「中座飛車はもしかしたら、将棋界に存在しなかったのかもしれない」
「中座真八段引退」のニュースを聞いて、その危うい事実を、あらためて思い出すこととなった。
そこで、先日は中座流の第1号局と、野月浩貴四段の「翻案」がなければ、そのまま「ボツ戦法」になっていた可能性が高かったという話をした。
もしそうなったら、将棋界の勢力図はどうなっていたのか。
個々の実績まではわからないが、少なくとも、後手番の勝率に相当な影響をあたえたことは確かであろう。
そんな、きわどいところで消滅をまぬがれた中座飛車だが、実はもうひとつ「実存の危機」にさらされた出来事があったのだ。
それが1995年~96年の第18回三段リーグ。その最終日の出来事。
16回戦を終え、残るは2戦と、いよいよ大詰めをむかえていた。
昇段圏内にあったのは12勝4敗の堀口一史座三段(順位1位)と同じく4敗の野月浩貴三段(14位)。
この2人までが自力で、3番手に藤内忍三段(23位)が、やはり4敗で追走。
以下、順位上位で中座真三段(6位)、今泉健司三段(11位)が5敗。
木村一基三段(3位)が6敗で、藤内以下がキャンセル待ちという展開。
順位1位の堀口は、1勝すれば決まりだから相当有利だが、それ以降は混戦気味。
というのも、5敗以下の3人は複雑に当たり合っており、まずラス前で今泉と木村。
最終戦では、やはり今泉と中座がそれぞれ直接対決なので、勝てばそのまま待ち順が上がることに。
つまり、キャンセル待ち3番手の今泉は、実質2番手。
4番手の木村は3番手になるので、実際の順位以上に希望が持てる展開ではあるのだ。
まずは17回戦で、ここで堀口が勝って1枠は順当に決まり。
堀口はこの期安定しており、ここは予想できたが、残りのひとつに波乱があるのは三段リーグのお約束。
中座は勝利するも、野月と藤内が敗れてしまう。
特に野月はその前の15回戦にも敗れており、痛すぎる連敗。
これにより、中座はついに心臓を売ってでも欲しかった「自力」の権利を手に入れるが、他の対局は気にしないと決めていたため、まだ細かい順位のアヤはわかっていなかった。
そうして最終戦。
目の前の対局に必死な中座は、ともかくも今泉との直接対決。
他は知らねど「勝てば四段」と、そしてもっといえば「奨励会最後の対局」として挑んだ今泉戦だったが、中座はこの大勝負を落としてしまう。
といってもこれは、中座が勝負弱かったとは思えない。
棋譜を見ればわかるが、この将棋は今泉が強すぎた。異様な強さだった。
中盤戦。玉が固く馬と角を好所に据えて、今泉に勢いがある。
次の手が、当然とはいえ好手だった。
▲48香と打つのが、△46桂を消しながら、後手玉のコビンにねらいをつけた、すこぶるつきに感触の良い手。
そこからも、今泉はひたすらに攻め続けた。
凶暴で荒々しく、なにかに憑りつかれたような強さだった。
この勝負、実は最終戦の「決戦」に見えて今泉にとってはそうではなかった。
ラス前に木村との直接対決に敗れて、すでに昇段の目はなくなっていたのだ。
もし木村に勝っていれば、「勝った方が四段」という大勝負のはずの中座戦が、まさかの消化試合に。
その脱力感と、自らのふがいなさへの怒りが、そのまま指し手に表れているようだった。
一方の中座もまた、地獄にたたき落とされていた。
必敗の将棋を、けじめをつけるかのように1手詰まで指して投げたが、だからと言って、なにが変わるわけでもない。
実のところ中座はこのとき25歳で、あと1回リーグに参加する権利を残していたが、この期に上がれなければ、奨励会をやめると決めていたのだ。
そして、最後の最後に手にした「勝てばプロ入り」という一番を落とした。
あまりにも皮肉な結末だった。
「帰ろう」と連盟を出ようとしたとき、だれかが声をかけたという。
「中座くん、まだ昇段の目があるよ」
中座自身、すべての状況を把握していたわけではないが、おそらく自分に勝った今泉が上がったのだろうと思いこんでいた。
だが、今泉はすでに敗れており、野月、藤内も17回戦を落とした。
最終戦で5敗の野月、藤内、そして上位6敗の木村が敗れれば中座がまさかの昇段。
目は相当に薄い。だが、ありえないほど非現実的でもない。
このときの中座は煩悶したという。
自分が上がるには、競争相手が負けてくれるしかない。
だが、彼らに対して「負けろ」と願うには、25歳の中座はあまりに奨励会の、いやさ三段リーグの苦しさを知りすぎていた。
中座の同期である先崎学九段は、彼の昇段パーティーに出席したときの模様を『将棋世界』連載のエッセイで書いていた(改行引用者)。
中座君はイイ男である。真面目で、誰からも好かれる。
だから生き馬の目を抜くような奨励会では勝ち上がれないだろうと思っていた。
この土壇場で、自分の幸せと他者のそれとを秤にかけてしまうような「イイ男」は、勝負の世界では苦戦を余儀なくされるということだ。
祈ることもできず、かと言って期待することも、やめられなかったろう状態で、待つしかない中座に結果が届く。
自力の権利を得た三段達が次々と星を落とし、中座の昇段が決まった。
この瞬間、中座が崩れ落ちたのをカメラが激写している。
こうして中座真四段が誕生した。
もしこのとき、もし順当に中座が上がれなければ、多くの棋士の人生を変えた「△85飛車戦法」は世に出なかった。
いやそれどころか、中座と言えば奥様が女流棋士の中倉彰子女流二段(現在は引退)なのは有名であるが、もしここで野月が3連敗しなかったら。
藤内が2連敗しなかったら、木村か今泉がその実力通り最終日に勝っていれば……。
そのどれかひとつの条件が発動するだけで、この2人はまったく別の人生を歩んでいたかもしれない。
以前、将棋関係の記事で、中座家の家族写真を見たことがある。
それはとても微笑ましいものだったが、この写真が成立するのは単純計算で128分の1だか、256分の1だか知らないが、その程度の確率でしか、ありえなかったのだ。
われわれの普段感じている喜びも悲しみも、本当に紙一重で成り立ってるんだなと、こういうとき感じる。
(このとき涙を呑んだ木村一基が1年後昇段し、大爆発する様子はこちら)
(豊島将之三段が驚嘆した稲葉陽三段の精神力はこちら)
(その他の将棋記事はこちらから)
リーグのような)を作ってしますのはどうでしょうか。やり過ぎですかね??
>>やはり将棋のプロ入りの門は狭すぎるのではと思います。
実は私も昔から同じことを思っています。
当ページでもちょいちょいボヤいてますが、順位戦にしろ三段リーグしろ、入れ替えが少なすぎて、もはや機能してません。
上がりにくく落ちにくいシステムは、上位者の「既得権」を守ることと、限られたパイ(契約金の中でやりくりしないといけない)ための「産児制限」ですが、衰えたり情熱をなくしたプロを守って、若い才能をはじき出すのは、どう考えてもおかしい。
でも、なぜか連盟も棋士もファンも
「長い目で見れば、実力あるものは上にあがる」
「結局は自分が勝てばいい」
なんていう、あらゆる詭弁を使って現行制度を守ろうとする。不思議でなりません。
私は将棋ファンですし、個々の棋士も応援してますが、「日本将棋連盟」という団体や保守的なファンには昔から懐疑的です。
てか、「ココが変だよ日本将棋連盟」って、他にも山ほどありますよねえ。
次のネタにしようかな。賞金がいまだ非公表なのはなんで? とか。
Shinさんもよければ、「あれ?」と思うところを教えてください。
①順位戦について
・三段リーグからの昇段も狭き門ですが、順位戦の昇降級も厳しすぎます。給料が順位に直結するというのは、厳しい勝負の世界では妥当なのかもしれませんが、ちょっとやり過ぎでは。順位戦偏重主義は結局のところ棋士のほうにも悪影響を与えているように思います。
・現行制度においては、A級のプレーオフは要らないのでは。それこそ順位上位が名人挑戦者が納得のはず。
②組織について
・日本の組織にはありがちなことですが、執行部がほぼ全員棋士それも現役棋士のみで構成されているのは、風通し的にもよくないし、棋士活動に負担が大きすぎるのでは。
③HPについて
・些末なことですが、お知らせのところで、未だにコロナ感染者の情報を伝えているが、あれな何なのだろうか。何か定めでもあるのだろうか。
とりあえず以上です。また何かあれば書かせて頂きます。
執行部が現役棋士のみなのも、昔から散々問題視されてますが、なにも変わらない。
記録係を頑なに奨励会員や女流棋士にやらせようとするように(自分で時計くらい押せばいいのに)、「よそ者」を絶対に入れたくないのでしょうね。
今は藤井聡太八冠がいますが、ブームが去ったとき残るのは、やはり古い体質の将棋界のままだと考えると、なかなか絶望的です。
A級プレーオフも、別にいらないですねえ。
ソフト使用疑惑の件しかり、連盟には勇み足の気があるので、棋士だけでの運営は危ういと思う。
ファンとしては棋士や将棋界にいろんな意見があるのは当然なんですが、
「棋士だけで運営するのはよくない」
ここに関しては結構意見が合う人が多いのではないでしょうか。
「連盟は棋士のみで運営するのは最善」って思ってるファンっているのかなあ。
ただ、「家族経営」「村社会」の居心地の良さを捨てるのに勇気がいるのも理解できなくもないので、難しいところだと思います。