アフガン空爆開始に世界を憂う後輩シキヅ君。前回(→こちら)はそんな彼の提唱する斬新な平和論を紹介した。それは
「ブッシュもビンラディンも一緒に『カードキャプターさくら』を見たら仲良くなりますよ!」
ということらしく、私の中では
「すべての紛争はサッカーで解決しよう」
という大空翼君の「サッカー世界平和宣言」と並ぶ「世界2大意味不明平和論」であるが、当人は大まじめである。
ところがである、この「萌え平和論」。思ったほどトンデモではないのではないか、という話をあるところで聞くこととなる。
それは岡田斗司夫さんの書いたコラム。
舞台はアメリカで行われたマンガやアニメの国際イベント。
世界中からファンが集まって、大友克洋といった硬派なところから、シキヅ君の語る萌えアニメまであれこれ語り合っていた。
当然そこには日本人もたくさんいるわけだが、あるアメリカ人が日本人としゃべっているとき突然暗い顔になったそうな。
どうしたのだろうかと心配していると、彼はポツリともらした。
「ボクはいつも心配なんだ。もしアメリカと日本が戦争になったらどうしようかと」
マンガの話をしているのに、急になんで戦争の話なのか。
みなが首をかしげていると、なんと彼はアメリカ空軍のエース・パイロットであるという。エースは続けて暗い顔で、
「でももし日本と戦争になったらイヤだ。他ならどこだっていい。ボクは国を愛している。ロシアでも、中国でも、イラクでも、たとえどんな強敵が相手でもボクは戦う」。
士気の高い男である。国を守る兵士は、こうでなくてはならない。
「でも、日本だけはダメだ。戦うことができない」。
ふーん。まあ、こっちも戦争はお断りだけど、なんだかえらく日本にこだわっているが、なぜなのかと問うならばエースはこう答えたという。
「だって、日本にはアニメスタジオがあるじゃないか!」
アニメスタジオがあるから攻撃したくない! どんな理由やアメリカ兵。
しかし彼は大マジメである。日本にはアニメスタジオがあり、日々すばらしい作品が生み出されている。まんだらけもある。アニメイトもある。秋葉原だってある。そんなところを破壊なんてできるもんか。
おまけに、日本を爆撃したら多くの「同志」も殺すことになってしまう。
アニメに出てくる東京はボクにとっては第二の故郷だ。たとえ大統領の命令でも、それだけは絶対にしたくないんだ。日本と戦いたくない!
そう叫んだそうである。戦争について悩む兵士の苦悩である。彼はそこまで一気に告白すると頭をかかえたそうだ。
えらい話である。空軍といえばアメリカのシンボルである。かの国で戦争といえばまずは空爆なのだ。イラクで、ユーゴで、アフガンで、ベトナム、太平洋で、彼らは英雄だった。
そんな「オラオラワシらは正義やから何やっても許されるんやオラオラ」といったルール無用の悪党、じゃなかった猛者であるアメリカ空軍のパイロットをして「戦争したくない」といわしめたのだからこれはすごい。
彼にとって日本は単なる極東の島国ではなく「ドラゴンボールの国」「セーラームーンの国」なのである。どうしてそこを、自らの手で破壊などできようか。
たしかに世界中の女の子に、
「鬼畜米英は敵やから、ディズニーランド破壊してミッキーマウス撃ち殺してこい!」
っていったら、絶対嫌がるだろうからなあ。
この話を聞いたとき思い出したのがシキヅ君であった。
「ボクはさくらを愛するいうんやったら、どんな国のどんな文化圏の民族とでも仲良くなれますよ!」。
日本のアニメ、世界平和に貢献しとるがな。
これらの話を聞いて私はシキヅ君の提唱する「アニメによる平和論」は意外と有効なのではないかと感じたものだ。少なくとも、しょうもない政治家の下手な外交や改憲論よりも、よっぽど現場レベルで嫌戦ムードを醸し出しているのではあるまいか。
実際、中国や韓国などはことあるごとに日本を嫌っていることをアピールするが、市民レベルではアニメやマンガ、特撮ヒーローなどが文化的に席巻している。
そのことが、反日ムードに対する大きな牽制球になっているのかもしれない。曰く、
「政治的に日本は嫌いだけど、『ワンピース』は好きだから、ケンカまではしたくないよ」
なんてね。
ひとりの日本人としては、シヅキ君の言う平和論が実現してくれると、うれしいなあ。
前回(→こちら)の続き。
ヒシャム・アラジの天才に惚れこんだ私は、1998年オーストラリアン・オープンを現地に観戦に行った際、彼の試合を生観戦する機会に恵まれた。
相手は地元オーストラリアの英雄、マーク・フィリポーシス。
「スカッド」の二つ名そのままに、長身から重い弾丸サーブを撃ちこんでくる強敵相手に、アラジはスピードと、華麗なテクニックで対抗。
柔と剛がぶつかり合い、交差する好ゲームに、会場は興奮のるつぼと化した。
力任せに押しつぶそうとするフィリポーシスを、アラジは軽やかなフットワークで、ひらりとかわす。
いささか日本人的な例えでいえば、五条の橋の弁慶と牛若丸、といったところであるがゲームはファーストセットをフィリポーシスが取れば、負けじとアラジも、セカンドセットを取り返す。
そうして交互に取り合って、ついにはファイナルセットに、もつれこむ大熱戦となった。
期待にたがわぬ好ゲームに、観客も総立ちになっていた。
こうなるともう、いかなフィリポーシスが地元の人気者とはいえ、アラジの魅力にオージーたちも、だんだんと取りこまれていく。
それがピークに達したのは、アラジの得意なショットである、コートの外からフォアハンドの「ポールまわし」が決まったとき。
アドコート側に大きく振られたアラジは懸命に走り、見事なランニングショットで、ダウン・ザ・ラインにエースを放つ。
まさにミラクルショットで、このときばかりはオージーたちも、思わず地元期待の星のことを忘れ、立ち上がってアラジに拍手を送ったものだった。
まさかのスーパーショットに、唖然とするフィリポーシス。
試合はそのまま、アラジがファイナル9-7の激闘を、ものにしたのであった。
アラジはときに、こうしたトップ選手を沈める危険な男であった。
が、そんな才能のかたまりのような彼の残した実績といえば、自己最高ランキングが22位、優勝が1回。
そう聞くと、恵まれたものを持っていたわりには、結果が残せていないような印象も受けるが、そこがまた、天才型の選手らしいとも思う。
「天才」と「天才肌」は似て非なるもの。
どこがちがうのかといえば、私見では才能はプロならあって当たり前として、問題はその
「才能を御する才能」
が、あるかどうか。
天才型の選手は、それだけ才にあふれながら、それをもてあましてしまうことが、多々ある。
ジョン・マッケンローしかり、アンドレ・アガシしかり。
ゴーラン・イバニセビッチ、マルセロ・リオスに、マラト・サフィンも。
みな、平時なら目を見張るようなプレーをするが、いったん乱れると、とめどなく崩れていく。
いいときと、悪いときの出来が、激しすぎる。
その差は若いときのアガシと、ベテランとなって円熟味を増したころのアガシをくらべてみるとよくわかる。
その、いまいましいほどに、あふれくる才能を、苦難の末に乗りこなすだけのなにか。
これを得ることが、できたときに、「天才肌」の選手はようやく、花を咲かせられるのだ。
それは、サンプラスやフェデラー、ナダルなどのような、才能と努力とその開花がそれぞれにいいタイミングで出会って、伸びていった選手とは、ちょっとちがうところだろう。
だが不思議なもので、人というのはそういう「安定した天才」よりも、より「不安定な天才肌」に、惹かれるところがある。
人間くさく等身大でありながら、それでいて、常人ばなれした才能がある。
その、ある意味矛盾したところが、不思議であり、ミステリアスな魅力を生むのであろう。
ヒシャム・アラジはまさにそういう選手であった。
今のテニスは、フェデラーやナダルなど優等生な、大人のチャンピオンが多いが、たまにはアラジのような、天衣無縫の選手の爆発を楽しんでみたいものだ。
※おまけ 97年フレンチ・オープン4回戦対リオス戦の映像(→こちら)
ヒシャム・アラジのテニスは、まさに天才型のそれだった。
スポーツの世界には、ときおり、目に見えて才気をほとばしらせる選手がいる。
彼らは普通なら、100万回練習してもできないようなプレーをいとも簡単に、それこそ口笛でも吹きながら、あざやかにこなしてしまうことによって、我々凡人に感嘆と絶望の、ため息をもらさせる。
テニスでいえば、一番わかりやすいのはジョン・マッケンローであろう。
あの天才的としか表現できない、繊細なボレーは、
「フェザータッチ」
と呼ばれ、まさに彼しか披露することが、できないものであった。
他にもアンドレ・アガシやロジャー・フェデラーなど、神に愛されていたとしか思えないような、すばらしいショットを打つ選手は多くいるが、その中から、個人的な見立てで、一人輝く才を持った選手を選べと言われれば、彼らを押しのけてこの男になるかもしれない。
それがモロッコのヒシャム・アラジ。
カリム・アラミやユーネス・エル・アイナウイらとともに、モロッコのテニスを引っぱってきたエースである。
身長は175センチと、テニス選手としては相当に恵まれない体型であったが、それをカバーするだけのフットワークと、なによりムチのようにしなる腕と、強靱な肉体を持っていた。
特に、その形のよい筋肉は見事なもの。
インターバルで、彼が着がえのためシャツを脱ぐと、見事な形の腹筋に、客席から歓声が上がるほどであった。
毎試合のように、それを披露するところから見て、本人もかなり自覚があったらしい。
華麗なラケットジャグリングでも客席を沸かせる彼は、まるで少年のようなベビーフェイスも相まって、2歳から過ごしているフランスで、特に人気者であった。
アラジのテニスは、とにかく美しかった。
ショットは一見やわらかい。
それは彼の動きとフォームが、流れるように進むからで、実際にそこから飛んでくるボールは、予想を裏切って鋭くて伸びがある。
その小さな体の、どこにそんなパワーがあるのかというような、ものすごいエースが、次々飛んでくる。
それもこれも彼の、しなやかな筋肉のたまものであるが、特にクレーコートの上で躍動する姿は惚れ惚れさせられる。
いつまでもプレーを見ていたい、と思わせるようなその芸術性は、グスタボ・クエルテンと双璧ではなかろうか。
アラジのその才能が、もっとも発揮されたのが、1997年のフレンチ・オープンであった。
この年アラジは好調で、ローラン・ギャロスでも快進撃を見せベスト8に残る活躍。
その4回戦で戦うこととなった、マルセロ・リオス戦は大会のベストマッチ、いやさ、これまでクレーコートの上で見たテニスの中で、もっとも、すばらしい試合だったかもしれない。
リオスもまた、アラジと同じ「天才型」の選手。
どちらも、身長175センチのサウスポーで、やはりスピードと、しなやかなスイングを武器とし、天才肌の選手にありがちな、ムラッ気も持つなど共通点の多い者同士。
その戦いは、全身からほとばしる才とセンスが、真っ向からぶつかり合う好勝負となる。
専門誌のレポートでも賞賛された、すばらしいゲーム。
「金の取れるテニス」というのは、こういうパフォーマンスのことをいうのだろう、と感じ入ったものだ。
そんな「魅せる男」アラジの試合を、私は生で観たことがある。
それは1998年のオーストラリアン・オープンを観に、メルボルンまで出向いたときのこと。
アラジは2回戦で、地元期待の若手マーク・フィリポーシスと相対した。
スピードと柔軟性で戦う「柔」のアラジと、破壊力抜群のビッグサーブを、無差別爆撃のように打ちこんでくる「豪」のフィリポーシス。
相反するかのようなプレースタイルのふたりが、灼熱のメルボルンで、ぶつかり合う。
これが、おもしろく、ならないはずがない。
私はこれこそ、前半戦屈指の好カードと見積もって、センターコートのチケットを手に、会場へ向かったのである。
(続く【→こちら】)
と書き出すと、朝からなんのこっちゃいといぶかしがられそうだが、本日3月9日は私の誕生日。
おお、なんとめでたい日であることか。ハッピーバースデイ、バイ・マイセルフ。
独身貴族の身では特に祝ってくれる人もいないので、自給自足でお祝いしたい。私は子供のころから、「自分のことは自分でしなさい」と、しっかりしつけられた世代なのである。
そんな私とアメリゴを結びつけることとなったのが、ある友人の誕生日(4月14日)。なにげなく皆でニュースを見ていると、
「今日が誕生日の有名人はこの人たちです」
そこで紹介されるのが、ミュージシャンのリッチー・ブラックモア、今井美樹、漫画家の大友克洋に、桜田淳子に中谷彰宏といった面々たち。
へー、オマエって中谷彰宏と同じ日に生まれたんや。こらおもろいと、そこにいた他の友人たちの誕生日を聞いてネットで調べてみると、皆けっこうたいした人物と同日生まれなのだ。
たとえば、6月20日生まれの友人ミナミ君は俳優の石坂浩二と、8月2日生まれの友人モトコちゃんはテニス選手のアーロン・クリックステインと同じ誕生日。
こういうのはたいてい「あいうえお」順なので、一発目に「あ」や「い」の人が来るわけだが、ウケるのはここで勝負が決まると言っていい。
なんといっても同日誕生日の有名人など山ほどいるのだ。全部は見きれないから、最初の5個くらいまでしかチェックは届かない。
となれば、先頭打者のインパクトがものを言うのだ。これがアーネスト・ヘミングウェイ(7月21日)とか石森章太郎(1月25日)のようなビッグな人ならいいが、「アホの坂田」だったりすると目も当てられない。
そこで、「じゃあ、次はオレな」と、自慢できる偉人よ出てこいとグーグルで「3月9日生まれの有名人」と検索してみると、一発目にでてくるのが堂々の、
「アメリゴ・ベスプッチ」
これである。イタリアの偉大な探検家。実はかの「アメリカ」という名前は、このアメリゴがなまってアメリカになったのが由来。
つまりは、もし彼の名前を発音する人がなまっていなかったら、彼の国は
「ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリゴ」
だったかしれないのである。
その他、『キャプテン・アメリカ』もキャプテン・アメリゴ。映画『アメリカン・ビューティー』もアメリゴン・ビューティー。ザ・ハイロウズも「これがアメリゴ魂」と歌っていたはずなのだ。
アメリゴンって、『スペクトルマン』あたりに出てきそうな、B級怪獣みたいだなあ。
3月9日生まれは他にもカルロス・ゴーンとかチェスのボビー・フィッシャーなど色々いるんだけど、なんせものが「あいうえお」順なので、どのようなサイトで見ても、一発目はどれもたいがいが「アメリゴ・ベスプッチ」になる。
アメリゴ・ベスプッチ。やったことは偉大だが、そのイメージを取ってみたら、日本人的にはどうにも、
「名前のおもしろい人」
である。「ベスプッチ」という響きがいけないのか。なんだか、新種のお菓子みたいだ。グミとかにありそう。「UHA味覚糖の新キャンディー、ベスプッチいちご味」とか。
これが、我が友たちに妙に受けたというのか、ほとんど「出オチ」みたいに出てくる「アメリゴ・ベスプッチ」に皆大笑い。ノリ的には、バリ島の聖なる山「キンタマーニ」やオランダの街「スケベニンゲン」でよろこぶ中学生みたいなものか。
それからすっかり、私は友たちの中で、
「アメリゴ・ベスプッチと同じ日に生まれた人」
というあつかいになり、誕生日の話になると、まずそのことでイジられるようになったのである。
うっかり今日生まれたばっかりに私なんかと同列に語られて、アメリゴも草葉の陰で砂を噛む思いであろう
疲れたときには奥崎謙三を見なさい。
というのが、落ちこんでいる人と接したときの、私のアドバイスである。
人は時に人生に疲れてしまうことがある。そういうときは酒をあおったり、やけ食いをしたり、カラオケで歌いまくったりと、その心身のリフレッシュ方法は様ざまだが、私がオススメするのがコレ。
とりあえず、「奥崎謙三の政見放送」を見てみたらよい。
政見放送とはみなさまもご存じであろう、選挙に立候補した候補者の主張や公約などを、国営放送を通じて日本中に伝えることができるという制度のこと。
基本的にはNHKから全国に、出された素材そのまま放送しなければいけないと公職選挙法に定められているため、時に無法地帯になりがちなイベントだ。
そこに登場したのが、歌だけ歌って「シェケナベイベー」とオンエア中なのに途中で帰ってしまった内田裕也さん、
「体にいいんです。国民の皆さん、オシッコを飲みましょう」
と尿療法のすばらしさをうったえた東郷健さんと並ぶ
「日本3大おもしろ政見放送」
といわれる我らが奥崎謙三さんの政見放送。これが実にキクのである。
放送が始まる。
まずNHKのナレーターが、読み上げる
「奥崎謙三。兵庫県第3区。無所属。暴行、傷害、獄中生活13年、前科3犯」
いきなり犯罪者だ。
このプロフィールを機械的に淡々と読み上げるあたり、NHKもさすが国営放送、無駄に律儀だ。
画面に奥崎氏が映る。その第一声が、
「どうも、落選確実の奥崎です」
以下、奥崎氏の主張が繰り広げられるわけだが、よく聴いてみると氏がいいたいのは。
「この日本を悪くしているのは、政治家と警察です」
極論だが、まあいいたいこともわからないでもない。
「そこで私が当選したあかつきには、政治家と警察を日本からなくします」
すごいマニフェストだ。なにかこう、紛々と「昭和のニオイ」がする展開である。
奥崎氏はさらに続ける。
「だが、無知蒙昧な大衆はそれを理解できないため、あえて私が借金をして立候補したのです」
なぜ氏が借金をしてまで立候補したのかといえば、
「無知蒙昧な大衆は、選挙の度に政治家に投票をしているが、それは大衆が政治家が日本を悪くしているということを理解していない重度のキチガイであり」
天下のNHKで堂々の放送禁止用語。
「しかし、私は生まれてから一度も選挙で投票したことがない、軽度のキチガイであるため、この度立候補したわけです」
奥崎氏の暴走は止まりません。ここまで上記の主張を、原稿めくりめくり繰り返していただけだったのが、突然、
「先日、天皇と田中角栄を殺しに行ってきました」
過去完了形だ。
「当選したら殺しに行きます」ではなく、「行ってきました」。
不言実行の男である。なんてカッコイイ。事後報告。それでいいのか。
「しかし、無念にも公安当局の手によって捕らわれてしまい」
当たり前である。
「その結果、獄中生活13年を強いられたのです」
奥崎氏はその後も、政治家、警察が日本を悪くしていると主張し続け、最後に、
「というわけで、兵庫県に住む軽度のキチガイの皆さん、ぜひともわたしに投票してください」
と話を締めくくり放送は終了。
トンデモな内容なのに、「落選確実」やら、「軽度」とはいえ自らの事も「キチガイ」という辺り妙なところで客観的なのがいい味わいだ。
わずか5分程度の映像だが、これを見ると、そのあまりの迫力と奥崎さんのそこはかとない人間力に圧倒される。
同時に、それに当てられて、なんだか日常の些末なことでウジウジ悩んでいる自分がアホらしく思えてくる。なんかもう、笑うしかないという感じだし。
なので私は、悩みがあったりちょっと疲れている人には、奥崎さんの政見放送を見ることを、わりとまじめに勧めている。
山際淳司さんは
「かすり傷にはマーキュロクロム、心の傷にはホームランがよく効く」
そう書いたが、疲れた心には軽度のキチガイの政見放送がよく効く。
だまされたと思って、ぜひ一度おためしあれ。
※そんな奥崎さんの勇姿はこちら(→こちら)
※奥崎さん主演のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて神軍』についてはこちらを参照してください(→こちら)
灘高という超進学校で落ちこぼれた中島らもさんがよくネタにしていた、
「テスト用紙を前に一問もわからなくて、『ダメだ卒業できない!』と泣きそうになったところで、汗びっしょりになって目が覚める」
という、あの夢である。
不肖この私、長いことこの悪夢の常連客であった。20代のころは週一回くらいのペースで見ていた。劣等生の定番「あるある」ネタである。
なぜくだんの悪夢に悩まされるようになったのかといえば、これはもう高校生のころ、これでもかというくらいに勉強しなかったから。
小学中学時代は優等生で、高校もそこそこの進学校と呼ばれるところに入学したのだが、そこで歩みが止まってしまった。
別に反抗期とか「いい子」であることへの反動ではなく(反抗するほどいい子でもなかったしネ)、ただただゆるやかに、
「勉強なんか、めんどくさいなあ」
なんて、学校サボってゲーセンに行ったり街をふらついたり、部室で昼寝をしたりしていたら、あっという間に落ちこぼれたのだ。水は低きに流れる。
そうして、見事学年最下位でフィニッシュするという偉業を成し遂げた男なので、この季節といえばあまり良い記憶がない。
出席日数はギリギリ足りたのだが、成績の方が、特に理系科目は追試の嵐であった。
そこで放課後、数学や物理の試験をハシゴしたわけだが、今日は東に明日は西、それこそ毎日のようにテストテストの忙しさで、まるで売れっ子アイドルのようであった。
ギャラももらえず、まったく阿呆らしい。それだけでも大変だったのだが、さらなる試練は、追試の後かならずといっていいほど先生に呼び出されたことである。
そこで先生は、
「おい、○○(私の本名)、なんだこの答案は。ふざけているのか」。
と、たいそうご立腹。
それにはまっとうなわけがあり、さもあろう、私の出した答案用紙のほとんどが白紙答案だったからである。
これは先生が怒るのも当然である。中には勘ぐって、
「なんだこれは、偏差値教育打破という、お前なりのメッセージか。ストライキなのか」
と、そこまで想像をたくましくする先生もいたくらいだが(考えすぎだよ!)、なんのことはない。問題文がまったく理解できなかっただけの話である。
どの科目も、ダンケルクもかくやの敗走に次ぐ敗走であり、ちんぷんかんぷんなテスト用紙を前にして、頭の中では「またも負けたか第8連隊」という言葉がぐるぐると回る。
そら、私だって天下御免の劣等生だが、卒業はしたい。けれど、暗記でなんとかごまかせる社会などならともかく、積み重ねが大事な理系科目で、いきなり追試といわれても、すぐに解けるようになるわけがない。
もう、回答どころか、問題文自体が
「なにをおっしゃっておりますんかいな」
という状態である。そこには見栄も欲望も慢心も破戒も、そういった邪念というのはまったくなかった。ただ、ひたすらまっすぐに「一個も、わかりませんわ」ということ。
誠心一途純粋無垢、これ以上ない正直な、まさに雪のように純白の堂々たる白紙答案である。
そういえば、らもさんは神戸大学を受験したときに問題が一問も解けず、1限目を終えたところでさっさと帰ってしまったそうだ。
だが、それだけというのも業腹なので、トイレの壁に
「今日はこのくらいにしといたるわ」
吉本新喜劇のギャグを書き残したそうだが、その気持ちは痛いほどわかる。
追試、追試、白紙、白紙、先生には怒られ、ストライキと疑われ、気分は今日はこれくらいにしといたるわ。
推薦入試でとっくに進路の決まった女の子なんかが、「卒業式、何を着ていこう」なんて楽しそうに話している横で、私は
「追試の追試のそのまた追試」
を受けるために、先生に怒鳴られながらレポートを書いていたのである。何回、敗者復活戦をやっておるのかと。
それでもなんとかかけずり回って、卒業式への切符を手にしたのである。すべりこみセーフ。
みなが打ち上げの計画なんぞ立てているときに、卒業式の一週間前まで、私は「自宅待機」だったのである。そこで「出席を許可する」の電話をいただいたときの、ホッとしたことといったら。
そんな経験があるので、「あの夢」にはかなり長い間悩まされた。起きると、本当に安心します。
すべては自業自得だったのだが、ではもう一度あのころに戻ったら、今度はマジメに出席するかと問うならば、それはどうだろう。
だって、あの死ぬほど退屈な授業をマシンのように受けるだけよりも、サボってる方がよほど楽しかったものなあ。
学校なんて卒業できればいいし、推薦入学しないなら成績なんてトップでもビリでもその後の人生に影響ないし、大学は自力で勉強しても受かるし、やっぱ同じように……。
いやいや、よい子はマネしたらあきませんよ!
卒業式といえば「お礼参り」である。
学校の「ワル」と呼ばれた生徒たちが、在校中自分たちを締め上げた先生を、
「もう、お前らにペコペコせんでええんや!」
とばかり、卒業式のあとボコボコにするというものらしい。
そんなステキなイベントはぜひ見たいものだと、毎年この季節になると大いに期待したものであったが、今のところまだ観戦する機会を得られていない。
そんなヤンキー文化のひとつである、お礼参りで思い出すのが、K高校の逸話。
ここは学区内一の進学校であり、歴史もあり校風も自由な、いわゆる「かしこ」(関西弁で頭のいい人の意)の行く学校であった。
そんなK高の某年卒業式のこと。
卒業生、在校生が集まり、先生と保護者の方々が見守るなか、卒業証書授与。
卒業生代表の言葉あり、在校生の送り出しの歌に、人民軍11万人によるマスゲーム……はないけど、そういった毎年おなじみの光景がくり広げられていた。
卒業証書授与が終わり、あとは蛍が光ってお終いかあ、ああおつかれさん。
というところで突然、バーンというすごい音とともに、式場の扉が開いたのである。
おごそかな空気の中、いきなりなんなのか、と皆が後ろを振り返ったところ、そこに立っていたのはレスラーパンツ一丁のタイガーマスク。
タイガーマスク。
なぜ佐山サトルが、こんなところにいるのか。
だれもがいぶかしんだが、タイガーは気にする様子もなかった。
よく見ると、右手にはこんもりと白いクリームの盛り上がった大皿が。
ざわめく式場の中、突然タイガーは走り出した。
どこへ。その先にいたのは、K高の生徒指導であるT先生。
へ? と、まさに鳩が豆鉄砲を食ったようなT先生だが、タイガーはかまわず見事なダッシュでアプローチすると、体育館じゅうに響く声で、
「天に代わりて不義を討つ!」
一発決めてから、見事なスリークォーターで、パイをT先生の顔面にヒットさせたのだ。
皆が呆然となる中、タイガーは
「それではこれにて」
一礼すると、見事な見得を切って、高笑いとともに去っていったという。
しばらく静寂に包まれた式場であったが、どこからか拍手がはじまり、だれかがそれに応える。
やがてそれは、式場中に響き渡る大拍手へと成長していったという。
いうまでもなく、T先生はK高一の嫌われ者だった。
おそらくは在校生による粋な送り出しなのだろうが、それを平然と受け止めた卒業生もまたすばらしい。
頭がいい人は、こういうときの遊び心にたけていることがある。なんとも、味のある卒業式ではないか。
この話をK高の友人に聞いたとき、なんで自分ももっと勉強してK高に行かなかったんだと悔やんだものであった。
昨今、タイガーといえば、子供たちにランドセルを贈ったりするイメージだが、私が思い出すのはそれよりも、ウェイン町山並みの「大物へのパイ投げ」である。
ちゃんとパイを命中させたところとかも、しっかりした準備を思わせて感心する。やはり、虎の穴でピッチング練習をしたのだろうか。
今日あたりもまた、日本のどこかでこのような「お礼参り」が行われているのだろう。
卒業おめでとうございます。