ワールドカップ注目の選手は彼らだ(ドイツ編)

2014年05月27日 | スポーツ
 ワールドカップはドイツが優勝で決まりだ。

 もうすぐブラジル大会が開幕するが、1990年イタリア大会以来、一貫してドイツ推しを貫いてきた私であるため、この予想は当然であろう。

 今のドイツは史上最高と誉れ高く、ブラジルもスペインもアルゼンチンもポルトガルも、もう鼻息プーで吹っ飛ばすつもりだが、そこで今回は私が今大会で注目しているドイツ代表選手を紹介したい。

 まずは見てほしい名前をズラッと挙げてみよう。

 ロン・ロベルト・ツィーラー
 ペア・メルテザッカー
 トーマス・ミュラー
 マックス・マイヤー
 マリオ・ゲッツェ
 ロマン・ヴァイデンフェラー
 ユリアン・ドラクスラー
 マルセル・シュメルツァー

 これらの選手をぜひ応援したい。どうであろうか、この充実のラインアップ。

 というと、名前を挙げたはいいが、その根拠は何なのか。ただの「にわか」のように、適当なことを言ってると承知せんけんね。

 そうコアなサッカーファンに怒られそうだが、そういう人はこれらの選手たちには、ある共通点があることを思い出してほしい。

 一見、ポジションや所属クラブに一貫性がないようにも見えるが、サッカー観戦には欠かせない注目ポイントがあることを即座に見抜きたい。

 答えはそう、「どの選手も名前がドイツっぽくてカッコイイ」。

 なんだか、モニターの向こうから「アホか」「ド素人」「家でカバディーでも見てろ」などと、つっこみの嵐が飛んできそうだが、いやいや、これが意外と大事なところなんです。

 なんといっても、ここ数年サッカー観戦で困ることと言えば、

 「選手の名前が覚えられない」

 私もまだ老けこむほどではないが、確実に「元・若者」な年齢に達しつつある。

 そうなると驚異なのは、脳の働きの減退。特に記憶力はてきめん、おとろえが激しい。

 スポーツなど見てもなかなか選手の名前が覚えられない。さすがに、メッシとかクリスティアーノ・ロナウド、バロテッリといったメジャーどころや、ブンデスリーガやセリエAのレギュラークラスの選手なら、まだ大丈夫だ。

 だがこれが、実力はあるが、さほどテレビなどでは見られない選手をにわかチェックすると、もう覚えられない。

 一応、開幕に備えてサッカー好きの友人などに、「誰をチェックしたらええの?」などと聞いてはいるのだが、

 「コロンビアのティオフィロ・グティエレスがいいよ」

 「スイスのトランクイロ・バルネッタだね」

 「ボスニア・ヘルツェゴビナのハリス・メデュニャニンで決まりでしょ」

 なんていわれても、そんなん覚えられませーん。

 そうなると、ありがたいのはドイツ系の名前である。かくいう私は学生時代ドイツ語を学んでいたので、彼の国の名前にはなじみがあって、頭に残る。

 いやホントに、ブスケツとかモントリーヴォよりも、バスティアン・シュヴァインシュタイガーみたいな、いかつい名前の方が覚えやすいんである。

 その点、「メルテザッカー」なんて、いかにもドイツ風で大変ありがたい。プレー的にはメスト・エジルとかルーカス・ポドルスキもいいけど、やっぱ男は「ヴァイデンフェラー」でしょ。これぞゲルマン魂。

 一回聞いたら、忘れないのがいいよね。まあ、私だけかもしれないけど。



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フェルナンド・ベルダスコここにあり

2014年05月17日 | テニス
 錦織圭がヨーロッパのクレーシーズンで大活躍している。

 そんな流れもあって、このところテニスのサイトをあれこれのぞいていると、「すごいよな」「やっぱ、マイケル・チャンの影響がでかいんだろうね」「でも、ローラン・ギャロスは出られないかもよ」などと、テニス雀たちも大いに盛り上がっている。

 そんな中、「錦織圭 バルセロナ優勝」などで検索していたら、あるサイトでこんなデータが投稿されていた。

 バルセロナオープンの優勝者

2005 ラファエル・ナダル
2006 ラファエル・ナダル
2007 ラファエル・ナダル
2008 ラファエル・ナダル
2009 ラファエル・ナダル
2010 フェルナンド・ベルダスコ
2011 ラファエル・ナダル
2012 ラファエル・ナダル
2013 ラファエル・ナダル
2014 錦織圭

 うーん、あらためて見て、すごいもんである。ここに錦織圭の名前があるのもさることながら、ずらっと並んだナダルの名前。

 もっと言えば、これだけでなく、ナダルはクレーシーズンでは、モンテカルロでは怒濤の8連覇。ローマでも過去9年で8回決勝に進出して、そのうち7回優勝してるんだから、バルセロナの結果も特におどろくに当たらないところが、またすごい。

 それともうひとつ、2010年のところにポツンとあるフェルナンド・ベルダスコという名前が、なかなか味わい深い。

 ベルダスコ。いいなあ。こういう、いい感じで地味(といっても、フェルナンドは雑誌の表紙を飾るような男前だけど)な実力者というのは、玄人のテニスファン心をくすぐる。

 私はちょっと「クレーコーター萌え」なところがあり、こういう選手がちょこちょこ活躍しているのを見ると、「お、やってるな」と、なんだかうれしくなってしまうのだ。

 ナダル、ナダル、ナダルときてベルダスコ、またナダル、ナダルと来て、錦織圭。

 うーん、なんだかフェルナンドがいいアクセントになっているというか、何度見ても笑ってしまう。この表を貼りつけた人もまた、この「途中に一回ベルダスコ」というところが気に入ったのだろう。センスがいいなあ。

 と、なんのセンスなんだかいまいちよくわからないところに感心しているわけだが、ともかくもフレンチ・オープンはナダルに錦織君と、あとフェルナンド・ベルダスコにも注目ということだ。

 がんばれ、地味なクレーのスペシャリストたち!


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ミス・サイゴンのいちばん長い日

2014年05月05日 | 海外旅行
 アオザイのファンである。

 アオザイとは、ベトナムの民族衣装。アジアではチャイナドレスと並ぶ男心をくすぐるアイテムといわれている。

 ベトナムを旅行した際、ホーチミンの街中でもアオザイを着た女性を何人も見た。なるほど、たしかに噂にたがわぬ可憐な衣装である。薄い絹でできたそれは涼しげで、実にさわやか。

 パッと見「白いチャイナドレス」といった印象だが、実際アオザイの元ネタはチャイナドレスであるらしい。

 ただ違うのは、チャイナドレスはスリットから顔をのぞかせる生足が魅力だが、アオザイの方はゆったりした長ズボンになっていること。

 単純な色気からいえばチャイナ服のほうが上かもしれないが、私の個人的好みからいえば足を隠しているアオザイの方が好きだ。

 これまた個人的嗜好だが、整った顔立ちでスタイルのよい、いかにもベトナム美人といった女性よりも、どちらかといえば野暮ったいというか、谷山浩子歌うところの「カントリーガール」みたいな女の子とかの方が逆に似合う気がした。

 セクシーな衣装とそれに「着られている」感のミスマッチの妙というのか。

 実際あるバス停で、頭が良さそうだけど、いかにも地味な縁なしメガネをかけた女の子を見かけた。

 ニックネームは間違いなく「委員長」といった彼女。これがもう色気がなくて、全然アオザイは似合っていないんだけど、ベトナムで見た女性の中で一番かわいかったものだ。

 私は「地味だけど頭のよさそうな女の子」が好みなのだ。「それが、あえてアオザイ」というのが、そそるのである。

 評判通り、アオザイはええもんですなあ。などと、女性の冷たい目線をよそに男としてつい盛り上がってしまうが、実際アオザイは日本人男子に大人気。

 旅行好きのカメコ(カメラ小僧の略)などはベトナムの女子校や女子大などに張りこみをかけ、アオザイ姿のベトナム美女を激写しているという。

 「アオザイいいですよー。生地が薄いから、下着が透けて見えるところがたまんないっすねえ」

 などとバッシバッシとシャッターを押しているそうである。うーむ、なんという阿呆……もとい激しい情熱であろうか。

 彼らによると、最高のシャッターチャンスは雨が降ったときであるという。

 アジア特有のスコールに打たれた彼女たちは、生地を体にべっとりと張りつかせ、スタイルをモロ出しにさせる。しかも下着は10倍増しで鮮明に見える。そこをカシャカシャカシャカシャカシャカシャ……。

 カメコ冥利につきるという話である。これにはさすが「アオザイいいよね」と語っていた私もあきれたものだ。なにをやっているのか。

 それではただの変態ではないか。日本男児としてそれでいいのか。うら若き女性の下着を激写など、まったくうらやましい……ではなかった嘆かわしい。

 もちろん硬派な私は、カメラでスケスケ美女を撮りたいなど、そのような下心など持ってはいない。

 持ってはいないが、今は環境問題や地球温暖化について大いに語られている時代でもあり、まあ何がどうということはないのだが、とりあえずベトナムの雨季について調べてみたりした。

 もちろん、そこにはいやらしいな視点など微塵も存在せず純粋にエコロジー的な観点からアプローチしているわけで、そこのところを懸命な読者諸兄は誤解してはならないが、なんにしても私の滞在中は一度も雨が降らなくて無念であった。

 そんなわけで全然下心などなく、やましい思いなどかけらもない私であるが、次ベトナムを訪れるときには地球に優しい観点からして、ぜひとも雨降りの季節に訪れたいものである。



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ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー『ブンデスリーガ』  その2

2014年05月03日 | スポーツ
 ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー『ブンデスリーガ』を読む。

 前回(→こちら)は、この本によると今では2006年ワールドカップで「Willkommen zu Fussballland」(サッカーの国にようこそ)なんて看板を出していたドイツだが、サッカーがイングランドから上陸した当初は、

 「サッカーなんてやってるヤツはクズ」

 とばかりに、むちゃくちゃに迫害されていたという話をした。

 とにかく当時のドイツのスポーツ界では、サッカーといえば野蛮なヨソ者の競技であり、「英国病」などと悪口を言われる。

 ドイツ人の「嫌ごと言い」は、とにかくとめどがなく、

 「人は軽蔑を表すのに、足蹴にすることがある。しつけの悪い犬は足で蹴るものだ。大事なボールを足で蹴るなんて最低ではないか。サッカーってのは、そういう軽蔑すべきものなのだ」

 とか言われていたそうである。

 そういえば子供の時、マンガの中で大空翼君が、

 「ボールはともだちさ!」

 の名セリフを残したとき、クラスメートの連中が

 「ともだちを足で蹴るなんてヒデーよな」

 なんて、したり顔でつっこんでいるのをよく聞いたものだが、ドイツ人も同じこといってたわけだ。言葉や文化は違っても、「定番のツッコミ」というのはどこの国でも変わらないらしいところがおもしろい。
 
 さらには、「あのボールを追う腰を曲げた姿勢がかっこわるい」とか、「足を使う無骨者」とか、「イングランドのどうでもいいスポーツ」とか、果ては

 「不快」
 「馬鹿げた」
 「醜い」
 「邪道」

 などなど、もう言いたい放題。どんだけサッカーのこと嫌いやねんドイツ人!

 こんな、ノンスタイル井上君並に罵倒を浴びせられていたドイツサッカーだが、後の隆盛ぶりについてはいうまでもあるまい。

 今ではようこそサッカーの国。人の心なんて、わからないものだ。

 こういう事例を見ると、人が今「こんなものはダメだ」なんていうときは、案外根拠なんてないってことがよくわかる。

 女に責任ある仕事は無理とか、有色人種は能力的に劣っているとか、日本人は劣化してるとか、マンガを読むとバカになるとか、ゲーム脳とか、インターネットなど本当のコミュニケーションではないとか。

 結局のところ、人というのは「自分が理解できないもの」に拒否反応を示すだけということだ。

 かつては相撲と並んで日本の国技ともいえた野球だって、明治時代は

 「あんな《塁を盗む》なんていう卑劣なルールがある競技は、武士道からして考えられへんで!」

 なんてマスコミが大挙して「野球害悪論」のキャンペーンを張ったものだ。

 今となっては笑い話だが、当時は大まじめどころか、野球擁護論者の必死の反論がなければ、今ごろ甲子園もプロ野球も存在しなかったかもしれないのだ。

 そう考えると、今の「○○が日本をダメにする」みたいな言論が、いかに普遍性をもたないものかがよくわかる。

 そりゃ、単なる「あんたの好き嫌い」ですやん、ねえ。



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ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー『ブンデスリーガ』

2014年05月01日 | スポーツ
 ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー『ブンデスリーガ』を読む。

 もうすぐワールドカップ開幕ということで、気分を盛り上げるために、今回からちょくちょく、サッカーの本を紹介していきたい。これはタイトル通り、ドイツのサッカーの歴史をあつかった本。

 1954年ワールドカップ・スイス大会における「ベルンの奇跡」や、イングランド大会の「疑惑のゴール」といったナショナルチームの歴史はもちろんのこと、ブンデスリーガのできた経緯、戦前のドイツサッカー黎明期など、なかなか知る機会のないトピックもあつかってくれるというのが本書の読みどころ。

 歴史のあだ花ともいえるザールラント代表チームの話など、「へー、そんなこともあったんやー」な驚きの連続で、私のようなドイツ推しにはたまらない本である。

 思えば、ドイツも人気実力ともに、ずいぶんと盛り返したものだ。

 私が少年サッカーをやっていたころは、まだ西ドイツだったが、当時から強かったわりには「地味」「退屈」「もう見飽きた」などと言われ続けて幾星霜。

 それでも、そんときはまだ勝ってたからいいものの、その後世代交代に失敗し、華やかさには欠けるまま、実力だけは落ちていくという悲しい流れに。

 一時期は地元メディアにすら「まともなのはシュヴァインシュタイガーだけ」と酷評される季節もあったが、この冬の時代も「税金」と忍んで応援していたら、その甲斐もあってか最近はまたもや「強いドイツ」が返ってきた。

 とはいっても、スペインやイタリアあたりに痛いところでやられてるんだけど、タレントもそろってるし、そろそろビッグタイトルが欲しいよなー。ということで、ブラジル大会もまた性懲りもなくドイツを応援するんですが、果たしてどうなることか。久しぶりに優勝してほしいです、はい。

 そんな、ドイツ後押し本として最適な本書で、妙に印象に残ったのが冒頭の章。

 開口一番にあつかっているのは、そんなサッカーの古豪であるドイツに、いかにしてサッカーというスポーツが伝わってきたのかについてのお話。

 ドイツの場合も、アフリカや南米など多くの国のご多分に漏れず、本場イギリスから海路を経て、まずは主に港町に伝わった。

 ハンブルクやハノーファーなど海に近いところで急速に広まったサッカー(ドイツ語では「フットボール」を直訳して「フースバール」)だが、意外なことに最初の評判は芳しくなかったらしい。

 いやそれどころか、ほとんど迫害されていたといっていいくらいのあつかいであった。

 当時のドイツで幅を利かしていたのが「トゥルネン」という体操競技であり、各地で作られた体操クラブで、陸上や水泳など総合的に心身を鍛えることが奨励されていた。

 そこにあらわれた新参者のサッカーはといえば、これが無茶苦茶にあつかいが悪かったのである。

 なんたって、当初は「なんでサッカーなんかに」と、ロクに競技場も貸してもらえなかったそうだ。

 それどころか、ドイツ伝統の体操をないがしろにして野蛮な球蹴りとは、「外国かぶれ」とか「非国民」なんて呼ばれて白眼視される。戦時中の日本かいな。

 あまつさえ、

 「サッカーをやっているようなヤツは、不穏な反体制の破壊分子にちがいない」

 と決めつけられる始末。破壊分子って、楽しくサッカーをやっていただけなのに、ほとんどテロリストあつかいである。

 実際、「おまえ、放課後ちょっと来い」と呼び出されボコられたり、因縁をつけられて理不尽にクラブを追い出されたりもしたそうな。

 こりゃ、ホンマもんの非国民である。2006年ワールドカップの時には、

 「Willkommen zu Fussballland」(サッカーの国にようこそ)

 なんて看板を見せびらかしていたドイツであるが、昔は全然ちがっていたんですね。人に歴史あり。


 (続く→【こちら】)




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