」

 ということで、ゲーム好きな人も結構楽しめるんではないか。

 

 (続く

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恐怖のルート87 羽生善治vs吉田利勝 1990年 第49期B級2組順位戦 その2

2023年01月14日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 1990年、第49期B級2組順位戦の2回戦。

 羽生善治竜王吉田利勝七段の一戦は、横歩取りから、吉田が序盤で意味不明のような「一手パス」を披露し早くも波紋を呼ぶ。

 

  

 

 図から△86歩、▲同歩、△同飛、▲87歩、△84飛で、手番が入れ替わっただけの同一局面に。

 もらった手番を生かすべく▲75歩と伸ばすが、吉田は△54飛から△24飛と、またも不可解な1手損でゆさぶりをかけてから、△42角と引いて▲75をねらいに行く。

 

 

 

 

 「一手パスして、相手に指させた手を時間差でとがめに行く」

 羽生が、今期王将戦第1局でも披露した一手損角換わりが出現してからは、ひとつのテクニックとしてすっかり定着したが、このときはそこまでハッキリと「言語化」されていたわけではなかった。

 

 

2006年の第64期A級順位戦。羽生善治三冠と谷川浩司九段の名人挑戦プレーオフ。
かつて「一手損角換わり」が出てきた当初の基本図がこれで、角換わり腰掛銀の「先後同型」に見えて、後手が「一手損」しているため「△85歩」と伸びてないのがポイント。
当時、角換わりの「先後同型」は後手が受け身になり苦しいと言われていたが、この形だと例えば▲75歩と桂頭を責められたときに「△85桂」と反撃する味があって、むしろ後手が有望。
「一手パス」というマイナスをプラスに転じるワザが可視化された戦法で大流行した。

 

 

 空中戦のスペシャリストである吉田は、経験からこの辺りを勘どころをつかんでおり、しっかりと研究してあったようだ。

 これに惑わされたか、▲77桂と指した手が悪手で、ここから後手がリードを奪う。

 ひねり飛車のような形で、自然な手のようにも見えるが、羽生によるとこのまま持久戦にして1歩得を主張するつもりが、意外と先手玉が固くならないのが誤算だった。

 それよりもバランスを重視した布陣を敷くべきで、このあたりは経験値と構想力で吉田に一日の長があったというべきか。

 羽生の迷走はまだ続き、この▲56歩という手も悪手

 

 

 

 意味としては、将来8筋にいるを責められそう。

 そのとき5筋が突いてあれば、▲79角と逃げた手が次に▲45歩飛車銀両取りのねらいがあって先手が取れるということ。

 そう説明されればいい手のように聞こえるが、羽生によると、ここではとにもかくにも▲86歩と、局面をほぐしに行かなければならなかった。

 ここから△74歩、▲同歩、△95歩、▲同歩、△74金とテンポよく進出され、にわかに飛車が危ない。

 

 

 

 

 こうなると▲77桂の形が、たたっているのは明白だ。

 プレスをかけられて息苦しい先手は、▲39玉と、とにかく固めてチャンスを待つが、△21飛▲72歩△71飛の転換を阻止するだけというつらい手。

 その裏をついて△73桂と活用し、ますます後手好調

 先手はねらわれそうな大駒を処理すべく、▲79角の早逃げ。

 

 

 

 

 押さえこみを喰らって苦しげだが、こういう局面から若さにまかせてねばりまくり、うっちゃりを決めるのは羽生の十八番。

 まだまだ、これからに見えたが、次の手が羽生の希望を打ち砕く痛打だった。 

 

 

 

 

 

 △98歩と打って、この将棋は「オワ」。

 ▲同香の一手に、△75歩▲96飛△84金で先手はどうしようもない。

 

 

 

 飛車が完全に死んでいる。

 後手の見事な締め技に、なんとか場外に逃れたくても、歩打ちの効果で▲98飛と逃げることができない!

 先手陣は△69飛と打たれる手が、メガトン級の破壊力なのに、それを受ける形もない。

 なんという見事な指しまわし。まさにスペシャル炸裂

 20歳にして、すでに棋界の頂点に立つ天才相手に、57歳のベテランがこんな将棋を指せるというのが、すさまじいではないか。

 以下、勝勢になった吉田は、あまりにうまくいきすぎたせいか明快な決め手を逃し、先手も挽回のチャンスがめぐってくる。

 ここからの羽生の馬力もすさまじく、必敗の将棋をものすごい勢いで追い上げ、ついに「逆転か!」という場面まで持ってくる。

 

 

 

 後手が△79飛成を取ったところだが、ここが羽生にとって最後の勝負所だった。

 先手の猛追で、まだ後手が勝ちながら、実戦的な雰囲気はかなりアヤシイ。

 野球で言えば、7点ビハインドを2点差まで追い上げ、9回最後の攻撃で先頭バッターが出塁したような感じ。

 さあ、次も続けよと言うところで、ここでは▲35角と打つのが勝負手だった。

 

 

 

 

 上下に効きまくり、雰囲気は満載で羽生好みの手と思われたが、苦しい展開に時間を使わされ、残り3分になっていたため、迷った末に選べずゲームセット

 ▲63とを取ったのが凡手で、これでは局面にまぎれがなく、吉田を楽にさせてしまっている。

 △79竜は実は一手スキになっており、△17銀と打ちこんで、先手玉は詰んでいる。

 そんなに難しい筋でもなさそうだが、羽生はこの詰みが見えてなかったそうで、最後まで調子が狂わされっぱなしだった。

 それもこれも、やはり吉田による玄人の技の賜物であろうか。

 これでまさかの開幕2連敗を喫した羽生は、その後8連勝するも時すでに遅く、Cクラスに続いて、ここでもまた足止めを喰らってしまうのだった。

 

 (A級順位戦編に続く)

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

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空中レヴュー時代 羽生善治vs吉田利勝 1990年 第49期B級2組順位戦

2023年01月13日 | 将棋・名局

 「手を渡す」ことが、将棋ではいい手になることがある。

 双方とも指す手が難しかったり、また不利な局面で相手を惑わせたりするため、あえて1手パスするような手で手番を渡す。

 私のような素人がやると単に1ターン放棄しただけになり、ボコボコにされるだけだが、強い人に絶妙タイミングでこれをやられると、ムチャクチャにプレッシャーをかけられる。

 そういう混乱と恐怖を生み出す手が抜群にうまかったのが、昭和なら大山康晴十五世名人平成では羽生善治九段だった。

 

 

 2000年の第48期王座戦。藤井猛竜王が羽生善治王座から2-1とリードを奪っての第4局。
 激戦のさなか、△65桂の存在や馬の質駒など様々な懸案材料のある中、じっと端に味をつけるのが「羽生の手渡し」。
 1手の価値があるか微妙なところだが、これで相手を惑わせ、プレッシャーのかかるカド番の将棋をはね返した。
 

 

 前回はC級1組順位戦で、ベテラン剱持松二七段まさかの敗北を喫した将棋を紹介したが、今回は羽生将棋から意表の「手渡し」を見ていただきたい。

 ただし主役になるのは彼の方ではなく……。

 


 1990年の第49期B級2組順位戦

 羽生善治竜王と吉田利勝七段の一戦。

 羽生といえば、のちに24歳名人になるがC2C1とそれぞれ1期ずつ足止めを喰らうなど、それまでの道程では意外な苦労があった。

 このB級2組でも、ちょうど初タイトル竜王を獲得したこともあって、

 「今度こそ1期抜け

 期待は高まるが、初戦で伏兵の前田祐司七段に敗れてしまう。

 順位下位ということもあって、早くも剣が峰に立たされた羽生だが、続く第2戦でも大苦戦を強いられるのだ。

 吉田の先手で始まった将棋は、相掛かりで▲36銀と出る形から中盤で千日手に。

 先後入れ替えで指し直しになったが、羽生は先手を得たものの、持ち時間は1時間と吉田は3時間9分で差があり、一概に得ともいえないところ。

 「序盤は飛ばして行こう」と意識していた羽生に、吉田がいきなりワザをかける。

 

 

 

 それがこの局面。

 まだ序盤のなんてことないところだが、ここで吉田は羽生をして、

 


 「私には100年考えても思い浮かばない着想です」


 

 そう言わしめた手順を披露する。

 

 

 

 

 △86歩、▲同歩、△同飛、▲87歩、△84飛
 
 この図を上のものと見比べていただきたい。

 そう、なんとこの両局面、まったく同じ形なのである。

 違うのは手番が後手から先手に移っただけ。つまり、この局面の吉田は一手パスしたわけなのだ。

 将棋のテクニックにおける一手パスは、パスではあるけど端歩を突いたり、遊び駒を動かしたりと、

 

 「手番は渡すけど、いい手でとがめられないと次は一気に行きますよ」

 

 といったような無言のプレッシャーをかけるものが多い。

 
 
 
 羽生善治五段と森内俊之四段の一戦で、じっと端歩を突いて手を渡したのが、米長邦雄永世棋聖も絶賛した「伝説」の一手。
 後手から次に△65歩、△75歩、△86歩、△49角など様々な攻め筋があるところ、堂々と「やっていらっしゃい」と。
 森内は△65歩から攻めかかるが、「動かされている」と懸念した通り、これは羽生の待ち受けるところで、以下猛攻を受け切って圧勝。新人王戦初優勝を決める。

 

 

 どっこい、この吉田のパスはそういったかけ引きや、意味があるのかどうかも不明な、まさに純正一手パス。

 こんな手が、果たしてあるのだろうか。

 「一手パス」による駆け引きを大きな武器とする、あの羽生が困惑するのだから、本当に不思議な手順。

 羽生は▲87歩と打つ前にトイレに立ったそうだが、単なる尿意だけによるものではなかったはずだ。

 ただこれこそが、57歳のベテラン吉田利勝の見せたワザだった。

 吉田は先手なら相掛かり、後手なら横歩取りの空中戦に独特の感覚を発揮する異能派で、その指しまわしは「吉田スペシャル」と恐れられていた。

 そのスペシャリストからすれば、ここで先手に有効手がないというのが見えていたわけで、現に羽生本人も、

 


 「指されてみて自分の指す手が難しいので、二度ビックリ」


 

 そう、羽生はすでににかかっていたのだ。

 手番を生かすべく、羽生は▲75歩と伸ばすが、吉田は△54飛から△24飛とゆさぶりをかけ(またも一手損!)、△42角と引いて▲75をねらいに行く。

 

 

 

 

 「一手パスして、相手に指させた手を時間差でとがめに行く」

 という、のちの一手損角換わりなどに共通する手管だ。

 

 (続く

 

 

 

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YouTubeでテニス ダブルスの動画を見てみた

2023年01月10日 | テニス

 YouTubeでテニスの動画を見るのは楽しい。

 特にテレビなどではなかなか放送されない、早いラウンドの試合や、選手の練習風景などが見られるのがうれしいのだ。

 ネット動画でテニスが見られるようになって、まず飛びついたのが、なんといってもダブルス

 私はダブルスが好きで、生観戦のときは積極的に見に行くようにしているが、これがテレビなどだとなかなかやってくれないのが残念。

 普段のシングルスでは見られない、ネット際の攻防や、ダブルスアレーを広く使った立体的な戦い方など、見ていて本当に楽しい。

 実際に以前、靭公園テニスセンターでやっている世界スーパージュニアテニスを友人と見に行ったとき、生観戦がはじめてという彼が、

 

 「ダブルスっておもろいなあ。オレ、シングルスよりもハマるかもしれへん」

 

 と言ってくれたもの。

 スピーディーなボレー&ボレー突き球のリズム感に、ロブドロップショットを織り交ぜたテクニカルな戦い方など、自分のプレーにも取り入れたくなるところ多々だ。

 というわけで、今日もせっせとダブルスの好試合を探すのだが、まず見たいのがトップクラスのワザで、となれば、まずはずせないのがブライアン兄弟

 双子のダブルスで、右利き左利きのコンビという、マンガのキャラみたいなチームだが、これがメタクソに強い。

 いや強いどころか、世界1位、グランドスラム16勝、ツアー通算119勝という、あらゆるダブルス記録のナンバーワン保持者たちなのだ。

 ちなみに、対戦相手のレアンダーパエスマヘシュブパシインドが誇る最強ペア。

 ちなみに、こちらはブライアンズと違って、も最強に悪いらしい。さや香とタメはれるくらい。

 女子のダブルスで名手といえば、色々いるけど、マルチナヒンギスが強い。

 もともと技巧派だから、ダブルスにも合ってるんだろうけど、いろんな選手とペアを組んで勝っているところも、なにげにすごい。

 ここではベテランのヘレナスコバと組んだウィンブルドン決勝の模様を。

 相手が、やはりダブルスの名手ラリサネーランドメレディスマグラスということもあって、実に見ごたえのある打ち合いに。

 女子の選手はネットプレーよりストロークに自信があるせいか、雁行陣(2人が前衛と後衛に分かれてプレーするスタイル)で戦うことが多いのだが、この4人はどんどんネットに出て行って、その小気味よさも良い。

 日本だと、やはり岩渕聡鈴木貴男の黄金コンビ

 なんといっても、ジャパンオープンで地元優勝の実績が光る。

 この2人がいたから、デ杯でもダブルスはかなり安心していられたものだ。

 ブライアン兄弟もそうだけど、利き手が左右のコンビっていいよなあ。

 われらが錦織圭のダブルスもいい。

 ふだんはシングルスに専念しているけど、実はダブルスもできる。

 日本がデビスカップでベスト8に入るなど活躍していたとき、

 

 「錦織をシングルスに専念させるべきか、それとも単複3連戦で力ずくの勝利をねらうのか」

 

 というのは、よく議論されたテーマ。

 当時の日本に頼れるダブルスプレーヤーがいなかったという背景はあるが、錦織のオールラウンドな技術が光っていたのもたしかだろう。

 

 

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玉頭戦に進路を取れ 羽生善治vs剱持松二 1988年 第47期C級1組順位戦 その2

2023年01月07日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 1988年、第47期C級1組順位戦

 剱持松二七段と、羽生善治五段の一戦は中盤のねじり合いに突入。

 

 

 

 

 この△63歩という手が、いかにも羽生らしい実に悩ましい打診。

 を逃げる場所がむずかしく、いきおい先手はここでラッシュをかけることになるが、それは羽生の待ち受けるところ。

 相手があせって前のめりになり、体の軸がぶれた瞬間にタックルを決め、そのまま一気に持って行ってしまうのだ。

 ……というはずだったが、なんとここで羽生にミスが出る。

 剱持は▲23香と、露骨に打ちこんでいくが、△13玉とかわしたのが疑問で、ここは堂々△23同銀と取るべきだった。

 △13玉▲21香成△64歩を取ったところで▲37桂打が好手で、またも剱持がリードを奪う。

 

 

 

 △24玉▲11成香△23玉にも、あせらずに、じっと▲64歩と取っておく。

 

 

 

 歩切れを解消しながら、後手玉が左辺に逃げ出したとき、うっすらと拠点にもなっている。

 なにより、ここで攻め急がない姿勢が見事で、河口俊彦八段も、

 


 「力をためて味わい深い」


 

 私も子供のころ並べて、

 「強い人は、こういう手が指せるんやな」

 深い意味が、わかっていたわけではないが、その「大人の手」とでもいうべき落ち着きに、シビれたものだった。

 ここまでくれば、ハッキリと羽生が苦しいのがわかってきた。

 ▲64歩△11角と取るが、▲25銀と上部から圧をかけて、ここで完全にまわしをつかんだ。

 以下、△24歩に(少し長いので飛ばしてください)▲14銀△同玉▲15香△23玉▲12銀△22玉▲11銀不成△31玉▲54桂△44角▲13角△21玉

 

 

 

 剱持に気持ちのいい手順が続いて、羽生は絶体絶命。

 とはいえ、こういう崖っぷちから、信じられない勝負手や妙手を繰り出して、ありえない逆転勝ちを数多つかんできたのが、若手時代の羽生だった。

 まだわからんぞの期待もあったが、次の手が冷静な勝ち方だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲23歩とタラすのが、「羽生マジック」を回避する落ち着いた手。

 ここは▲33歩と打っても勝ちだが、河口八段によると、△11玉▲32歩成△同金

 ここで詰んだとばかりに、▲12銀、△同玉、▲31角成とすると、△13歩で「アッ!」となる。

 

 

 

 ▲同馬△21玉

 ▲同香不成△23玉で、どちらも詰まない。

 ▲13同香成は、△11玉打ち歩詰め

 実際は△13歩には▲同香成△11玉▲32馬で先手玉は詰まないから、先手の勝ちは動かないのだが、もしこれで自陣が詰めろとかになっていたら、たしかにあせりまくるところだ。

 実際、△13歩の局面で▲13同香成を入れず単に▲32馬と取ると、いきなり△17飛と打ちこむ手がある。

 

 

 

 ▲同桂、△同角成、▲同玉、△25桂、▲同桂、△26銀、▲同玉、△37銀、▲17玉、△28銀打、▲18玉、△17香まで、計ったようにピッタリと詰んでしまうのだ!

 

 

 

 

 こういうのを見ると、強い人に二枚落ちとか四枚落ちで、なかなか勝てない理由がわかる。

 将棋の終盤戦は、本当に最後の最後までだらけなのだ。

 その点、▲23歩なら△同銀▲22銀成として、△同角▲同角成△44にいる排除できるのが自慢。

 後手は△44が、攻防に効いているのが最後の望み。

 先手が寄せをグズれば、駒をたくわえた後、上記のように△17から打ちこんで一気にトン死筋へ持っていくねらいもあったが、それも消されてしまった。

 以下、△同玉▲11角できれいな寄り形。

 

 

 

 △44がいなくなって、先手玉はもう怖いところがない。

 △31玉▲13香成△32金▲33歩とたたいて、とうとう受けがなくなった。

 途中、▲13香成がまた、相手玉にせまりながら、▲15への逃走ルートも作った一石二鳥の手。

 将棋の終盤戦は1度勝ちになると、確変のように次から次へと良い手が連鎖して生まれるもので、それすなわち「勝ち将棋、鬼のごとし」。

 絶望的な形勢だが、羽生はさらにそこから、投げずに指し続けた。無念だったのだろう。

 この日は羽生が敗れたから、というわけではないだろうが、他のカードも星が伸びない棋士が全員勝ち、大内延介九段がしみじみと、

 


 「劇的なことって、あるもんだねえ」


 

 そういうイレギュラーなことが、まま起こるのが、順位戦というものなのである。

 

 (羽生のB級2組での戦い編に続く)

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

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砂漠で溺れるわけにはいかない 羽生善治vs剱持松二 1988年 第47期C級1組順位戦

2023年01月06日 | 将棋・名局

 「そういや、藤井聡太って、大番狂わせっていうのがないよな」

 

 先日、ラーメン横綱で昼飯を食ているとき、そんなことを言ったのは友人キュウホウジ君であった。

 藤井聡太五冠がケタ違いに強いのは、もはや周知の事実であるが、感心するのは取りこぼしというのが、ほとんどないこと。

 特に全盛期ほどの力がなくなった印象のある中堅ベテランに、しっかりと勝てるのが地味にすごくて、かつてのトップ棋士でも痛いところで「熟練のワザ」にかかってしまうことがあった。

 たとえば若手時代の森内俊之九段は、B級2組順位戦で、開幕から8連勝しながら、56歳のベテラン佐伯昌優八段に完敗を喫したことがあった。

 

 

1993年、第51期B級2組順位戦の9回戦。佐伯昌優八段と、森内俊之六段の一戦。
中盤戦、先手の佐伯が▲65歩、△同歩に▲64歩とタラしたのが機敏な手で、後手の2枚の銀が動きを封じられてしまった。
以下も佐伯の指し手が冴えまくり、まさかの圧勝劇を見せる。

 

 

 しかも佐伯はここまで8連敗

 とっくに降級が決まっていたその一方、森内はあの藤井聡太五冠でも破れなかった順位戦26連勝という記録を継続中だった。

 今考えても、森内に負ける理由がまったくない戦いであり、まさにこれ以上ない「死に馬」に蹴られたことになる。

 これで森内は、なんと順位わずか1枚の差で村山聖六段に、9勝1敗頭ハネを喰らってしまう。

 

  森内の黒星が、何度見ても意味不明の表。




 あまりにも痛すぎた1敗となってしまったが、こういうまさかが起こるのも、将棋というものなのだ。

  藤井聡太も、もちろんときには負けることはあるのだが、こういう


 「ま、ここは問題ないっしょ」


 という相手にやられた記憶はあまりなく、そこが感心する。

 そこで前回は羽生善治九段が、かつて「島研」でしのぎを削った島朗九段との熱戦を紹介したが今回は、かつて相当に話題となった、ある番狂わせを紹介したい。

 舞台はといえば、もちろん順位戦になるのが、昭和の将棋というものだった。

 


 1988年の第47期C級1組順位戦

 剱持松二七段と、羽生善治五段の一戦。

 前期、2期目でC級2組をクリアした18歳の「天才」羽生は、当然このC1でも昇級候補の筆頭だった。

 その期待に応え、まずは開幕2連勝と快調にすべり出すも、第3戦で佐藤義則七段に敗れて大きく後退。

 佐藤はかつて、棋聖戦挑戦者決定戦にも出たことのある実力者だが、数年前にB2から落ち、このときも40歳と盛りは過ぎていたため、かなり意外な結果だった。

 早くも昇級に黄信号がともったが、そこから泉正樹五段浦野真彦五段という、全勝で走る競争相手をたたいたのはさすがで、4勝1敗で前半戦を折り返す。

 続く6回戦の相手は、54歳のベテラン剱持。

 順位が悪いので、残り全勝するしかない羽生だが、まずここは大丈夫だろうと思われたところから、これが思わぬ波乱を呼ぶ一戦となるのだ。

 先手になった剱持の四間飛車に、羽生は左美濃から、銀を繰り出して仕掛けていく。

 

 

 

 中盤の、この局面。

 まだ互角のわかれだろうが、ここでは▲73歩成▲55角

 また現代風に、左美濃の急所をねらって▲27飛と回るなど手が広く、振り飛車がまずまずに見える。

 どの手も有力そうだが、河口俊彦八段の『対局日誌』によると、剱持は61分じっくりと想を練って、▲73歩成とする。

 後手は△76歩と止めるが、そこで手に乗って▲27飛とするのが好調子。

 

 

 

 

 △69飛成▲63と、と捨てて、△同金▲72角と打つ。△53金▲81角成

 △89竜と後手も駒を補充するが、そこで▲59歩としっかり固めておく。

 

 

 

 金底つきの美濃囲いが固く、▲27の地点に設置された波動砲も後手玉に強烈なをかけており、やはりまだ微差ながら、一目は振り飛車がさばけているような局面だ。

 羽生は1回、△22玉とバックステップで大砲の威力を緩和し、▲91馬△66角と、こちらも高射砲を設置。

 ▲45桂△52金引▲64馬の活用に△44桂と、美濃の急所であるコビンをねらいにする。

 

 


 

 かなり、せまられている形だが、ここでまず、先手に大きなチャンスがおとずれている。

 ここでは1回▲37銀と受けておいて、△57歩成▲25歩と攻め合えばよかったと。

 先手玉は、最後△49と、から△39角成と来られても、▲18玉と逃げた形が、▲27にある飛車守備力が絶大で、どうやっても詰みはなく、ハッキリ1手勝ちだったのだ。

 ところが、剱持は単に▲25歩と突く。

 これで勝ちなら話は早いが、△同歩と取られたことろで、手が止まってしまう。

 なにか錯覚があったようで、50分の長考で▲24歩とたらすが、ここで羽生の目がキラリと光る。

 すかさず△36桂と急所のダイブを決めて、▲18玉に、△26銀とかぶせて、先手玉はにわかに危険な形におちいった。

 

 

 

 控室の検討では「逆転だ!」と、色めきだったそうだが、剱持の▲37銀打が力を見せた手で、踏みとどまっている。

 △27銀成▲同銀△87竜に、▲36銀直をはずして、先手玉は相当安全になったが、そこで△63歩が、いかにも羽生らしい実に悩ましい手。

 

 

 

 を逃げる場所がむずかしく、いきおい先手はここでラッシュをかけることになるが、それは羽生の待ち受けるところ。

 こういうアヤシイ打診で相手のあせりをさそうのは、羽生にとって得意中の得意という展開だ。

 

 (続く

 

 

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正月日記2023 サンタラ ショー・コスギ デイビッド・ハルバースタム だいじろー 李姉妹 ヒラリー・ウォー 登場

2023年01月03日 | 日記

 1月 某日 
 
 ある正月の日記。
 
 10時起床。私は夜型人間なので、連休の起床時間としては早い方。
 
 休みの日のひそかな楽しみは朝風呂で、これをやるかどうかで1日の動きが変わるほど。特に寝不足のときは天地の差が出る。
 
 そういえば、昔は「できるサラリーマン」みたいな雑誌の特集でよく
 
 「出勤前にジムで軽く汗を流す」
 
 なんて恐ろしい記述があったそうけど、いつ起きてるの? ようそれで、仕事できるなあ。
 
 もうひとつそういえば、バブル時代のころアメリカではショーコスギケインコスギのパパ)の影響で「忍者道場」というのが流行っていて、


 
 「キミも忍者になろう! 日本人があの過酷な満員電車と残業をクリアできるのは、忍者の修業をしているからだ!」


 
 という広告を打っていたそうだ。
 
 朝食は紅茶、豆乳、バナナ、くるみパン、ヨーグルト。

 BGMにサンタラの『バニラ』。エマーソンレイクアンドパーマー『恐怖の頭脳改革』。『ロマンシングサガ』のサントラなど。 

 午前中は映画を観る。今日はフランス・ベルギー映画『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』。
 
 世界的ベストセラーを翻訳するため、世界各国から翻訳家が集められ、地下に隔離されるという設定がムチャだが、これが実話だというからすごい。
 
 ケレン味たっぷりなストーリーなので、あまり期待してなかったけど、ミステリ的な仕掛けが各所に散りばめられ、なかなか楽しかった。
 
 でも、ダン・ブラウンの小説(実際に翻訳家が缶詰にされた本)に、そこまでの価値があるとも思えないけどなあ。

 なんとなくベランダをそうじして、昼食。レバニラ炒めを作って、パック飯とインスタントみそ汁。
 
 午後からはコーヒーを飲みながら、ひたすら読書

 私は本さえあれば無限に時間をつぶせる人間なので、人生で退屈というのを味わったことがない。

 今日の一冊はデイビッドハルバースタムコールデストウィンター 朝鮮戦争』。
 
 日本史上では結構重要な事件なのに、いまいちマイナーなイメージのこの戦争。
 
 これが当事者だったアメリカもそうだったらしく、その「忘れられた戦争」を
 
 『ベストブライテスト
 
 『さらばヤンキース
 
 など出す本すべて名著というデイビッドが、骨太な筆で描いて行く。
 
 メチャクチャにおもしろくて、まりまり読みまくる。上下二巻で内容的にもヘビー級だけど、そう感じさせないリーダビリティはさすが。
 
 夕方は買い物がてら、少し散歩。米朝師匠の落語を聴きながら、近所を1時間ほど歩く。

 今でもずーっと「同じ噺」をやり続ける今の落語家に、どういうレゾンデートルがあるのかなとか考える。
 
 夕食は胚芽パンにハム、チーズ、ツナなど適当にはさんでシンプル・サンドイッチ。カツオとキャベツのサラダ。コーンスープ。
 
 アメリカの小説などに、よく


 
 「パンにクリームチーズと、ピーナッツバターにグレープジェリーをはさんだサンドイッチ」


 
 なんて出てきて、すんげえおいしくなさそうと思うんだけど、実際のところどうなんだろう。試してみたいけど、勇気がない。

 食後はパソコンを開く。お茶しながら、YouTubeやラジオなど。
 
 最近は語学系YouTubeにハマっており、中国語の李姉妹や、英語の発音をあつかっただいじろーさんがお気に入り。
 
 もともと語学エッセイなどが大好きで、学生時代にはドイツ文学を専攻してふつうにガチでドイツ語もやってたけど、これで妙に語学熱が再燃
 
 それでもって、なぜかフランス語をはじめるという暴挙に。スペイン語と相当迷ったけど、ドイツ語やったら次はフランス語かなあとか、安易な決め手。

 といっても、1日15分ほどアプリで遊ぶだけだけど、3か月もやると簡単な平叙文なら読めるようになってきたから、なかなかのものである。
  
 ちなみに、英語コンプレックスがある人は、英語以外の外国語を勉強してみることをオススメします。
 
 それによって、英語っていうのが別に特別でもなんでもなく、
 
 「数ある外国語の中のひとつ」
 
 にすぎないという当たり前のことがわかって、英語という存在が相対化されるから。

 要するに、視野が広くなる。これマジで。

 寝る前に少し読書。ヒラリーウォー事件当夜は雨』。
 
 「警察小説」ってちょっと苦手なんだけど(『87分署』シリーズとかもほとんど読んでない)、食わず嫌いはよくないので手に取ってみると、これがおもしろい。
 
 すごい地味な内容なんだけど、それが静かにサスペンスフルで引きこまれる。
 
 老後はこういう古典のミステリや、SFをダラダラ読みながら過ごせたら最高だなあとか夢想しながら、そのまま眠りに落ちる。

 

 

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