2014年度もいよいよお終いである。
年の瀬に今さらこんなところをのぞく人もいるまいと言うことで、遅まきながらざっと本年度の個人的な思い出を振り返っておきたい。
手なりで書くだけなので、興味のない人はぜーんぜん読まなくてもいいです。さっくりと飛ばしてください。
それでは、かけ足で、ドン。
クラウドシティーの春のフェスティバルに参加した、名人戦の4タテは意外すぎた、マカオのカジノでギャグみたいな負け方をした、スタンがようやっと殻を破った、今年よく聴いたのはチャットモンチー『真夜中遊園地』First Aid Kit『The lions roar』 映画『西部開拓史』より『How the west was won』、ドイツ優勝でなんだか肩の荷が下りた、『米長の将棋』はやはり名著だ、『アオイホノオ』にハマッた、今年のマンガは衿沢世衣子『シンプルノットローファー』と中道裕大『放課後さいころ倶楽部』、錦織圭の活躍を見て何度も泣きそうになった、中村祐介さんの画集を買った、ツール・ド・フランスを観はじめた、今年良かった映画は『プレステージ』『キングダム・オブ・ヘブン』『グッバイ! レーニン』『スターリングラード』(ドイツ版)その他色々、今の井山棋聖でもなかなか届かないんだから七冠って大変、本のベストはマリオ・バルガス=リョサ『チボの饗宴』サマセット・モーム『月と六ペンス』ディーノ・ブッツァーティ『神を見た犬』レナード・ムロディナウ『たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する』タイラー・ハミルトン『シークレット・レース ツール・ド・フランスの知られざる裏側』その他書ききれず、2014年度の流行語大賞は『ゆでたまごリアル超人伝説』の「ミキサー大帝にも気を使っている」、2015年はドイツのアナログゲームと自転車ロードレースをあらたな趣味にできたらいいな、などなど。
それでは本年度はここまで。
サンキュー、バイバイ!
また来年。
そこで前回(→こちら)はその経緯と、具体的に私が過去披露してきたネタを一部ご紹介したが、あるときなど依頼主のアワジ君と、わりかしガッチリしたコントを仕込んでいったこともある。
きっかけはアワジ君が「今年は推理ものがええなあ」と、気まぐれでつぶやいたことによる。
ミステリといえばミスヲタの私が黙ってはいない。「生まれ変わったら名探偵になりたい」と公言してはばからない私が、それを受けて持っていった企画とはズバリこれ。
「安楽死探偵」。
ミステリの世界にはバロネス・オルツィ『隅の老人』ジョセフィン・テイ『時の娘』など自分では動かず、外部からの情報のみから推理を働かす「安楽椅子探偵」というのが存在する。
それをパロディにしたものであることは一目瞭然だ。その内容はといえば、
名探偵安楽四郎は死にかけるときに、その驚異的推理力を発揮する。
そこで彼は難事件を解決するため、難解な謎に出会ったところで自死をはかろうとするのだ!
四郎が選ぶのは時と場合によるが、首つり、飛び降り、リストカット、薬物の摂取過多なんでもござれ。
そうして死の危機に瀕した名探偵は、
「ああ、走馬燈が見える、そこが三途の川だ、もうボクはダメだ。わが人生に一片の悔いなし……わかった! 謎はすべて解けたぞ!」
こうして安楽四郎は事件を解決するのだ!
なんで死ぬ瞬間にそんなことできるねんという意見はあるかもしれない。
だがそこは、
「ダイイング・メッセージでなんで血で暗号とか書くねん。犯人の名前書けよ!」
との至極まっとうなツッコミに、偉大なるエラリー・クイーン師匠が言い放った、
「死の瞬間というのは神々しい何かが脳内に降り注ぎ、人智を越えたメッセージとなるのです」
という開きなお……もとい探偵小説史上に残る名セリフの応用である。
安楽四郎も、まさにそうなのだ。意味はよくわからんけど、とにかく人智を越えてるんです。
脳から変な粉がでて、すごい推理力が発揮されるんです。クイーン原理主義者の北村薫先生はわかってくれますよね!
ただ問題なのは、せっかく解決しても探偵はその名推理を披露する前に死んでしまうのが困ったものだ。
謎が解けても、誰も聞くことができないのではカタルシスがない。まあこれは、
「ワトソン役の少女がイタコの三代目だった」
という方向で処理することにした。
もうひとつの問題点は、安楽死は日本では違法であること。
となると舞台を安楽死が合法なオランダにでもしなければならないが(オランダってなんでも合法だなあ)、まあこれもシャーロック・ホームズから伝統の
「名探偵は少々の非合法な捜査はゆるされる」
という力業で切り抜ければよかろう。
もちろん主人公の安楽四郎は私が演じるが、昨今はウケるためには「萌え」の要素も必要である。
なら、スピンオフで『スケバン刑事』みたいに「三代目安楽死探偵、安楽志織よ!」とか、女子高生をキャスティングするとかどうだろう。
なにがキャスティングだと笑われそうだが、このプロットはもともと、当時また別の友と自主映画を制作していて、そちらに持っていこうと考えていたものなんですね。それを流用した。
本番前のプレ企画というか、まあお笑い芸人がエピソードトークをテレビやライブの前にキャバクラで披露して試すようなものである。
ちゃんと脚本も書いて稽古もして、いざ本番。結構ウケた記憶があるんだけど、まあ酔っぱらいは、なんでも笑ってくれますから(笑)。
そんな放送作家でもないのに、なぜ締切に追われているのかと問うならば、それは友人アワジ君のせいなのであった。
アワジ君にはある悩みがあった。それは年末、仲間内で行われる忘年会である。
飲んで笑って大いに年を忘れる楽しいイベントだが、そこにひとつ問題が。
それが宴会芸なのだった。
アワジ君は引っ込み思案でおとなしいタイプの男。だから人前でなにか芸をやるなど当然のこと苦手である。
とはいえ、皆でさわいでいるのを一人「できません」というわけにもいかない。そこで、
「なんかおもろい芸事ないかなあ、シャロン君、一緒に考えてくれや」。
という話になったわけだ。
うーむ、宴会芸ねえ。私も苦手なんだよなあ。
しかしまあ、アイデアを出すのは面倒だけど、そこは同病相憐れむで助けて あげたい気もしないでもない。
まあ文化系の我々には「テキーラを一気飲み」や「まっ裸でタコ踊り」などは敷居が高いということで、漫談やコントなど「話芸」に逃げることにしたのだ。
もちろんそこは素人のやることである。本職の芸人さんのようなウェルメイドなものなど望むべくもないが、どうせむこうも酔っぱらっているのだと適当なものを創ったら、なんとそれなりにウケてしまったのだ。
それ自体はまあよかったんだけど、それ以来、年末になると「なんかネタ頼むわ!」と友から依頼を受けるようになってしまったのだ。
これまでも、
「AKB48などアイドルの曲に合わせて、ひたすら暗黒舞踏」
「ヒップホップ調で夢野久作『ドグラマグラ』を朗読する」
「カラオケで明訓高校セカンド殿馬一人の秘打全曲『白鳥の湖』から『華麗なる大円舞曲』までを大メドレーで披露」
などなど気の狂ったような出し物を用意してきたものだ。
どうせ泥酔して、向こうも明日には覚えていないのだ。やったもん勝ちである。ちなみに去年持っていった武器は、
「伝わらないモノマネ。屋根裏を散歩する郷田三郎、空気イスで人間椅子、芋虫」
などなど乱歩先生ものまねシリーズ。
ウケたかどうかは酔ってておぼえていません。忘れたいのかもしれない。
(続く【→こちら】)
松嶋「するやろうなあ」
町山「すると思う? キリスト、何を買うと思う?」
松嶋「そら1年に1回、自分へのご褒美とかで高級時計とか」
町山「……時計はいらないでしょ」
松嶋「あと睡眠大事やから、テンピュール(枕)とか」
松嶋「でも、みんなわかって乗っかってるやん。のせられる楽しみもある」
町山「クリスマスに買ったもので、後生大事にしてるモノなんてないでしょ」
松嶋「かもしれんけど、やっぱそれは気持ちやし、イベントを盛り上げる手段でもあるやん」
神崎博光さんの『テニス秘密の打法』によってトップスピンを覚えた私は、ストロークのミスが格段に減り、テニスがものすごく楽しくなった。
これにより、「ラリーが続く」というテニスの第一のよろこびとともに、もう一つ大きな爽快感を得ることも可能になった。
それが「フルスイングで打つ快感」。
この本にも書かれているが、たとえば一昔前は(今もかもしれないけど)、テニススクールで打ち方を習うと、スタンスはクローズドに取り、前から後ろの体重移動で打つ方法を教わることが多かった。
これも悪いわけではないんだけど、いかんせん古いスタイルだ。これだとあまり強い球は飛ばないし、なにより初心者は当てて返すだけの「羽子板打ち」になりがち。
テニススクールでおばさんたちが、ゆるい球でラリーをしているのを見ると、たいていがこの打ち方なのである。
それだと今一つ爽快感がない。ピッチングでいえば、いわゆる「置きに行く」投げ方のようなもので、スピードもキレも出ないのが残念。
そこで『秘密の打法』では、トップスピンをかけることを奨励しているのだ。
これだと強く振れば振るほど回転はしっかりとかかって、相手のコートにストンと落ちる。初心者は、
「おもいっきり打つとミスしやすい」
と思いこんでいるため、どうしても「置きに行く」打ち方になるが、「それより、もっといいのがあるよ!」と教えてくれたのが、この本なのである。
実際、これを読んでフォアもバックもグリグリにトップスピンをかけるようになったら、私のショットは急激に安定するようになった。
しかも、「パワーでなく、リラックスして体のひねりで打つ」という教えが書かれていたため、私のような筋力に劣る「貧弱な坊や」でも、そこそこのいい球が打てる。
特に今はラケットの性能もいいから、なおさらだ。
この本は、とにかく書いてあることがシンプルである。
「パワーでなく、体のしなりで打とう」
「バックハンドは左手のフォアの感覚だ!」
「ボレーは空手チョップの要領だ」
など、ほとんどのことが一言でわかりやすくまとめられている。
これが、ふつうの教本だと、どうしても説明が過多で、スタンスがどうとか、トスアップのタイミングとか、背筋の使い方とか、どこどこの筋肉を意識してとか、情報量が多すぎて混乱してしまうのだ。
もちろん、中級以上になると、そういった知識や練習も必要なのだが、ラケット持って1ヶ月みたいな初心者は、そんなややこしいものはいらない。
「トップスピンを打てば入る」
この一言だけでよろしいのだ。
これで、ラリーが続く楽しさを感じられれば、あとは自然に他のことも「がんばって、マスターしよう」という気にもなる。
テニスをはじめたばかりの人は、まあこの本は古いからあえて読まなくてもいいけど、ともかくもトップスピンの打ち方を学びましょう。
あとは、サービスにもスピンをかけることを覚えれば、もうそれだけで下手なりに試合だってできます。細かい技術よりも、まず「振り切って打つラリーの楽しさ」を。
そう、回転さえかければテニスは決して難しくない。ラケット買ってはみたものの、「テニスって、難しいなあ」と悩んでいるみなさまも、ぜひこのシンプルな定理を身につけて楽しんでもらいたい。
初心者時代に読んだ神崎博光さんの『テニス秘密の打法』によって、「テニスの本質」をつかんだ私のプレーはぐっとレベルアップしたのである。
はっきりいって内容的には古く、私が10代のころですら時代遅れとも言えたこの本から学んだことといえば、
「テニスのショットは、回転をかけて打てば、それだけ安定感が増す」
この一言に尽きる。
本書に書かれていることは、まずとにもかくにも
「トップスピンをかけて打ちなさい」
かつて心霊番組で、大槻教授がすべの霊的現象を「これはプラズマです」で語ったように、北方謙三がすべての若者の悩みを「小僧、ソープへ行け!」で解決するように、この『秘密の打法でも』、
「小僧、トップスピンをかけろ!」
そう何度も(まあ、「小僧」とはいませんが)主張するのである。
トップスピンをかけると、どんな御利益があるのか。それは、ボールにドライブ(縦)回転をかけると、空気抵抗によって途中でグンと沈むこと。
私は中学時代卓球部だったので、そういわれると「なるほど」とすぐ納得できたが、つまりは縦に回転をかけて打つと、どんな山なりのボールでもストンと落ちる。
『キャプテン翼』における、翼君のドライブシュートが、キーパーの頭を越えた後急激に落下してゴールに入るのと同じですね。
ということは、どれだけ打っても、ネットさえ越してしまえば、それはアウトにならずに相手のコートに落ちる。ミスが格段に少なくなるということである。
これは、まさにテニスのショットの基本のキであり、極端に言えば、これを知っていさえすればラリーでネットやアウトをすることがなくなるとまではいわないが、相当数減らすことができる。
これこそが「秘密の打法」なのだ。
打ち方は簡単で、フォアならしっかりかまえて、腕をリラックスさせてワイパー気味に打てばいい。
バックハンドは両手打ちなら野球の左打ちの要領で、やはりワイパースイング。
これだけでボールにタテの回転がかかる。その際、回転を意識しすぎて、「こすりあげない」のがコツ。スイングはしっかり斜め前方向に振り切る。
そうなるとアラ不思議。今まで豪快にホームランしていたボールが、魔法にでもかかったかのようにストンとベースラインの内側に落ちる。
回転量が充分なら、ネットのかなり上の方を通してもアウトすることはなくなります。
こうしてヘタなりにラリーが続けられるようになると、テニスはぐっと楽しくなってくる。
また、このトップスピン打法をおぼえるとなにがうれしいと言って、ただミスが減るだけでなく、それ以上に
「フルスイングできるよろこび」
を味わえること。これこそがテニスを楽しくさせる最大の要因なのだ。
(さらに続く【→こちら】)
2014年の暮れは錦織圭フィーバーで列島が沸いた。その影響でか、最近テニスをはじめたいという人が増えているという。
テニスファンとしてはその盛り上がりはうれしいのだが、ひとつ危惧するところは、そういったビギナーの方々がどれだけ長く続けてくれるかということ。
テニスというのは動きこそシンプルだが、やってみると意外と慣れるまでが難しいスポーツなのだ。特に
「サービスが入らない」
「バックハンドがうまく打てない」
「フォアがすべて《ホームラン》かネットになってしまい、ラリーにならない」
この3つはヘレン・ケラーも裸足で逃げ出すテニス三重苦であり、これに引っかかるとだんだんと「テニスってつまんねー」となり、あわれ勇んで買ったウイルソンの新作ラケットBURNやユニクロのウェアは物置で永き眠りにつくことになるのである。
そうならないためには、コートに出る前に入門書に当たるのがオススメだが、それもなかなかうまくいくとも限らず、
「手首のプロネーションを意識しよう」
「インサイドアウトの使い方が大事」
などと、専門用語を駆使して書かれたものもあったりして、いきなりチンプンカンプンだ。
かように自分に合う技術書の選択はビギナーには難しいが、私も過去あれこれあたってみた中で「うーむ、これはわかりやすい」とうならされたのが、この『テニス秘密の打法』である。
先日たまたま古本屋で見つけて、なつかしさについ購入してしまったが、とにかく私はこれにより「テニスの本質」が一発で理解できることとなった、「お師匠さま」ともいえる一冊なのだ。
というと、テニスをはじめたばかりの人は、「ほう、それなら自分も読んでみようか」という気になるかもしれないが、そういう人には、こうして紹介しておいてなんだが、
「まあ、ちと待ちなさい」
と、とりあえず言っておかねばならない。
理由は簡単で、中身がえらいこと古いから。
どれくらい古いかというと、まだテニスが木のラケットで行われていた時代に書かれたものなのだ。
木のラケット! あの伝説的名勝負といわれた1980年ウィンブルドン決勝ボルグ対マッケンロー戦は木のラケットで戦われていたが、実に30年以上前だ。
今は当然、当時の私からしても充分ただよっていたビンテージ感。戦術もトレーニング法もラケットの進歩も日進月歩のこの業界で、そんないにしえの時代を持ち出すなど、ゲーム制作の学校で、教材として「ファミコンのドラクエ1」を持ち出すようなものではないか。
単純にそこだけ見れば、まあ時代遅れもはなはだしいのだが、この本の本質は単なる「サービスの打ち方」とか「苦手なバックハンドの克服法」などといった各論がどうとかではなく、さっきもいったが、
「テニスのショットとは、どうやって打てばいいのか」
という本質論をうまくついているわけで、そこだけを吸収すればよいのである。
では、その私が学んだ「テニスの本質」とはなにかと問うならば、それは次回(→こちら)に続くのであった。
「新世界にね、人肉の串焼き出す店があるって知ってますか」
唐突にそんなことを語り出したのは、竹内義和さんであった。
ここ数回(→こちら)、竹内義和リスペクトの私が本人からコメントをいただいた話をしているが、そんなアニキの魅力はオタク話やゲスイ決め打ちのほかに、真偽不明のあやしい怪談や都市伝説がある。
人肉の串焼き出す店。
その「いかにも」なワードが飛び出したのは、ラジオ『誠のサイキック青年団』のイベント。
新世界。
通天閣でおなじみの大阪のディープスポット。ビリケンさんと串カツが名物で、大阪文化をあつかうテレビのロケなども、だいたいここで行われている。
へー、そうなんや。新世界も最近は観光化が進んでるし。串カツも、豚肉だけでなくて、チーズとかトマトとか、変わった具材で勝負している店も多いらしいよね。
昨今ではまた新しいメニューで、人の肉を使うのか……って、いきなり、何を言い出すのかこのオッサンは。
一瞬にして静まりかえった会場にかまわず、アニキは、
「あのね、あそこって、冬の朝とか行ったら、よう泥酔したおっちゃんとか死んでますやんか」
いや、「死んでますやんか」言われても……まあ、死んでたけどさ。どんな街や。いや、昔ですよ。昔の話。
「あれをね、焼鳥屋のオッサンが回収して倉庫に連れて行くんですよ」
ホンマかいな。どこ情報や。
「こうね、両の足首を肩にかけて、それを両手でもって、ずるずると引きずって行きはったらしいよ」
そういいながら、イスから立ち上がって実践してみせる。この、妙なリアリティーが、都市伝説のキモであろう。
これには、「なにをいうてはるんですか、竹内さん」と、客のみならず出演者たちもドン引き。
だが、アニキはそんな空気などまったく気にすることもなく、
「でね、それを見た人が、その日その店行ってみたら、いつもより串焼きがおいしかったそうなんですよ」
おいおいである。それは、たまたまその日はいい肉が入っただけではないのか。というか、その情景を見たあと、入店できるという根性もすごい。
よほど好奇心をそそられたのか。それとも、一度人肉料理を食ってみたかったのか。
さすがはおおらかな大阪、ソースの二度づけは禁止だが、人類最大のタブーはOKらしい。
「はあ……」としかいいようのない会場に、竹内アニキは、
「ここだけの話ね、みなさんも、天気予報で寒波が出てたら、次の日は新世界に行ってください。間違いなく、その日はおいしい串カツが出ますから」
そうトークを締めくくった。
寒波の次の日は、串カツを食え。
まあたしかに、ここだけというか、間違いなく『秘密のケンミンSHOW』には出ていない情報であろう。地元ならではの口コミである。
ということで、冬の大阪観光は串カツがオススメだそうです。
のれんをくぐって、気軽に「生ビールと、あとはシイタケとチーズササミと人肉揚げたって!」と注文……できますかいな!
アニキは他にも放送で、
「近畿大学の近くにある、人糞をツマミに一杯やるスカトロバー」
とか、
「東京ディズニーランドには秘密の地下室があって、岸部シローは顔パス」
みたいな話をしていたこともあった記憶が。
スカトロはともかく、ディズニーランドになぜシローが?
アヤシイことこの上ないが、その微妙なリアリティーがアニキの語る都市伝説も魅力でもあるのだ。
■『誠のサイキック青年団』は→こちら
□竹内アニキのゲスさを体感したければ→こちら
前回(→こちら)に続いて、竹内義和さんからコメントをいただいた話。
その著作である『なんたってウルトラマン』からは
「映画やドラマにつっこみをいれながら鑑賞する」
というB級文化的スタンスを学んだわけだが、竹内アニキといえば、やはりはずせないのが、「下世話な決め打ち」。
それこそウルトラマンにおける第33話「禁じられた言葉」では、
「ウルトラマンと互角の戦いをするメフィラス星人が、サトル君相手に《地球をあなたにあげます》といわせることにこだわったのは、メフィラスが少年好きの変態宇宙人で、そういうプレイを楽しんでいるのではなかろうか」
などという、ゲスい邪推をかましておられた。
そもそも、なぜ竹内さんがファンから「アニキ」と呼ばれているかといえば、この「下世話トーク」の切れ味。
ラジオで北野誠さんが、
「最近の援助交際とかしてる女子高生はね、《オヤジなんか金ヅルで、こっちが利用してやってんだよ! あんなの豆だよ、豆!》とかバカにしてるらしいで!」
憤慨すれば、
「ボクはそういう子らに逆に訊きたいね、《キミの豆はどうなの?》」
また、これも誠さんが、
「《癒し系》とかいう女、信用でけへんわー」
そうボヤくと、
「疲れたときとか、そういう女の子に《肩でももみましょうか》とか言われたいわけでしょ? でもボクやったら、あえていいますよ《オレ、イチモツ凝ってるから、そこもんで》って」
もう聞いた瞬間、反射的に「ゲッスー!」と口走ってしまう、この下世話力。
この打てば響くような最低の返しには、我々ももう爆笑しながら、「アニキ、ついていくッスよ!」とレスポンスするしかない。
中でも私が感動したのが、好感度スターであるケビン・コスナーが女性問題で叩かれていたときの、
「ハリウッドスターの不倫がどうとか言われてますけどね、ボクがケビン・コスナーやったら、ケビン・コスナー以上にケビン・コスナーみたいなことしまっせ!」
世に言語センスがいい人というのはいるもので、ヨイショの世界なら渡辺篤史さんかサバンナ高橋さん、悪口芸なら西原理恵子さんかナンシー関さんだが、シモのセンスが天才的なのは竹内アニキ。
「男の中の男」いう表現がこれほど似合う人もいないであろう。尊敬しますわ、ホンマ。
(続く【→こちら】)
前回(→こちら)に続いて、竹内義和さんからコメントをいただいた話。
竹内義和というと、「誰それ?」という声が聞こえてきそうだが、関西在住で怪獣好きで深夜ラジオ好きという少年であった私にとっては、非常なる思い入れのある人なのである。
そんな人がここを読んでくれたことがあるというのは、「元サイキッカー」としては、「オレもここまで上り詰めたか」という気分になったもの。
なんて自慢しても、やはり世間の方はどこまでいっても「知らんがな」であろうから、一応ここに説明すると、竹内義和とは和歌山県出身のオタク・サブカル系の作家でありプロデューサー。通称は「アニキ」。
今敏監督『パーフェクト・ブルー』の原作者であり、最近ではアイドルグループ嵐のファンとしても知られているが、一番分かりやすいのが、
「北野誠が舌禍事件を起こして、ラジオ番組が打ちきりになった」
という事件。
あの番組『誠のサイキック青年団』のメインパーソナリティーの一人こそが竹内義和さんなのである。
う
くだんの騒動には、「大手事務所から圧力があったのでは」などと、ネット上で様々な物議を醸したものだが、元々このラジオは昔から騒動に巻き込まれることが多かった。
古くはジャニーズの裏ネタを話してメチャクチャ怒られたり、濃い目のアイドルファンを批判して抗争になりかけたり、「山本リンダ事件」(詳細は検索してみてください)とか、オウム真理教にヤカラを入れて抗議されたり、なにかとややこしい事件には事欠かない。
で、しまいにはそれが高じて打ちきりになってしまったわけだけど、あの事件に関しては「北野誠が謹慎」という結末になったが、我々「サイキッカー」(番組ファンのこと)の面々は皆きっと、
「いやいや、アニキの方がもっとひどいこと言うてるはずや」
ニヤニヤしていたに違いない。
そんな関西アングラ界のカリスマともいえる竹内義和さんからコメントをいただいたのだから、その著作のファンでありサイキックのヘビーリスナーであったの私としては「誰それ?」という声などどこ吹く風で、有頂天になったのは言うまでもない。
私とアニキの出会いと言えば、小学生のころに購入した、『なんたってウルトラマン』という本であった。
子供のころから大の怪獣好きであった私は、当然のごとくウルトラマンなど特撮番組が好きであった。
ゆえに、愛読書といえば江戸川乱歩やシャーロック・ホームズと並んで大伴昌司『怪獣大図鑑』や雑誌『宇宙船』などが本棚に並んでいた。
そんなある日、近所の古本屋さんで見つけたのが『なんたってウルトラマン』。
怪獣の本となれば黙っていられないと、乏しいおこづかいをやりくりして早速購入したのだが、帰って一読、これには驚かされることとなった。
基本的に特撮や怪獣の本で多いのは、資料本である。
怪獣のデータや正義の組織のメカや秘密兵器。はたまた、円谷プロなど当時の製作会社やスタッフの回顧録などなど。
ところが、この『なんたって』は、そういったオーソドックスなものとはひと味違っていた。
竹内流のウルトラマン語りというのは、一言でいえば、
「つっこみ百人組手」
そう、この本は『ウルトラマン』全39話を振り返りながら、データや裏話などは一切無視して、ひたすらにストーリーやセリフの矛盾点に「つっこみ」を入れていくというものだったのだ。
有名なミスとしては、『ウルトラマン』第19話「悪魔はふたたび」の中で、怪獣を封じ込めたカプセルが、「三億五千年前だ」というセリフがある。
よく聞くと、これはおかしな設定だ。
漢数字で書くとわかりにくいが、算用数字にするとこれは、
「300005000年前」
ふつう、こんな変な表記の仕方はあるまい。それやったら、もう「3億年前」がわかりやすくてええがな。
もちろんこれは、「三億五千《万》年前」のはずが、おそらくはミスプリントで台本に間違って載ってしまい、出演者も皆それに気づかずに使ってしまったのだろう。
こういった「つっこみ39連発」が怒濤のごとく紹介されている。
これなどはまだ、わりとしっかりしたツッコミだが、竹内アニキのそれはどちらかといえば、「揚げ足取り」みたいなところの方にその本領があった。
「バルタン星人の冷凍光線で固められた警備員は、よく見ると、じっとしているのが大変でフラフラ動いている」
といった、「ジェットビートルを釣るピアノ線が見えてる」レベルのお約束から、
「ジャミラを見たアラン隊員は、すぐに正体が分かったみたいやけど、ということはジャミラは人間の姿の時から、あんな怪獣みたいな顔やったということですね」
といった、アニキ得意の「ほっといたれよ!」な邪推。今でこそ、
「B級作品につっこみを入れながら鑑賞する」
というのは玄人の映画ファンなどなら当たり前のスタンスだが、一昔前はあまりそういう楽しみ方は市民権を得ていなかった。
名作といわれる映画やドラマというのは、「マジメに見るもの」であって、それを笑うなどというのは「ひねくれた」「不謹慎」なことだったのである。
そこに「いや、世の中にはこういう楽しみ方もある」と、最初に教えてくれたのが竹内アニキである。
「バカなものをバカとして楽しむ」
「そこに愛があれば、つっこみを入れながら笑ってもいい」
そういった視点がOKであるということは、その後の私の人格形成に大きな影響を与えたのであった。
(続く【→こちら】)
竹内義和さんから、コメントをいただいたことがある。
インターネットというのはすごいもので、だれが読んでいるかわからない。
私も「どうせ、こんなん読む人おらんもんね」とばかりに、無茶苦茶お気楽に人の悪口や適当な書評を書いていたら、爆笑問題の太田光さんが読んでいてコラムのオチで引用されたり。
他にも『僕の見た「大日本帝国」―教わらなかった歴史をたどる旅』などを書いたノンフィクション作家の西牟田靖さんの本を取り上げたら、本人からコメントをいただいて恐縮したりした。
「なんでこんな有名人が!」といった人がたまにあらわれるのが、インターネットのおもしろいところであり、怖ろしいところでもある。
そんな有名人コメントシリーズの一人に、竹内義和さんがいる。
ある日コメント欄に「竹内義和」とあり、いやいやまさかとも思ったが、中身を読んでみるとそこには、
「今度、『ウルトラマンの墓参り』という新刊が出ることになりました。どうぞ読んでみてください」
なんと、ホンマもんの竹内さんであった。
一瞬なりすましかとも疑ったが、そんなことで私をだましてもなんのメリットもないし、素直に新刊本の宣伝の一環と受け取るべきであろう。
これを見たとき、私は思わずパソコンの前でイスから立ち上がってしまった。
いやー、それやったらスゴいやん!
いや、だって『誠のサイキック青年団』の竹内さんだよ。関西の深夜ラジオファンにとって、ある種のカリスマ的人物。
そんな人から、コメントをいただけるなんて。
それは映画ファンで言えば中野貴雄監督から、音楽好きの世界でいえば大槻ケンヂさんからコメントをいただけるようなものだ。
世間的には「そんなに?」だが、一部ではものすごい自慢できる存在なのである。
そんなビッグマンに声をかけていただくなど、元サイキッカーの私としては光栄の至りというか、まさに、
「俺もここまでのぼり詰めたか」
といったところだ。
などとホクホク顔で語っていると、おいおいちょっとまて、さっきからオマエはどうやら自慢をしているらしいが、それはちっとも伝わってこないというか、正直
「竹内って誰やねん」
そうつっこまれそうだが、まあそれはそう言われてもしょうがない面はある。
竹内アニキと言えば、一部では知る人ぞ知る有名人であるが、知る人ぞ知るというのは、和文和訳すれば
「知らん人はまったく知らん」
ということである。そこで次回は、我らがリスペクトする「アニキ」について少しばかり語ってみたい。
(続く【→こちら】)