(前回)に続いてアレックス・ベロス『フチボウ 美しきブラジルの蹴球』を読む。
前回は「マラカナンの悲劇」が、ブラジル国民にとっていかに衝撃だったか語ったが、実際にこれは国民的トラウマともいえる事件。
なんといっても、その後、山のような数の本や映画やテレビ番組の題材なっているのだから、まさに日本でいう「玉音放送」レベルの題材なのだ。
そのことからも、ブラジル人にとっての傷の深さが、うかがえようというものだが、中にはそのショックのために、歴史を作り替えようと試みた男さえいたのである。
ジャーナリストのジョアン・ルイスは、かつて観たある映画に憤っていた。
それが名画の誉れ高い『カサブランカ』で、ヒロインのイングリッド・バーグマンが、本来愛しているはずのハンフリー・ボガートをおいて、どこの馬の骨ともわからんスカしたアンちゃんと逃げていく、というラストに納得がいかず憤慨。
「こんなん、オレの望んだ『カサブランカ』とちがう!」
その思いから、映画の映像を自分で勝手に編集して、なんとラストでボギーとバーグマンが結ばれてハッピーエンドになるという内容に、作り替えてしまったというのだ。
かつて、『新世紀エヴァンゲリオン』が例のズッコケ最終回を放映したとき、「裏切られた」と怒り狂った作家の本田透さんを代表とするコアなファンは、同人誌やウェブ上で
「エヴァの本当のラストはこれや!」
といった小説やマンガを披露したりしていたが、まさにそれの元祖である。
そんな『俺カサブランカ』を作った(勝手に)ジョアンにとって、もちろんのことワールドカップの結末も、ゆるされるものではなかった。
「ウルグアイに負けたんなら、勝ったように作り替えればええんや!」
ふたたび、歴史修正魂に火がついたのである。
まずジョアンが目を付けたのは、ブラジルの対ユーゴスラビア戦でのゴール。
これを決めたジジーニョは、よろこびのあまりボールをもう一度ゴールに蹴り込むのだが、これをブラジルの
「本当の決勝ゴール」
として、ウルグアイ戦の映像の中に挿入。
それを受けて、悲しみの涙に暮れるウルグアイ市民の映像とあわせると、アラ不思議。
なんとまあ、ブラジルのゴールによって、ウルグアイ人が負けて泣いているように見えるではないか!
タネをあかすと、このとき泣いているウルグアイ人の映像は、なんとウルグアイ優勝が決まった瞬間の歓喜の涙のシーン。
まったく真逆の画面だ。
ところが、映像のマジックというのはすごいもので、うまくつなげると、これがまったく反対の印象を、見ている者にあたえる。
そりゃ、なにをいわれてもメディアがねつ造や偏向報道をやめないわけである。
ハサミでちょちょっとやれば、簡単に操作できて、全能感が味わえる。
そら、クセにもなるし、大衆なんて阿呆にしか見えないのでしょう。
あまりにうまくできたことに、気をよくしたジョアンは、今度はリオのカーニバルを
「ブラジル地元優勝の凱旋パレード」
として入れてみると、ますますブラジル勝ちのリアリティーが高まった。
そこにモンテビデオ(ウルグアイの首都)で悲しみに沈むウルグアイ国民の映像を加えてみると、これはもう完璧に
「ざまあみろ、ウルグアイ野郎が!」
という気分になる。やったで、これでブラジルが世界一ですわ!
この映像など、なんと元ネタはブエノスアイレスで行われたエバ・ペロンの葬列の場面であり、もはやウルグアイ関係ねーじゃん! といったところだが、ジョアンからすれば、むしろ
「大嫌いなアルゼンチンのイヤがる映像使ったったで!」
他国まで巻き込んでの憂さ晴らしで、一石二鳥なのである。
なんでもええ、これでブラジルが優勝ですわ、バンザーイ、バンザーイ!
冷静に見れば「なにやってんだか」という話のようであり、私自身も「そこまでするか」と申し訳ないが笑ってしまった。
が、その一方で考えてみれば、モノを創るということの本質の部分だけを取り出せば、ジョアンのやっていることというのは、そんなにおかしなことでもないかもしれない。
悲しかったり退屈だったり理不尽だったりする現実を、妄想によって
「こうあれかし」
と作り替えるのは、創作の大きなモチベーションのひとつだものね。
(続く)