2018年最後の夜に

2018年12月31日 | 日記
 2018年も、そろそろおしまい。
 
 こないだも書いたように、年末年始は読書三昧。
 
 コーヒーを飲みながら、本を読んで、あとは映画を観て、ラジオを聴いて、散歩して昼寝して銭湯に行って。
 
 なんて気軽な独身男子の冬休み。子供のころから思ってたけど、自分って金がかからない人間だなあ。
 
 すっかり年末閉店モードなので、ネタを考える気にもなれない。ということで、思いつくままに今年度を振り返って、お開きとしたい。
 
 内容はとりとめないので、こんなもん全然読まなくていいです。では、一気にドン。
 
 
 ガルパン劇場版は完全にナメてた、ウォズニアッキとハレプの優勝にはホッとした、入口がどこでも将棋ファンになってくれた人はみな大歓迎だ、『フーディーニ&ドイル』と『刑事モース』は良かった、杉山セリナさんはかわいいなあ、豊島二冠とはいい響きじゃないか、今の日本で一番頭がいいのは春名風花さんだと思う、歳をとったらジャン・ギャバンのような男になりたい、西岡とダニエルがやってくれた、ゴールデンキウイにハマる、クリストファー・プリーストの頭クラクラ感に惚れまくり、なおみちゃんがすごすぎであきれるしかない、9勝1敗の頭ハネはもう心底ウンザリだ、またパリでダラダラ沈没したいと夢想する日々、TAS動画を見ているときの人生のムダ使い感がたまらない、王座戦は将棋の内容も対局者の所作もすばらしかった、まさかゲラントが勝つとはなあ、「もっと政治に興味を持て」と言われたのでそうしたら醜悪な世界すぎて熱が出た、『聲の形』にいつまでたっても「イヤボーン」が出てこないので不思議な気分、さいたまクリテリウムの新城幸也は魅せてくれた、羽生ファンだからこそ「羽生九段」で正解だと確信する、今度はノバク復活とかもうどないせえと、杉作J太郎と平山夢明に続く人生の師匠はチャーリー・シーンだ、人にやさしくするのはむずかしい、冬はナンバガばかり聴いている、いろいろあるけど今はただゆっくり眠ろうと思う、目が覚めたら世界が平和になっていてほしい
 
 
 
 
 
 ★今年面白かった本
 
 ニコルソン・ベイカー『中二階』

 清水潔『殺人犯はそこにいる』

 ミシェル・ウェルベック『服従』
 
 ドン・ウィンズロウ『ストリート・キッズ』

 京極夏彦『嗤う伊右衛門』

 ラーシュ・ケプレル『催眠』

 クリストファー・プリースト『奇術師』

 フォルカー・クッチャー『ゴールドスティン』

 S・J・ローザン『冬そして夜』

 窪美澄『ふがいない僕は空を見た』

 ギリアン・フリン『ゴーン・ガール』

 チャイナ・ミエヴィル『都市と都市』

 ロバート・A・ハインライン『月は無慈悲な夜の女王』

 鹿島茂『パリ・世紀末パノラマ館』

 ハンネス・ロースタム『トマス・クイック 北欧最悪の連続殺人犯になった男』

 ヘレン・マクロイ『幽霊の2/3』

 マイクル・フリン『異星人の郷』

  J・B・プリーストリー『夜の訪問者』
 
 
 
 ★今年面白かった映画
 
 
 『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』
 
 『海街diary』

 『手紙は憶えている』

 『処刑ライダー』

 『白いリボン』

 『ファーゴ』

 『アメリカ アメリカ』

 『クリスティーン』

 『ガールズ&パンツァー 劇場版』

 『ズートピア』

 『オデッセイ』

 『グラン・トリノ』

 『LEGOムービー』

 『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』

 『ボディ・スナッチャー 恐怖の街』

 『シシリーの黒い霧』

 『こころに剣士を』

  『キャリー』
 
 
 
 
 
 
 それでは本年度はここまで。
 
 サンキュー、バイバイ!
 
 また来年。 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暴力やヘイトやハラスメントに対するアナトール・フランスとロバート・A・ハインラインの答え

2018年12月30日 | ちょっとまじめな話
 暴力が嫌いだ。
 
 ヘイトハラスメントを肯定する人と友達になりたくないし、善意の押しつけも慇懃な笑顔でゴメンこうむる。
 
 「強者横暴」を無視して「弱者少数派責任」だけに言及するのは、もうやめようよと心底願う。
 
 「自分不愉快」を「義憤」に変換しようとする心の動きを警戒する。下の者に責任をなすりつけて、ヘラヘラしている大人に反吐が出る。
 
 自分が知らなかったり興味がないものを、バカにしたり、排除しようとしたりする想像力のなさに怒りをおぼえる。
 
 「常識」という名の偏見を見直そうとしない人に絶望する。「多数派」であることだけに安堵する状態は、あまり健全ではないと考える。
 
 頭の悪い人が、頭のいい人に無礼な態度で「お前は頭が悪い」という地獄はあまり見たくない。
 
 憎悪をあおったり、若者外国人低賃金で使い倒すことが「かしこいやり方」とほくそえんでいる者など、ブラックホールに吸いこまれればいい。
 
 でも世界は想像する以上に、それらをとする人もいて、結構おどろかされっぱなしだ。
 
 学生時代読んだ本に、こういう言葉があった。
 
 
 人間は徳の名において正義を行使するにはあまりにも不完全だから、人生の掟は寛容と仁慈でなければならない。

  ―――アナトール・フランス『神々は渇く』
 
 
 「寛容」というと、なにやら道徳的でめんどくさそうだが、別にこれは
 
 「嫌いなものでも、愛して受け入れろ」
 
 みたいなことではない。
 
 「自分と違うものを、《そういうものだ》と放っておけばいい」というだけのことだ。
 
 これを皆が実行するだけで、人種間の確執や宗教戦争など、この世界からけっこうな多くの争いを、なくすことができるのではないだろうか。
 
 でも、その一見簡単なことが、なかなかできない。
 
 
 同志(タワリシチ)、常に人間というものは他の連中のやっていることを憎悪して、いつも駄目(ニエット)と言うものなんだ。

  《かれら自身のためになることだから》そんなことはやめさせろ―――それを言い出す自分自身がそのことで害を加えられるというんじゃないのにだ。 
 
  ―――ロバート・A・ハインライン『月は無慈悲な夜の女王』
 
 
 そう、われわれはしょせん「不完全」な存在だから。「他の連中のやっていることを憎悪」し、それを正しいことだと思いたがる。
 
 人はきっと、自分が思ってたり望んでたりするほどには、気高くも賢明にもなれないのだろう。
 
 だからせめて、自分がそうであることを自覚しておきたい。
 
 いたらなさを受け入れ、多様性を尊重し、人の弱さを嘲笑せず(それは自分の弱さから目をそらし、他者に押しつける行為だから)、自分よりも「不完全さがマシ」な人や、そうあろうと常に努力している人に、尊敬の念を抱くことを忘れないでおきたい。
 
 年の瀬にマリオ・バルガス=リョサ『チボの狂宴』を読み返しながら、ボンヤリとそんなことを考える。
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年末年始読書マラソン2018、今年も出走者が出そろいました

2018年12月28日 | 日記
 世界中から、重度の活字中毒者を集めて行われる読書マリリン・マラソン。
 
 今回も、45億人以上が集まっています。さあ、スタート。
 
 優勝者以外は、罰ゲームとしてロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』を読破の上、同じ長さの読書感想文を提出していただきます。
 
 
 年の瀬といえば私の場合、読書の季節。
 
 年末年始の休みには、家から出ずにひたすら本を読みまくるのが毎年の楽しみ。
 
 よくフランス人が「夏のバカンスのためだけに働いている」なんて言うけど、私もこの読書マラソンのために1年がんばっているようなもの。
 
 冬が近づくにつれ、本屋やネット書店で「これ、おおみそかに読もう」と買い物をするのが、もう楽しくて楽しくて。
 
 というわけで、今年もチョコとせんべいを山盛り用意して、朝から晩までひたすら読みまくる。そのラインアップはといえば、
 
 
 
 
 ハラルト・ギルバース『ゲルマニア』

 佐藤賢一『ダルタニャン物語』

 ジム・トンプスン『内なる殺人者』

 田中啓文『イルカは笑う』
  
 ジャック・フィニィ『盗まれた街』

 ロバート・ワイマント『ゾルゲ 引き裂かれたスパイ』

 静月遠火『パララバ』

 ジョン・ハート『川は静かに流れ』

 森枝卓士『カレーライスと日本人』

 アンドレアス・グルーバー『夏を殺す少女』

 梨木香歩『西の魔女は死んだ』

 ダフネ・デュ・モーリア『鳥』

 井上章一『京都ぎらい』

 フリードリヒ・デュレンマット『失脚/巫女の死』

 バリントン・J・ベイリー『時間衝突』

 筒井康隆『三丁目が戦争です』

 レイ・ブラッドベリ『瞬きよりも速く』

 沼野充義『世界は文学でできている』

 ぺトラ・ブッシュ『漆黒の森』

 デイヴィッド・ピース『TOKYO YEAR ZERO』

 布施鋼治『東京12チャンネル運動部の情熱』

 リチャード・ロイド・パリー『黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件の真実』

 ハンス=ユルゲン・ペライ『過去への扉をあけろ』

 早坂吝『RPGスクール』

 ヨハン・ブリュニール『ツール・ド・フランス 勝利の礎』

 柳下毅一郎『皆殺し映画劇場』

 
 
 嗚呼、こんなに読んでも積読はまだまだ終わらない幸せ。
 
 それではみなさま、良い年末を。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018年シャロン賞 社会思想部門はシャルル・フーリエ先生

2018年12月25日 | 
 みなさん今晩は、今年もシャロン賞の季節がやってまいりました。
 
 シャロン賞とは私が、今年1年で感動させられたり、感銘を受けたりした様々な人や物に対して贈られるもの。
 
 今回は「シャロン賞社会思想部門」で、獲得者はシャルルフーリエ
 
 みなさまは「空想的(ユートピア的)社会主義」という言葉を聞いたことがありませんか?
 
 世界史の教科書などでは、
 
 
 「サン=シモンやロバート・オウエンなどによって提唱された社会主義思想であり、のちに《科学的社会主義》のマルクスやエンゲルスによって批判された」
 
 
 みたいなことが書いてあって、なにか全体的に
 
 「頭の中が、お花畑な人」
 
 みたいなイメージだったんだけど、あらためて調べ直してみると、これがなかなかおもしろい。
 
 そもそも「空想的」という言葉の響きが悪いというか、それを言ったら「性善説」にのっとったマルクスの主張の方が、よほどユートピア的という批判もある。
 
 それとくらべるとサンシモンらの考え方はのちの
 
 
 「株式会社」
 
 「百貨店」
 
 
 という発想の元になっていたりと、現代にも大きな影響をあたえているといえるとか。
 
 フーリエ先生はそんな「空想的社会主義者」であり、サン=シモンやロバートオウエンと並んで、歴史の試験に出るほどの偉人なんですが、これが実にぶっ飛んでいておもしろいのなんの。
 
 まず、フーリエ先生といえば「情念引力」。
 
 情念引力
 
 小中高と習った理科の授業では、聞いたこともない言葉だが、先生によるとこれはニュートンの「万有引力の法則」と並ぶ、世紀大発見だという。
 
 この時点で、なにやら奇人というか、トンデモ臭が芬々と感じられるが、ではその「情念引力」とは、なんなのかと問うならば、
 
 「人は欲望があるからがんばれる」。
 
 みたいなことらしい。
 
 宗教や道徳の世界では、どちらかといえば
 
 「欲望を持つことは不純」
 
 「そういったものは捨てるべき」
 
 みたいなことになりがちだが、フーリエ先生は、
 
 「欲望、ぜんぜんええやん
 
 そこを肯定する。
 
 たとえば、人は労働することを嫌がるものだが、正当報酬が得られ、またその労働が本人にとって「楽しい」ことなら、欲望が満たされ苦痛でなくなる
 
 結果、生産効率も上がるというわけなのだ。
 
 さらには、ワークシェアリング的な発想もあったり、言っていることは、きわめてまっとうというか、どこかの国のブラック企業や政府に聞いてもらいたいくらいだが、ここでフーリエ先生は
 
 
 「惑星や彗星の動きも、情念引力が関係している」
 
 
 などと主張し出すから、話がややこしくなってくる。
 
 
 「銀河の星雲は友情に篤いので、恒星会議を開いて、地球のように危機にある惑星に対して援助を決定したりすることがある」
 
 
 なんだか少年ジャンプみたいな話だが、そこから先生は理想社会の実現のため、「ファランジュ」という共同体を作ることを提案する。
 
 これがまた、色々と難しいところもあるんだけど、なんか
 
 「フリーセックス全然OK!」
 
 みたいな話が出てきたりするところが、ちょっとアレだ。
 
 そこで、おススメされているプレイというのが、複数人による性交
 
 それも、われわれが想像するような男女3人でとか、そんなレベルではない。
 
 フーリエ先生流は、32人によるセックスであり、人数が多いとオーケストラのような集合技というか、調和的快楽が得られると。
 
 そんな3Pみたいな、下世話な話ちゃいまんねん、と。
 
 また、フーリエ先生はレズビアンが大好きで、そもそもその思想の根源が、売春宿で百合的な行為をこっそりのぞき見しているところに、
 
 
 「あれ? もしかしたら、これが《情念引力》なんじゃね?」
 
 
 そう目覚めたところから、生まれたのだから、エロの力というのは偉大である。
 
 さらにはそういった行為で、調和社会が実現すると、人間も進化して羽が生えて空を飛べるようになり、魚のようにエラができて水中での生活が可能に。
 
 身長は7フィート(約2メートル13センチ)になり、144歳まで生きることができるようになる。
 
 さらには、空から焼き鳥チキンソテーの雨が降ってきて、木の枝にはラム酒だけでなく、カステラシャルロットといったお菓子が生り、動物たちが
 
 
「わたしたちを食べてください」
 
 
 列をなして頼みに来るようになり、泉からはシャンパンが湧き出る。
 
 そんなに食べられないよ! という小食な方もご安心。
 
 そのころには人類の胃も丈夫になって、1日に12回の食事をとれるようになるのだ。
 
 読んでて「いや、意味わかんないんだけど……」とおっしゃる読者諸兄はおられるかもしれないが、その判断は正しい。
 
 なんたって、書いている私自身がよくわかってないのだ。なにいうてまんねん、フーリエ先生。
 
 今回の話のタネ本は鹿島茂先生の『パリ世紀末パノラマ館―エッフェル塔からチョコレートまで』なんだけど、それを参照しても、フーリエ先生がなにを主張されたいのか、いまひとつピンとこない。
 
 鹿島先生の著作の多くは、文章も軽妙かつ平易で、サクサク読みながらパリやフランスの文化が勉強できる、超絶スグレ本。
 
 そんな鹿島先生の筆力をして、困惑させられるのだから、そのフーリエ先生の複雑怪奇な思想を、私のような凡夫が解説できるはずもない。
 
 私の理解力によれば、
 
 
 「ワシと一緒にエロエロな変態行為をやってたら、宇宙の秩序が安定して理想の社会が実現するんや!」
 
 
 みたいな感じ。
 
 なんだか、アヤシゲなセックス教団のようだが、もちろんフーリエ先生は大マジメである。
 
 とにかくですねえ、私の理解力など、遠くおよばない数々の「奇想」は知る価値あり。
 
 「なにを言っているのか、わからない度」
 
 は高いが、
 
 「なにか、すごいこといってるらしい度」
 
 もまた爆発しているのだ。とにかくド迫力。
 
 先生の思想を体現したイラストとかもまた、今のカルトっぽくて、実にいい味である。
 
 見てて、頭クラクラするというか、昔友人にオウム真理教の道場連れていかれたとき(行くなよ)、こういうの山ほど見せられて、辟易したことを思い出しちゃったよ。
 
 「パレロワイヤルの奇人」と呼ばれ、弟子からも
 
 「先生、あんまそういうアヤシイこと言わない方がいいッス……」
 
 ビビられていたところもナイスだ。
 
 そんなフーリエ先生、堂々の2018年シャロン賞気ちが……もとい社会思想部門受賞。おめでとうございます。
 
 
 (狂った社会思想アイルランド編は→こちら
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018年シャロン賞 アイドル部門は元アイドリング!!!の朝日奈央さん

2018年12月21日 | うだ話
 みなさん今晩は、今年もシャロン賞の季節がやってまいりました。
 
 シャロン賞とは私が今年1年で感動させられたり、感銘を受けたりした様々な人や物に対して贈られるもの。
 
 和文和訳すれば、
 
 「冬で寒くて超やってらんないから、思いついたものを起承転結とかなしでテキトーに並べて出します」。
 
 というもので、平成最後の当ページを飾るにふさわしい手抜……もとい、等身大でリラックスした企画であると言えましょう。
 
 ではどんどん行きましょう。
 
 まず「シャロン文学賞」からはミシェル・ウェルベック『服従』とクリストファー・プリースト『奇術師』。
 
 映画「アカデミーシャロン賞」はミヒャエル・ハネケ『白いリボン』。
 
 主演男優賞『処刑ライダー』の外の人。主演女優賞『ガルパン』でロシア語しゃべってた声優さん。
 
 続いて、「シャロン賞アイドル部門」からは、朝日奈央さん。
 
 元アイドリング!!!で、現在ではバラエティー番組を中心に大ブレイク中の彼女だが、感心させられたのはその明るい性格でも、ステキな笑顔でもない。
 
 たまたま見た『ゴッドタン』の「芸人マジ歌選手権」で見せた、お笑いコンビにゃんこスターの完コピ芸。
 
 ボーっと見てたらすごいクオリティーで、爆笑&大感動。おぎやはぎのお二人も感心する再現率の高さ。
 
 本人も「死ぬほど練習した」そうだが、それが伝わるレベルの高さ。いやあ、笑いました。下手したら、本家よりおもしろいんじゃなかろうか。
 
 あとですね、見てるとなにげにコンビを組む野呂さんが、どんどんかわいく見えてくるという(笑)。なんかもう、ハマりまくり。映像100回くらい見てですね、ついでに昔フジテレビでやってた『アイドリング!!!』とか今さら見たりして。
 
 これ、関西だとサンテレビでやってたんだよなあ。なんか、寝れない夜とかに、ちょいちょい見てた記憶がある。今の視点だと、推しメンにするなら森本さんだけど(←それメンバーじゃないよ!)、ガチでつきあうならさかっちかな。
 
 私は「女子っぽい」人は苦手なので、さばけた感じの酒井さんとは合いそう(あまったお弁当を持って帰るところとかステキ)。
 
 あとはルーリーと浮気して、「で、いつ奥さんと別れてくれるわけ?」とか詰められたい。若いところなら金持ちらしい石田氏がよさそうだけど、ちょっと細すぎるかな……て、全然朝日さん推してないじゃん!
 
 まあ、朝日さんは男女問わず「女子の親友」が似合うでしょう。
 
 なんにしても、これだけの芸ができたら、そりゃ売れるはず。朝日奈央さんと野呂佳代さんの2人が、堂々のシャロン賞アイドル(元)部門受賞です。
 
 
 
 ★おまけ プロもうなる完コピ率のにゃんこスターは→こちらと→こちらから
 
 

 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パンクとファルスの抱腹絶倒日本文学 坂口安吾『風博士』を読もう! その2

2018年12月18日 | 
 前回(→こちら)の続き。
 
 林太郎金之助も悪くないが、日本文学の最高峰は坂口安吾であると確信している。
 
 安吾先生の魅力は、一言でいえば「パンク」である。
 
 『日本文化私観』など、のっけからブルーノタウトが絶賛する桂離宮を「見たことがな」いとし、茶の湯石庭よりも小菅刑務所ドライアイス工場を美しいと礼賛。
 
 あまつさえ、
 
 
 「必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい」
 
 
 などとぶちあげる。
 
 これには坂口ファンであると公言する作家や文化人すら、
 
 
 「論旨が破綻している」
 
 「そこまで日本古来の文化をあしざまにいう必要があるのか」
 
 
 首をひねるが、もちろんのこと安吾先生だって、本当に寺をつぶして停車場を作れと言っているわけではあるまい。
 
 この『日本文化私観』では、冒頭から「日本を愛する」ブルーノ・タウトという「偉い人」をもってくるところからして、そういう
 
 
 「気取った文化人が語る日本文化」
 
 
 にモノ申したいわけだ。
 
 法隆寺竜安寺石庭が悪いのではない。
 
 そういった「文化的」なものを
 
 
 「権威があるから」
 
 「えらい人がいいと言っているから」
 
 
 などといった理由だけでほめたたえ、しまいにはその意見にくみしない人を見ると、
 
 
 「おまえはわかってない」
 
 「伝統文化なんだから敬えばいいんだ」
 
 
 などと、権威ぶってカマす俗物。そういった連中の性根こそを、
 
 
 「停車場にでもしたったらええねん!」
 
 
 一撃食らわせているわけだ。
 
 これには、なんと痛快なことであるかと溜飲が下がる思いだった。私も当時、無力な10代男子として、
 
 
 「えー、これ流行ってるのに知らないのー?」
 
 「我々には歴史と伝統がありますから」
 
 「先生がそういってるんだから、だまってやればいいんだ」
 
 
 などといった、意味不明高圧的態度に、
 
 
 「流行りって、ただの広告代理店の宣伝や! こっちを愚民あつかいして高笑いしとるやつらの流す情報なんぞ、知ってるほうが、おどれの知性と個性の欠如をあらわしとるんや!」

 「歴史と伝統って、ただ古いだけやし、仮にそれに価値があるとしても、それでイバるお前は、『オレの兄ちゃんヤンキーやから、お前らのことシバいてもらうからな!』ってえらそうにしてる中学生と変わらん!」

  「だまってやればいい。その通り! 日本の学校教育いうのは、アンタのやるような《奴隷根性の育成》ですからな。でも、そんな《ヨゴレ仕事》をやってるという罪悪感くらい持っても、バチは当たらへんのとちがいますか?」
 
 
 なんて、いちいち憤っていた私からすると(というか、でも全然思ってますけど)、安吾先生の言いたいことは共感度400%なんである。
 
 ようするにいいたいことは、人が「」とか「歴史」とか「芸術」とか、そういったものと向き合うときに、審美眼知性は必要だが、
 
 
 「権威によっかかっただけの、えらそうな連中のご高説」
 
 
 これがいらないということだ。「流行」? 知らん。「伝統文化」? に食わせとけ。
 
 そういった「上からの雑音」は本当に邪魔だ。マンガ家桜玉吉さんの名セリフを借りれば、
 
 
 「自分の好きなものくらい、自分で決めるよ」
 
 
 だから「日本文化」に安易によっかかる人に疑念の目を向ける。
 
 日本文化が良いものであることは本当だろう。だがそれは、決して
 
 
 「ブルーノがそう言ったから」
 
 
 であってはならない
 
 大人を信じるな! ドント・トラスト・オーバーサーティー! これぞまさに、パンクではないか。
 
 以上、これが「正解」かどうかはわからない私の勝手読みだが、「」の部分は共通しているのではあるまいか。
 
 後年、パンク歌手で芥川賞作家町田康さんの作品を読んだとき、
 
 
 「あっりゃー、この人、絶対安吾チルドレンや」
 
 
 と感じたものだが、調べてみるとやはりそうで、それどころか坂口安吾を特集した本では対談で、熱くそのを語っておられた。
 
 やっぱり、そうであった。私はパンクという魂を、イギー・ポップでもザ・クラッシュでもなく、坂口安吾から学んだのであった。peste!
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パンクとファルスの抱腹絶倒日本文学 坂口安吾『風博士』を読もう!

2018年12月17日 | 
 坂口安吾はもっと評価されてもいい。
 
 というのは、かねてからの強い思いであった。
 
 少し前、お笑い芸人であるピース又吉さんが芥川賞を受賞し、その流れで一時期本屋の店頭に、
 
 
 「又吉さんがおススメする一冊」
 
 みたいなコーナーが、よくもうけられていた。
 
 うちの近所の書店でも太宰治遠藤周作といった古典ともいえるものから、村上龍西加奈子といった現代文学の人気作家まで幅広く紹介されていたが、どうにも消化不良であったもののだ。
 
 だって、オレの好きな坂口安吾が入ってないんやもん!
 
 太宰もよかろう、遠藤だって私の好きな作家である。
 
 だがしかーし! 日本文学といえば『堕落論』『桜の森の満開の下』を擁する安吾先生を。
 
 江戸川乱歩と並んで私の人生に大いなる影響をあたえたアンゴウ先生を忘れるなど、それはもう画竜に点睛を欠きまくりサンダーボルトではないか!
 
 いやいや、お前の趣味は知らんといわれそうだが、そんな声こそ知らんのである。
 
 というわけで、今回は私の敬愛する作家である坂口安吾、その魅力を語ってみたい。
 
 思い起こせば、安吾先生との出会いは、まだ高校生のころであった。
 
 当時からヒマさえあれば本ばかり読んでいる、そのころでさえ絶滅危惧種の読書野郎であった私は、ある日、本屋で刺激的なタイトルの本を手に取ることとなった。
 
 それが坂口安吾の『堕落論』である。
 
 私は基本的にミステリSFといったエンタメものが好きであるが、文学もけっこう好むところがある。
 
 とはいえ、そっちは主に海外物が中心で、プーシキンとかサマセットモームシュテファンツヴァイクヨーゼフロートなんかが好きだったけど、一応日本モノも芥川とか遠藤周作もよく読んでいた。
 
 そんな中、坂口安吾とは国語の授業などでも漱石鴎外などとくらべるとややマイナーであり、イメージとしては
 
 
 「部屋が超ちらかっているメガネのオッチャン」
 
 
 くらいのものしかなかったが(あれは絶対「キャラ設定」のためワザとやってるよなと、友人と邪推したものだ)、あにはからんや、読んでみたらこれが、とんでもなく引きこまれたのである。
 
 私が買ったのは集英社文庫版であり、表題作の『堕落論』以外にも、代表作である『桜の森の満開の下』や『日本文化私観』。
 
 また、自殺した太宰をあつかった『不良少年とキリスト』などが収録されていた。
 
 そのどれもがおもしろかったが、もっとも感嘆したのがデビュー作の『風博士』。
 
 ストーリーはといえば、これが特にはない。そもそも、起承転結的な構成を楽しむものではない。
 
 ではなにがおもしろいのかといえば、その徹底したナンセンス
 
 主人公風博士とライバルである蛸博士との、少女カツラをめぐるドタバタ劇
 
 これが坂口独特のリズミカルな文体により、もう読ませる読ませる。落語というか、めっぽう出来のいい講談を聞いている気分。
 
 私はこの作品に耽溺するあまり、全編を原稿用紙に書き写し、友人知人にもすすめまくったのだが、反応はイマイチであった。
 
 まったく、文学の妙味がわからぬとは蒙昧な凡夫どもめ。中には
 
 
 「読んだけど、オチがバカバカしすぎてしらけた」
 
 
 などといった的外れな感想を述べるヤカラもいた。
 
 バカバカしい! そここそが、『風博士』のもっともすばらしいところだというのに!
 
 バカバカしいものを、テレもせず、変なテーマ情緒などで味付けもせず、そのままどストレートに放ってくるところが、この作品の偉大さである。
 
 バカバカしい、さもあろう。意味が分からない、かもしれぬ。重厚さのかけらもない、しかりしかり。
 
 しかしである、それがもし否定の意味で使ってるのなら、あなたはまったくの筋違いだ。
 
 即刻その頭上に鎮座する鬘をばはぎとり、禿頭を世にさらすことによって反省すべきである。嗚呼、悲しいかな悲しいかな。
 
 『風博士』にピンとこないあなたは、この作品の自己解説ともいうべき『FARCEについて』を開くべきであろう。
 
 この『FARCEについて』もまた、私に大いなる影響をあたえた一作である。
 
 
 「笑いは泪よりも内容の低いもの」
 
 
 という意識が幅を利かす日本において、
 
 
 「芸術の最高形式はファルスである」
 
 
 とぶちあげ、道化ドタバタ滑稽といったものに光を当てる。
 
 私もまた、ファルス、道化、ドタバタ、滑稽、大いに好むところである。「笑い」というと、
 
 
 「そんなふざけてないで、もっと深遠なテーマ性をもって文学と接しなさい」
 
 
 などとほたえる国語の教師や、さかしらな評論家などまったく無粋であると考えていたところに、この
 
 
 「情緒や重厚な文学性など、へーこいてプー」
 
 
 な姿勢には、心底「アニキ、ついていかせてください!」と感涙に打ち震えたものだ。
 
 私の好きな一節をここに引用すると、
 
 
 「ファルスとは、人間のすべてを、全的に、一つ残さず肯定しようとするものである」
 
 
 とし、
 
 
 「ファルスとは、否定をも肯定し、肯定をも肯定し、さらにまた肯定し、結局人間に関する限りの全てを永遠に永劫に永久に肯定肯定肯定して止むまいとするところである」。
 
 
 どうであろうか、この怒涛の「肯定7連発
 
 このリズミカルな連打こそが、坂口ファルスの真骨頂だ。
 
 これにくらべれば日本文学的「美文」など、ただの催眠文章である。
 
 一度読めば、もうハマること間違いなし。諸君! 志賀も川端も投げ捨てて、今すぐ坂口を手に取れ!
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の好きな名探偵 貴族探偵ダゴベルト・トロストラー

2018年12月07日 | 
 「あなたの好きな名探偵投票キャンペーン」
 
 
 というのは、ミステリー専門チャンネル「AXNミステリー」が開局20周年を祝してやった企画だが、そんなものを見せられたら
 
 「オレにも語らせろ」
 
 となるのがファンというもの。
 
 そこで前回(→こちら)「名探偵巫弓彦の話をしたが、続くはこの人。
 
 ダゴベルトトロストラー
 
 といっても知っている人は少ないかもしれないが、オーストリア=ハンガリー帝国時代に活躍した作家バルドゥイングロラーが世に出した名探偵
 
 と聞くと、
 
 
 「世紀末ヨーロッパ? ハプスブルク朝? 帝政ウィーン? もう大好物!」 
 
 
 なんてヨダレを垂らす人もおられるかもしれないが、その通り。
 
 この貴族探偵ダゴベルトは、20世紀初頭の、まだ古きヨーロッパの残り香がかろうじて残っていた、あの時代に活躍する名探偵なのだ。 
 
 歴史もの、中でもヨーロッパ好きにとって、
 
 
 「この時代が舞台なら読む!」
 
 
 という人気時代はいくつかあって、
 
 
 「ローマ帝国」
 
 「革命フランス」
 
 「ヴィクトリア朝ロンドン」
 
 「スペイン内戦」
 
 
 あたりが鉄板で、私なら
 
 
 「第一次大戦から、ナチス崩壊へ至るころのドイツ」
 
 
 が入るが(皆川博子総統の子ら』、須賀しのぶ神の棘』とか)、こういったラインアップの中に確実に、
 
 
 「ハプスブルク家が治めるオーストリア=ハンガリー帝国」
 
 
 というのが入ってくるのだ。
 
 フランツカフカをはじめ、アルトゥルシュニッツラーや、私の大好きなシュテファンツヴァイクヨーゼフロート
 
 そんな面々が活躍したころといえば、その空気感がわかっていただけるのではないか。
 
 最近では、ウェスアンダーソンの映画『グランドブダペストホテル』とか、モロにそのノリである。
 
 ダゴベルト・トロストラーの魅力は、もうそのものズバリ「貴族的」であること。
 
 第一次大戦前で、文化的には頂点を極めた帝都ウィーンで、音楽犯罪学に淫する貴族探偵と聞くと、もうその設定だけでウットリ
 
 そんな彼が、ワトソン役のグルムバッハ豪華ディナーに舌鼓を打ち、オシャレなタキシード姿で葉巻ワインを楽しみながら事件を解決したりした日には、優雅すぎて笑ってしまうではないか。
 
 邦訳されている『探偵ダゴベルトの功績と冒険』も、読みやすくも優雅な文体と、品のあるユーモアに彩られ、「ホームズライバル」と称されながらも、なぜにて日本ではマイナーなのか不思議なほどだ。
 
 そんな格調高いダゴベルトの物語は、ミステリファンのみならず、世界史好きと、あとたぶん将棋の佐藤天彦名人にもおススメです(←今日はこれが言いたかった)。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の好きな名探偵 北村薫『冬のオペラ』の「名探偵」巫弓彦

2018年12月04日 | 
 前回(→こちら)の続き。

 ミステリー専門チャンネル「AXNミステリー」がやってた


 「あなたの好きな名探偵投票キャンペーン」


 この影響で、「ベスト」を作ることとなったミスヲタの私。

 『情婦』のウィルフリッド卿ミスプリムソルに『シベリア超特急』の山下奉文陸軍大将ときて、続きましては「巫弓彦」。

 「かんなぎ ゆみひこ」と読みます。

 直木賞作家である北村薫先生の『冬のオペラ』に出てくる「名探偵」。

 北村先生といえば、「」シリーズの円紫さんや、「覆面作家新妻千秋といった人気キャラはいるものの、千秋さんはちょっと作りすぎてるとか、円紫師匠は落語家のわりにはモラリスティックすぎるとか。

 そもそも「」ってちょっとなあ……。つきあっても若干、息苦しそうだし。

 あのシリーズに出てくる女性キャラ、みんなヤな女だからなあ。

 とかもあって、物語は抜群に面白いけど、「キャラ萌え」といった感じにはならないのだ。
 
 そこへくると、この巫弓彦は実にが深いキャラ。

 そもそも存在自体が東野圭吾さんの「天下一大五郎」と同じく「名探偵のパロディ」。

 ゆえに笑いと、北村薫風にいえば「おかし」の感情がないまぜになるのは必然なのだが、そこになんともいえない渋味というか哀愁がある。

 シリーズ1冊しかない、北村作品の中でもマイナーキャラである巫探偵が、ここに語られるのは、やはりこのセリフがあるから。

 自らを「名探偵」と称する彼には、当然のごとく


 「は? 自分で《名探偵》とか、バカなんじゃね?」


 というツッコミが入るわけだが、これに対する返答が、この巫弓彦の真骨頂だ。



 「《名探偵》というのは、行為や結果ではないのですか?」

  巫弓彦は、背筋を伸ばしたまま答えた。

  「いや、存在であり意志です」
 


 
 すごい言葉だ。

 学生のころここを読んで、私は大げさでなく震えた

 すごい、こんなもん、並みの作家では書けないよ。北村先生、すごすぎる

 なにがすごいって、ミステリを読まない人にはどうにも説明不能だが、とにかくすごいのだ。

 なんだろうなあ。「名探偵」という存在に対する畏怖あこがれ諦観といった、ミステリファンならだれもが持っている「信仰」のようなもの。

 こいつを激しくゆさぶる、まさにパワーワードなのだ。

 『冬のオペラ』自体、北村薫作品の中では相当に地味で、はじめて読むなら、デビュー作にして大傑作の『空飛ぶ馬

 あるいは直木賞を取った『街の灯』など「ベッキーさん」シリーズの方が良いと思うけど、やはり一撃のインパクトでは巫弓彦が一番であろう。

 子供のころ、「将来の夢」という質問に「名探偵」とガチで答えたことのある者は、きっとここを平静な気持ちでは読めないはず。

 ……とここまで読んで、読者諸兄の中には、サンドウィッチマン富澤さんのごとく


 「ちょっと、なにいってるかわからない」


 となった人もいるかもしれないが、まあそれは正しい反応である。

 たぶんこれは、


 プロレスファンが語る、《レスラーって本当はすごいんだ》論」 


 みたいなもので、この世界にどっぷりとつかったことがある者以外、なんとも伝わりにくい話なのだ。

 だが、私のような因果なミステリ読みにはガツンと来た。

 ミスヲタなら、北村薫作品では、『冬のオペラ』と『ニッポン硬貨の謎 エラリー・クイーン最後の事件』は必読。

 そこに籠められた、「泣き笑いの愛」が素直に伝われば、あなたは立派なミステリ読みです。

 巫弓彦、「俺ベスト」に堂々ランクイン。



 (続く→こちら
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の好きな名探偵 水野晴郎『シベリア超特急』の山下奉文陸軍大将

2018年12月01日 | 
 前回(→こちら)の続き。
 
 ミステリー専門チャンネル「AXNミステリー」の、
 
 
 「あなたの好きな名探偵投票キャンペーン」
 
 
 という企画の影響で「俺ベスト」を作ることとなったミスヲタの私。
 
 『情婦』のウィルフリッド卿ときて、続いては山下奉文陸軍大将などいかがでしょう。
 
 映画評論家でもある「マイク水野」こと水野晴郎先生による大傑作ミステリ映画『シベリア超特急』で、様々な動機や謎にトリックがからみ合った難事件を見事に解決してしまう、日本軍が誇る名探偵だ。
 
 なんといってもアツいのは、「マレーの虎」こと山下大将を自ら演じたマイク水野の卓抜した演技力
 
 初登場時の「狸寝入り」という言葉しか思い浮かばない、しらじらし……もとい伝達力に富んだ芝居からはじまって、
 
 
 「ヒドイ棒読み」
 
 「アンタは山ほど見た名作映画からなにを学んだんや」
 
 
 というツッコミのすべては、
 
 
 「山下大将は実際ああいうしゃべりかただった。あれはわたしの演技力で忠実に再現しているのだ」
 
 
 と言い切るきっぷの良さにシビれる。
 
 あの
 
 
 「ひっとらーはしんようでけん! すたありんも、な」
 
 
 という、すっとぼけた言い回しにはしみじみと、
 
 
 「嗚呼、開始5分で理解できた。この映画は伝説になる。製作者の意図と逆回転で」
 
 
 そう確信したもの。あの有名なラストメッセージも、
 
 
 「先生、それを言葉にせず伝えるのが、映画という芸術の意義やないんですか……」
 
 
 なんてあきれ……じゃなかった、私の持つ凝り固まった芸術観に一石を投じてくれたのだった。
 
 なにかもう、見ている間中ずっと
 
 
 「こんなスカタン連発やのに、作ってる本人が大傑作と疑ってないところがすごい」
 
 
 感動しっぱなしで、人ならだれもが知りたがる「幸福とはなにか」という哲学の結論に、大きな影響をあたえてくれたもの。
 
 幸せになるには、きっと「カン違い力」を高めるのがいいのだろうと。ナベジュン先生も、百田さんも、高須院長もみんなそう。
 
 こんな映画がゆるされるなら、ボクたちを縛りつけるものは何もない、もっと自由に生きていいんだ!
 
 そんなことすら思わせてくれたのが、『シベリア超特急』とマイク水野という存在。
 
 そんなステキにスットコな水野先生の山下大将、「俺ベスト名探偵」にようこそ。
 
 
 (続く→こちら
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする