イップスの恐怖 1996ウィンブルドン準決勝 トッド・マーチンvsマラビーヤ・ワシントン その2

2016年06月30日 | テニス

 イップスというものの怖ろしさを教えてくれたのは、ウィンブルドンのある試合であった。

 前回(→こちら)語ったが、「イップス」というのは単に「メンタルが弱い」からなるものではない

 これは中村計さんの『歓声から遠く離れて―悲運のアスリートたち―』というでも書かれていることである。

 イップスの原因は様々あって今だ「これ」という対策がないというのが現状らしいが、そのことを痛感させられた試合があった。

 それが、1996年ウィンブルドン準決勝

 この年のウィンブルドンは度重なると、トップシード早期敗退で、大荒れになった大会で記憶される。

 アンドレアガシマイケルチャンエフゲニーカフェルニコフジムクーリエといった強豪が1回戦で不覚を取り、優勝経験のあるミヒャエルシュティヒ4回戦で消えた。

 過去2回決勝進出のゴーランイバニセビッチ、ウィンブルドン連覇中で、絶対王者であるピートサンプラスすらも準々決勝で敗れるという波乱の連続。

 なんといっても、ベスト4に残ったトップ選手が第14シードトッドマーチンだけだったというのだから、その荒れっぷりがわかろうというもの。

 ちなみに残る3人はリカルドクライチェクマラビーヤワシントンジェイソンストルテンバーグ

 玄人のテニスファンとしては、ここでストルテンバーグの名前が出てくるのが味である。

 渋すぎる。もし優勝してたら、申し訳ないけど笑っちゃったろうなあ。

 ちなみに実力者のはずのクライチェクがノーシードだったのは


 「芝で実績がないから」


 という大会側の独自判断

 ウィンブルドンは昔、こういう手前勝手なことをやっていたのです。

 伝統を楯に、自分たちの好みでなかったり集客力のない選手をハブしてたわけだ。老舗のイヤなところ。

 先に結果を言ってしまうと、クライチェクはこの大会で見事に優勝

 ディフェンディングチャンピオンサンプラスを破っての栄冠だから、文句のつけようもない。

 ざまあみろウィンブルドンと、リカルドは知らんが、は思ったものだ。

 それはともかく、このような流れになれば、ノーシードの選手たちにも「もしかしたら」との色気が出てくるのは想像に難くない。

 特にオーストラリアンオープン準優勝の経験もあるマーチンは、ねらっていただろう。

 むかえた準決勝、マーチン対ワシントン戦。

 この試合もまた、ご多分にもれずに悩まされる。

 いいところで何度も降雨サスペンデッドに見舞われてイライラしたが、試合の方はフルセットにもつれこむ熱戦となった。

 1991年優勝シュティヒを破る大殊勲をあげたワシントンだったが、ここは地力で勝るマーチンが抜け出した。

 最終セットは一気の加速で、とリードを奪う。

 男子のテニスで、のコートで、サービス2ブレークアップ

 普通に考えれば、試合はお終いである。

 ましてや、そこにいるのはビッグサーバーのマーチンだ。

 なら、あとはチャチャッとエースを何本か決めれば、夢のウィンブルドン決勝である。

 波乱はあったが、クライチェクマーチンなら、それなりにファイナルの形になったかな、なんて考えていたところ事件が起こった。

 マーチンのサービングフォーマッチ

 たしかスコアは3015かなんかで、あとひとつでマッチポイントというイーシャンテンの状態。

 どう見ても、勝利へあと一歩のトッド・マーチン。

 だれもが、あと数分で試合が終わると確信していたが、ここからマーチンの運命は大きく揺れ動くことになるのである。


 (続く→こちら


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イップスの恐怖 1996ウィンブルドン準決勝 トッド・マーチンvsマラビーヤ・ワシントン

2016年06月29日 | テニス

 イップスというものの怖ろしさを教えてくれたのは、ウィンブルドンのある試合であった。

 イップス。

 主にゴルフパットのシーンなどに代表されるが、競技の中で緊張感が最高に高まったときに起こる、震えなどの現象。

 それなりにキャリアのあるアスリートが、ギリギリの場面とはいえブルブルとフルえ、顔面蒼白になり、時には信じられない大ポカを披露して、栄冠を逃してしまうこともある。

 こういう場面を見ると、我々素人はつい



 メンタルが弱い」

 「結局こういうところでチビってしまうのは、自分を信じ切れるほど練習を積んでなかった証拠だよ」



 なんて、したり顔で語ってしまいがちだが、ノンフィクション・ライターである中村計さんの『歓声から遠く離れて―悲運のアスリートたち―』を読むと、ことはそう単純な話ではないらしい。

 イップスというのは、才能メンタルにかかわらず誰にでもかかる可能性のあるものらしく、一度襲われると練習精神修練でも克服は困難なものとか。

 実際、イップスは試合での失敗などもさることながら、



 原因がよくわからない」

 「どうやって乗り越えればいいか、方法論がない」



 このことこそが、選手を苦しめるらしく、多くのアスリートが、わけのわからないまま煩悶することになるのだという。

 たしかに、イップスが「単にメンタルが弱い」だけでは語れないものであろうことは、理解できなくもない。

 たとえば、将棋羽生善治三冠王は最終盤に勝利の一手を指すとき、が震えることで有名だ。

 これはイップスの一種とされるが、羽生さんのような数え切れないほどの修羅場を乗り越えてきた王者が「メンタルが弱い」なんてことはありえない

 そんな羽生三冠すら、「勝った」と思ったときには自分で押さえられないくらい震えがくる。

 将棋の世界では、勝利目前にそれを意識して指し手が乱れることを文字通り「フルえる」というが、羽生さんの場合は指し手は正確なのだ。

 つまり、ビビっているわけではない

 にもかかわらず、勝利の一手を指すとき、盤上の駒がバラバラになってしまうくらいに抑えがきかない。

 将棋の場合は頭脳競技なので、手が動かなかったり、秒読みの中で駒を落とすというアクシデントがあっても、なんとかなることが多い。

 最悪、マス目を指さして「△36歩です」などと宣言すれば一応ルール的には問題ないが、これがそれこそゴルフだったらどうだろう。

 同じ手の震えでも、こっちは致命的なミスを呼ぶかもしれない。

 すると、同じ状態でも 


 「羽生はメンタルが弱い」


 などといった、ありえないことを書かれる可能性がある。

 決して「プレッシャーに押しつぶされた」からだけで震えるのではない。

 そこが、イップスの難しいところなのだ。

 そんなの多いイップスであるが、私自身が見たスポーツの試合で、一番「これは、いかついなあ」と言葉を失ったのは、1996年ウィンブルドン準決勝

 トッドマーチンと、マラビーヤワシントンとの一戦であった。



 (続く→こちら




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キレンジャー以降のイエローは、特にカレーを食べません

2016年06月26日 | オタク・サブカル

 キレンジャーで、ブチ切れられたことがある。

 怒りの主は友人ヒラバヤシ君であり、彼は特撮ヒーローファン

 中でも東映の「スーパー戦隊シリーズ」を、息長く愛している男だ。

 特撮は好きだが、それはどちらかといえば怪獣が中心であり、戦隊ものといえば、『ファイブマン』以降見なくなった私としては、ときにそこで齟齬が生じることもある。

 ある日のこと、ふたりでお茶を飲んでいて、なんとなく話が「スーパー戦隊シリーズ」のことになった。

 そこで、今の戦隊ものにうとい私がなにげなく、

 「そういや今年は、なんて名前のヒーローなん?」

 その年にやっていたのは、平成の中期ごろでギンガマンだったかメガレンジャーだったか。

 そう答えた彼に、またなにげなく、

 「やっぱあれ? 今年もイエローカレー好きなんかいな」

 その瞬間であった。それまで楽しそうに、愛する戦隊モノの話をしていたヒラバヤシ君が、口をつぐんだのだ。

 そこから、ふだん温厚な彼からは考えられないような憤怒の表情で、テーブルをゴンとたたくと、



 「イエローはカレー好きじゃありません! それはサンバルカンゴレンジャーだけです!」



 いきなり大噴火に、おどろいていると彼は続けて、

「なんでみんなイエローいうたらカレー好きやと思ってるんですか。なんもわかってない!」



 そういってまた、ノッてきた講談師のごとく、テーブルをパンパパンとはたきまくるのであった。

 えー? イエローいうたらカレーちゃうの?

 子供のころ見た、スーパー戦隊ものの先駆け的存在である『秘密戦隊ゴレンジャー』のキレンジャーはカレー好きという設定で、それを見て以来なんとなく、

 「イエローといえばカレー好き」

 といったイメージがあったのだが、ヒラバヤシ君によると、それはちがうそうで(当時)、

 「イエローがカレー食べるのはサンバルカンとゴレンジャーだけなんですよ。それ以前も以降もイエローはカレー食べません!」

 そう力説する。

 そうか、私の勘違いかと謝罪したのだが、彼は気が収まらないらしく、



 「なんでみんなキレンジャーはカレーが好きっちゅうイメージから抜けられないんですか。スーパー戦隊シリーズをなんやと思ってるんですか」

 

 たいそう、怒っておられる。

 

 「おまえら、ちゃんとマジメに見てるんかと言いたいですわ。ホンマやってられないっすよ!」。



 先輩としては、ここはフォローの必要がありそうだということで、

 「まあまあ、そう怒らんと、別にイエローがカレー好きでも嫌いでも、どっちでもええがな」

 たしなめたのだが、どうもそれが火に油を注いだようで、


 「どっちでもええ、とはなんや!

 

 ムチャクチャに怒っている。大失敗だ。

 

 「元はといえば、あんたがスーパー戦隊シリーズのことロクに知らんと、《イエローはカレー好きなん?》みたいな、しょうもないこと聞くからあかんのでしょ!」


 ビビりまくるこちらに、彼はさらなる追撃をかぶせてきて、



 「なんもわからん素人のくせに、いちびってたら、どつきまわしますよホンマ。あー、腹立つわあ、どいつもこいつも、イエロー言うたらカレー」

 「なんか、それで気の利いたこと言うてるつもりなんでっしゃろな。ひと笑いあるとでも思いましたか?」 

 

 彼はさらにブツブツと、

 

 「あんたみたいなんがおるから、【関西人は自分のことを、笑いのセンスがあると思ってるからうっとうしい】とかいわれますねん。世の中アホばっかりですわ!」



 もう、先輩怒られまくりである。

 もはや止めようもない暴走トラックと化したヒラバヤシ君は、

 「とりあえず、ちょっとそこに正座してください」

 ビシッと人差し指を突きつけると、



 「特撮は好きとかいうといて、アンタ、スーパー戦隊シリーズについてちっとも勉強してないですやん。怪獣ファンとか言うて、平成ゴジラ平成ウルトラも見てないし。やる気あるんスか?」



 こんこんと説経さた。

 それを「どうもスビバセン」と枝雀師匠のごとく神妙に拝聴しながら、

 「ワシ、なんでそんなことで怒られてるんやろ」

 という、人として実にまっとうな疑問が何度も脳裏をよぎるが、ヒラバヤシ君の



 「だから、サンバルカンとゴレンジャー以外のイエローは、カレー好きちゃうんすよぉ!」



 というの咆哮の前には、儚くかき消えていくのであった。


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外国人の着る変な日本語のTシャツ (中国・漢字編)

2016年06月19日 | 海外旅行
 前回(→こちら)の続き。

 変な日本語のTシャツを着た異人さんがいる。

 以前ドイツを旅行していたとき、どう見てもネオナチとしか思えない顔中ピアスだらけのスキンヘッドのアンチャンが「朝日新聞」と書かれたシャツを着ていたりしてコケそうになったもの。

 まあ日本人もよく意味不明な横文字の書かれたTシャツを着ていて、たぶん異人さんには笑われているのであろう。逆の立場になると、それがよくわかる。

 奈良に旅行したときのこと。東大寺に遊んだ。

 寺や仏像などを見学し日本のわびさびにひたっていると、横にカップルがやってきたのである。

 その男女は東大寺を見ながら「すごいね」と大いに感じ入っていたが、話す言葉からすると、日本人ではなく中国人のようだった。

 中華カップルはニコニコしながらガイドブックを見、写真を撮り、腕を組んで幸せそうに観光していた。日本を目一杯楽しんでくれているようである。

 いい光景だ。昨今、周辺諸国の軋轢が叫ばれる中、外国の人が我らが大日本帝国の誇れる名所を見て、感動してくれている。これはすばらしいことである。

 ネットなどでは東アジアの国々に対する、あまり上品ではない言葉が飛び交っていたりするが、そういう非生産的行為に私は首をかしげる。

 そんなことをしているヒマがあったら、このカップルのように異国をおとずれ、その自分たちとは違った文化をこの身いっぱいに浴びてみるべきではないのか。そこから見えてくる、新たな視点を、われわれは模索するべきではないのか。

 おそらくは新婚旅行ではないのか。こんな二人はきっと日本びいきになってくれるだろう。ささやかではあるが、そういう交流こそがいつか大きな流れとなって、日中友好につながっていくのだ。

 と、感無量になりながら見ていたのだが、ひとつだけ気になったのが、そのカップルが着ていたTシャツ。

 これが今どきめずらしいペアルックであった。

 いやまあ、ペアルック自体はいいんだけど、問題はそこに書かれてあったロゴ。胸の部分にデカデカと漢字で「不法入国」とあった。

 不法入国。

 いや別にこのふたりが密航してどうとかではないだろうが、それはいかがなものか。

 外国人が堂々と「不法入国」。

 それも欧米やアラブなどではなく、一応は中の国の人か台の国の人。漢字の意味ならわかると思うのだが。

 そこをあえて「不法入国」。ギャグとしてならおもしろすぎるぞ。

 しかもペアルックによるダブル不法入国ときた。センス爆発だ。わざとだったら、天才の仕事である。 

 天然なのかそれとも高度なブラックジョークなのか、ってたぶん深い意味はないんだろうけど、とにかくナイスすぎた、変な漢字のTシャツなのであった。
 


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外国人の着る変な日本のTシャツ (ドイツ・アバンギャルド編) その2

2016年06月18日 | 海外旅行
 前回(→こちら)の続き。

 海外旅行をしていると、ときおり変なTシャツを見ることがある。

 そう、外国人が着ている、日本語のロゴが入った不思議なTシャツだ。

 1990年代、ドイツは日本語(特に漢字)ブームであったらしく、街を歩いているとしょっちゅう日本語のシャツを着ている人に出くわした。

 ミュンヘンのマリエン広場でウィンドウショッピングをしていた若い女の子。なかなかかわいい子だったが、シャツの背中には『ゴジラ対メガロ』。

 それとなく前の方も見てみたが、『ジェットジャガー』の文字はなかった。「正義の力だ……」とかあったらもっとよかったのだが。

 オシャレ女子なのにメガロ。もちろん意味はわかってないんだろうけど(わかってたら、ぜひ友達になりたい)、それにしたってなかなかのインパクトだ。

 ベルリンのスーパーで見た太ったお姉ちゃんのシャツには『阪急電車が発車します』。

 関西在住の私は仕事でちょいちょい利用するので、思わず「ああ、ちょっとドア閉めるのまって!」と声に出そうになった。

 楽しい旅なのに、思わぬところで現実に引き戻されてガッカリである。

 その下に「園田」「塚口」「武庫之荘」と、阪急電車の駅名が耳なし芳一のようにびっしりとプリントされていた。小林一三も感無量であろう。

 ハンブルクのディスコで見たお兄さんなど、白地の肩に『車エビ』と、コメント不可能のシュールさ。ベルリン・ダダもビックリの不条理劇だ。
 
 一番すごかったのが、やはりベルリンのカフェで、斜め前の席に座ったおじいさん。

 その背中にはでっかく『与作』

 ヨーロッパのカフェで、静かにコーヒーを飲む好々爺。

 まるでヴィム・ヴェンダースの映画の1シーンのようで、とても絵になる光景なのだが、そこに『与作』。

 おまけに、阪急電車のおばさんのごとく、そのシャツにも

 「与作は木を切る、ヘイヘイホー」

 と「与作」の歌詞が書かれていた。 

 北島三郎 in 第三帝国。シュールを通り越して、もはや異次元だ。

 かくのごとく、海外で見る日本語のTシャツは、笑いをとろうとしているとしか思えないようなシロモノが多い。

 ということは、逆にいえば我々が普段着ている横文字の入ったシャツは、その言葉を母語としている外国人からすると大爆笑なのであろう。

 昨今、東京オリンピックに向けて、その手の企画がときおりテレビで見られるが、われわれもチャド・マレーンにつっこまれないよう、横文字のシャツには気をつけたいものだ。



 (続く→こちら






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外国人の着る変な日本語のTシャツ (ドイツ・アバンギャルド編)

2016年06月17日 | 海外旅行
 海外旅行をしていると、ときおり変なTシャツを見ることがある。

 そう、外国人が着ている、日本語のロゴが入った不思議なTシャツだ。

 1990年代、ドイツは日本語(特に漢字)ブームであったらしく、街を歩いているとしょっちゅう日本語のシャツを着ている人に出くわした。

 たとえばベルリンZOO駅を歩いていたパンクス。

 頭はピンピンのモヒカン、鼻やら舌やらにこれでもかとピアスを装着し、肩で風を切ってイキがっていたが、着ているシャツの胸には『朝日新聞』の文字が。

 私が子供のころは「日本人全員土下座せえ!」くらいの勢いでブイブイ言わしていたが、昨今、ネットなどでたたかれまくりの朝日新聞。

 紙媒体の衰退もあり、いよいよジリ貧かと思われる中、まさかジャーマン・パンクのファッションとして再ブレイク(?)とは。

 朝日+ネオナチ。さすがは前衛芸術の本場ドイツ。脳髄がシビれる見事なコラボレーションだ。

 うーむ、たしかに日本で「The NewYork Times」「L'Equipe」「Pravda」「Volkischer Beobachter」みたいな、外国の新聞のロゴが入ったシャツを着ていても、変と感じないどころか、むしろオシャレかもしれないけど。

 アニメや漫画の影響ですっかり世界でもおなじみになった日本文化。

 これからもますます、珍妙な日本語が地球を席巻することになるのだろう。楽しみはつきないのである。


 (続く→こちら
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恐怖! イスラエル入国スタンプでアラブ諸国は旅行お断り!

2016年06月14日 | 海外旅行

 イスラエルのスタンプは怖ろしい。

 私は旅行好きだが、まだ行ってない国にイスラエルがある。

 エルサレムをはじめ、キリスト教ユダヤイスラムという宗教のエッセンスがギュッと詰まったこの国は、やはり旅行好き世界史好きにははずせない一品だ。

 だが、イスラエルはなにかと物騒でもある。自爆テロだの空爆だの、ロクなニュースがない。

 そんな風雲急を告げる国だが、実はテロより戦争より、さらに怖ろしいものが存在している。

 それがなにをかくそう「イスラエルの入国スタンプ」。

 外国に行けば、パスポートに入国出国スタンプを押されるのは当然であり、コアな旅行者はその数がコレクションのように増えていくのをよろこんだりもするが、イスラエルのスタンプだけは、ちと毛色がちがうのである。

 その理由はズバリ、イスラエルと周辺諸国との不仲

 そう、パスポートにイスラエルのスタンプが押されてあると、シリアレバノンイエメンなど近隣のアラブ諸国の多くが入国禁止になってしまうのだ。

 くわしいことは歴史の本を読んでほしいが、大英帝国二枚舌外交や4度の中東戦争などなど、あれこれあった末、今ではユダヤとアラブは犬猿の仲

 特に、イスラエルの軍事力に煮え湯を飲まされ続けてきたアラブ諸国は断然おもしろくなく、ムキになって



 「イスラエル行くようなやつ、ワシの国には入れへん!」



 もう怒りまくっているわけだ。

 だから、イスラエルの入国スタンプは、たくさんの国を経めぐりたいバックパッカーにとって大天敵

 まさに問答無用の「イレズミ」なのである。

 まあ、そこはイスラエルの方も空気は読んでいるというか、事情を知っているので、入国の時に、



 「ノースタンプ、プリーズ」



 といえば、スタンプなしで入国さしてくれることになっていた(ただ入国審査自体はものすごくキビしいらしい)。

 アラブ諸国入国拒否は困るけど、記念にスタンプはほしいという人や、管理官が押すことにこだわれば、パスポートに別紙をはりつけて、そこに押してもらうという手もあった。

 ただ時折、「ノースタンプ」といっているにもかかわらず、問答無用でドンとスタンプを押されてしまうこともあるのだという。

 言葉が通じなかったのか、職員のムシの居所が悪かったのか、それとも基本的にはやはり押したいのか、そこらはわからないが、これは困ったことになる。

 エジプトカイロで出会った旅行者ミナミ君は、映画『アラビアのロレンス』にあこがれて中東旅行に出かけたのだが、最初におとずれた(その選択も間違いっぽい)イスラエルでスタンプを押されてしまった。

 見事、そこから一歩も動けなくなった彼は、



 「次、もっかいここに来られるの(パスポートの有効期限が切れる)10年後ですよ」



 これに関しては裏技というか力業があり、あるジャーナリストが中東諸国を取材すべく現地へ飛んだが、イスラエルで「スタンプ押すな」といったにもかかわらず、強引に押されてしまったそうな。

 まずい、これでは他の国には入れず取材ができない!

 そこで彼がとった方法は、なんとパスポートをビリビリに破り捨ててトイレに流してしまい、すぐさま日本大使館に走って、まっさらのパスポートを手に入れる。

 それを使って堂々、シリアなど他のアラブ国にも入国できたという。

 再発行料は1万円くらい。なるほど、そういう手があったかと感心したものだが、よい子はもちろんマネしちゃダメです。

 そんな恐怖のスタンプですが、今調べたら、この悪名高き(?)風習は現在は廃止されているとか。

 そりゃすばらしい。夢のイスラエル旅行、パスポートで面倒がなければ、あとは航空券を買って現地に飛ぶだけだ。

 次の休みの備えて、爆弾や弾をよける、ダッキングの練習をおこたりなくしたいところだ。

 

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ビーチリゾートには気をつけろ! チュニジア孤独の海編

2016年06月12日 | 海外旅行
 男はいつも孤独なヒーロー。

 という言葉を残したのは、元阪神タイガースのエース小林繁氏であるが、私が強く孤独を感じるのは旅先の夜である。

 海外を旅行していてさみしいのは、とにかく陽が落ちてから。

 昼間は観光だメシだ移動だと、なにかとテンションの上がるイベントがあるが、夜はホテルで無聊をかこつこととなる。

 これが都市部ならまだ街に出るなり、映画やお芝居を観るなどすることもあるが、そういうものに無縁の小さな町などでは、晩ごはんのあとは安宿の壁のシミでも数えてすごすしかない。

 嗚呼、孤独だ。

 中でも、もっとも深い孤独を感じたのはチュニジアのナブールという街であった。

 まだ春だというのに、その時のチュニジアはずいぶんと暑かった。

 「泳ぎたいなあ」

 そう思った私は宗教都市ケロアンから、手近にあった海のある街ナブール行きのバスに乗ったのである。

 ナブールのビーチは街から歩いて20分ほどの所にある。ガイドブックによると、ビーチのすぐ隣にユースホステルがあるらしいので、そこに泊まることにし、バックパックを背中にホテホテと歩く。

 10分ほどたったころ、かすかに潮の香りが。海だ。足を速めると果たして砂浜が広がっていた。

 その隣にユースらしき建物。おお、なんという立地条件のよさか。

 再びガイドブックによると、そのユースは「リゾートユース」と呼ばれており、


 「シーズンは旅行者たちでにぎわい、まるで合宿所のような楽しい雰囲気です」。


 大きな体育館の中に、二段ベッドが50個以上ずらりと並べられたもので、たしかに運動部のクラブ合宿を思い起こさせるような建物。

 おお、いいではないか、いいではないか。ここで世界各国のバックパッカーたちと仲良くなろうではないか。

 中にはきっと、かわいい女の子もたくさん来られることであろう。異国のビーチで血気盛んな若者がすることといえばひとつであり、いやあもうワンダホーであるなあ。

 よっしゃ、ここでリゾートライフを満喫するぞ!

 という意気込みは、まったく予期せぬ理由により撤回を余儀なくされることとなった。

 なぜならば、その「リゾートユース」とやらに宿泊しているのは、私1人だったからである。

 1人。阿呆みたいに広い体育館の中、どこをどう見渡しても私1人なのだ。

 おいおいと思い、レセプションで宿帳を見せてもらうと、今日どころか、この数ヶ月の予約状況を見てみても宿泊客は私だけ

 そりゃたしかにまだ夏になっていなくて泳ぐには早いけど、まったく仲間がゼロっていうのはどうなんだ。

 「1人でビーチ来てもしゃあないがなあ!」そう叫びたくなったが、したところで誰も聞いてくれないのだ。1人だから。

 おまけに夕方になると、このお一人様ユースのレセプションにいたおっちゃんが、

 「ほんじゃ、ワシ帰るアラー。あとはひとりでなんなり好きにやってくれジャスミン」。

 なんと私を置いて家に帰ってしまったのである。これにて本当に、このだだっ広い体育館に取り残されてしまった。

 ま、待ってくれ。そもそもこのビーチ、ただでさえ町の中心部から離れたところにあるのだ。

 その間あったのは、長い長い道だけ。周囲には家一軒、店のひとつもなかったのである。

 つまりは、このビーチのみならず、ここから半径歩いて20分くらいのゾーンには私以外誰もいないことになるではないか。

 1人旅とは本質的に孤独なものだが、ここまでさみしい状況になったのは初めてである。ホンマにひとりぼっちやがなあー。

 おまけに、レセプションのオヤジはご丁寧にも建物の電源を落として行きやがったようで、電気もつかない。

 ひとり相手に電気代もったいないから、はよ寝ろってか。ヒドイ!

 夜、たったひとり暗闇の中、でたらめにだだ広い体育館のベッドで眠っていると、その孤独感がヒシヒシと身にしみた。

 さみしい、さみしすぎる。これやったらむしろ、独房みたいなせまい部屋の方がマシや。夜の体育館、怖すぎる。

 おまけに、浜辺からはやたらと夜風がビュビュウと音を立て、そのロンリネスな気持ちに拍車をかけてくれる。

 幽霊でも出そう。異国の街の無人の浜辺で、浜風に震える男、一人。なんの修行や、ホンマに。

 そうして陸の孤島と化した無人の体育館の中で寂しさと人恋しさに打ち震えながら、

 「合宿所みたいな明るい雰囲気なんて、どこの国のキングマイマイや!」

 と漆黒の海に向かって叫んだのであったが、もちろん誰も聞く人はいないのであった。



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ノバク・ジョコビッチがグランドスラム達成! 2016全仏決勝 ジョコビッチ対マレー その3

2016年06月09日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。

 2016年フレンチ・オープン決勝、ノバク・ジョコビッチ対アンディー・マレー戦はいよいよクライマックスをむかえようとしていた。

 勝利を、そして生涯グランドスラムを目前にしながら、もがき苦しむ王者ジョコビッチ。第4セット5-2からサービスを落とし、マレーの逆襲をゆるしつつある。

 敵はただひとつ。これまで幾多の修羅場をくぐってきたはずのノバクすら硬直させるプレッシャー。

 栄光を前に、錆びついたブリキのおもちゃのごとく軋む体をなんとかしようと、あの手この手でなだめようとする。

 両手を振って観客をあおり立てる、くりかえし深く息を吐く、天に向かってなにかつぶやく、ともするとはじけ飛びそうになる心と体を、なんとかなだめようと、丁寧に何度も何度もボールをつく。

 この3ゲームは決勝戦の、まさに白眉だった。

 あのテニス界に君臨し、すべての栄冠を手に入れた最強の男が、たった数ポイントを取るためにこれだけ苦しみ、乱れ、自らのふがいなさに怒り、重圧に腕が振れなくなる。

 神のごとき男の震え。すごいものを見ているなと思った。この数十分だけでも、この試合は観るべき価値があったといっても過言ではない。

 圧勝から一転カオスと化した第4セットだが、結果はノバクに幸いした。マッチポイントのラリーもふたりらしい秘術を尽くした打ち合いだったが、最後はアンディーがネットにかけてすべてが終わった。

 ノバク・ジョコビッチ、ついに生涯グランドスラム達成。

 長かった。そして苦しい戦いだった。

 そのことは、もちろんのこと本人が一番わかっている。その証拠に、勝利が決まり、赤土の上に倒れこんだ彼は、ふだん優勝した選手がするようにガッツポーズをしながら咆哮するということをしなかった。

 その代わりに、深く、しみじみと深く息を吐いていた。それは勝利に対するよろこびよりも、おそらくは安堵に近かった。

 すべてから解放された、ただそれだけが頭をめぐっていたのだろう。

 こうして2016年最大となるであろう大勝負は幕を閉じた。結果はやはり王者の強さが際立った。

 アンディーはつらかったろうな。あれだけの仕上がりを見せても、中盤以降はやはりチャンスの少ない戦いだった。

 ただ、苦手と言われたクレーコートを克服しての準優勝は立派だ。あの位置にいながら、まだまだ「のびしろ」があるというのはすごいことだと思う。ウィンブルドンではリベンジを期待したい。

 それにしても思う。錦織圭は、とんでもない時代に生まれてしまったと。

 今のテニス界はノバク・ジョコビッチを頂点に、なんのかのいって「ビッグ4」が支配しているが、そのうちの3人が「グランドスラマー」なのだ。

 しかもナダルは「ゴールデンスラマー」であり、フェデラーもオリンピックは銀メダル。ジョコビッチもリオで金を取るかもしれず、やや差をつけられているマレーも4大大会で2つ優勝、残る2つもファイナリストになり、オリンピックは金メダル。もう無茶苦茶。

 本来、4大大会総ナメなんて130年近い歴史で10回もない出来事なのだ。それを現役選手3人が達成し、4人目も可能性充分ありって……。

 おっとろしい時代だし、錦織君をはじめ今の2番手集団には大変だが、それはそれで充実しているともいえる。

 実際、ノバク・ジョコビッチはロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルがすべての栄冠をかっさらう「二強独裁」の時代について、

 「初めのうち、僕はこの時代の一員であることをうれしく思っていなかった」

 と告白したそうだ。才能は折り紙つきながら、なかなか1位になれなかった男の偽らざる本音だろう。

 だが彼はそれを克服した。私がノバク・ジョコビッチというアスリートをすばらしいと思うのは、そのストローク力やフットワークからではない。

 ついでにいってしまえば、世界ナンバーワンになったからでも生涯グランドスラムを達成したからですらない。

 乗り越えるのが絶対不可能と思われた壁(しかも2枚)を前にして、心を折らせず、どんな苦境も困難も、

 「受け入れて、やるしかない」

 という当たり前すぎると同時に、われわれ凡人には実のところ、簡単なようで困難極めること。

 もっといえば「わかってても、本当はやりたくない」こと。

 それを今でもつらぬき通している姿勢にあるのだ。結果はそれに対する「幸運なごほうび」にすぎない。

 その意味では、敗れたとはいえアンディーだってまだまだ捨てたものでもなかろう。

 あの「永遠の3番目」だったノバクが、ここまでのことをやったのだ。研鑽すれば、もしかしたら今年の末あたりからは「アンディー・マレーひとり勝ち」時代に突入するかもしれない。

 2010年度まで、世界のだれもノバクが「絶対王者」と呼ばれるようになるなど想像しなかった。

 だったら、アンディーには無理だと、どうして言える?

 次はウィンブルドン。また熱戦を期待している。



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ノバク・ジョコビッチがグランドスラム達成! 2016全仏決勝 ジョコビッチ対マレー その2

2016年06月08日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。

 ノバク・ジョコビッチの生涯グランドスラムがかかった2016年フレンチ・オープン決勝。

 最後に残った二人は、世界1位と2位のノバク・ジョコビッチとアンディー・マレー。どちらも初優勝がかかっている。

 負けられないライバル対決は、マレーが先んじることとなった。

 やはり激烈なプレッシャーに見舞われていたのだろう。ファーストセットのノバクは明らかに動きが硬かった。

 この二人のテニスが楽しいのは、ミスが少ないためラリーが途切れず、そのテンポが心地いいから。

 ところが序盤のノバクは最初のサービスゲームをブレークしたものの、そこから精彩を欠く。凡ミスを連発し、3-6でセットを失う。

 これにはちょっと動揺した。おいおい、あの王者が、全然力を発揮できていないぞと。
 
 どちらにも肩入れして応援できないというのは、逆にいえばどちらが勝ってもハッピーと取ることもできるが、そうなると大事なのは結果よりも内容である。

 これが錦織圭の試合なら、全試合ベーグルで勝ってくれるほうが精神的に楽だが(そんな無茶な!)、結果を気にしないのなら接戦であってくれればくれるほど、うれしいもの。

 ともかくも、プレッシャーに押しつぶされての凡戦だけは見たくない。ファーストセットを見た限りでは、そうなる可能性も大だ。大丈夫なんかいな。

 などといった素人の心配は、王者には不要だった。

 先行されて目が覚めたのか、それとも開き直ったのか、第2セット以降のノバクは圧倒的だった。

 ノバクとアンディーの試合でノバクが先行すると、内容的にはさほど差がないのにもかかわらず、スコア的にはどんどん離れていくというケースがままある。

 アンディーも最善のプレーをし、やれることはすべてやり、それが相手とくらべてさほど見劣りするわけでもないのに、なぜか6-1とか6-2という並びになってしまうのだ。

 その「壁」を感じるごとに、アンディーには「2番手の悲哀」を感じるが、ともかくも徐々に雰囲気はノバクの「グランドスラム達成」にかたむいていっている。

 おそらくはフィリップ・シャトリエの、いやさ世界中の注目と期待が盆地にこもる夏の熱気さながらにコート上には渦巻いていただろう。戦う二人は、それをどう感じたのだろうか。

 2セット目以降はジョコビッチの強さが目立ったこの試合だが、最後の見せ場が第4セット第8ゲーム以降の王者だった。

 セットカウント2-1リードで5-2、サービング・フォー・ザ・マッチ。

 圧倒的に優勢だ。あとはこのサービスゲームをキープすればおしまい。テニスは絶好調で一糸の乱れもない。まさに「鍋に入った」状態。

 ところが、このゲームをノバクはあっさりと落としてしまう。

 それはアンディーの不屈の闘志もあったが、ノバクがヨレていたこともたしかだった。ほとんど抵抗することなく、大事なサービスゲームを落としてしまったのだ。

 ただ、それでもまだワンブレークリードがある。気持ちを立て直し、アンディーのサービスゲームを攻めたてるが、あと一歩のところで奪えず。

 これで5-4。再度のサービング・フォー・ザ・マッチ。

 ここからの十数分は、試合開始時には思いもよらなかった、極めて人間くさい光景が展開されることとなった。

 歴史的大偉業まであと4ポイントのノバク・ジョコビッチ、一方ノーチャンスと思われたところからのまさかの逆襲に、全身闘志の塊と化しているアンディー・マレー。さあ、最後の大勝負。

 俗にいろんな世界で「最後は自分との闘い」などという言葉が使われるが、このクライマックスはまさにそれがピッタリと当てはまった。

 あの場でノバクが戦っていたのは、血を見たド―ベルマンのごとく奮い立っているアンディーではない。恐るべきプレッシャーで動かなくなっている自らの体だった。


 (続く→こちら






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ノバク・ジョコビッチがグランドスラム達成! 2016全仏決勝 ジョコビッチ対マレー

2016年06月07日 | テニス
 ノバク・ジョコビッチが、ついにフレンチ・オープンを制した。

 今大会の注目は、日本人的には錦織圭がどこまでやれるかだったが、世界のテニスファンのほとんどにとっては、こっちであったろう。

 ジョコビッチの生涯グランドスラムなるかと。

 テニスの世界で全豪、全仏、ウィンブルドン、全米の4大大会すべてに勝つことを「グランドスラム」というが、絶対王者ノバク・ジョコビッチはなぜか全仏だけ準優勝3回。いまだ優勝カップを掲げられずにいたのだ。

 まあこれは彼がどうとかいうよりも、「クレーキング」ことラファエル・ナダルが鬼の門番として君臨していたせいであり、ロジャー・フェデラーもそうだが、もしラファが叔父のミゲル・アンヘルのようにサッカー選手になっていたら、とっくに2、3回は優勝していたろう。

 実力的には、こんなもたついているほうが、そもそもおかしいのだ。そのことは、みながわかっている。だからこそ、「今年こそ」の期待度も高まる。

 全世界が注目する中、ノバクは危なげなく勝ち上がっていく。
 
 ナダルは3回戦で棄権、フェデラーは欠場、前回優勝のスタン・ワウリンカとは反対の山に入り、最大のライバルであるアンディー・マレーも序盤から苦戦の連続と、すべての風が彼に吹いているように見える。

 テニスの方も昇り調子で、準々決勝ではチェコのエースであるトーマシュ・ベルディハを、準決勝では若手のホープで将来のチャンピオン候補ドミニク・ティームを一蹴し決勝進出。

 そこで最後に待つのはアンディー・マレー。

 同い年のライバル。世界ランキングもシード順も1位と2位。これ以上ない舞台が整ったファイナルとなった。

 この決勝戦、私自身はどういう肩入れで見ていたのか。

 単純に考えれば、ノバクを応援するところだろう。以前も彼のすばらしい人間性にふれ、「フレンチ優勝は間違いない」と断言したこともあるのだから(→その模様はこちらから)。

 だが、一方のマレーも気になるところだ。

 これまで何度もノバクに急所で痛い目にあわされてきた彼にとって、このフレンチ決勝進出は願ってもない復讐のチャンス。

 なんといっても勝てば初優勝とともに、宿敵の悲願を打ち砕くことができる。まさに「2度おいしい」戦いなのだ。

 さらにいえば、ここ数年のアンディーのクレーコートでのテニスもすばらしいものがある。

 最近別れることになったが、女子の元世界ナンバーワン選手であるアメリー・モレスモーをコーチとして選んだときは、その意外性とまた偏見から、心無い批判を浴びたこともあった。

 その間、目標だったグランドスラムの優勝を果たせなかったのだから、その点では仕方ないかもしれないが、それをおぎなってあまりある成果として、「クレーでの技術の向上」はあったと思う。

 2015年ミュンヘンの大会でクレーコート初優勝を果たすと、マドリードではナダルを破ってクレーのマスターズも制覇。ローラン・ギャロスもベスト4に入る。

 2016年度もいいテニスを展開し、マドリード準優勝、ローマではジョコビッチを破って優勝、そして全仏でもついに決勝までコマを進めたのだ。

 これはちょっと予想外だった。見ている側からすると、アンディーの主戦場はウィンブルドンであって、フレンチはおまけといってはなんだが、負けても「本番前にゆっくり休めてよかったね」くらいの感覚だった。

 それがこの充実の戦いぶり。うーむ、かつてはウィンブルドンでのマラト・サフィンやローラン・ギャロスでのパトリック・ラフターかティム・ヘンマンのような、

 「サーフェスにあってない選手を偏愛的に応援する」

 というひねくれた趣味の持ち主であった私にとって、これはもう、ぜひとも
 
 「アンディー・マレー、なぜかローラン・ギャロス制覇」

 というのは相当に魅力的な響きである(←「なぜか」は失礼だろ!)。

 しかも、あらためて気づいたのだが、もしアンディーがここで勝てば、全仏、ウィンブルドン、全米のタイトルを持つことになり、なんと来年の全豪に「グランドスラム」がかかることになる。

 いや、それどころかロンドンオリンピックで金メダルを取っているから、「ゴールデンスラム」だ。

 ノバクは銅メダルが最高だから、一気の大逆転。おまけに全豪は全仏の前に開催されるから、先んじられる可能性は大だ。まさに逆王手。

 ちなみにアンディーは全豪をなんと準優勝5回。ノバクの全仏準優勝3回といい、めぐりあわせってなにって感じだ。

 もし準決勝でワウリンカがアンディーに勝っていたら、なにはばかることなくノバクを応援できたろう。

 スタンにふくむところはないが、「キミは去年勝ってるやないか。今年はゆずってやってちょ」と言いやすいところはあるから。

 逆にノバクがティームにやられていたら、そっちはそっちで、「ドミニク、キミはこれからいくらでもチャンスはあるやないか。でも、アンディーはこれが最初で最後やから」と言えるわけだ。

 そこを1位と2位の「ドリームファイナル」。

 嗚呼、結局私は最後までどっちも応援できなかったよ。


 (続く→こちら



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日本人によるパスタやスパゲティーの正しい食べ方

2016年06月05日 | B級グルメ
 スパゲッティーは箸で食え!

 というのが、日本男児である私の主張である。

 食事にはそれぞれ作法があり、スープは音を立ててすすってはいけないとか、インドではカレーを手で食べるとか、カップヌードルはCMでかたくなにフォークを使うことを押してくるが、パスタに関してはこれはもう満場一致で箸である。

 一人暮らし歴も長い独身貴族は、ときに自炊もするのだが、そういうときスパゲティーはいい。

 まずなによりも作るのが簡単。

 お湯をわかしてゆでて、そこにレトルトのソースをかけてハイできあがり。

 カップラーメンほどではないにしろ実に簡単で、ものぐさな私にはピッタリだ。
 
 そんな美味しくて安く腹もふくれるスパゲなのだが、いくつか問題がある。

 それは待ち時間が長いということ。

 まず、お湯が沸くまでが長い。

 なんて書くとお湯なんぞ数分待てば沸くじゃないかと言われそうだが、なんせせっかちなタイプなので、ガスに火をつけて、じっと待ちぼうけの、その数分が耐えられない。

 なんといっても、カップ麺の3分が「長すぎる」と感じる人間なのだ。お湯を入れたらすぐ食いたい。

 中には「生麺タイプ、熱湯5分」とかいうのもあったりして、おいおいカップ麺のくせに5分とはどういうことか。

 なんだその傲慢な態度は。大名商売かよ! 猛烈に腹が立つ。このスピード時代の現在、もうちょっと企業努力せんかい!

 憤慨しながら3分くらいでフタを開けてしまい、まだカチカチの麺をすするはめになったりする。あれは不味いッス。

 なので湯が沸くまでですでにイライラしているが、さらに、パスタはゆで時間が長い。

 たいていのパスタはゆで時間7~10分くらいだが、3分が待てない身には、これは永遠ともいえる長さだ。

 カップ麺の約3倍。なんの嫌がらせか。これは拷問ではないのか。

 その昔、東ドイツの秘密警察「シュタージ」は、反体制分子をこの

 「なかなかゆであがらないスパゲティーのイライラ」

 を使って締め上げていたというのは、嘘のような本当に嘘の話である。

 普段の生活では、10分くらい、すぐに過ぎてしまうものだが、このような「ただ待つだけ」というのは妙に長く感じられる。

 それならテレビでも見て待っていればいいのだが、それがおもしろい番組だったりすると、ついついそっちに気がいってしまったりする。

 で、気づいたら20分くらいたっていて、うどんみたいなふにゃふにゃスパゲを食わねばならないことになる。これはシェイクスピア級の悲劇だ。

 げに難しきはゆで時間なのだが、まあアラーム時計でも買えばいいんだろうけど、あのピピピピピピという音が嫌いなのだ。いらちの上にワガママ兄さんなのである。

 こうしてできたスパゲッティーの食べ方だが、これはもう当然ハシで食べるわけである。

 フォークでクルクル巻いてなんていうのは非国民であり、言語道断。それを木のスプーンで補助するなどといった軟弱なヤカラは、すぐさま断頭台送りだ。

 日本男児はハシで食え! そう主張したい。

 もちろんその際は、ずるずると音を立ててすすりこむことも忘れてはいけない。

 衣装はそうですね、部屋着代わりのジャージ。

 若い人なら中学や高校時代の着古したものならさらによい。靴下ははかない方がさらに雰囲気が出る。男子の下宿ルックである。

 スパゲッティーに正装なんてもってのほか。断固として箸とジャージが似合う。

 食事にはTPOをわきまえたいものである。



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2016全仏オープン 錦織圭vsリシャール・ガスケ戦なんて、とてもまともに見られるわけないだろ! その3

2016年06月02日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。

 「昔はよかったなあ」

 錦織圭の活躍に、なぜかそんな時代に逆行したため息をつく私。

 なんたって、優勝なんて考えなくてよかったのだから。とりあえずの目標はベスト8。

 ランキングも最終戦に向けて8位以内とか計算しなくてもいい。ただ目の前の1番に集中すればいい。

 勝てばうれしいし、負けても次がんばればいい。ランキングも上がるときもあれば落ちるときもあるさ。とにかくケガだけ気をつけてくれればと。

 つまり、US決勝の前までの彼は負けても失うものはなく、勝てば勝つだけ「得するしかない」状態だったのだ。

 だから見ているほうも楽だった。負けても「次」があるから、切り替えが簡単。

 どっこい、今の錦織圭はどうだろう。世界のトップ10プレーヤー。グランドスラムでは堂々の優勝候補。

 これだと、とても冷静な目では試合を見られない。

 デ杯やマスターズはまだ日本でそれほど騒がれていないからいいけど、グランドスラムとなればそうもいかない。

 どうしても「優勝」が期待される。しかも、それは「ありえる」話なのだ。

 となると負けることが、どうしても悔しくなる。「失う」ものができたのだから。

 トップ10だから、大会開幕に胸躍らせるはずの1回戦なんかは「勝って当然負ければマヌケ」の損しかない戦い。

 その後も、負けは即「シードダウン」の汚名が付きまとう。ランキング的にはベスト8が「義務」だが、そこまでの道のりが簡単ではないのは、ローラン・ギャロスでのベルダスコやガスケのテニスを見てもわかる通りだ。

 あれが「義務」かよ。大変すぎるやろ!

 リシャールなんて、格下あつかいだけど、それでも世界12位。しかも、二つ名が「天才ガスケ」なんだぜ!

 嗚呼、なまじ優勝が期待されるもんだから、どうしても見るほうも必死だ。負けたら、また1年待たされる。

 しかも、仮にリシャールに勝っていたとしても、次はマレー、準決勝で前回優勝のワウリンカ、決勝ではジョコビッチ。えげつない面々が待ちかまえている。

 こう見ると、グランドスラムで勝つってホントにすごいよなあ。しかも5セットマッチ。ベスト8でも、道半ばですらない地獄坂。

 でも、「もしや」があるのが今の錦織圭だ。これまでの、「ベスト16万歳!」くらいの立場だったら、寝転がって見られたのに、ここ数年はリードされたら思わずチャンネルを替えるくらいのもの。

 ガスケ戦も、さすがに次の日があるからもう寝たけど、その前にしたって中断後に攻められまくったときは、とても観戦できなくてネットの動画サイトで『怪奇大作戦』見てた。

 だからガスケ戦についてはほとんど語れません。観てないし、録画はしたけど、とても見る気にもなれないし。

 いかがであろう。以上の理由で「昔はよかった」というのだ。

 失望は期待の二乗に正確に比例する。二階に上げられてハシゴをはずされるのはつらいものだ。特に全仏はひそかに一番勝ってもらいたい大会だから、もう「探さないでください」と書置きして旅に出たい。

 まあ、こういうのを「うれしい悲鳴」というのであって、昔と比べれば贅沢極まりない悩みだが、そういうことなのである。

 次のウィンブルドンは、たぶん優勝はないだろうから、もうちょっとおだやかに見られそうだ。

 目標は未到達のベスト8! 嗚呼、優勝しそうにない大会って、なんて心が楽なんだ。

 こんなアンビバレントでややこしいことになっているファン心理、もう「阿呆やねえ」と笑ってやってください、ホントに。
 



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2016全仏オープン 錦織圭vsリシャール・ガスケ戦なんて、とてもまともに見られるわけないだろ! その2

2016年06月01日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 「昔はよかったなあ」

 錦織圭の活躍に、なぜかそんな時代に逆行したため息をつく私。

 スーパーヒーロー錦織圭の才能は、われわれ「玄人」のテニスファンの予想すら、はるかに超えるものだった。

 グランドスラム決勝進出という、その瞬間彼の全身の骨が折れてキャリアが終わっても、充分すぎるほどの偉業を達成したのにもかかわらず、それだけではないどころか、むしろそこからがスタートだった。

 世界ランキングはシード権がどうとかなどフっ飛ばしてトップ10入り。どころか、最高4位にまで達する。

 ツアーは3とか4どころかすでに11勝。マスターズ準優勝が2回。日本人には鬼門のクレーの大会でも優勝している。

 デ杯はワールドグループ進出どころかベスト8に入った。グランドスラムもベスト8は目標どころか、今では「そこからいくつ勝てるか」が課題だ。

 正直、ここまでとは思わなかった。「見る目ないなあ」と笑われてもけっこうだが、でも予想できた人もそんなにはいなかったのではないか。いたとしても、どこか「希望的観測」だったはずだ。

 だからこその『テニスマガジン』の「速すぎる」発言なのだ。「ゆえに、我々がまだついていけてない」と。

 その証拠に、今でも彼の試合を見ると感覚が狂う。

 たとえば、最近勝った相手に、ロベルト・バウティスタ・アグートやアレクサンドル・ドルゴポロフといった選手がいる。

 ロベルトは最高14位で2014年には「ATPツアーでもっとも上達した選手賞」を獲得。アレクサンドルは最高13位でデビュー時から天才肌と評判だった。

 ふたりとも、すごい選手なのである。世界のトップ、一流のアスリートだ。

 日本ではあまり知られていないとはいえ、テニスファンなら彼らのことをリスペクトこそすれ、その力を疑うことなどないはずなのだ。

 その選手を、錦織圭はいとも簡単に倒してしまう。

 これまでなら、ロベルトもアレクサンドルも雲の上の存在。日本テニス界が望んでも、とてもじゃないが届くことのない綺羅星のごとき男たちだ。

 それを、6-2・6-3みたいなスコアで、あっさりとやぶってしまうのだ。

 それだけじゃない。ビクトル・トロイツキやフィリップ・コールシュライバー、アンドレイ・クヅネツォフといった面々にも、ふつうにストレートで勝つ。

 見ていて、目が点になる。あれ? 彼らって、こんなに弱い選手だったっけ?

 実際、ファンの中には本当に彼らを「たいしたことない」と思っている人もいるかもしれないが、もちろんそんなわけはない。

 そう、少年漫画のセリフのような話だが、彼らが弱いんじゃない、我らが錦織圭が強すぎるのだ。

 信じられないが、そういうことなのだ。

 もちろん、いまだビッグ4が君臨し、他にも強力なライバルは山ほど存在するが、それでも十分に奇蹟が「起こってもおかしくはない」位置まで来た。

 ここで話は冒頭のセリフに戻る。

 昔はよかった。まだ錦織圭がトップ50とか30とか階段を上がっている最中なら、ここまでハラハラせずに試合を楽しめた。



 (続く→こちら



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