「ヘボ将棋、王より飛車をかわいがり」
という格言には、苦笑とともに深くうなずかされるものである。
これは本当で、飛車をいじめられて逃げ回っているうちに、いつの間にか玉がお留守になって、気がついたら寄せられてたなど、よくある話。
1977年の名将戦。
内藤國雄九段と、米長邦雄八段の一戦。
決勝3番勝負の第1局は、後手番になった内藤が三間飛車に振ると、米長は銀冠に組んで対抗。
米長が後手の飛車を責めつつ、右辺に馬を作ると、内藤もその飛車を軽く転換し、玉頭戦に持ちこむ。
むかえた、この局面。
△85歩の玉頭攻めに、強く▲66桂と打ち返す。
米長はこれで指せると見ていたそうで、実際、飛車の逃げ場所がむずかしそうだが、ここからの内藤の構想が見事だった。
△86歩、▲74桂、△同金で、後手優勢。
飛車取りにかまわず、玉頭を取りこむのが好判断。
そもそも、後手は飛車を逃げようにも場所がないわけで、△84飛は、▲85歩、△同飛、▲86歩で受け止められるが、私みたいなヘボが指していたら、そうやってしまうかもしれない。
そこを、「飛車? どうぞ、どうぞ」と、さわやかに、あげてしまう発想にシビれた。
私がこの将棋を知ったのが、米長の書いた『米長の将棋』という本で、その「振り飛車編」の開口一番が、これなのだ。
子供のころには、飛車桂交換で後手が優勢と言うのが、どうしても信じられず、何度も並べ直したものだ。
たしかに今見ると、△74同金に本譜▲76銀と逃げても△87銀と打ちこむ追撃がきびしく、後手がいいんだろうけど(とはいえ私レベルじゃ勝ちきれませんが)、やっぱりすごい手だなあと感心する。
△87銀以下、▲同金、△同歩成、▲同玉、△86金、▲78玉、△48角成。
流れるような攻めで、まさに「自在流」内藤國雄の名調子だ。
この局面、なんと先手が飛車の丸得なのだが、玉の安全度や駒の働きと、なにより勢いが違う。
特に先手は▲43の銀と▲26の飛車が、取り残されているのが哀しすぎ、やはり後手を持ちたいところであろう。
米長は、なんとか逆転のタネをまこうと、とりあえず▲83歩とタタいて反撃。
これまた、ぜひともおぼえておきたい手筋で、△同銀でも△同玉でも、形が乱れていやらしい。
本譜は△83同銀に、▲75歩、△76金、▲同金、△75金、▲同金、△同馬。
そこで▲66金とふんばる。
米長も得意の「泥沼流」でねばりにかかるが、そうはさせじと後手も△76金とへばりつく。
▲75金と馬を取るのは、△67銀と先着されて、▲69玉に△75金で寄せられるから、▲67金打と再度がんばる。
後手は△66金と取って、▲同金に△76金で同じ形が続く。
ここでもう一回▲67金打なら千日手コースだが、そうなれば内藤は手を変えて、するどく踏みこんでくるかもしれない。
それは危険だし、なにより勢いを重視する米長将棋では、あまり考えたくないところなのだ。
そこで打開を検討したいわけだが、ならやはり、ここはぜひとも「あの駒」を活用したくなるものではないか。
▲36飛と取るのが、これまた寿命を半分に削ってでも、身につけておきたい感覚。
この将棋は、ここまで後手の攻め駒が目一杯働いてるのと対照的に、先手は▲26の飛車が、長らくボケたままであった。
なので、ここはもうぜひとも、それこそ最後は負けたとしても、なんとかこれを活用したいと考えるのは、将棋を強くなるのに大事な感覚なのだ。
実際、米長も苦戦を意識しながら、この手に関しては、
「ある程度の清算」
はあったので、思い切ってループを打開したのだ。
勝負の方は、米長の気合に押されたのか、内藤が寄せを逃して逆転してしまう。
といっても、具体的になにが悪かったのかはわからず、それだけ難解な上に、米長の勝負術が際立っていたということだろう。
それにしても、おもしろい将棋で、米長もおどろかされた、飛車取りを放置して△86歩と取りこむ感覚に学びがある。
最後の最後▲36飛と眠っていた獅子を活躍させようと「ねらっている」センスの良さとか。
「強い人の将棋」って、こんなんなんやーと、目からウロコが落ちまくり。
こんなもん一発目に見せられたら、そら『米長の将棋』に夢中になるわけで、もう暗記するほどに、むさぼり読んだものでした。カッケーわー。
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