前回(→こちら)の続き。
自らを、
「ヘロイン中毒並みのカレー中毒者」
と言い切る、日本のカレー大好きアメリカ人、クリス・コーラー氏。
サンフランシスコのカレーが不味く、「うまいカレーが食べたい」と月に吠え、ニューヨーク訪問の際は、あれこれと調べて店を探して出かけた。
閉店間際にかけこんで、息を切らせながら、
「ポークカツカレーと、チキンカツカレーの2つ」
を注文する大男というのは相当異様だと思うが、そこは「ジャンキー」なので仕方があるまい。
ようやっと、愛しいカレー様にありついたクリス氏は、
ゴーゴーカレーのカレールーは、東京で一番というほどではないが、上位の部類に入る味だ。
熱々で甘くて風味にあふれ、クリーミーで豊かな味がする。
ゴーゴーカレーは食べたことはないが、ちょっと試してみたくなった。うまそうではないか。
「こうした日本人たちも、カレーを愛する--おそらくは私以上に--人々だということを理解しなくてはならない」
いや、あなた以上の愛を持って、カレーに接している人は、なかなかいないと思うが。
これに匹敵するのは、カレー将軍こと鼻田香作くらいなものか。そういえば、彼も有名なジャンキーであるなあ。
カレーライスは日本人のソウルフードだ。
米国の子どもたちがマカロニチーズをガツガツ食べるように、日本の子どもたちはカレーライスをガツガツ食べる。
ソウルフード。なんだかそういうとオシャレな感じである。
というか、アメリカの子供って、マカロニチーズが好きなんだ。知らなかったなあ。
そんなソウルなカレーの魅力を、なんとか伝えたいクリスが、どうすれば、日本風カレーをアメリカ人に普及できるのか、考えに考えた末に出た結論というのが、
「無理やり食べさせるしかない」
男らしすぎる結論である。
さすがは世界中に、宗教だイデオロギーだジャスティスだとか押し売りして、嫌がられているUSAである。
相手がゴチャゴチャ言うなら、「力で来い」と。
迷惑ではあるが、こういうところが、彼らの嫌いにはなれないところではある。
「私はこれまで、多くの友人や一緒に日本を訪れた人々に、私と一緒にカレー専門店に行ってカレーを食べてみるよう勧めてきたが、その結果、私がこれほどカレーを愛する理由をたちまちはっきりと理解しなかった人は、ただの1人もいない」
思う一念岩をも通ず。もっとも理解以前に、ただ単に
「クリスのカレー愛がめんどくさかった」
という可能性も大いに考えられるが。
そんな中、クリス氏はどこまでも熱く、カレー普及につとめる。
だから、ニューヨーカーの皆さんに言いたい。
私が日本のカレーの中毒になっている理由を知るためだけでも、ぜひゴーゴーカレーを訪れてほしい。
最高に便利のいいイーストビレッジにも2号店がある。
と紹介し、さらに涙ぐましいことに、
ゴーゴーカレーが提供するおいしい日本の代表的料理を食べて、サンフランシスコにも支店がオープンするまで、店の利益に貢献し続けてほしい。
サンフランシスコ店がオープンすれば、私はきっと、店の稼働率を格段に上げるほどに通いつめるだろう。
ここまで読んで、私はすアメリカで一旗揚げたいという日本人は、すぐさまサンフランシスコに飛び、カレーショップを開くべきではないかと考えた。
きっと、タダで熱く宣伝してくれるうえに、毎日大盛りカレーを2人前食べてくれて商売繁盛であろう。
え? 料理なんてできない?
大丈夫。腕に自信がなくても、上にチーズとカツのせたら、レトルトくらいでもだいたい美味いよ、カレーって。
前回(→こちら)の続き。
「心臓発作を覚悟」
という心意気で、日本のチーズのせカツカレー大盛りをむさぼり食らう、カレー大好きアメリカ人、クリス・コーラー氏。
ここまで彼を虜にしたカレーとは、いったいどんなものなのか。その出会いを氏は語ってくれる。
果たしてそれは、有名な中村屋のカレーか、それとも日本のオジサンが愛する「おそば屋さんのカレー」かと問うならば、
「初めてあの恍惚とした気分を味わえば、それはもう忘れることはできない。私はそれを、金沢大学の学食で経験した」
学食かよ!
学食。それは、まずかろう安かろうを地で行く施設である。
私の通っていた千里山大学(仮名)でもカレー(300円)はあったが、学生たちはそれを「ミラクルカレー」と呼んでいた。
それは奇跡的にうまいからではなく、
「300円も取るのに、こんなにまずく作れるのか」
という、きわめて後ろ向きなミラクルだから。
普通、学食とは、うどんの名を借りた粉汁とか、シチューの名を借りた意味不明の液体とか。
なにが原材料かわからず「なにかアニマルの肉」としか表現できない材料を使った唐揚げ丼とか。
そうしたものが、出てくるところであろうと思うのだが、クリス氏がそこで食べたカレーというのが、
「その、天にも昇るような味わい!」
うまかったとは!
私が学食で食べたカレーは、逆の意味で天に昇る味であったが、金沢大学はうまいのか。
負けた、さすがは国公立だ(なんだそれは)。
そこからクリス氏は、他にもココイチや『カレーショップC&C』や『リトルスプーン』『ゴーゴーカレー』などを絶賛。
「ゴーゴーカレーは秋葉原にあって便利」
などと語り、その後故郷のコネティカット州にいったん戻るのだが、日本人街のカレーに落胆。
夢よふたたびと、大学卒業後に再来日。
日本に到着して、まずしたことというのが、
「最寄りのCoCo壱番屋を探すことだった」
どんだけ、カレー好きやねん!
そこからも、旅行鞄をホテルに置く時間ももったいないと、大きな荷物をかかえたままカレー屋をめぐり、店員に「なんやコイツ」とあきれられたりするクリス氏。
ちなみに、荷物の中身の服はすべてXLサイズだそうだ。
間違いなく、チーズカツカレー大盛りの食い過ぎであると推測される。
そんなクリス氏は、その後に縁あってサンフランシスコに住むことに。
「シスコなら大都会だから、カレー食べ放題だぜHAHAHA!」
上機嫌だったクリス氏であったが、
「しかし、ここまで読み進んだ皆さんはもうお気づきのことと思うが、私の期待は裏切られた」
そっかー。まあ、はっきりいってアメリカのメシは大味でまずいから、繊細な日本の味になれたら、もう食べられないかもなあ。
なんて同情していると、クリス氏曰く、サンフランシスコのカレーは、
「上に薄切りトマトと下ろしたパルメザンチーズが乗っていた。吐き気を催す味だった」
かなり、ひどい言いぐさであるが、悪口はそれだけで止まらず、
「最悪なものに至っては、見た目も味も、冷えた茶色い泥水のようだ」
まさに酷評。
冷えた茶色い泥水、すさまじく、まずそうである。
よっぽど腹が立ったのだろう。まあ、気持ちはわからなくもない。
すごくまずいも食べ物って、口に入れたとたん「殺意」としかいいようのない感情がわき上がってくることがあるもんねえ。
そこでクリス氏はリベンジを誓い、ニューヨーク訪問の際、グーグルで
「56番街の近くの日本風カレー店」
で検索をかけて店を捜索する。
こういうとき私なら「ニューヨーク カレー」くらいで検索すると思うが、やたらとキーワードが具体的なところに、クリス氏の執念を感じる。
出張先のホテルで、地元のいい風俗店を探すサラリーマン並のガッツといえよう。
クリス氏はそこで、
「ゴーゴーカレーを見つけたときの気持ちをご理解いただけると思う」
ご理解できたかどうかはわからないが、ともかくも熱意だけは伝わってきた。
よろこんだクリス氏はさっそく店に行こうとするが、時計を見ると閉店まであと20分しかない。
いかん、これでは間に合わない! と、タクシーを呼んで飛び出す。
ところが、あろうことか、そのタクシーが道を間違えてクリス氏は
「もう店はしまってしまっただろうな」
落胆するも、閉店5分前になんとか到着。
18メートルほどの距離をダッシュしてなんとかラストオーダーに間に合うという、ほとんどシチュエーションコメディみたいな展開で店に飛びこんだ。
そこでクリス氏は。
「私はポークカツカレーとチキンカツカレーの2つを注文した」
食いすぎやろ、お前。
私なら18メートルとはいえ、全力ダッシュのあと、ポークカツカレーとチキンカツカレーのダブルなど、絶対食べたくないぞ。
しかも、おそらくはアメリカ人用に、日本のそれの2.5倍くらいの量なのだ。食えるか!
そら、服のサイズもXLにもなるわと。
ようやっと夢をかなえたクリス氏は、大盛りカレーをブルドーザーのごとくたいらげながら、怒濤のカレーレビューをまだまだ展開することになるのである。
(さらに続く【→こちら】)
「オレにカレーを食わせろ!」。
そんな歌を歌ったのは、筋肉少女帯の大槻ケンヂ氏である。
『日本印度化計画』と題されたそれは、学生時代ヒマをぶっこいて学食で1日4回(!)もカレーを食していたというオーケンが、その明日をもしれぬ暗いモラトリアムの閉塞感を、
「こんな日本なんて、インドになってしまえばいいのだ!」
腐った社会ごと、ぶっ飛ばすべく歌った名曲だ。
一見コミックソングに見えて、実は国家転覆を思いっきり訴えた、熱く危険な革命のアジテーションなのである。
そんなカレーに熱いオーケンであるが、カレーといえばやはりはずせないのが、クリス・コーラー氏の話であろう。
クリス・コーラー。
アメリカで、主にゲームについての記事を書いている記者であるが、この人がもうひとつ語られるべきは、そのカレーライスへの熱い愛。
日本に留学経験もあるクリス氏は、日本のカレーが大好き。
そのブログには、若大将のジャイアンツ愛ならぬ、カレー愛について語っている。
たとえば、
30歳になる前に心臓発作が起きてもかまわない人は、カツとチーズを一緒に注文することができる。
私は、そういう食べ方が可能と知って以来、ずっとそうしてきている
さすがは、アメリカ人である。
カツカレーにチーズのトッピング。たしかにうまいのは認めるが、ちょっと重い感じがする上に、健康的にはどうなのか若干心配だ。
「心臓発作」覚悟で、このメニューに挑むというのが良い。
いきなり死を覚悟という、カレーに対する、命知らずな冒険野郎なところを見せている。なかなか熱い。
また続けて、
ニューヨーク発――日本のカレーは、世界で最も完成されたカレーだ。
これに異を唱える人がいるとすれば、理由はただ1つ、日本のカレーを食べたことがないからだ。
いきなり断言するクリス氏。
日本のカレーは世界一ィィィィィ! 日本人としては、なんともうれしいお墨付きだが、インド人が怒ってこないか心配である。
ちなみに、インド人も、たいてい日本のカレーは好きらしいが、ひとつ条件として、こんなのがつくそうだ。
「カレーだと思わなければ」
どれだけうまくても、「これはカレーではない」という、本場者のプライドである。
まあ、我々だってどれだけうまくても、カリフォルニアロールは寿司じゃない気もするから、そのあたりの「愛国心」は世界共通なのだろう。
またクリス氏は、インドやタイの辛いカレーは邪道で、また外国にある日本食レストランもいかんという。
そのあたりのことは氏によると、
「ランチメニューがカレーしかない日本のカレー専門店でカレーを食べたことがなければ、この至高の料理を味わったことがあるとは言えない」
とここで、私はスココーンとコケそうになった。
ちょう待て、お前のいうカレーはチェーン店のカレーかい!
カレーといえば日本では、隠れた「おふくろの味」。
昔、ラーメン屋は多くあるのにカレー屋というのが、なかなか流行らなかったのは、
「どんなにがんばっても、家で作るカレーにはかなわないから」
という説があったくらいだ。
「なんやかやいうても、ウチで作るカレーが一番うまい」
というセリフは、日本料理を語るにおいてもはや定番。
今の子には、みそ汁よりも母の味は、もはやカレーかもしれないのだ。
だが米国の人であるクリス氏には、そんな古い因習に囚われた発想は存在しない。
おふくろさんなどフルスイングで無視して、ニューヨークに進出した『ゴーゴーカレー』のすばらしさを讃え、こう言い放つのだ。
なぜそんなことが言えるかといえば、私が重症のカレー中毒だからだ。
ヘロイン中毒者がヘロインを注射するのが大好きなのと同じように、私は日本のカレーを愛している。
ヘロイン。
何にたとえているんだ。普通こういうのは、
「煙草が、どうしてもやめられない喫煙者みたいなものだね」
くらいの、マイルドな例え方をするのではないのか。
というか、ヘロイン中毒って最後は死ぬし。大麻はいいけど、ケミカルなドラッグは本当にダメだってば(←大麻もダメだっつーの!)。
だがクリス氏はさわやかに、
ヘロイン中毒との唯一の大きな違いは、ヘロイン中毒は長期間ヘロインを断てば中毒でなくなる点だ。
いったん日本風カレーの中毒になると、米国に帰っても中毒が治ることはない。
もう一度日本のカレーを食べたいと願いながら日々を過ごし、また東京に行って日本のカレーをもっと食べられるよう貯金に励むことになる。
不治の病である。
禁断症状をおさえるために、せっせと貯金もしている。たしかに依存症かもしれない。
クリス氏は続けて、日本のカレーとの最初の出会いを、熱く語りはじめるのである。
(続く【→こちら】)
キタヤマ先輩のおごりで、お好み焼きを食べに行った私とクミコちゃん。
そこで大将が「マヨネーズはどうします」というのに、キタヤマ先輩が「あ、ボクはええですわ」と答えたのに、大将は「え!」という驚きの声をあげると、みるみるとけわしい顔になり、
「お客さん、どうしていらないんですか?」
にらみつけるような目ですごまれ、先輩はやや動揺したようだが、
「どうしてって……マヨネーズ苦手なんですよ」
と答えた。すると大将は、やはり眉をしかめたままで、
「でもウチのはおいしいですよ」
「いや味の問題じゃなくてマヨ自体がダメなんです。受けつけへんのです」
「……一度、食べてみてはいただけませんか?」
「すんませんけど、なしで」
先輩のかたくなな拒否がショックだったのか、それとも気を悪くしたのか、大将はそのまま無言で厨房へと戻っていった。お好み焼きはたいそうおいしかったが、大将は勘定の時も終始無言であった。
それからしばらくして、「オタフク別働隊」は再びお好み焼きを食べに行った。やはりキタヤマ先輩のオゴリである。
クミコちゃんはすっかりタダメシの味を占めたのであるが、これはこの女が腹黒いのか、それとも下心が無くもないであろうキタヤマ先輩にも責任があるのか。この男女問題については議論は分かれるところであるが、とりあえず私はまたお好み焼きが食べられて漁夫の利であり幸いである。
鉄板で焼かれるイカ玉やモダン焼きにツバを飲みこむ我々3人。焼き上がって
「マヨネーズはいかがいたしましょう」。
前回、先輩はいらないといったが、実をいうと大将オススメの自家製マヨネーズはかなりおいしかった。食べられないのは仕方がないが、それはちともったいないとも思ったものだ。
クミコちゃんなど「大盛!大盛にしてください!」と野球のグローブぐらいの大きさに盛りつけてもらっていた。私もたっぷりとぬりつけてもらうと、大将はその渋面を少しほころばせた。笑うと大将は、ちょっとばかりかわいく、意外と女子中学生とかに人気が出るのではないかなどと思った。
で、キタヤマ先輩が「ボクはいいです」と言おうとし、「ボクはい」とまでいったところで、その言葉は悲鳴に変わった。
なんと大将は先輩の言葉を無視して、いきなり大量のマヨネーズを先輩のお好み焼きに投下したのである。
「おいこら待てオッサン、なにしとんねん!」。
当然抗議の声を上げる先輩だが大将はさらにマヨネーズを投下する。先輩のお好み焼きはまっ白に。普段温厚な先輩、この狼藉に怒りまくり。
「コラ人の話聞け。マヨネーズいらんのや!」
「食ってみろ、ウチのはウマいから!」
「味やなくて、これ自体食べられへんのやいうてるやろ!」
「ウチのは食える。黙って一口やってみろ!」
などと押し問答がはじまった。なんだかマヌケな展開に私とクミコちゃんは笑いをこらえるのに必死。しまいに先輩はなにを思ったか、
「オレはマヨネーズを食うと死ぬ体質なんだ!」
などと主張。マヨネーズを食うと死ぬ!どんな体質なのか。適当にしゃべりすぎではないのか、とあきれたが、これに対しては大将も
「ウチのマヨネーズでは死なん!」
などと堂々たる返答を発し、ついにクミコちゃんが耐えきれず腹をかかえて爆笑した。食べると死ぬ根拠も不明だが、ウチのでは死なないというのも、どういう自信なのか。まさに売り言葉に買い言葉である。
それでも屈するつもりのなかったキタヤマ先輩は、なんと盛りつけられたそれを、すべてヘラでこそぎ取ってクミコちゃんのミックスモダンに移し替えたのであった。断固たるマヨネーズ拒否宣言。なんという意志の固さ、なんというプライド。というか、そこまでやるか。どっちも意固地である。黙って食うたらよろしいやん。
そんなマヨネーズをめぐる竜虎の対決が行われていたキタヤマ先輩と大将だったが、おいしかったのと先輩のオゴリなので、それからもちょくちょく店には食べに行った。
ある日いつものようにお好み焼きを焼いてもらうと、ついに大将は「マヨネーズは」といわなくなった。キタヤマ先輩のかたくなな拒否にとうとう身を引いたのか。ついに決着かあ。壮絶な戦いであったなあ。国破れてサンガリアいうやつかあ。
となど強者どもが夢のあとに感慨にふけっていると、キタヤマ先輩がブタ玉を一口食べて「うっ!」とうめき声を上げたのである。
みるみる顔がゆがみ、どうしたのか一服もられたのかと心配したが、キタヤマ先輩は口の中のものを無理矢理に飲みこんで一言、
「や、やられた……」。
どういうことかと、ちょっと一口と先輩のブタ玉を口に運んで謎が解けた。
なんと大将はソースの中にあらかじめマヨネーズを大量に投入していたのである。
油断してそれに気づかなかった先輩は、とうとう大将の力業によって自家製マヨネーズを食べさせられたのである。大将、そこまでして食べさせたかったんかい!またも大爆笑な我々である。
「勝ち負けでいえば負けや」
と肩を落とす先輩に味のほうをたずねてみるとつぶやくように、
「悔しいけど、うまかったわ……」
ということであり、やはりここでも私とクミコちゃんは爆笑。
「負けたなあ」と肩を落とす先輩に、私はせめてものなぐさめに、「でも、大将も半分反則みたいなですよ」というと、先輩は遠い目をしながら、
「シャロン君、強いモンが勝つんやないんや、反則でもなんでも勝ったもんが強いんやで」
と、シュナイダー選手のようにつぶやいたのだが、それがうまく名言ぽく決まっていたかどうかに関しては歴史の判断を待ちたいところである。
というのは、サッカードイツ代表のエースで、現在バイエルン・ミュンヘンでプレーしている、カール・ハインツ・シュナイダー選手の言葉である。
「皇帝」と呼ばれ、常にヒリヒリするような勝負の世界に生きる彼らしい、実にシビレるような名言であるが、かくいう私も、かつてこのような言葉を吐きたくなるような、熱い戦いの場に居合わせたことがある。
高校時代のこと。当時、私は某文化系クラブに所属していた。放課後、その日は練習がなかったので、部室で同僚のクミコちゃんという女の子とおしゃべりしていたのだが、話が一段落すると彼女は、
「シャロン君、なんだかお腹すかない?」
などとおっしゃった。
そこから彼女は、学校の近所においしいお好み焼き屋ができたとか、今月のおこづかいがピンチだとか、そういうことを、いかにもさりげなく語り出したのであるが、ここに和文和訳するならば、
「おまえの金でメシを食わせろ」
という、ジャイアン並みにドあつかましい命令である。昨今、男子が草食化して「努力」とか「根性」という言葉が死語と化して久しいが、女子に関してはたくましいというか、まさに「いい根性をしている」といいたいものだ。
基本的にセコ……もとい、自らの経済状態に常に冷静で客観的な私は
「ところで貴女は古代ギリシャにおけるグノーシス主義についてどう思うかね」
などと、会話の自然な流れをそこなわないよう巧みに話題を変えたりしたが、敵もさるもので「大盛りは頼まないから」と懐柔しにかかり、それに対してこちらも「じゃあ、金出すから○○○○○○でどうや(少々品性の疑われる言葉なのでカットします)」などと取引を申し出て、そこにあった電気スタンドでマジでなぐられたりと、一進一退というか、むこうが進んでこちらは後退のみという戦いを強いられたのである。
そうして「金を出せ」「ただではイヤ」と、人として非常に最低レベルな押し引きをやっていると、「ういーっす」という気だるいあいさつとともに、キタヤマ先輩が部室に遊びに来た。
泥仕合の様相を呈してきた我々のやりとりは、ここで新たな局面をむかえることとなった。私をつついても何も出てこないと判断したクミコちゃんは、賢明にも即座に転進し、
「わあ、先輩だ。今からみんなで、お好み焼きを食べに行こうっていってたんですけど、先輩もどうですか」
などと籠絡にかかった。
このチャンスを逃す私ではない。すぐさま先輩に、
「今ここで男を見せれば、うまくいけば女子への好感度大アップですよ!」
ということを大いにアピールし、数分後には先輩からの
「よし、何か食べに行こうか。ボクがおごってあげるよ」
という、鼻息も荒い宣言を引き出すことに成功したのだった。
これを聞いて、それまで不倶戴天の敵としていがみあっていた私とクミコちゃんが、ひそかに目を合わせてニンマリしたことは言うまでもない。言いくるめておいてこんなことをいうのもなんだが、先輩も人がいいというか、将来悪い女にだまされないか大いに心配したものであった。まったく、笑いが止まらない話である。
そんな鼻の下を伸ばしたキタヤマ先輩に連れられて、我らが「オタフク別働隊」は、クミコちゃんオススメのお好み焼き屋に入った。「他人の金でメシを食う」というのは、いつの時代も快感である。役人が税金の無駄づかいをやめない気持ちが、少しはわかろうというものだ。
午後4時ぐらいという中途半端な時間であったので客は我々だけであった。店にはおじさんがひとりいるだけだったが、その人は終始苦虫を噛み潰したような顔をしており、お好み焼き屋のオッチャンというよりは「頑固なスシ職人」といった大将であった。
客がいなかったからか大将は自らお好み焼きを焼いてくれた。慣れた手つきで鉄板のうえに具をのせひっくり返す。こんがり焼けて実にうまそうである。流れるような仕草でソースをぬりつけてから、
「マヨネーズはいかがいたしますか」。
私とクミコちゃんは即座に「お願いします」と声を合わせたが、キタヤマ先輩は、
「あ、ボクはいいです」。
その瞬間である。大将の肩がピクッと震えた。
な、なんじゃいなと思っていると、そのまま硬直してしまったようだ。険しい顔をしたまま、ピクリとも動かない。
どうしたのだ、何が起こったのだと、異様な雰囲気にこちらも固まってしまったのであるが、これがあのおそろしい戦いの開幕を告げる鐘であったことは、まだ我々は気づいていないのであった。
(続く【→こちら】)